以前アニメ映画の『この世界の片隅に』及び原作を熱心に読んだ時期があって、呉市内の戦争遺跡も何度か訪れました。
呉市の広に海軍の航空機を作っていた「第11海軍航空廠」があり(舅の円太郎さんの勤務先)門柱だけ残ってます。反対側の法面にはグラマン(F6F)の機銃掃射跡がそのまま残っています。1945年3月からの呉軍港空襲での被害です。機銃掃射は知っていたのですがグラマンのF6Fは艦載機で、問題はどこから来たかという点です。
ウキペディアによると室戸岬沖80kmから発艦したそうです。室戸岬から呉市まで約185kmですので、グラマンF6Fは往復で約600kmを飛び(1時間ぐらい)低空での機銃掃射を行って帰還したことになります。日本側も残存兵力で応戦はしたようですが、室戸岬沖まで航空母艦が進行でき、高高度を飛ぶ爆撃機ではなくて艦載機からの攻撃を受けたという時点で敗戦は避けられないことであり、終戦の決断が遅れた軍部・政府には憤りを感じます。
本書は店頭でみかけて購入。よくゼロ戦のライバルとされるF6Fですが、両機の設計思想の違いが、大きくは太平洋戦争の戦略的な違いから発生していることであり、その比較に興味があり読んでみました。F6Fに限らずグラマン社の創立から現在まで丹念な取材による良書です。
ゼロ戦が出現当時は傑作機だったとはいえ、総力戦下ではしょせん兵器の一つにすぎず、艦載の戦闘機は空母の運用も含め、戦略・戦術も含めての評価が必要です。F6Fにとって有利だったのはアメリカの太平洋上での戦略にブレがなかったこと。戦闘面での仮想的がゼロ戦ということでハッキリしていたことだと思います。一対一の巴戦を避け、複数の戦隊での運用に適した機体だったのでしょう。
米海軍が太平洋戦争中に空中戦で撃墜した日本軍機の実に80%近くは、F6Fヘルキャットが挙げた戦果だそうです。やぼったい外観、際立ったスペックを持たないF6Fヘルキャットは「偉大なる凡作」とのそしりを受けていますが「戦争に勝つ」にはゼロ戦も大和も必要ない、ということでしょう。
<内容紹介>
グラマン戦闘機 “強敵・零戦を駆逐せよ
(鈴木五郎著)
<目次>
1 ビヤダル型戦闘機のデビュー
2 F4F苦難の開発
3 『零戦』と対決して敗退
4 F6F「ヘルキャット」誕生
5 日米、空の死闘
6 太平洋の空を制す
7 “零戦神話”の崩壊
8 朝鮮戦争とグラマン
9 その後のグラマン社
あとがき グラマンF6F「ヘルキャット」艦上戦闘機は、大空の王者「零戦」を、最初に地獄へと葬った戦闘機だった。
同じグラマンF4F「ワイルドキャット」や、ブリュースター「バッファロー」を、1 対 1 でなら、ものともしなかった日本の「零戦」が、不意に現れたこの強敵によって、次から次へと撃ち落とされていく。
太平洋を血の海に変えた米海軍奇跡の名機「ヘルキャット」とは、一体どのような戦闘機だったのか。
第二次世界大戦ブックス58
著者 鈴木五郎(すずき・ごろう)
1924年京都府生まれ。1943年学習院高等科在学中に、水上機の操縦訓練を受ける。
1944年三重海軍航空隊に入隊。1948年東京大学文学部卒業。翌年8月小学館児童編集部に入社。
1958年3月読売新聞社出版局入社、現在に至る。
日本航空機操縦士協会の機関誌「パイロット」に『世界航空事件史』を連載中。
はじめに 米海軍の名機「ヘルキャット」 top
第二次世界大戦を通じて登場した戦闘機は、交戦した各国のもの全部あわせれば、一〇〇機種をこすが、一応の成果をあげる活躍をしたのは、その半分といえよう。
それをさらに“名機”という枠で絞っていくと、わずか一〇機種くらいになってしまう。
アメリカのノースアメリカンP51「ムスタング」、リパブリックP47「ザンダーボルト」、ヴォートF4U「コルセア」、グラマンF6F「ヘルキャット」、イギリスのスーパーマリン「スピットファイア」、ホーカー「ハリケーン」、ドイツのメッサーシュミットMe109、フォッケウルフFw190、日本の零式艦戦(いわゆる「零戦」)、キ84「疾風」といったところが、それに属する。
もちろん、各機にたいする評価は、各国により、また世界の航空評論家の見方によっていろいろちがっている。
たとえば、性能的にはAクラスでも、その国への貢献度(戦闘実績)がBクラスならば、性能的にややおとっていても、貢献度Aクラスのものより評価がさがることもあるし、また、出現のタイミングが悪ければ、よいタイミングのものより損をする。
さらに、局地迎撃用と長距離進攻用の違いとか、火力、稼動率、生産量などの点も、考慮にいれなければならない。
このような観点から、総合的に採点してみると、P51「ムスタング」、スーパーマリン「スピットファイア」、メッサーシュミットMe109、零式艦戦などが、第二次大戦の戦闘機ナンバーを競うことになる。
「ムスタング」は、時速七〇〇キロを上まわるスピード、ダッシュカ、上昇力および航続力で、日本の戦闘機よりおとる運動性をカバーして余りある戦闘力を保持していた。
また「スピットファイア」は、潮のごときドイツの攻勢から“イギリスを救った戦闘機”としてジョンブル(イギリス人)の信頼を一身に集め、Me109は、高速一撃離脱の戦闘法と世界一の量産(三万五〇〇機)で、ナチの野望を一時的にではあるが可能にした。
さらに「零戦」は、ずばぬけた運動性で、太平洋戦争初期から中期にかけ連合国空軍を徹底的に痛めつけている。
いずれも第二次大戦当初から働き、改良されながら長期にわたって活躍したことが、他の機体よりポイントを稼いだきめ手となっている。
その他、フォッケウルフFw190にしても、ヴォートF4U「コルセア」、グラマンF6F「ヘルキャット」、リパブリックP47「ザンダーボルト」にしても、それぞれ長所を大きく活かしての活躍が、名機に数えられる要素となっている。
それらの中で、本来ならもっと高く評価されてもいいはずなのに、意外に地味な存在なのが、グラマンF6F「ヘルキャット(化猫)」である。
「ヘルキャット」は、日本人にとって、終戦まぎわ「ムスタング」とともに本土を銃爆撃した憎い敵機だった。
しかし、アメリカ人にとっては、おそるべきゼロ・ファイター「零戦」をばたばたと叩きのめし、太平洋の制空権を完全に奪ってくれた勝利の立役者なのだ。
それなのに、アメリカで大もてにもてないのは何故だろう。
その理由は、第一に、“ゼロ”の真の対抗馬として造られたグラマンF8F「ベアキャット」の方が、戦闘には参加しなかったものの、戦後もスピードレーサーとして活躍するほどの傑作機だったこと、第二に、「ヘルキャット」がせりおとしたライバルで、アメリカ人好みの高速機F4U「コルセア」のまもない復活の陰に隠れて、“出現のタイミングのよかった働き蜂”といった印象を一般にあたえたことだろう。
しかし、性能の点での論議はともかく、太平洋で、反攻する米海軍機動部隊の主力機として、F8F「ベアキャット」にバトンを渡すことなく、日本機群を壊滅させた実績は偉大である。
また、英海軍にも供与され「ヘルキャット2」の名で重宝がられていたことは、本機の使い良さを物語っている。
「ヘルキャット」は、単に幸運のみでは果しえない、厳とした実力の賜物であり、十分に大関クラスの“名機”としての資格を備えている。
もし“幸運の凡作機”だったなら、あれほど優位を保っていた「零戦」が、たやすく形勢を逆転されることもなかっただろう。
昔から、日本人は身びいきする癖が強く、欧米人のお世辞や謙遜にすぐ悪のりする。
たしかに「零戦」は、あらゆる要素を兼ね備えた万能戦闘機として、欧米人の度胆をぬき、「グレート・ジーク(偉大なる零戦)」とたてまつられた名機中の名機だった。
しかし、重量の徹底的軽減に伴う構造の弱さやダッシュ力の不足、いつまでもパワーアップされないエンジンとスピード不足、防弾装置の欠陥というウイークポイントをもっており、これをカバーできるベテラン・パイロットのいるうちはよかったが、彼らを失いはじめるとともに、急速にその弱点をさらけだしてきた。
「零戦」がよく戦ったということと、日本の勝利とがつながらないように、「零戦」につぐ新型機の登場があったところで、戦局にはさして影響がなかっただろう。
そこには、国力が作用しなければどうにもならない問題があり、善戦した「零戦」は、まさに“悲劇の名機”とよばれるにふさわしい。
その点、「ヘルキャット」は、偉大な国力をバックにして、性能をフルに発揮できた“幸運の名機”といえるかもしれない。
それでは、この「ヘルキャット」は、どのような過程をへて“零戦キラー”になったのだろうか。
それは単に、前作F4F「ワイルドキャット」を改良したというだけのものではなく、それより一〇年以上も前から、航空母艦用の戦闘機を主体としたグラマン社の、たゆみない研究と開発の成果がもたらしたものである。
「零戦」を主体とした軽戦闘機に対抗するのに、艦載戦闘機としては大きすぎ、運動性もよくな誘うであるが、頑丈さと火力、防衛力で相手の小わざをはね返して圧倒するアメリカ的戦法は、結果的に成功をおさめ、その合理性を立証した。
しかし、格闘性能にすぐれた「零戦」の優秀性を十二分に認識したアメリカは、アリューシャンで捕獲した、ほぼ完全な不時着「零戦」を徹底的に解明させ、アメリカ流ブラス日本芸としてF8F「ベアキャット」に具体化させた。
それが太平洋戦線に投入される直前、戦争が終結して威力を発揮することはできなかったが、軍用機、特に戦闘機はこのような経過をたどって、常に相手より優位に立つよう、しのぎをけずるのだ。
第二次大戦の終結で、F8F「ベアキャット」の生産が中止されると、グラマン社はすぐにジェット・エンジンつきのF9F「パンサー」を開発して、おりからの朝鮮戦線におくり、アメリカ軍の作戦を海上からたすけた。
続いて超音速のジェット戦闘機ながら、運動性にすぐれたF11F「スーパータイガー」を造り出したが、これは昭和三十四年、日本の国防会議で航空自衛隊次期戦闘機の座をロッキードF104「スターファイター」とあらそい、「ロッキードか、グラマンか」で大きな話題となった。
ごく最近も、F4「ファントム」(現航空自衛隊主力戦闘機)の後継機として、可変後退翼のマッハ二・五級双発艦載戦闘機F14A「トムキャット」を開発、ソ連のミグ25に対抗できるものとして生産に入り、すでに原子力空母「エンタープライズ」へ積みこまれている。
グラマンの艦載戦闘機造りの手腕は、ますます冴えているといっていい。
(ついでながら、アポロ宇宙船の月着陸船LMも、やはりグラマン社が製作した)
こうしてみると、一九三〇年代から手がけられてきた艦戦のひとつのピークである、F6F「ヘルキャット」も、運ばかりではない実力の名機だったといえるだろう。
あとがき top
太平洋戦争でアメリカ海軍のグラマン「ヘルキャット」が、「零戦」のライバルとして闘ったことは余りにも有名である。
しかし日本では、戦後三十年たった今日、なお「零戦」の勇戦譜のみが戦記ものや映画で派手に取上げられ、グラマン「ヘルキャット」の真の実績についてはほとんど知られていない。
これは敗戦の結果、勝利を収めた部分や善戦したという過去をなつかしむとともに、手ひどくやられた古傷には、もうふれたくないという心理作用によるものと思われる。
もちろんそれはそれでいいのだが、もう一歩踏込んで敗れた相手を大局的見地からよく見極め、正しく評価することによって謙虚に反省するとともに、将来への心の糧としなければ意味がないのではないか。
徹底的に痛めつけられたグラマンF6F「ヘルキャッ卜」艦上戦闘機を、単に“憎いあん畜生”ではなく、“日本の恥部”をえぐりとってくれたメスと考えて書いた本編なのである。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/JP/gurman0.htm
<呉軍港空襲>
呉軍港空襲(くれぐんこうくうしゅう)は、太平洋戦争中、1945年の3月19日、7月24日、7月25日、7月28日、7月29日など複数回に渡って行われたアメリカ海軍を中心とした連合国軍空母機動部隊航空隊、及び、沖縄伊江島のアメリカ陸軍航空軍による呉軍港および瀬戸内海西部への空襲作戦。なお、この空襲とは別に、1945年5月5日に隣接地域にある広工廠空襲、6月22日に軍港内の呉工廠造兵部空襲、呉市街地が7月1日深夜から2日未明にかけて戦略爆撃(呉市街空襲)を受けている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E8%BB%8D%E6%B8%AF%E7%A9%BA%E8%A5%B2
<九州沖航空戦>
戦闘経過
3月18日、空母12隻を基幹とするマーク・ミッチャー中将率いるアメリカ第58任務部隊艦上機約1,400機が、第5艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将による指揮のもと日本近海に現れ、九州、四国、和歌山などの各地域を襲った。これに対して日本軍は、宇垣纏海軍中将率いる第五航空艦隊(指揮下の陸軍飛行戦隊2個に属する四式重爆撃機「飛龍」を含む)が反撃を開始した。神風特別攻撃隊を含めた日本軍機の攻撃で空母「イントレピッド」、「ヨークタウン」、「エンタープライズ」が小破した。しかし、この日、日本軍は特攻機69機を含む攻撃部隊全193機のうち、約8割である161機を失い、このほか50機が地上で損傷を受けた。さらにアメリカ軍機を迎撃した零式艦上戦闘機も47機の損害を出した。アメリカ軍機の損害は29機撃墜され、2機が損傷したにとどまった。
翌3月19日には、米機動部隊の一部は高知県室戸岬のおよそ80キロ沖にまで接近。艦上機部隊は主に瀬戸内海を空襲し、呉の軍港に停泊中の日本の水上艦艇の一部を攻撃。軽巡洋艦大淀が中破、空母天城、龍鳳及び戦艦榛名、日向、巡洋艦利根が小破するなどの被害が出た。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E6%B2%96%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%88%A6
<『永遠のゼロ』>
小説には、当時のパイロットがどれほど過酷な戦闘をしていたかを表す記述があります。
ある戦闘では、一個中隊でゼロ戦に乗って約10時間かけて戦場に向かいます、その間、常に敵への警戒を怠るわけにいかず気が抜けません。実際に戦場に付くと、数多くの敵戦闘機を相手に物凄い集中力で空中戦をおこないます。この間30分から1時間です。その後、戦闘を終えたら、また10時間かけて帰路につきます。往復の燃料を確保するために、当時のゼロ戦は、極限まで機体を軽くするようにしていたため、動きは素早かったそうですが、その分装甲が薄く、被弾すると途端に脆く墜落するリスクがありました。
https://zero-animelife.com/eien-0