国泰寺中学校1974年卒業生還暦記念同期会の続き。
1年生とのときに同じクラスだった、現在は酒商山田の社長・山田淳仁君も参加してたので、著書を持ち込みサインしてもらいました。以下『日経ビジネス』オンラインからの抜粋です。
著作も拝読しましたが、大変な労作で内容が多岐にわたり、自分の筆力では要約できませんので悪しからず。
山田淳仁君、忙しいことと思いますが、身体に気をつけて。
================================================
ベンチャー最前線
■ビール販売なし、営業活動一切なしの酒屋
「どこにでもある酒屋」から業態転換し成功(福島 哉香、2017年12月4日(月))
・1989年、祖父が創業した町の酒屋さんを父親の急病を受けて勤めていた大手損保会社を辞め家業を継いだ。
・大口顧客に地元の船舶会社があり、年商は1億5千万あったが、土日も休みなく働いていた。売上構成はビールとたばこで9割を占めていた。
(現在は売上高9億円超、広島県内に4店舗を構える)。
・売上の拡大をすべく新規顧客開拓、商品構成を変えるべく純米吟醸酒を品ぞろえしちらしを打ったが、同業他店のシェアを奪う「戦う経営」と気づき発想の転換が必要だった。
・事業を継いだ時点で酒類小売免許の規制緩和が始まり、業界では既存の酒屋の将来を「コンビニエンス・ストア」か「ディスカウントストア」に二分されると予想していた。
・そのどちらになっても事業を継続できないと考え父の蔵書の『逆転の発想』(糸川英夫)からヒントを得て「コンビニエンス」の品揃えを捨て「ディスカウント」の割引価格を捨てた。
・自店の将来を「品数を絞り」「定価販売」する専門店とし、マーケットが縮小している日本酒を敢て選び(競争相手が少なくなる)活路とした。
・有名な高級日本酒は割り当てがまわらず、美味だが無名の蔵元から問屋を通さずに売るという業態に徐々に転換していった。
・広島地区では未開拓だった芋焼酎についても粘り強く販路を広げた。
・問屋を介さず蔵元からの直接仕入れ販売をすることで、個人・飲食店の嗜好をフィードバックする提案型の小売店を合わせて目指した。
・2004年に法人成り、広島市内にコンセプトの違う「酒屋らしくない」4店舗を展開して、全国の醸造元362社、飲食店1600店と取引をしている。ほとんどが口コミで広がった客。
・蔵元からの直接仕入れの公休日本酒の定価小売販売に絞ったことで(マーケティング的には「ニッチ」なのでしょうが)「戦わない経営」を実践している。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/269655/112800046/?P=3&prvArw
日経ビジネス・オンラインより