来年の年間読書テーマは「夏目漱石の小説を全部読む」。前倒しで中編を少し読んでます。本日は『坊っちゃん』を再読しました。集英社版の小説全集では挿画が中村正義。
長編の『吾輩は猫である』と同時期に執筆された作品だそうで、漱石の旺盛な創作熱が感じられます。
『坊っちゃん』初出は1906年(明治39年)『ホトトギス』で翌年単行本化。他の観念的な教養小説の多い漱石の作品としては単純明快で大衆的です。少年少女向けの短縮版を含めて恐らく十回以上読んでいると思われますが、非常にリーダブルで間然としたところがなく、会話文を中心に落語の話術の伝統芸を明治期の日本語文章の確立に導入して大きな役割を果たしたと想像されます。
主人公の坊っちゃんと、行動を共に知る堀田(山嵐)は共に賊軍出身で、鼻持ちならない田舎者の長州・薩摩への揶揄ともとれます。
この作品の文書のうまさは井上ひさしさんが言及されてますが、例えば下記の箇所。
汽車が餘(よ)つ程動き出してから、もう大丈夫だろうと思つて、窓から首を出して、振り向いたら、矢つ張り立つて居た。何だか大變小さく見えた。
という東京駅の場面から、
ぷうと云つて汽船がとまると艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。
と途中の旅の過程を省いた導入部。
小説の終わりの部分。
清の事を話すのを忘れて居た。(中略)死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの御寺に埋めて下さい。御墓の中で坊っちゃんが来るのを楽しみに待つて居りますと云つた。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
という簡潔な結び。忖度無視の熱血漢の数少ない理解者である、武家でありながら没落した年老いた女中への溢れんばかりの愛情表現が文章に出ています。


