2019年9月29日日曜日

[積読立読斜読] 『巨大なラジオ/泳ぐ人』(ジョン・チーヴァー、村上春樹訳)より「巨大なラジオ」 The Enormous Radio



「巨大なラジオ」 The Enormous Radio
1947年『ニューヨーカー』誌掲載。

村上春樹訳のチーヴァーの短編集を読んでます。

書名にもなっているチーヴァーの短編代表作。"enormous"は「並外れて巨大な」少し醜悪というイメージもあるのかも知れません。昔の巨大な家具のよう真空管ラジオなのでしょう。

P17
ジムとアイリーンのウェストコット夫妻は、大学の同窓会報の統計報告に照らし合わせれば、満足すべき平均収入を得て、充実した活動をおこない、人々の敬意を得ていると目される地点に達した人々だった。二人の小さな子供たちの親であり、結婚して9年になり、サットン・プレイス近くのアパートメント・ハウスの12階に住んでいる。


短編集の冒頭で、夫婦の紹介があります。ニューヨークの高級アパートメントに住む「中の上」クラスの一見何の問題もない家庭が、調子の悪かったラジオを買い替えるところから不幸が始まります。

新しい"enormous"なラジオは、ラジオ番組だけでなく、アパートメント・ハウスの他の部屋の音や会話をなぜか拾ってしまう。かなり不安な不可解な結末でぞっとしました。



[同窓会] 軽音楽部ミニライブ敢行



9月29日(日曜日)11時から。にっぱちサロン。

「ご町内ミニライブ」と称してご近所の方に集まっていただき、ミニライブを敢行しました。リハーサルではうまくいったのに本番でミスが多く、冷や汗の連続でした。

半年に1回忘れた頃に開催します。


<演奏曲目>

『たどり着いたらいつも雨降り』
『夏休み』
『あの素晴らしい愛をもう一度』
『白い色は恋人の色』

ゲスト:河野さん
『ベサメムーチョ』

ゲスト:小具直子さん
『赤い風船』


『ぼくの好きな先生』
『どうしてこんなに悲しいんだろう』


2019年9月26日木曜日

[積読立読斜読] 『巨大なラジオ/泳ぐ人』(ジョン・チーヴァー、村上春樹訳)「カントリー・ハズバンド」 The Country Husband


「カントリー・ハズバンド」 The Country Husband 
(1954年『ニューヨーカー』誌に発表)

村上春樹さんの解説では、アップダイクが選んだ『ベスト・アメリカン・ショートストーリーズ・オブ・センチュリー』の1955年度のベスト作品に選ばれているそうです。

マサチューセッツ州のボストン郊外、シェイディー・ヒルの町が舞台になっています。

主人公の乗ったミネアポリス発の飛行機が機器不良のため、フィラデルフィア近郊でトウモロコシ畑に不時着するという経験をした主人公は、自宅に無事帰って家族にその経験を語ろうと努力するが、家族は日常に精一杯で、主人公の非日常的な体験を理解しようとしない。

シェイディー・ヒルの町自体が田舎町のヒエラルキーに固まった日常の町で、主人公の日常に破綻をきたすちょっとした行動がやがて主人公自身を追い詰めていきます。

日常が非日常を凌駕し、主人公は精神的にかなりのダメージを受けてしまします。

物語の最後はちょっとぞっとするような結末でした。

挿入された挿話で、従軍中(1954年は第二次世界大戦帰還兵がまだ30歳前後ですね)に出会ったドイツ軍の司令官と通じた公開処刑を受けた女性がベビーシッターとなって主人公の前に現れる、戦争のトラウマが辛うじて抑えられた場面が、怖かったです。

巻末の柴田元幸さんと、村上春樹さんの解説対談引用します。
P366
柴田 ああいういわゆるリアリズムの枠から外れて幻想的といえそうな展開になる話はそう多くないけど、そうなっている「泳ぐ人」と「巨大なラジオ」(1947)の二本はチーヴァーの代表的な作品ですね。
村上 見事にリープしている小説ですね。他の作品はあそこまでリープしていない。
柴田 たとえばもう一つの代表作「カントリー・ハズバンド」(1954)などはリアリズムの枠に入っているけれど、そう言われてみればところどころたしかに奇妙ですね。
村上 飛行機事故から始まるところがすごいです。それが後になって一切出てこないんですよね。普通だったらあれがトラウマになって記憶が蘇るとか、仕掛けがあるんだけど、それがなくてただ異界に放り込まれて帰ってきたというのかな。
柴田 家族も友人の事故の話を聞いてもなんとも思わないし、誰も分かってくれない。
村上 オデュッセウスみたいのあもので、偉大で困難な旅から帰ってくると、そこが別の場所になっている、そういうひやりとした恐怖感がありますよね。

2019年9月25日水曜日

[積読立読斜読] 『巨大なラジオ/泳ぐ人』(ジョン・チーヴァー著、村上春樹訳)より 「泳ぐ人」 The Swimmer


「泳ぐ人」: The Swimmer

昨年の11月に出た村上春樹訳のチーヴァーの短編集です。まとめて感想文を書くと散漫になりそうなので、1編づつ書いてみようかと思った次第です。順不同で書籍通りの順番ではありません。

「泳ぐ人」はチーヴァーの作品背景に頻出するアメリカ東部郊外の高級住宅地が舞台。

ある夏の日の午後に主人公たる中年男性は8マイルほど離れた自宅まで各家のプールを泳いでリレーしていくことを思いつき(つなげば遠泳になる)、実行に移す。少し酔狂なサバービアの気まぐれかと思いきや、意外な結末で、すこしひんやりとした気分になりました。

アメリカが最も豊かだった1950年代。

郊外住宅地でのライフスタイルは、単にサバービアが「郊外に住む人」の意味を超えて、ある種のライフスタイルを表現する単語までになりました。チーヴァーは単純にサバービアを描写するのではなくて、各作品各々に結末を工夫しているようです。

結局日本はアメリカの1950年代に追いつくことはできませんでした。

この作品でも「ドライブウェイ」はさすがに注釈なしでしたが、「ガゼボ」には注釈を入れざるを得なかったようです。「ガゼボ」なんて普通の日本の住宅には無理でしょう。



[その他] 昨日の夕食はケンタロウハンバーグでした


昨日は長女のリクエストでケンタロウ・ハンバーグを作りました。

面倒なので大量に仕込み本日もハンバーグです。2日続けてだと正直きついですね。

前回作ったのが8月28日(水曜日)だったので、ほぼ一か月振りにレシピが一巡しました。




2019年9月23日月曜日

[積読立読斜読] 料理研究家チャート


[積読立読斜読] 『料理の四面体』(玉村豊男著、文春文庫、1983)伊丹十三解説

 『料理の四面体』 玉村豊男 (文春文庫 1983)  伊丹十三による解説を引用。 

 「モシモシ」

 「ハイハイ」

 「タマムラ・トヨオさんという人の書いた<料理の四面体>という本は読まれましたか?」

 「リョウリノシメンタイ!」

 「そうです」

 「料理の四面体とはまた、随分大きく出たもんですな。題名を聞いただけで、大ていの人は腰を抜かすんじゃないですか?」

 「私はまだ抜かしておりませんが」

 「つまり、大ていの<教養人>腰を抜かすんじゃないですか、というんです」

 「ハハア――ア、そういうもんですかね。これは困ったな。実は私、今度その本の解説を書くことになっておるのですが――するとなんですか、解説を書く以上やはり腰を抜かしたことにしておかないと、これは恰好がつかないト――」

 「そりゃそうです。一刻も早く抜かさなきゃ危険ですよ」

 「フーン――すみませんが、その抜かし方をちょっと伝授していただけるとありがたいんですがね」

 「伝授ったって私もまだ読んでないわけだからお役に立てるかどうか――大体タマムラさんの四面体というのはどういうのです? 四面体という以上、正三角形が四つ集まってできてるわけでしょう? その底面の三角形は何でできているんです? やはり<生まのもの>とか――」

 「アレ? 読まないのによく知ってますね。エート、タマムラさんの場合、底面の三角形が生まの次元なんですね。で、四面体のてっぺんのとんがったところが火であるト」

 「ハハア――すると生まの三角形の三つの頂点は何です?」

 「水と油と空気です」

 「なあるほど、こりゃ考えたね。つまり、魚なら魚を底面の三角形に入れてやる。ここでは魚は生まであるト。で、で、水の頂点から出発して火のほうに上がってゆくと、これは煮魚になるト。で、油の頂点から火のほうに上がってゆけば、これは天ぷらとかフライとか炒めものとかになるわけだな。で、空気の頂点から上がってゆくと――これはどうなるの? 焼き魚?」

 「そうですね。エーと、干物とか燻製とかを通過して焼き魚になっていって、てっぺんで黒焦げになるわけでしょうね。でね、面白いのは、たとえば大豆を水の線で火に近づけて豆乳を作ってニガリを入れると豆腐になりますよね?」

 「ええ」

 「すると、今度そのできた豆腐を<生まのもの>扱いにして底面に戻してやる」

 「フンフン」

 「そして、水の線で火に近づければ湯豆腐になり、油の線で火に近づければ油揚げになり――」

 「そのまた油揚げを生まの平面に戻して水の線で火に近づければ油揚げの煮つけになるとか――なるほど、その、生まの平面に戻せるというのが一つのミソだね」

 「そうなんですが――ただ僕がよくわからないのは、だからどうしたんだ、ということなんですね」

 「なるほど。じゃあちょっと説明すると、この四面体のもとになってるのはレヴィ・ストロースの<料理の三角形>なんですね」

 「レヴィ・ストロース」

 「ええ。レヴィ・ストロースという文化人類学者がいまして、この人が<料理の三角形>というものを作った。すなわち三つの頂点がそれぞれ<生まのもの><火にかけたもの><腐ったもの>という三角形ですね。つまり<生まのもの>の文化的変形が<火にかけたもの>であり、自然的変形が<腐ったもの>である、ということですが――」

 「<腐ったもの>っていうのは、具体的にはなんなんです?」

 「たとえば、チーズとか味噌とか、そういうのは<腐ったもの>の範疇でして――エー、ですから、結局この三角形でレヴィ・ストロースがいいたかったのは料理には二つの対立がある。つまり<生まのもの>対<それ以外のもの>、つまり<火にかけたもの>と<腐ったもの>ですね。そういう対立、これは別の言葉でいえば<手を加えていないもの>対<手を加えたもの>という対立ですね。で、もう一つは<火にかけたもの>対<腐ったもの>という対立。すなわち<文化>対<自然>という対立。この二つの対立が料理の中にある、とレヴィ・ストロースは考えた。そしてですね、更にその三つの項の中から特に<火にかけたもの>をとり出して、これを<焼いたもの>と<煮たもの>と<燻製にしたもの>とに分け、名づけて<調理法の三角形>と呼んだわけです」

 「ハハア、それがタマムラさんの発想のもとになってるわけですね?」

 「そうかもしれません。で、この<調理法の三角形>の中にもいろいろな対立が含まれてるわけですね。<焼いたもの>は直接火にかざされる。<煮たもの>は鍋と水という二重の媒介によって、間接的に火にかざされる。従って、どちらかといえば<焼いたもの>が自然、<煮たもの>が文化、<焼いたもの>が<手を加えてないもの>、<煮たもの>が<手を加えたもの>、そういう対立が当てはまろうし、更にいうなら、<焼いたもの>は外側から火にかけられ、<煮たもの>は鍋や水の内側で火にかけられるという<内><外>の対立がある。従って、<焼いたもの>は外から来た客に出されるし、<煮たもの>は身内のつながりを強めるために食べられる、という」

 「ホウ。ステーキはお客様用、うどんすきは家庭用ですか」

 「レヴィ・ストロースが書いているのは未開社会の話なんですが、でも、まあいってみればそういうことになるわけですね。じゃあ<燻製にしたもの>はどうか。<焼いたもの>と<燻製にしたもの>を火との関係でみれば、一方は<すばやく><近火で>、一方は<ゆっくりと><遠火で>、という対立がある。そして<燻製にしたもの>と、<煮たもの>の間には、一方は<水なし>、一方は<水あり>、一方は<道具なし>、一方は<道具あり>という対立がある、というわけです」

 「ハハア、その、レヴィ・ストロースという大学者の三角形を、タマムラさんは涼しい顔で、鼻唄まじりに軽く四面体に改良しちゃったわけですね? なるほど、これは教養人たちが腰を抜かすわけだ」

 「でしょう?」

 「なあるほどね、フン、フン――たしかにアレですね、レヴィ・ストロースの説じゃ、たとえば焼きおにぎりなんか説明つきませんものね。これは<煮たもの>なのか<焼いたもの>なのか。しかもそのおにぎりのごはんが、<腐ったもの>であるところの味噌でもまぶしたごはんだったりしたら料理の三角形は大混乱におちいってしまう」

 「だからそういうことをタマムラさんが考えているうちに、突然三角形が立ち上がって立体になったんじゃないですか?」

 「なるほど、なるほど、フン、フン――しかし、くどいようですが、それにしてもわからないのは、だからどうしたっていうんです?」

 「つまりね、人間というのは世界の中に投げこまれてますよね? で、世界というのはわれわれにとって謎ですよね? 従って、人間というのは古来、この、謎であるところの世界をなんとか説明しようとして骨を折ってきたわけですね。なにかの説明原理でスパッとこの世界が説明できたらどんなにすっきりするだろう、というので、人間はいろいろな説明原理を探し続けてきた。神というのもそうでしょう。人間とか、理性とか、歴史とかいうのもそうでしょう。しかしね、これではどうもうまく全体がとらえられないということがわかってきた。なるほど中心のところはうまく説明がつくように見えるが端っこのほう、まわりのほう、あるいは裏側のほうは全然説明がつかない。一所懸命説明しているつもりで、実は、説明に都合がいいように世界を切りとってみせているに過ぎないのではないか。これではいけない。なんとか虚心坦懐に、まずあるがままの全体を掬い上げ、そのあるがままの諸事実の間の関係をつぶさに眺めるうちに、混沌の背後に横たわっている共通の何かが浮かび上がってくる――そういう、世界の読みとり方はないものか、というので出てきたのが構造主義という考え方であり、従ってレヴィ・ストロースの料理の三角形にしても、タマムラさんの料理の四面体にしても、料理という一見混沌とした無秩序な総体を全体と掬い上げつつ、その背後に横たわる見えざる秩序、つまり構造ですね、これを探ろうとしている努力なのだ、ということになるんじゃないでしょうか」

 「フーン。読んでると気楽な食べ物漫談のようでありながら、実は思想史的問題を深く含みこんでいるわけだなあ。タマムラさんの略歴を見るとパリ大学言語研究所留学とありますが、そのへんも関係あるんでしょうかね?」

 「あ、それは関係あるでしょうね。レヴィ・ストロースもそうですが、タマムラさんもおそらくフェルディナン・ド・ソシュールという言語学者の影響を強く受けておられるんではないですかね。われわれ、たとえば料理に一つ一つ名前をつけて、従って、名前に対応するところの独立した料理があると思っている。しかしはたしてそうだろうか? たとえばた卵を茹でてゆく。初めは生ま卵だったのが半熟になり全熟になってゆく。われわれ生ま卵、半熟卵、茹で卵という名前で、卵の茹でられ方を仕切ってますけどね、卵のほうにしてみれば生ま卵から茹で卵まで、どこに仕切りがあるわけでもなくずうっとつながっているわけでしょ。」

 「そうですね、タマムラさんもそれを表現したくて料理の四面体を考えたわけですから。つまり、卵を生まの底面に入れてやる。そして水の線に従って火に近づけてゆくと、茹だり方のあらゆる段階が切れ目なしに並ぶわけです」

 「ね? それは非常にソシュール的な考え方なんですよ。これはもう誰でも知ってることでしょうが、ソシュールの言語学によれば、たとえばわれわれが<キ>なら<キ>という音を聞きますね、あるいは心に思い浮かべますね、そして、それによって<樹のイメージ>を惹き起されるとする。この<キ>のほうをソシュールは<意味するもの><シニフィアン>略して<Sa>と名づけ、<樹のイメージ>のほうを<意味されるもの><シニフィエ>略して<Se>と名づけ、この二つが紙の表裏の如く、分かちがたく結びついたものが意味作用であるとして、これを

Se
-----
Sa


というふうにあらわしたわけです。これをもう少し詳しくいいますと、たとえばチャという音で茶色をイメージするとする。この場合チャという音とは何か? チャが段々濁ってゆくとジャになってしまう。段々空気が入ってくるとシャになってしまう。口の開き方が変るとチョやチェになってしまうでしょう。つまり、連続体としての音の中の、一部分、チェてもチョでもチュでもジャでもシャでもない、しかし、それらに囲まれたある範囲をわれわれはチャであると受けとる。すなわち、チャという音が、それだけで独立して存在しているわけではない。チャを成り立たせているのはあくまでも他の音との差異であり、そして、この差異による連続体の分節の仕方は全く文化的といいますか、出鱈目といいますか、要するに自然に根ざさない、恣意的なものだというわけですね。同じことが<意味されるもの>であるところの茶色にもいえるわけで、色というのも連続体でしょう? 茶色は濃くなってゆけば黒になってしまって茶色じゃなくなる。明るくなってゆけばベージュになるだろうし、同じように変化の仕方では遂に赤になったり、オレンジになったり、グレイになったりしてしまう。ですから茶色というものが独立して存在しているわけではない。あくまでも他のさまざまな色との差異によって、茶色というものは、黒でも赤でもオレンジでもベージュでもグレイでもない、それらによって囲まれた意味空間として存在している。そして、この、赤とか黒とか茶とかいう色の分け方もまた、完全に恣意的なものなんですね。茶色なんてやめてしまって、赤の一種だとしたっていいわけで、これは文化的出鱈目なんです。だから音の分節も恣意的、そして概念野の分節も恣意的、そしてこの恣意的な分節の結果であるところのシニフィエとシニフィアンの結びつきもまた恣意的である。つまりは樹はキと呼ばれる自然的な必然性は全くなくて、ケでもコでもいいわけですから、この結びつきも全く文化的に出鱈目である。ところがこの文化的出鱈目同士のシニフィエとシニフィアンが結合すると、突如これが文化的な必然と化してわれわれを強く縛りつけてくる」

 「なるほど。つまり、これをタマムラさんの場合に引きつけていえば、料理の名前という<意味するもの>があり、料理という<意味されるもの>がある。この二つの結びつきは大変しっかりしているので、われわれはあたかも、独立したそれぞれの料理があるかのように思っているけれどもそうではないのだト。料理というのは実は連続体なのだというわけですね。生まの状態の卵から固く茹だった状態の卵まで、無段階的に連続してある卵を、われわれは恣意的に分節して、半熟卵とか茹で卵とか温泉卵とか、瓢亭の卵とかいうふうに呼んでいる」

 「そうそう。その未分節の、連続体としての料理というものをタマムラさんははっきりとした形で提示しておきたかったんでしょうね。そして、その上で、いわば料理の言語学とでもいうようなものを構想したかったんじゃないでしょうか」

 「なるほど、よくわかりました。こうしてみると、タマムラさんの料理の四面体というのは、世界を丸ごと掬い上げて、構造としてとらえ、そのことによって近代主義を克服してゆこうという思想史的に問題から始まって、料理に言語学をかぶせることによって、すべては差異の体系であり、従って関係に他ならず、つまり、この世には独立した存在形式などというものは存在しないのだ、というソシュールの主張に唱和している、ということになりましょうか?」

 「そうですね。そして、そのようにして、われわれを深いところでとらえている制度を明るみに出してゆく。そしてそのことによって主体という神学を解体してゆく。そういうことを射程に入れておられるのではないでしょうか。私は読んでいないのでよくわかりませんが――」

 「なるほど、なるほど。いやあ、どうもありがとうございました」

 「まあ、このあと、この四面体に記号論なりテキスト論なりをどう重ねてゆくかというふうな問題がありましょうけど、とりあえずのとっかかりとしては今いったようなことになるんじゃないかと思うんですね――どうです? こんなところで解説は書けそうですか?」

 「ア、それはもう、今のお話をそのまま原稿にして解説にしちゃえばいいわけですから――」

 「エ! それはひどい」

 「もう、読者にはゴメンということで――」

 「これがほんとの料理のゴメン体――」

 「いやあ、どうも失礼いたしました」

2019年9月22日日曜日

[積読立読斜読] 『瘋癲老人日記』(谷崎潤一郎)読了しました。。。


薬師寺の日本最古の仏足石


超スロー・リーディング、『瘋癲老人日記』読了しました。


「瘋癲老人日記」は1961(昭和36)年から雑誌『中央公論』(1961年11月号から1962年5月号まで)に連載された作品で、谷崎潤一郎76歳の作品。出版は同じく中央公論社から1962(昭和37年)5月に棟方志功の装幀で刊行されました。

薬師寺の如来の足の石よりも君が召したまふ沓の下こそ

この和歌は1963(昭和38)年、三番目の後妻・松子の連れ子(前夫・小津清之介との間にできた男子、清一)の嫁、千萬子との間の書簡にあるものです。千萬子をめぐる出来事を脚色して作品にしたのが『瘋癲老人日記』です。この作品執筆時は、右手が不自由で口述筆記で書かれたそうです。

現実の作者の体調を反映したのか、作品の終盤は主人公が体調すぐれず、自分の墓所を京都へ求め旅行するところから始まります。墓石をどうするか思案するうちに、嫁の颯子を如来像とする案が浮かびましたが、それでは周囲に颯子がモデルだとわかってしまうので、薬師寺にある仏足石にヒントを得て、颯子の足の拓本をとり、それを石に刻んで、自分はその石の下に踏まれて埋葬されることを実行しようとします。

作品は京都旅行の無理がたたって一時危篤状態になり、日記の継続も難しくなって、看護婦・医師・娘の手記で作品が終わっています。

老人は嫁の足の拓本を飽かずにながめ日々を過ごし、周囲は混乱が収まったので、老人の余命いくばくもない余生を余裕をもって過ごしているようにも読み取れます。

作品の最後は息子の淨吉の極めて現実的な凡庸なセリフで終了。
P241
「約束通りプールの工事が始まつてゐるのを、眺めるだけでも親父の頭にはいろいろな空想が浮かぶんだよ。子供達も楽しみにしてゐるしね」

畢竟の大作『細雪』が戦前の大阪・船場の失われた上流階級の女性達の栄華の回想をモチーフにしているのに対し、『瘋癲老人日記』は戦後の話なので、程度の差はありますが、現代日本でもあり得ない話ではなく、その点が作品の軽重の差となるのは致し方ないのかも知れません。

それにしても棟方志功の装幀にはうっとりとします。





[その他] 墓参とおはぎ



三連休の中日。明日9月23日(月・祝)が「秋分の日」。

配偶者・孫2人と墓参。当方は安佐北区の高陽墓苑一か所に、父親の墓、母方の両親の墓、伯父の墓があります。


実母がおはぎを作りました。

2019年9月21日土曜日

[その他] ベースの練習日 ベースとベースアンプの紹介



本日は久しぶりのベースの練習日です。中区にあるSTUDIO25という音楽スタジオで、ギター教室の先生から紹介いただいたベースの先生にならってます。

ダブルベースが希望でしたので、持ち運びをどうしようかと考えていたところ、ヤマハからエレキのダブルベースが出ているのを知って始めた次第です。

夜間でも練習できるので重宝してます。

アンプはローランドのミニサイズのベースアンプです。小さなライブ等ではこれで十分な音量が出ます。


YAMAHA サイレントベース SLB200

Roland ローランド ベース アンプ MICRO CUBE BASS RX MCB-RX

(電池駆動も可能なので路上ライブ(やってませんが)も可能です)。


[その他] 本日の夕食は「季節野菜のドライカレー」です




豚ひき肉をつかって2日間つながる献立。

本日は2日目で、前日に下ごしらえした「豚のひき肉炒め」を使って「季節野菜のドライカレー」を作りました。有元葉子さんのレシピにある「クローブ」「クミン」などのしゃれた香料はないのでカレーパウダーで代用。なす、とまと、きゅうり、が入りますが素材感を残すのが難しかったです。

[その他] 本日の夕食は「根菜のつくね揚げ」です



昨日9月20日(金)の夕食は「根菜のつくね揚げ」でした。ちょっと油の温度が高すぎて色が黒くなってしまいました。このレシピはあまり作らないので油の温度調整のカンが安定しないようです。

『暮らしの手帖別冊 毎日がつながる献立』から、有元葉子さんのレシピです。

2019年9月19日木曜日

[その他] 『家族になろうよ』(福山雅治)を結婚式で弾き語り


長野県に住んでいる弟の長女(要するに当方の姪)の結婚式が10月にありますが、「ヒョウタンから駒」で余興で弾き語りをすることに。

選曲は福山雅治さんの『家族になろうよ』に。

歌のほうは声域が似ているのでなんとかなりそうですが、問題はギター。

せっかくなのでコード・ストロークというわけにはゆかず、かといってオリジナルの伴奏ではハードルが高いのでユーチューブで「簡単アルペジオ」というのを見つけたので、これから特訓します。

結果は後程報告します。


[その他] コストコ 長女の買い物に同行 

最近は変な顔で写真に撮られる孫のT君(5歳)Yちゃん(もうすぐ3歳)


先日の祝日は長女の買い物に同行してコストコへ。

収入は私のほうが少ないのに、会員証は家族で私しか持ってないため、コストコの買い物では重宝されます。


2019年9月17日火曜日

[その他] 本日の夕食は「大根とスペアリブの炒め煮」です

三連休のあとまた平日が始まりました。夕食当番復活です。

本日の夕食は「大根とスペアリブの炒め煮」です。

暮らしの手帖社から出ている『暮らしの手帖別冊 毎日がつながる献立』の有元葉子さんのレシピから。

この料理本は日々の料理を負担に感じてしまう原因が、

①単品のメニューをどう組み合わせて献立にするのか

②残った素材を、明日、あさってどのように使うのか

にあり、要するに「献立をつなげるむずかしさ」が負担になっているという基本コンセプトで、著名な料理研究家に1品で2日分の献立レシピを考えてもらっています。

本日は有元葉子さんが「大根」でどう2日献立をつなげるかがポイントです。

明日の夕食は2日目の「大根と豚肉の炒めもの」になります。







2019年9月15日日曜日

[その他] 軽音楽部四畳半オーディオ課 自作スピーカー視聴



軽音楽部のメンバーと自作スピーカーを視聴。

ユニットが同じでキャビネット違いのスピーカーの視聴です。

端にある長い首のスピーカーは2017年の制作で「鳥形バックロードホーン」という形状。キャビネットの中で音道が折り畳まれており全長2mほどあるそうです。

中央のは先日作った「ダクト付きバックロードホーン」です。結構低域まで出てますが量感は「鳥形バックロードホーン」のほうがさすがにありました。コンパクトなので置き場所を選ばないのが利点でしょうか。

あと音源はレコードのみです。



[その他] 軽音楽部の練習日でした




皆実28期軽音楽部の練習日でした。毎週とはいかず月に2回程度練習してます。

本日は妙な縁で参加者あり。隣家のTさんの知人で、当方の孫の保育園の理事長をされているKさん。若いころはプロの演奏者だったそうで初見で伴奏ができます。私たちはレベルの違いに呆然としておりました。

続けていると何かとご縁ができてきますね。

[積読立読斜読] 『瘋癲老人日記』(谷崎潤一郎)



超スロー・リーディング『瘋癲老人日記』。140ページまで読了。


颯子の誘いによりネッキングの代わりに300万円の猫目石の指輪を買う羽目に。
またそれが家族に知れることになる。

家族も驚いてはいるが、老人の酔狂を許しているようなおおらかさがあるのがこの作品の救いでしょうか。

ちなみに、1960(昭和35)年の国家公務員初任給は、12,000円、2015(平成27)年は181,200円で、約15倍。

颯子に買ってやった猫目石は300万円とのことで、現在の価格では4,500万円となります。

2019年9月14日土曜日

[その他] クラシック・ギターを買いました


アンプのついたクラシック・ギター(ナイロン弦)を購入。ドイツのメーカーで"Ortega”社製造。スチール弦ギターより少し小ぶりです。深みのある黒色で良い感じ。

今年の発表会はぜひスティングの"Shape of my heart"をこのクラシック・ギターで演奏したくて、ギター教室の先生経由でお願いしておりました。

たいした腕前でもないのに、何本もギター買ってどうするという声もありますが。。。

[その他] ギター教室



月に2回、土曜日に地蔵通りにあるギター教室(ファズ・フェイス・ギター教室)に通っています。個人レッスンです。

現在はビートルズの"Here comes the sun"と、エリック・クラプトンの"Tears in Heaven"を練習しています。

"Here comes the sun"のほうは難曲で1年近く練習してますが、一向に上達しません。


(あと月に2回、ダブルベースの教室にも通ってます)。

[その他] 料理の仕方 演繹的・帰納的?



料理のアプローチは大別すると2種類あって、「レシピを見ながら作る」タイプと、「冷蔵庫にある材料から作る」タイプがあるように思います。

前者が当方で、後者が当方の配偶者です。それぞれ一長一短があろうかと思います。

どこで読んだか忘れましたが、演繹的・帰納的推論の説明にこれが使えるそうです。

「レシピを見ながら作る」は演繹的献立法、「冷蔵庫にある材料から作る」は帰納的献立法になるというものです。かなり牽強付会ですが、腑に落ちるところもあります。


演繹:②推論の一種。一定の前提から論理的規則に基づいて必然的に結論を導き出すこと。通常は普遍的命題(公理)から個別的命題(定理)を導く形をとる。数学の証明はその典型。

帰納:推理および思考の手法の一つ。個々の具体的事実から一般的な命題ないし法則を導き出すこと。特殊から普遍を導き出すこと。導かれた結論は必然的ではなく、蓋然的にとどまる。

蓋然:おそらくそうであろうと思われるさま。←→必然。

『広辞苑(第七版)より。

[惹句どんどん] ウディ・アレン引用句集 008



Not only is there no God,
but try finding a plumber on Sunday. 

この世に神は存在しないし、おまけに日曜日に配管工を見つけなくてはいけない。

[その他] 本日の夕食はハヤシライスです



土井善晴さんの『お箸で食べる夕食』からのレシピ。

ドミグラスソースではなくて、ケチャップ・赤ワイン・ウスターソースでルウを作ります。

ちょっと火が強すぎて焦げてしまい、家族には不評でした。すみません。



2019年9月10日火曜日

[その他] 本日の夕食はチキンのトマト煮でした


栗原はるみさんの『もう一度、ごちそうさまがききたくて。』からのレシピです。

白ワインで鶏のもも肉を煮込んで、途中からトマトの水煮を加えるレシピです。
当方は配偶者が嫁入り道具に持ってきた時代物の圧力鍋で作ります。



ソースをわざと多めに作って、2日目は「なすとベーコンのトマトソース煮」となり、3日目は「ミネストローネ」になるという「一粒で三度おいしい」レシピです。便利なので時々作りますが、3日連続でトマト味なのでちょっと苦情もあります。


[その他] 10日と25日はパン屋の日 リトルマーメード段原店


段原地区の別のパン屋さんを目的にしてましたが、なんと休店中。

近くのリトルマーメードに行きました。夕方なのであまりパンがありませんでした。
残念。

(買ったパンはかなりパサついてました。これも残念)。


2019年9月8日日曜日

<日々是不穏 like a rolling stones> タイ・バンコクの渋滞緩和に日本の信号システムを導入



世界は混沌に満ちている。

普段当たり前のように暮らしていて、空気のように存在を気にしなくていい物体とかシステムとかがあって、日本の信号システムなんかもその例かも知れません。最近はLED化してずいぶん薄くなり、見えやすくなりました。このような気にしなくていいシステムも国によって違うようです。

9月5日付の朝日新聞国際面「世界発2019」は、タイの首都バンコクの交通渋滞の話。

なんとバンコクには自動制御の信号システムがなく、交差点には警察官が常駐し手動で信号を切り替えているそうです。

下記新聞によると。

バンコクの渋滞は、1人平均では世界ワースト8位
朝夕のピーク時間帯では世界最悪。
(オランダの交通情報サービス会社発表)

バンコクの交通網で維持できる車両(バイク含む)は160万台
実際には乗用車だけで500万台以上が登録
(タイ政府発表)

500を超えるバンコクの交差点には警察官が常駐していて手動で信号を切り替えている

タイ政府は日本の国際協力機構(JICA)を組み自動制御の信号システムの導入に動き出した

既得権益となる4000人を超える「信号」警察官の反対は必至

JICAの事業は2022年に終了予定

千葉工大教授の赤羽弘和さんによると、交通の効率化は

・信号制御
・交差点の角度
・車線構成
・交通規制

というような複合的な改善が必要だそうです。

信号システムだけ変えてもかえって効果がないような。成り行きが注目されます。



[その他] 広島掃除に学ぶ会 東原中学校




9月8日(日曜日)は広島掃除に学ぶ会の活動で東原中学のトイレ掃除に参加しました。

掃除に学ぶ会関係者27名、学校関係者200名、というたくさんの参加がありました。

東原中学では17回目の開催ということで、素晴らしい伝統だと思いました。


2019年9月7日土曜日

[その他] 夏休みの工作 自作スピーカー 完成しました



毎年恒例の夏休みの工作。夏休みは終わりましたが。

今年は昨年のユニットの改良版。香港ベースのマークオーディオ社製の8cmフルレンジ・ユニットです。

雑誌にキャビネットの制作例としてオーディオ評論家の小澤隆久さんが作成された「ダクト付きバックロードホーン」が掲載されてましたので作ってみました。

1800×900(12mm厚)の合板1枚でワンペアできるので合理的です。

一般的なバックロードホーンは末広がりのラッパ形状ですが「ダクト」付きはホーンの終点で音道を狭めるダクトが付いた設計になっています。

正直測定器などがないので音の違いはよくわかりません。

レコードで steely dan "Gaucho"を今聴いてます。なかなか良いです。


2019年9月6日金曜日

[その他] 今日の夕食はカレーです


当方はあまりカレーが好きでないのでそう頻繁には作りません。保育園のカレーメニューでは「オクラ」が入っていたそうで、孫のT君にオクラ入りカレーを頼まれていましたが買い物するの忘れてました。ごめんなさい。

当方の家では揚げ物が多くカロリーが高いのでカロリーオフタイプを買ってみました。

ついでにネットからバーモントカレーの情報です。

・「バーモンドカレー」はカレールウ市場で32%のシェア
・家庭内夕食の第一位は「カレー」
・ルウタイプの市場規模は約500億円
・レトルトカレーの市場規模は540億円
(ここ数年で市場規模が逆転)
・「バーモントカレー」は1963年発売
・「カレーは辛い物」という概念から子供向けに甘口を開発
・米国バーモント州に伝わる「リンゴ酢」と「ハチミツ」を使った
 健康法にあやかって命名




[積読立読斜読] 『瘋癲老人日記』番外編・装丁について

番外編。

グラフィック・デザイナーの長友啓典さんが『瘋癲老人日記』の装丁を古今東西のベストテンに挙げておられます。長友さんの著書より該当部分引用します。

鎌倉は雪ノ下に、僕の好きな古書店がある。鎌倉に行くと必ず立ち寄るようにしている。新しい発見がある。有名なのか無名なのか知らないが、こぢんまりとして、清潔感のある本屋さんだ。前回お邪魔したときに谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』(昭和三十七初版)がウィンドウに飾られていた。思わず店主に見せてくださいとお願いした。箱から出し、表紙、見返し、化粧トビラ、扉と丁寧にめくり、本文に突入するころには頭が真っ白になるほどの興奮状態になっていた。装釘(そうてい)・版畫(はんが)・棟方志功となっていた。
棟方版画は国際的に有名なので一目でそれと解るが、箱から表紙、見返しと追っていくと本というめくるめく生理を見事に征服している。一枚の版画では感じられない別物の感動を与えてくれる。 
箱の表は登場人物であろう女体がシルエット風にスミ一色で三分の一程のスペースをとっている。大胆な構図だ。タイトル文字と著者名も、棟方のもので独特の雰囲気を醸し出している。



裏を返せば白いスペースが三分の一を占めステッキの絵が彫ってある。箱から出すと本の表紙と裏表紙が一枚の千代紙風の絵となり、これは箱とは逆に品のよい色づけがされている。モノクロの世界からカラーの世界へ見事に移っていく。
表紙をめくると見返しは棟方のえがく凛とした、女性のアップが単色のオレンジで飾られている。効果的だ。


(中略)
どちらにしてもこの装丁は僕の中で古今東西のベストテンに入っている。
『装丁問答』(長友啓典著、朝日新書、2010年)

[その他] アマチュア・ハワイアンバンド カレイコキ・ダンディーズの練習におじゃましました。。。



皆実高校の先輩3人が参加しているバンドです。

毎週金曜日に2時間程度練習されているそうです。

敬老施設や町内イベントなどのステージもこなされています。

本日はケアセンターの慰問の曲の練習でした。

[その他] 本日の夕食はコロッケです



月曜から金曜までは17時まで仕事で、18時までに保育園に二人の孫を迎えに行き、長女・二人の孫、私+配偶者、の夕食を作るのが日課です。

9月5日(木曜日)の夕食はコロッケでした。レシピは土井善晴さんの『お箸で食べる洋食』(講談社、2007年)より。

コツはジャガイモを皮をむいてゆで、乾煎りして水分を飛ばしすことらしいです。
合いびき肉と玉ねぎのみじん切りが入ります。

食べるのは一瞬ですが、簡単な割に時間がかかるメニューですね。

ウスターソースをじゃぶじゃぶ下品にかけて食べます。

[その他] 本日の夕食はトンカツです




9月4日(水曜日)の夕食はトンカツです。

最近キャベツの細切り用ピーラー(?)を買ってキャベツが細く切れるようになりました。

トンカツは専門店と家庭で作るのとかなり差があるメニューかと思います。

まず良いトンカツ用の肉を売っていない。揚げる油が違う、油量が違う、ソースが違う、などです。

ですが揚げたてのトンカツは結構おいしいです。


2019年9月4日水曜日

[その他] 本日の夕食は「かつ丼」でした


親子丼を作ろうとしましたが鶏のささ身を買うの忘れ、明日の夕食用に買っておいたトンカツを使ってかつ丼にしました。ビジュアルが悪くてすみません。味は良いです。

こういう親子丼専用の鍋「親子鍋」(というらしい)があればもっとうまくできるのかも知れませんが、モノが増えるので当家では小鍋で代用してます。




[その他] 本日の夕食は「揚げ鶏のねぎソース」


本日の夕食は栗原はるみさんの『もう一度、ごちそうさまがききたくて。』(文化出版局)にあった「揚げ鶏のねぎソース」を作りました。

中華料理店では「油淋鶏(ユウリンジイ)」というメニューの家庭版です。

下味処理した鶏肉に片栗粉をまぶしカリカリに揚げるのと、ねぎのみじん切りを炒め味付けした栗原さんオリジナルの「ねぎソース」が味の決め手です。

結構簡単にできますが家族には大好評です。

(写真を撮り忘れたのでレシピから)。


2019年9月2日月曜日

[積読立読斜読] 『瘋癲老人日記』(谷崎潤一郎)



超スロー・リーディング『瘋癲老人日記』。
80ページまで。だんだん老人の「瘋癲」なところが出てきました。


颯子のシャワーを覗き見する。颯子も老人を誘うように背中を拭いてくれるように頼む。

P62
咄嗟ニ予ハタオルノ上カラ両肩ンダ。ソシテ右側ノ肩ノ肉ノ盛リ上リニ唇ヲ當テゝ舌デ吸ツタ、ト、思ツタ途端ニ左ノ頬ニ「ピツシヤ」ト平手打チヲ喰ツタ。

嫁の颯子と甥の春久の情事を黙認する。


P76
「自分デ戀ノ冒険ヲ楽シムコトガ出来ナクナツタ腹癒セニ、セメテ他人ニ冒険サセテ、ソレヲ見テ楽シム。人間モモウカウナツチヤ哀レナモノサ」


谷崎潤一郎には同じ足フェティシズムを主題とした『富美子の足』という短編小説があるそうです(未読)。興味深いのは作家としてのキャリアが長いせいで、初期の作品と晩年の作品では、男性の平均寿命が伸び、「老人」イメージとしての年齢の再設定が必要だったようです。

老人のフェティシズムというテーマ設定に際して、『瘋癲老人日記』では『富美子の足』よりも10歳以上上に設定されています。

今日では77歳でも元気な男性が多いので、『瘋癲老人日記』の77歳で自分の死を意識した危ういフェティシズムというのも再設定が必要かもしれません。

あまり長生きしても文学的な素材とはなりえないようで。


『富美子の足』(大正8年(1919)、谷崎潤一郎(1886年生)33歳の作品)
主人公・塚越(60歳過ぎ)、妾の富美子と暮らしている。
男性の平均寿命:40歳台後半

『瘋癲老人日記』(昭和37(1962)年、谷崎潤一郎76歳の作品)
主人公・督助(77歳)
男性の平均寿命:60歳台中盤


2017年の男性の平均寿命:81.09歳

2019年9月1日日曜日

[その他] 夏休みの工作 自作スピーカー(途中経過)


夏休みと言いながら、9月になってしまいました。

毎夏恒例の雑誌ステレオ編集のムック『これならできる特選スピーカーユニット』。今年は昨年に続き香港ベースのマークオーディオ社の8cmフルレンジユニットです。(昨年のユニットの改良版)。

キャビネットは雑誌に載っていた小澤隆久さんの設計になる「ダクト付バックロードホーン」にしました。900×1800(12mm厚)の合板で1ペアでき、カット数も少ない設計になっていました。

特徴はバックロードホーンの最後に細いダクトがついた形になっています。低音がバスレフ型よりもよく伸びるそうです。

写真は途中経過。隙間があるのはご愛敬でこれから木工パテで埋めていきます。バックロードのスロートの設計で外板との間に隙間があるのは、ここは砂を埋めて共振を防ぎます。