2年ぐらいかかるでしょうか?
浅草のころ(明治42年―大正12年)
1 新参の身にあかあかと灯りけり
2 花曇世帯道具を買ひありく
3 ふりしきる雨はかなむや櫻餅
4 ゆく春や屋根のうしろのはねつるべ
5 島崎先生の「生ひ立ちの記」を讀みて
神田川祭の中をながれけり
6 ふりしきる雨となりにけり螢籠
7 女いふ―吉原にて…
三味線をはなせば眠しほとゝぎす
8 夏足袋やいのち拾ひしたいこもち
9 もち古りし夫婦の箸や冷奴
10 浅草千束町のおもひでを語る
蓮咲くや桶屋の路地の行きどまり
<解釈のためのノート>
新参:新しい奉公人
はねつるべ:はね‐つるべ【撥釣瓶】、柱の上に横木を渡し、その一端に石などの重しを、他端に釣瓶をとりつけて、石の重みで釣瓶をはねあげ、水を汲むようにしたもの。桔槹きっこう。(広辞苑)
たいこもち:
『たいこもち』櫻川忠七 著 (朱雀社・昭34)
昨日、紹介した新派の名優 花柳章太郎と私が出逢ったのは、「遊女夕霧」という古い舞台中継の映像だった。その中に、今回紹介する「たいこもち」櫻川忠七も生きていた。この「遊女夕霧」は川口松太郎の小説、脚本で、花柳の代表作となった芝居です。序幕は吉原の引き手茶屋で、多勢の太鼓持ちが酒席の座興を添えている場面がある。川口は、演出の久保田万太郎に「できれば忠七を舞台へ出してほしい」と注文を出した。その希望が叶えられて忠七は舞台へ出ることになった。台詞も言い、踊りも踊って、明治の吉原の雰囲気を再現したと言う。川口は、忠七が出て来ただけで古い東京之雰囲気がただよう。こんな匂いのする人物も忠七一人ではあるまいか。私が文部大臣であったら忠七を無形文化財にしただろう。芸に生き、芸に学んで、吉原だけに生きてと。吉原一筋に生きた櫻川忠七の芸談と足跡です。
下記サイトより引用
http://blog.37ro.com/article/187429836.html
持ち古し:「持ち古す」の連用形、長い間持っていて新しさをなくす
岩波文庫のサイトより内容紹介
<内容紹介>
万太郎の俳句は、詠嘆の美しさ、表現の自在さにおいて、広く愛唱されてきた。全句から900句を精選した。
芥川龍之介は万太郎の俳句を「「嘆かひ」の発句」と喝破した。万太郎は「俳句は余技」とした。その無防備を装って詠み上げられた余技は、日本語での詠嘆の美しさ、表現の自在さにおいて、他の俳句の追随を許さない。国民に広く愛唱されてきた。明治末年より亡くなる昭和38年までの半世紀間の全句8000句から900句を精選した。


