著者のアン・タイラーは1941年アメリカ・ミネソタ州生まれ。1989年に『ブリージング・レッスン』でピューリッツァー章。ボルティモア在中。本国アメリカでは2年置きぐらいに長編小説を発表している人気作家ですが、翻訳小説不況の日本なのか、本作は2016年の作品の翻訳化。最後に翻訳されたのが2010年の"Noah's Compass"でした。
全部の作品ではありませんが、代表作を数作品読んだ作家です。アメリカの中産階級のなんでもない生活を描かせたら天下一品(と思う)で、当方の作品への興味でもあります。
本作が、他のアン・タイラーの小説と違うところは、仕掛人は不明ですが世界中のベストセラー作家がシェイクスピアの名作を「語り直す」シリーズの一冊で、もとネタは『じゃじゃ馬ならし』だそうです。(当方は未読で、というかシェイクスピア自体を読んでない)。
美人だが、手におえないじゃじゃ馬むすめカタリーナが、男らしいペトルーキオーの機知と勇気にかかって、ついに可愛い世話女房に変身──。陽気な恋のかけひきを展開する『じゃじゃ馬ならし』。https://www.shinchosha.co.jp/ebook/E024841/
(新潮文庫のサイトより)シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』紹介
今日的見地から見るとフェミニストに叱られそうな元ネタで、アン・ライラ―自身もシェイクスピアは読むが『じゃじゃ馬ならし』は嫌いだそうで、オファーがあった時に、それなら駄作の『じゃじゃ馬ならし』を自分が傑作に、という動機だそうで、かなり執筆動機としては変わっています。
ちょっと意味不明のタイルとは主人公の二人の会話から。
P159
「(容姿端麗な妹)バニーのことはあんまり気にしていない」ピョートルが言った。
「そうなの?」「ぼくの国にはことわざがあるんだ。『優しい(スウィート)な人間には気をつけろ。砂糖(シュガー)は栄養がない』って」それはおもしろい。ケイトは言った。「へえ、わたしの国ではこう言うけど。『蜂蜜
(ハニー)のほうが酢(ヴィネガー)より多くの蠅をとらえられる』」「そう、そのとおり」ピョートルが謎めかすように言った。ケイトの数歩先を歩いていたが、うしろに戻ってくると、なんの前触れもなく腕を肩にまわし、ケイトを近くに引き寄せた。「だけど蠅なんか捕らえてなんになる、う?答えてみて、ヴィネガー・ガール」(以下略)
あらすじは訳者あとがきがよくまとまっていましたので、引用します。
P308
では、タイラーはこの「クレイジーな」物語をどのように語りなおしたのだろうか―われらた主人公はケイト(キャサリン)・バティスタ。かつては植物学者を志していたが、教授をけなしたことがきっかけで大学を中退し、現在はボルティモアの実家に暮らす29歳。プリスクールのアシスタントとして働きながら、科学者の父親と高校生の妹のいる一家を切り盛りしている。男性並みの長身で、おしゃれには無関心。プリスクールの子供たちには人気があるが、不愛想で無遠慮な性格がわざわいして、保護者の評判は芳しくなく、校長からは目をつけられている。あるとき、父は優秀な外国人の研究助手ピョートルをケイトに紹介する。研究の完遂を待たずにピョートルのビザが切れるので、ケイトと結婚させて永住権を獲得させようともくろんだのだ。ケイトはじゃじゃ馬ならぬ捨て駒扱いされたことに怒りと屈辱を覚え、父の企てに反発するのだが…。
ということで読んだ感じではそんなに「じゃじゃ馬」な感じはしませんでした。いつもながら人物造形にリアリティがあり、普通の生活に感心のない科学者の寡夫の父親の「生活システム」とか(完全栄養素を含んだシチューを週末に作り毎日食べる、食器洗い機からは食器をその都度出さずキャビネット代わりにする、洗濯物は人ごとにより分けるのが面倒なので曜日を決めて人ごとの洗濯日をつくる、等々)。
アン・タイラーの住むボルティモアの普通の生活(中産階級の上のクラス)を描いて、最後はハッピーエンドに。先進国の中産階級の没落が激しいですが、アン・タイラーの作品の中では生き続けてほしいものです。
最後に「定価2700円+税」では、翻訳書離れが加速するのでは?

