2015年6月29日月曜日

[積読立読斜読] 『新潮日本文学 阿川弘之集』(1)『山本五十六』




『松本清張集』に続いて『阿川弘之集』を読んでます。今日ではタレント・阿川佐和子の父親と言った方が通りがよいのでしょうか。

内容は長編の伝記『山本五十六』と『雲の墓標』『年年歳歳』から成ってます。今回は『山本五十六』まで読了したので一区切り。確か高校時代に新潮文庫版で読んで以来の再読になります。

オリジナルは昭和39年から40年にかけて雑誌『文芸朝日』に連載され同年単行本化。44年に300枚を追加して新版が刊行されました。
昭和20年の敗戦から20年程度経過したところでの伝記で、今日刊行後半世紀をすでに経てますので、20代で終戦を迎えた人たちが壮年の頃、この伝記が刊行された時代背景はまず基礎知識として必要かと思われます。

また村松剛の解説にありますが阿川弘之の海軍体験も考慮に入れる必要があります。「同じように戦争に動員されても、安岡章太郎のように陸軍の一兵卒として、満州でつらい内務班生活を送らなければならなかった場合や、
海軍でも海兵団の水兵だったら、印象はまったく違ったはずである。阿川は海軍士官として、しかも知的雰囲気の比較的―比較の問題にすぎないとしても―濃い、暗号解読班で働いていた。この条件は、無視できないだろう。どちらかといえば老成した型が多いその同世代の作家たちのなかで、阿川は青春のすがすがしいにおいをもちつづけている数少ない例に属する」としています。至言ですね。

伝記として読めば第一級の作品であり今日でも価値は高いと思います。山本五十六自体の人物も相当魅力的であり、当時の日本海軍の置かれた状況が、大艦巨砲主義から航空機主体の戦争へ、対米戦争に反対しながらも、開戦となればその主作戦を立案せざるを得ない立場にある、歴史に翻弄された人物であります。このような人物をもってしても開戦は回避できませんでしたし、緒戦の博打的な作戦で勝利を収めた後、総力戦に持ち込まれ停戦の機会を失って国土と多くの人命を失いました。

阿川弘之の諸作は、戦争体験を文学までは昇華できなかったのでしょうが、本作は、太平洋戦争の背景の良質な歴史書としても読めます。


<著者紹介(新潮文庫のHPより)>
阿川弘之(アガワ・ヒロユキ)
1920(大正9)年広島県生まれ。東大国文科を繰上げ卒業、海軍に入り、中国で終戦。戦後、志賀直哉に師事し、『春の城』、『雲の墓標』、『山本五十六』『米内光政』『井上成美』の海軍提督三部作などがある。『食味風々録』は読売文学賞受賞作品。1999年に文化勲章を受章。


<新潮文庫版『山本五十六(上)』内容紹介>
対米戦争に、日独伊三国同盟に反対した軍人。聯合艦隊司令長官の若き日の活躍を描いた傑作伝記。

戦争に反対しながら、自ら対米戦争の火蓋を切らねばならなかった聯合艦隊司令官山本五十六。今日なお人々の胸中に鮮烈な印象をとどめる、日本海軍史上最大の提督の赤裸々な人間像を余すところなく描いた著者畢生の力作。本書は、初版刊行後、更に調査し、発見した未公開資料に基づき加筆された新版である。上巻では、ロンドン軍縮会議での活躍を中心に、若き日の山本像が描かれる。


<新潮文庫版『山本五十六(下)』内容紹介>
かつて戦争に反対した男は、戦争を始めた。詳細な資料から浮び上がる軍神と呼ばれた男の壮絶な人生。

下巻では、聯合艦隊司令長官に任命された山本五十六が、いよいよ真珠湾強襲の構想を固めるところから、昭和18年4月18日、ブーゲンビル島上空において敵機の襲撃を受け壮絶な最期を遂げるまでを克明に綴る。世界を震撼させた天才提督の栄光と悲劇を、膨大な資料と存命者の口述を基に、生き生きと甦らせ、激動の昭和史を浮彫りにした、必読の記録文学である。


山本五十六  1884‐1943(明治17‐昭和18)
やまもといそろく 

明治・大正・昭和期の軍人。新潟県出身。1904年海軍兵学校(32期)卒業,05年日本海海戦で重傷,16年海軍大学校(14期)卒業後,海軍大学校教官,駐米武官,空母〈赤城〉艦長などを経て30年ロンドン軍縮会議随員を務めた。34年軍備制限予備会議全権委員,35年海軍航空本部長,36年海軍次官などを歴任し,米内光政海相を補佐して日独伊三国同盟の締結に反対した。39年平沼騏一郎内閣の総辞職に伴って中央を離れ,連合艦隊司令長官兼第1艦隊司令長官となった。40年大将昇進,41年連合艦隊司令長官専任となり,太平洋戦争の指揮をとり,初戦に大勝利を博したが,43年4月18日ソロモン諸島ブーゲンビル島上空で搭乗機を撃墜されて戦死,元帥を贈られ,6月5日国葬が行われた。           木坂 順一郎

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ロンドン軍縮会議  
ロンドンぐんしゅくかいぎ 

ワシントン海軍軍備制限条約(1922)の有効期間満了が近づいたため,マクドナルド・イギリス首相の提唱で,イギリス,アメリカ,日本,フランス,イタリアの五大海軍国がロンドンで開催した会議(1930年1月21日~4月22日)。
 1927年6~8月に開かれた5ヵ国によるジュネーブ軍縮会議は,長い海岸線防衛用に主力艦を重視するアメリカと,世界にまたがる帝国防衛のために小型巡洋艦に制限を加えまいとするイギリスの対立が鋭く,暗礁にのりあげていた。これを受けたロンドンの会議ではイギリス,アメリカがともにその要求を取り下げた。日本は対米70%の大型巡洋艦を要求したがいれられず,結局小型巡洋艦と駆逐艦についてイギリス,アメリカの70%,潜水艦は均等という条件で,大型巡洋艦に対するワシントン条約の比率(60%)適用を受諾した。この結果4月22日にイギリス,アメリカ,日本の間で,ロンドン海軍軍備制限条約が締結された(有効期間6年)。地中海の制海権を争うフランス,イタリアは話合いがつかず,参加しなかった。同条約の協定保有量は表のとおりである。この会議では,ワシントン条約による1931年からの代替建造が36年まで延期され,イギリス,アメリカ,日本が主力艦を1年半以内にそれぞれ5,3,1隻廃棄して,保有量をイギリス,アメリカ各15隻,日本9隻にすることも取り決められた。
 この条約は現有量と協定保有量の差が小さく,そのうえイギリスの主張で〈エスカレーター条項〉(第21条,非締約国の新艦建造で安全を脅かされた締約国は,他の締約国に通告のうえ必要な艦艇を増加でき,他の締約国もそれに比例して増加できる)が設けられたため,軍縮の効果はあまり大きくなかった。同条約の期間満了を控えて,1935年末から再びロンドンで会議が開催されたが,すでに日本は1934年に,36年末をもってワシントン,ロンドン両条約による制限が終結することを通告しており,またベルサイユ条約に違反してドイツは有力な海軍国になっていたため,意味のある合意の基盤は失われていた。36年末ワシントン,ロンドン両条約の失効とともに,各国は激しい建艦競争をくりひろげた。⇒統帥権干犯問題
                        納家 政嗣

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日独伊三国同盟  
にちどくいさんごくどうめい 

1940年,第2次近衛文麿内閣がドイツ,イタリアと結んだ軍事同盟。ベルサイユ体制に対して最大の不満を抱いたのは第1次世界大戦の戦敗国ドイツであったが,戦勝国であるイタリアもかなりの不満をもっていた。同じく戦勝国側にあった日本も,ベルサイユ体制の太平洋版であるワシントン体制への不満から,ベルサイユ体制の柱となっていた国際連盟に挑戦するにいたった。日本,ドイツ,イタリアが相ついで国際連盟を脱退する前後から,これら3国の接近が予想されていたが,軍事同盟への歩みは錯綜(さくそう)したものであった。日独防共協定(1936年11月25日)につづいて日独伊防共協定(1937年11月6日)が成立した後,ベルリン駐在武官大島浩と,1938年2月に外相に就任するリッベントロップとのあいだで,防共協定を軍事同盟に発展させるための交渉がつづけられた。日本海軍首脳部を中心に,日本国内にはドイツ,イタリアとの結合の強化への抵抗が強く,日本政府の態度はあいまいであった。リッベントロップは,さしあたり日本をぬきにしてイタリアとの〈鋼鉄の同盟〉と呼ばれた独伊軍事同盟(1939年5月22日)を成立させると同時に,3国の仮想敵であるはずのソ連に接近して,独ソ不可侵条約(同年8月23日)を結んだ。ここに,当時日本で〈防共協定強化問題〉と呼ばれていた,同盟への道程の第1段階は挫折をもっていったん終りを告げた。
 同盟への道程の第2段階が本格化したのは,第2次世界大戦が〈奇妙な戦争 phony war〉の様相を脱して,ドイツの電撃戦によるヨーロッパ制覇に終わるようにみえた1940年初夏以後のことである。40年9月にリッベントロップ外相の特使シュターマー Heinrich Stahmer が来日して,9月27日に日独伊三国同盟が成立する。この第2段階での交渉は,三国同盟にソ連を加えた〈大陸ブロックcontinental block〉によりアメリカを牽制してその参戦をくいとめようという,リッベントロップの日独伊ソ四国協定構想にもとづいて進められる。外相松岡洋右を中心とする日本側がこの構想に全面的に賛成し,日本海軍も反対をやめたために急速にまとまった。しかし,ヒトラー独裁下のドイツでは,独ソ戦に執着するヒトラーが,リッベントロップの路線とは逆に,独ソ開戦(1941年6月22日)に踏み切ったため,四国協定構想は幻想に終わり,三国同盟はいたずらに日米関係を悪化させる結果をもたらした。               三宅 正樹

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[惹句どんどん] 井上成美(海軍兵学校校長)


※写真は「井上成美」伝記刊行会からお借りしました。


卒業してすぐ実務に役立つような教育は丁稚教育であって、
吾人は丁稚の養成を以て本校教育の眼目とするわけにはいかない。


軍人を養成する学校であるから、戦争に直接役に立つことだけを教えておればいいというなら、
すべからく砲術学校や水雷学校の術科学校を充実して海軍兵学校そのものは廃止すべきである。

兵学校は特務士官の養成機関ではない。

卒業してすぐ実務に役立つような教育は丁稚教育であって、吾人は丁稚の養成を以て本校教育の眼目とするわけにはいかない。

兵学校教育の目的は、識見と教養とを備えた真にジェントルメンライクの、将来何処に出しても羞(は)ずかしくないだけの海軍将校の素地を養うにある。


『新潮日本文学 阿川弘之集』『山本五十六』より。太平洋戦争中、海軍兵学校教官内での、英語教育・英語入試科目の廃止論を受けての弁舌。


[その他] 広島掃除に学ぶ会 河内小学校




6月28日(日)は広島掃除に学ぶ会の活動で、河内小学校のトイレ清掃をしました。

河内小学校では全校生徒が参加で低学年の児童は保護者と一緒にトイレ清掃をされました。
全国的にも珍しい活動だと思います。

トイレも心もキレイになってスッキリしました。

掃除に学ぶ会関係者15人、学校関係233人、合計248人が参加しました。

2015年6月27日土曜日

<日々是不穏 like a rolling stone> 大学教育の見直し



※東京大学赤門の写真は東京大学のHPからお借りしました。


幣衣破帽(へいいはぼう)なバンカラ学生は絶滅か?

文部科学省が全国の国立大学に社会で即戦力とならない人文科学系の学部の見直しを通知したそうです(6月8日付け朝日新聞)。

同じ朝日新聞記事の金融情報欄「経済気象台」は「消える仕事への片道切符」と題して、企業側の立場からこれに疑問符をつけています。

あまりにもエンプロイアビリティ(雇用される能力)に偏重した学部構成は、急速な情報化が進み20年内外で既存職業の半数が消える予想もある現代で、果たして真に有効なのかどうかという疑問です。

大学教育の本質は「自分の頭で考える力」を養成することであり、必ずしも実学である必要はありません。(当方がまったく実学でなかったので弁解もあります)。

どうも日本社会には成熟した余裕がない政策が多いようですね。


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■その学部、本当に必要? 全国立大に見直し通知、文科省
(デジタル朝日 高浜行人2015年6月8日)

 文部科学省は8日、全86の国立大学に、既存の学部などを見直すよう通知した。主に文学部や社会学部など人文社会系の学部と大学院について、社会に必要とされる人材を育てられていなければ、廃止や分野の転換の検討を求めた。国立大に投入される税金を、ニーズがある分野に集中させるのが狙いだ。

 国立大には、法人化された2004年度以降、6年ごとに「中期目標」を作って文科省に提出する義務がある。6月末が16年度からの目標案の提出期限で、大学の認可を受けるには、目標が通知の趣旨に沿っている必要がある。

 通知は「特に教員養成系や人文社会科学系学部・大学院は、組織の廃止や社会的要請の高い分野に転換する」ことを求めた。例えば、人文社会系の卒業生の多くがサラリーマンになるという実績を踏まえ、大学は地元で必要とされている職種を把握。需要にあった人材を育てる学部に転換するなどといった想定だ。

 文科省によると、自然科学系の研究は国益に直接つながる技術革新や産業振興に寄与しているが、人文社会系は成果が見えにくいという。国立大への国の補助金は計1・1兆円以上。子どもが減り、財政事情が悪化する中、大学には、「見返り」の大きい分野に力を入れさせるという考えだ。

 文科省の担当者は「文系を減らして理系を増やすという意味ではない」。見直し後、別の文系学部への転換も可能だからだ。成果が出にくい分野も、将来の成果を示せれば相応の評価をするという。(高浜行人)

[その他] 10日と25日はお菓子の日 パティスリー京香(南区)


※店の外観は外壁工事中でしたので撮影してません。

6月25日(木)は都合で洋菓子店に行けず、本日所要で安芸区まで出かけたので、帰路南区にある洋菓子屋さん「京香」に行きました。女性がオーナーのお店で、すでに10年近い実績があるそうです。


<店舗>
パティスリー京香

〒734-0037
広島市南区霞2-2-16


<購入したお菓子>
バナナキャラメルタルト 453円
モンブラン 496円
フルーツロール 464円
ベイクドチーズ 453円

合計 1866円


<感想のようなもの>
ケーキの外観は女性らしい繊細な仕上がり。材料も上質なものを使われているようですが、
味に奥行きがなく残念でした。


<体重>
6月28日 81.2kg

6月10日 81.5kg
6月24日 82.9kg
5月10日 83.0Kg
4月25日 83.2Kg

※6月24日に健康診断がありましたが、目標としていた80kg未満は達成できませんでした。
さらに精進が必要です。

次回、7月10日(金)は和菓子屋さんに行きます。

2015年6月24日水曜日

[惹句どんどん] 千田保育園 園是





揺籃を動かす手が 世界を動かす



孫のT君は広島市立千田保育園のゼロ歳児「ふたば組」に通園しており、時々長女の仕事帰りが遅い場合に迎えにいくことがあります。

園内に園是として掲げてあったので紹介します。

原爆被害のあと、広島市立高等女学校のOGによって設立されたそうです。母校の校長先生の教えを園是としたそうです。

なかなか立派な園是で感動しました。

世の中を動かす大立者、大政治家も、揺籃を動かしてくれる「手」がなければ存在しません。

安心して「揺籃を動かせるよう」な世の中にしたいものです。





2015年6月23日火曜日

[積読立読斜読] 『長いお別れ』(中島京子著、文藝春秋、2015年)




書評で「ある日同窓会に行こうとして家を出たものの途中で目的を忘れ家に戻ってきた」の一行が目に留まり。ひょっとして「同窓会」関連の記述が多いかと思い手に取りましたが、内容は認知症を発症した父親とその家族の物語でした。

愛情ある諧謔にくるんだ佳作でありましたので紹介します。


<あらすじ>
70歳になる東昇平は、中学校の校長や図書館館長を勤め上げ、悠々自適の老後を送っていた。ある日同窓会に行こうとして家を出たものの途中で目的を忘れ家に戻ってきた。

妻・曜子に連れられ、ものわすれ外来を受診。初期のアルツハイマー型認知症が発覚。サンフランシスコ在住の長女の茉莉、子育て中の次女の菜奈、フードコーディネーターで独身の三女・芙美。昇平の認知症の進行、それぞれの家族の生活。

アメリカでは認知症を「長いお別れ」と呼ぶことがある。昇平の症状は、ただの記憶違いの域を越えた、遊園地での迷子、雑紙のコレクション、時々奇跡的に成立する会話、消える入れ歯など、まるで喜劇のような予測不能な出来事に満ちていた……。 

家族への愛着を残したまま記憶だけを少しずつ失い死へと向かっていく「長いお別れ」のような病気、認知症。父と家族の10年間の愛と奮闘の物語。

週末に読みたいこの一冊(日刊ゲンダイ)から抜粋しました。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/160928


<感想のようなもの>
超高齢化社会であり認知症を扱った書籍はごまんとあるでしょうが、実際に父親を認知症となった中島京子さんによる連作短編です。

家族としては大変なご苦労は重々承知で、三姉妹の日常を散りばめることによって、家族の愛情を適度な諧謔を交えて描き、暗澹たる内容にはなっていません。

特にアメリカ在住の孫の視点から描かれた祖父の症状は、世代、地域とも隔絶した地点からの描写となっていて、良い手法だと思いました。

作品では70歳で発病、亡くなるまで10年という設定です。28期の世代も周辺に認知症の方がいらっしゃるかもしれません。「長いお別れ」は家族への試練と割り切れない重荷かも知れませんが、避けては通れませんね。

離散しがちな現代の家族が、身内の認知症の介護を通じて、家族として再生できれば、そこには救いがあります。




2015年6月21日日曜日

[積読立読斜読] 『一生モノの英文法』 第6回 従位接続詞(2)





従位接続詞の続きで、名詞節を形成する従位接続詞。

疑問詞が名詞節の先頭にきて従位接続詞の役割をするパターンです。

一覧表ではAの列の1から4までの説明になります。



A―1~A―4 名詞節を形成する従位接続詞

従位接続詞となる疑問詞
who, what, which, whose, where, when, why, how

疑問詞疑問文を名詞節(疑問詞が従位接続詞になる)に変換する
・主語(S)の前にあるbe動詞/助動詞が、この位置に移動する前の状態に戻す。

Who do you love?
→who you love

Which car did he buy?
→which car he bought

When will you come?
→when you will come

How old is he?
→how old he is

・疑問詞疑問文を作る段階で主語(S)の前にbe動詞/助動詞を出していない場合は、疑問詞疑問文がそのままで名詞節になる。
(①主語(S)を尋ねる場合、②主語(S)に対する修飾語を尋ねる場合)

Who wrote the process document?

Which car is better?


A―1 (who, what, which):疑問代名詞が作る名詞節
疑問代名詞が節の先頭にきて名詞節を形成する

この名詞節は、主語、補語、目的語、前置詞の目的語、となる。
疑問代名詞(従位接続詞)自体も、名詞節の中で主語、補語、目的語、前置詞の目的語、となる。

Who is he?
→I don't know who he is.

名詞節はknowの目的語(О)、whoの要素は補語(C)

Which did he use?
→Which he used is a mysterry.

名詞節は主語(S)、whichの要素はuseの目的語(О)

What did she hit me with?
→I don't know what she hit me with.

節全体はknowの目的語(О)、whatの要素は前置詞の目的語(О)

What will happen tonight?
→She knows what will happen tonight.

主語を尋ねる疑問文が名詞節になったもの、節全体はknowの目的語(О)、whatの要素は主語(S)

What did he say?
→What he said was true.

節全体は主語(S)、what自体はsaidの目的語(О)

What do you have?
→Show me what you have.

節全体はshowの間接目的語、what自体はhaveの目的語(О)


p.127
A―2 (whose, what, which) 疑問形容詞が作る名詞節

疑問形容詞自体は、名詞修飾語として働く、節自体は主語・目的語・補語・前置詞の目的語となる
(疑問形容詞の直後の名詞は主語とは限らない)


A―2 グループの従位接続詞を考える
・名詞節の元の疑問文はどのような形か。
・接続詞(疑問詞)によって修飾される名詞の要素は何か。

Whose diary is this?
→I know whose diary this is.

節全体はknowの目的語(О)、diaryの要素は補語

What color does she like?
→I don't know what color she likes.

節全体はknowの目的語(О)、colorの要素は、likeの目的語(О)

Which car is better?
→They are talking about which car is better.

節全体は前置詞aboutの目的語(О)、carの要素は主語(S)

Which street does she live on?
→He told me which street she lives on.

節全体は間接目的語、streetの要素は前置詞onの目的語


p.129
A―3 (where, when, why, how) 疑問副詞が作る名詞節

疑問副詞自体は、動詞修飾語として働く

Where was she born?
→I know where she was born.

節全体の要素は、目的語

When will you start?
→The point is when you will start.

節全体の要素は、補語

Why was she wearing a mask?
→My wife told me why she was wearing a mask?

節全体の要素は、間接目的語

How did he die?
→How he died is a mystery.

節全体の要素は、主語


p.131
A―4 (how)
形容詞修飾語、副詞修飾語として働くhow

How old was my son?
→I was asked how old my son was.

howは形容詞oldを修飾、節全体は間接目的語

How fast does he run?
→I don't know how fast he runs.

howは副詞fastを修飾、節全体は目的語







[新聞記事] "The Paleo diet - out of the cave and into the mainstream"


2015年6月21日付け朝日新聞別冊Globeの「見出しを読み解く」はダイエットの話。

 "The Paleo diet - out of the cave and into the mainstream"
「旧石器式ダイエット―洞窟を抜けだし主流派へ」

ダイエット先進国のアメリカでは数々のダイエット法が現れては消え、浜の真砂は尽きるとも、世にダイエット法の種はつきまじ、という状況です。

この記事では「旧石器時代ダイエット」を紹介してます。要するに加工食品を極力採らないダイエットと思われます。

記事中から単語のメモです。

Have you been living in a cave?  洞窟に住んでたの? (世事に疎い人へのからかい)
double entendre 二重の意味を持つ表現
Paleolithic 旧石器時代の > Paleo
caveman 穴居人
ancestral nutrition 先祖の栄養法
refined sugar 精製糖
dairy 乳製品
grains 穀物
processed foods 加工食品
practitioners 実践者
tout 褒めちぎる
mammoth proportions 巨大な季語
swelled ふくらみ
galore 無数に
devotee 愛好者
elimination diet 複数の食品を排除するダイエット
nutritionists 栄養士
Atkins diet 低炭水化物ダイエット
whole foods 加工しない自然のままの食べ物


2015年6月20日土曜日

[積読立読斜読] 新潮日本文学『松本清張集』 (4) その他短編



新潮日本文学『松本清張集』の4回目。残りの短編を読みました。今回で読了。

敬愛する評論家・関川夏央さんが岩波新書の『本よみの虫干し ―日本の近代文学再読―』(2001年)で『点と線』を取り上げています。

松本清張の小説は「彼の精神形成期である『戦前』と、彼自身の『戦前的内面』の忠実な投影であった。松本清張は決して『社会派』ではなかった」とし、「高度成長の果実の分配のみ執着して、その時代精神を『嫉妬』と『恨み』に因数分解した作家である」と手厳しいです。確かに多数の映画化テレビ化作品群は長編は破綻がめだち、短編も数編を除いて今日的な価値は低いとは思いますが、関川夏央も当方も、連綿と続く清張人気は謎です。

案外日本の高度成長の果実は表面的であり、「嫉妬」「恨み」は世に尽きないのかも知れません。

残りの短編をざっと紹介します。

『菊枕 ぬい女略歴』は初出が1953年。不遇の女流俳人が主人公の短編。モデルが杉田久女と言われてます。これも『或る「小倉日記」伝』と同じように才能に恵まれながら世に受け入れられなかった芸術家の話です。最後には精神に異常をきたしてしまいます。(※末尾に『大辞林』より引用)。


『火の記憶』は初出1952年。実父が戸籍上「失踪」とされていることに疑問をもった泰雄。真相を究明しようとして「火の記憶」(ボタ山の自然発火)がよみがえる。ミステリー仕立ての短編。

『断碑』は初出1954年。『或る「小倉日記」伝』と同系統の短編。モデルは、孤高の考古学者・森本六爾(ろくじ)。Wikipediaによれば「小学校の代用教員を務め、1924年に上京し東京高等師範学校の校長であった三宅米吉のもとで、歴史教室に副手として勤務した。1929年、三宅の死去にともない、副手を辞任。鎌倉市極楽寺の仮寓で結核により32年の生涯を閉じた。」とあります。

『腹中の敵』は初出1955年。織田信長の家臣、丹羽長秀(にわながひで)に材を得た歴史物。長秀の一人語りで出世する秀吉を嫉妬しついに病身の腹中にいた腫瘍を秀吉に見立て切り裂く。
(※末尾に『世界大百科事典』より引用)。


『張込み』は初出1955年。58年に野村芳太郎監督で映画化されこちらも著名。強盗殺人事件の容疑者が九州の小都市で銀行員の後妻となっている女のもとに立ち寄るという前提での刑事の張込みを通して、単調な後妻としての生活、容疑者との一瞬の逃避行で見せた女としての輝きの対比が鮮明。

評論家の関川夏央に『夜行急行列車「西鹿児島行」』というエッセイがあり、この『張込み』では淡白な描写となっている夜行急行列車(寝台列車ではない)に注目し、映画版の冒頭部分長尺で描かれる汽車旅の旅愁に、日本の近代史を読み取ります。高度成長前の、「東京発夜行急行列車「西鹿児島行」での旅は、通路に座り、暑さにあえぎながら数十時間もの時を過ごすタフで切ないものでした。機能的なシステムに変わるほんの少し前の風景。そこにいるのは、不便さに疲れ、うんざりしながらも、ときに去り行く列車に情熱的に手を振り続けた人々でした。 」としてます。

この短編には、冒頭のうんざりする長旅が必要で、ラストシーンの女の輝きと対照的です。


『甲府在番』は初出1957年。武田信玄の金山をモチーフとした歴史もの。旗本小普請組二百五十石伊谷求馬は甲府在番の亡き兄の跡目を継いで自ら志願して赴任した。兄の手紙から隠された金山を探すのが真の目的である。武田信玄亡き後も金山を守る山口衆の奸計に嵌り危機に陥る。山口衆の寝返った女に助けられ難を脱する。テレビの時代物によくある筋書き。


『一年半待て』は初出1957年。家庭内暴力から夫を殺した妻が実は計画殺人であったというミステリー。

『光悦』は1957年。芥川賞受賞後に『芸から術新潮』に連載されたもので、日本史上の芸術家の生涯を歴史書から読み解き、従来の人物像に新たな視点を加えたもの。
新潮文庫版の解説では「運慶、利休、光悦。芸を究むる者たちが背負いし業。松本清張が透視した、煩悩に苛まれる芸術家の姿。異色の歴史短編小説十編。

日本美術史に燦然と輝く芸術家十人が、血の通った人間として甦る――。新進気鋭の快慶の評判に心乱される運慶。命を懸けて、秀吉と対峙する千利休。将軍義教に憎まれ、虐げられる世阿弥。将軍家、公卿、富商の間を巧みに渡り歩く光悦。栄華を極めながらも、滲み出る不安、嫉妬、苛立ち、そして虚しさ――美を追い求める者たちが煩悩に囚われる禍々しい姿を描く、異色の歴史短編小説十編。」となっています。

この『光悦』のみ光悦の工房の職人から見た光悦像の一人語りとなっているらしく、構成としては新鮮でした。(※末尾に『世界大百科事典』より引用)


『ある小官僚の抹殺』(1958年)。贈賄事件の渦中にいた官僚がなぞの自殺を図るミステリー。

『装飾評伝』(1958年)。略。

『陸行水行』(1964年)。邪馬台国伝説を扱ったもの。ある地方の篤志家で歴史の研究者と偶然出会った無銘の大学研究者からの視点。

『革命を売る男』(1960年)。日本の現代史の闇の部分にメスを入れた『日本の黒い霧』の中の一編。今日では忘れられた存在の日本共産党・伊藤律のスパイ問題を扱ったもの。2013年遺族らが文藝春秋社を相手取り出版取りやめを求める。(※末尾に『世界大百科事典』より引用)。

『石田検事の怪死』(1965年)。昭和史の再検討に挑んだ『昭和史発掘』の中の一編。実在の敏腕検事、石田基を扱ったもの。大正から昭和にかけて田中総裁の機密費問題、朴烈事件、松島遊郭問題を担当。



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■すぎたひさじょ -ひさぢよ 【杉田久女】
(1890~1946) 俳人。本名久子。鹿児島県生まれ。東京女子高等師範付属高女卒。「ホトトギス」同人。浪漫的な精神に支えられた,奔放で天才的な句風で,女流俳句の中でも異彩を放つ。句集「杉田久女句集」
。三省堂『大辞林』より。



■丹羽長秀  1535‐85(天文4‐天正13)
にわながひで

安土桃山時代の武将。織田信長に仕える。柴田勝家と並び称される勲功の臣で,浅井・朝倉との合戦に功績があり,近江佐和山を拝領して居城とした。長篠の戦には一翼の大将として軍功をあげ,翌1576年(天正4)惟住(これずみ)の称号を得た。本能寺の変後,羽柴(豊臣)秀吉とともに明智光秀を討ち,ついで柴田勝家,佐久間信盛と戦った。戦後,秀吉より越前・若狭両国と加賀半国を与えられ,越前北ノ庄の城に住した。 西田 真樹

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■本阿弥光悦  1558‐1637(永禄1‐寛永14)
ほんあみこうえつ

桃山・江戸かっこ時代初期を代表する書画,漆芸,陶芸に通じた芸術家。京都の人。号は太虚庵,自得斎,徳有斎など。京都で代々刀剣の鑑定・研磨を本業とする上層町衆で,法華信徒の本阿弥家の分家に生まれる。父光二は多賀宗春の次男で,本阿弥宗家7代光心の婿養子となる。母妙秀は光心の長女。彼の交際範囲は広く当代の知名人士と関係があり,物心ともに影響力をもった。加賀の前田家から200石の食知を父光二についでうけ,のち孫光甫の子光山が加賀本阿弥家の祖となる。1615年(元和1)徳川家康より洛北の鷹ヶ峰に敷地を与えられたので,一族や工匠とともに住み,法華信仰をもとにした生活で,いわゆる光悦村をつくった。
 光悦の漆芸は,斬新な意匠と器形を創出している。光悦蒔絵(まきえ)の特性をあげると,第一に意匠の題材の選び方が幅広く,その扱いが新鮮である。物語や和歌など日本の古典から広く取材し,しかもしゃれて新鮮な感覚がみられる。このことは,高い教養を身につけた文人がはじめてわかる象徴的な表現で,知的な楽しさを意匠としているのである。それら古典への憧憬とその深い知識を基にした装飾的展開は,書において平安朝の料紙と仮名散らし書きを新たに完成したことにも通じる。第二に加飾材料の用い方がすぐれている。蒔絵に貝,鉛,銀などの加飾材料を大胆に用い,また貝は朝鮮で用いているのをとりいれたりしている。技巧過剰におちいることなく,意匠とよく調和して洗練した作品を仕上げている。代表作は《舟橋蒔絵硯箱》(国宝,東京国立博物館)。なお,この漆芸の系統をひく代表的な作家として,元禄期(1688‐1704)の尾形光琳(1658‐1716)があげられ,光悦作品を模造した《住の江蒔絵硯箱》(重要文化財,静嘉堂文庫)があって,その傾向が知られる。絵画は宗達や宗達派の作品との区別がつかないので,確かな光悦の作品を知ることができない。なお,〈鷹峯光悦町古図〉にしるされている尾形宗伯宅は,光琳の祖父の家である。
                        郷家 忠臣
 光悦の作陶は,1615年鷹ヶ峰の地を拝領してからと考えられている。伝世する作品はおもに楽焼の茶碗で,光悦の手紙によれば,楽家の赤土,白土をとりよせ,あるいは楽家に釉を掛けさせて焼かせるなど,光悦の作陶は楽家2代常慶,3代道入親子の助力を得ておこなわれている。また太衛門という陶工にあてた手紙が現存しており,楽家以外の大窯(おおがま)にも作品を焼かせたようすがうかがわれる。光悦は茶の湯を織田有楽と古田織部に学んだといわれ,光悦の作陶もこの両者の影響を考えなければならない。光悦の茶碗は一体に定形がなく,素人らしい自由な造形性を示している。赤楽,黒楽,白楽があり,蒜釉を用いているものもある。代表作には〈不二山〉〈時雨〉〈雨雲〉〈喰違〉〈七里〉〈加賀〉〈毘沙門堂〉〈乙御前〉〈紙屋〉〈雪峰〉などがあげられるが,しいて分類をすれば腰を張らせた半筒形と,腰の丸い作品とに分けられる。                 赤沼 多佳
 書道ははじめ青蓮院尊朝流,近衛流などの影響をうけながら,上代様に直接学んで,ついに肥充の変化に富む纏綿(てんめん)華麗な独自の書風〈光悦様〉を創始し,近衛信尹(のぶただ),松花堂昭乗とともに寛永の三筆と呼ばれて名高い。金銀泥の下絵を施した料紙に調和した装飾美困れる作品があり,おもなものに,〈木版下絵和歌巻〉〈四季草花和歌巻〉〈立正安国論〉などがあげられる。また角倉了以と協力して刊行した豪華な〈嵯峨本〉と呼ばれる,謡本や伊勢物語などの古典の一連の版本が名高い。⇒琳派     木下 政雄

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■伊藤律  1913‐89(大正2‐平成1)
いとうりつ

昭和期の社会運動家。岐阜県で兼業零細小作農家に生まれる。1932年(昭和7)12月,第一高等学校退学処分,翌年3月日本共産党に入党。5月に共産青年同盟事務局長の地位にあって検挙。34年末保釈になって,35年4月に懲役2年執行猶予3年の判決を受けた。37年夏,長谷川浩と共産党再建活動を始め,39年8月からは満鉄東京支社調査室に勤務。同年11月の再検挙で転向,40年8月には保釈されて満鉄に復帰し,尾崎秀実に急接近したが,保釈のおりの不用意な供述が,のちにゾルゲ事件の発覚を招いた。41年9月の保釈取消しで満鉄を解雇。42年6月に再保釈となり,12月に懲役4年の判決(再審で翌年11月に刑確定)を受けた。敗戦直後の45年8月に釈放となり,12月,長谷川の勧誘で共産党に再入党,徳田球一の家父長的支配を支えて農民部長,《アカハタ》主筆代理などを歴任。コミンフォルム批判では主流派内の覇権争いに敗れ,中国へ亡命直後の51年10月幹部会員解任,西沢隆二に査問されてスパイ活動,党破壊活動のかどで53年9月に除名。80年の帰国まで中国で拘禁された。      岩村 登志夫

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[あの頃のレコード] Traffic "John Barleycorn must die"(1970)



イギリスのロック・バンドトラフィックの1970年の作品です。

イギリスのロック・グループ、トラフィックの主要メンバーであったスティーブ・ウインウッドに関しては、ソロになってヒットを飛ばした80年代のアダルト・コンテンポラリーという印象が強いです。

このレコードはジャケットが気に入って中古レコード店で購入しました。28期の高校時代はバンド名は知っていましたが、ちゃんと聴いたことはありませんでした。

スティーブ・ウィンウッドは基本的にソロの人なのか、所属していたグループは離合集散を繰り返し、このトラフィック名義のアルバムも、最初はウィンウッドがソロとして準備していたものに、他の2人のメンバー、クリス・ウッド(サックス、フルート、オルガン、パーカッション)とジム・キャバルディ(ドラムス、パーカッション、ヴォーカル)が加わったようです。

後年シンセサイザーを駆使して華麗な音楽を展開したウィンウッドですが、本作では他のミュージシャンも加わらず、3人のメンバーだけのシンプルなロックとなっています。70年代のロックには一つの潮流として成熟したロックのルーツ探しが盛んでしたが、自国にロックのルーツであるブルースを持っていたアメリカのミュージシャンと違い、イギリスのウインウッドはジャズやフォークという周辺音楽との融合を試みた感があります。

この時代のロック・バンドは大きなアリーナを埋め尽くすツアーが主流でしたが、トラフィックのこの作品は、小規模な室内でライブで聴くと風情があるかも知れません。キャッチ―なメロディもありませんが、洗練されたマイナー・ポエットとしてのロックで、これはこれで良いと思います。全ロック・グループがローリング・ストーンズである必要はありませんね。

アルバム・タイトルとなった"John Barleycorn must die"はイングランドの古い民謡だそうです。"barleycorn"(バーリーコーン)は「大麦の1粒」の意。アングロ・サクソン時代の1単位でもあるそうです。擬人化されたJohn Barleycornが死んでパンと酒になる大意でアングロ・サクソンの多神教をキリスト教に改宗する際に利用された歴史があります。『ヨハネ伝』の第12章24節「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」の原形でしょうね。

トラフィック死して、ウィンウッドとして実を結ぶべし。

本レコードの製作時にスティーブ・ウィンウッドは弱冠22歳というのも驚き。渋い完成度です。


Traffic "John Barleycorn must die"(1970)

Side A
1. Glad
2. Freedom Rider
3. Empty Pages

Side B
1. Stranger To Himself
2. John Barleycorn
3. Every Mothers Son

[積読立読斜読] 新潮日本文学 『松本清張集』 (3) 『西郷札』 『或る「小倉日記」伝』



新潮日本文学『松本清張集』は1971(昭和56)年の刊行。価格がついてないので市販の全集を図書館向け等に製本簡略化したものと想像されます。

ネットの古書店で一括購入し、今年にはいってからの引っ越しで処分対象でしたが、家族で「孫のT君が読むかも」という意見で蔵書が決まったものです。

孫のT君が実際に読むまでは10年ぐらいはかかりそうなので、この際、順番に読んでみようとおもった次第です。

本冊は長編2編『点と線』『ゼロの焦点』、短編『西郷札』を含め13編の構成です。

松本清張の真骨頂は短編にあるのではないか。『西郷札』『或る「小倉日記」伝』2つの短編を再読して思いました。


『西郷札(さいごうさつ)』

初出は1951年。第25回直木賞候補。

<あらすじ>
語り手の勤める新聞社の企画展の出品で宮崎支局から軍票・西郷札とその「覚書」が送られてきたという前提。

日向国士族樋村雄吾は、西南戦争参戦後生き残り、東京で俥(くるま)曳となった。偶然出合った行方知れずの継母の連れ子、季乃は美しく成人し新政府高官・塚村圭太郎の妻となっていた。
義理の兄妹を超えた愛情に嫉妬した塚村は、雄吾の知人の西郷札政府買い上げ陳情を利用して、雄吾を陥れる。

<感想のようなもの>
語り手が西郷札にまつわる悲劇が記された覚書を入手したという発端から、その覚書が最後の数頁破棄されていたという結末までの構成はさすがで、西南戦争・新政府の歴史的記述、義理の兄妹の慕情、軍票買い上げで一攫千金を狙う亡者の妄想、幾重にも織りなされ、これ一作品残したとしてもエンタテイメント史上に残ったと思われます。


『或る「小倉日記」伝』

初出は1952年、第28回芥川賞受賞。ほぼ同時期に発表した『西郷札』が直木賞候補、本作が芥川賞受賞ということで、松本清張の作風の幅に驚かされます。

<あらすじ>
身体的障害をもつ森鴎外の地方研究家とその母の物語。鴎外の小倉滞在中の日記が紛失していることを知り、関係者への聞き書きからその空白を埋めることを生涯のテーマとする。

身体的障害を越えて生きる糧となった鴎外研究者・耕作の人生は悲壮であり、研究は世に出ることなく、鴎外の小倉日記そのものも発見され、耕作の努力は無になる。

<感想のようなもの>
平野謙の解説に「あたら能才をいだきながら、轗軻不遇(かんかふぐう)のうちに敗れざる人々の運命に、あつい作家的共感を示した」とあります。轗軻不遇(かんかふぐう)は昨今見慣れない四字熟語です。世に受け入れられずふさわしい地位や境遇に恵まれないさま。「轗軻」は道が平坦へいたんでないさま、の意。松本清張の短編では領域こそ違いますが、同工異曲の作品が多く、作者自身の投影なのでしょう。

この短編は最後の数行が印象的です。

昭和二十六年二月、東京で鷗外の「小倉日記」が発見されたのは周知のとおりである。鷗外の子息が、疎開先から持ち帰った反故ばかりはいった箪笥を整理していると、この日記が出てきたのだ。
田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福かわからない。


[惹句どんどん] 松本清張


画像は文藝春秋よりお借りしました




汚職事件には直接の被害者がない。


金品を贈った方も、もらった方も利益の享受者である。

公式めく言い方をすれば、被害者は国家であり、国民大衆である。

しかし、これは茫漠として個人的には被害感を与えない。


『ある小官僚の抹殺』より

<日々是不穏 like a rolling stone>  18歳以上に選挙権


画像は、シェパード・フェアリーが作ったオバマ大統領候補(当時)のポスター


公職選挙法が改正され70年ぶりに選挙権の年齢が18歳以上に引き下げられました。

メディアの冷めた論調は意外です。周辺も見回しても熱気を持って迎えられた感じは一切ありません。

もともとが憲法改正を視野に入れた国民投票法改正の副次的産物として改正されたらしく、国民が望んで勝ち取ったものでもないようなので当然ではあります。

2016年に予定されている参議院選挙からの運用となりますが、新しく選挙人になる人向けの偏向のない「主権者教育」が急務とされています。総務省等が高校生向けに副読本の導入等が検討されているようです。

選挙権という権利を与えられたことに対する義務、一般的には成人(20歳)の義務は今のところ負ってはいません。将来的に権利・義務が対になった時に、選挙に関心のない人たちが義務の重荷を受け止めず、安易な方向に流れる恐れがあります。

中世的な集団主義から抜け出し自由を獲得したはずの市民が、自由をもてあましナチズムに傾倒していったという、フロムの『自由からの逃走』を持ち出すまでもなく、「選挙権」に伴う義務に耐えられる「主権者」となるべきでしょう。

自戒の念も込めて。

2015年6月18日木曜日

[新聞記事] 東京都現代美術館 「山口小夜子 未来を着る」 展



「あの頃のレコード」で紹介したスティーリーダンのレコード『Aja』のアルバム・ジャケットになった
70年代のイコン、山口小夜子。

http://28minami-owaki.blogspot.jp/2015/05/aja-steely-dan-1977.html
2015年5月23日土曜日 [あの頃のレコード] "Aja" Steely Dan (1977)

現在東京都現代美術館で「山口小夜子 未来を着る人」展が開催中です。

2015年6月17日(水)付けの中国新聞に「アート逍遥」として水無田気流さんの論評が掲載されましたので紹介します。

論評では「おかっぱの黒髪、白い肌、切れ長の目、そして赤い唇」の山口小夜子が「アジア人の美という焦点が非西欧というくくりを超え、単なる異国趣味をも乗り越え、悠然と示されている」とし、単なるファッション・モデルから脱皮し、パフォーマーとして時代のイコンとなった功績が紹介されています。

(遠方なので行けませんが。広島市現代美術館でも開催してほしいです)。


2015年6月15日月曜日

[積読立読斜読] 新潮日本文学 『松本清張集』(2) 『ゼロの焦点』



続けて『ゼロの焦点』も読了。本冊は長編が『点と線』、『ゼロの焦点』。あとは短編です。




<あらすじ>
夫には、妻も知らない、もう一つの名があった──。戦争の傷がまだ塞がっていない頃の物語。清張ミステリーの最高傑作!

前任地での仕事の引継ぎに行って来るといったまま新婚一週間で失踪した夫、鵜原憲一のゆくえを求めて北陸の灰色の空の下を尋ね歩く禎子。ようやく手がかりを掴んだ時、“自殺”として処理されていた夫の姓は曾根であった! 夫の陰の生活がわかるにつれ関係者がつぎつぎに殺されてゆく。戦争直後の混乱が尾を引いて生じた悲劇を描いて、名作『点と線』と並び称される著者の代表作。

新潮社のサイトより
http://www.shinchosha.co.jp/book/110916/

<感想のようなもの>
雑誌『太陽』に連載され(1958年1月号 - 2月号)同誌休刊後、『零の焦点』のタイトルで『宝石』に連載(1958年3月号 - 1960年1月号)されたものです。
単行本は1959年12月に光文社(カッパ・ノベルス)から刊行。

1958年当時は上野・金沢間が約10時間。現在は新幹線で東京・金沢間が2時間28分となっています。当時は携帯もなく電話も各戸にはなくて長距離電話は申込制。
当時の読者はこの距離感が旅情を誘い、現代の読者は歴史の経過がノスタルジーを誘うのでしょうか。
『点と線』比べると探偵役が素人の女性で謎解きがうまく行きすぎるのと、あまりにも無辜の人が死にすぎるのが苦手でした。松本清張のタイトルは一体に意味不明ではありますが魅力的で、この『ゼロの焦点』もその例です。
「華やかな現在の地位は幻だ」ぐらいの意味でいいのだろうか。

[積読立読斜読] 新潮日本文学『松本清張集』(1) 『点と線』



新潮日本文学を読む。シリーズ。

定期的に読書をしないとなんだか脳の機能が退化しそうで、かといって近所の書店は(かつて4店ありました)なくなってしまって、定期的に新刊書をチェックする習慣がなくなってしまいました。

このようなあまり主体的でない読書人には、岩波文庫とか全集とか、すでに選んであるセレクションが有効かもしれません。

集英社の雑誌『kotoba』(2015年夏号)は、その「全集」の特集。

「もっとも贅沢な読書」の副題がついてました。本文を確認してませんが、時流に流されず、功利的でないという点で「贅沢」なのかも。

前置きが長くなりましたが、かなり昔に入手して、今回の引っ越しでも処分を免れた「新潮日本文学」という全集が当方の書棚にあり、読まないのももったいないという理由で、定期的に読書をはじめてみます。

まったく今日的な意味はありませんし、世のためにもなりませんので、個人のメモ程度です。お慰みまで。


新潮日本文学『松本清張集』(1)『点と線』

<あらすじ>
九州博多付近の海岸で発生した、一見完璧に近い動機づけを持つ心中事件、その裏にひそむ恐るべき奸計! 汚職事件にからんだ複雑な背景と、殺害時刻に容疑者は北海道にいたという鉄壁のアリバイの前に立ちすくむ捜査陣……。列車時刻表を駆使したリアリスティックな状況設定で推理小説界に“社会派”の新風を吹きこみ、空前の推理小説ブームを呼んだ秀作。

http://www.shinchosha.co.jp/book/110918/
新潮文庫のサイトより


<感想のようなもの>
『点と線』は雑誌『旅』1957年2月号から1958年1月号に連載、1958年2月に光文社から単行本が刊行。汚職事件と殺人事件、時刻表を使ったトリック、旅情を誘う場面設定、最初に犯人らしき人物が浮上する倒錯物、東京駅での「空白の4分間」などなど、日本の推理小説を代表する作品です。

何回目かの読書ですが、今回印象に残ったのは、犯人とされる政商、安田辰郎(機械工具商・安田商会の経営者)の妻、安田亮子(肺結核を患い鎌倉・極楽寺近辺で療養中)です。病床に暇つぶしから時刻表の愛読者であることが作中で明らかにされてます。公認の2号も気に障る存在で、いっそのことこの安田亮子が影の犯人としても成立するかも知れませんね。

新幹線が開通していない昭和32年の作品。記述はさすがに古色蒼然たるところがあります。推理小説としては若干の瑕疵があるようですが、第一級のエンタテイメントとしてこれからも読み継がれることと思います。



2015年6月13日土曜日

<日々是不穏 like a rolling stone> グラフィック・ファシリテーション



イメージは"Image Think"社のサイトからお借りしました。



長い書類は読みたくない。抽象的な議論は飽きました。


というわけで、先日読んだアメリカのポートランド市街開発を扱った本『Green Neighborfood』で紹介されていた、ポーランド市開発局。そのオフィスに掲示してあったイラストについて。

朝日新聞のアメリカ特派員、宮地ゆうさんが「イラスト会議録」という生地で紹介していたものと思われます。

"Graphic Facilitation"というらしいですが、会議の議事録などをイラストを交え1枚の大きな絵にする仕事です。従来からある曼荼羅図、マインドマップ、などの手法をより洗練させたような感じですね。

先進国アメリカではBrondy Agerbeckさんという専門家や、

http://www.loosetooth.com/

記事でも紹介されていた"Image Think"という会社もあるそうです。

http://www.imagethink.net/


日本でもこの手法を学んだ「コミュニケーションプロセスデザイナー」を名乗る井口奈保さんという方がいらっしゃいます。

http://www.opencu.com/2012/07/iguchinaho/

日本語の漢字はそれ自体が意味があるので、英語の"Graphic Facilitation"よりもイメージ化がより簡単にできそうな気もします。

自分自身も含めて身の周りの諸問題、一挙にイラスト化して共有し、問題をクリアにしたいです。



下記はデジタル朝日から引用しました。
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特集・フロンティア2.0


(フロンティア2.0)一目瞭然、「イラスト会議録」

宮地ゆう(2015年4月21日)
     
 「グラフィック・ファシリテーター」という耳慣れない名前の仕事が、IT業界などを中心に米国の様々な場で広がりつつある。会議や講演などの要点を即興で絵にし、記録してまとめる仕事で、学会や教育の場などでも使われるようになってきた。文字ではなく、手書きの絵で視覚的に記録することで、理解を深める。たくさんの意見を絵で対等に扱うことで、会議のあり方も変わるという。できあがった絵が、おしゃれなポスターのような質の高さを持っていることも、人気を呼ぶ理由の一つのようだ。

■多様な意見も1枚の絵に

 3月、テキサス州オースティンで開かれた音楽、映画、ITベンチャー企業などが参加するイベント「サウス・バイ・サウスウェスト(S×SW)」の講演会場で、初めてグラフィック・ファシリテーターの仕事ぶりを見た。

 ステージの脇に、横長の大きな白いボードがキャンバスのように置かれている。講演が始まると、ノーラ・ハーティングさん(36)が現れ、絵を描き始めた。観客席からは背中だけしか見えないが、手には数色のマーカーを持っている。左上から描き始め、講演が進むにつれて絵は右方向へと広がっていく。

 ハーティングさんはずっと描き続けているわけではない。しばらく話にじっと耳を傾けては考え、話がどういう方向に向かうのか、どう絵にするのかを見極めている。イラストの間には重要な数字や短い文字の説明も所々に入る。話がやや脱線したり、停滞したりすると、その間に色や線を加えたりして、絵を見やすくきれいに整えていく。

 この日の講師は、政府の大規模な監視システムを内部告発した米国家安全保障局(NSA)の元職員ビル・ビニーさんだった。NSAの元職員エドワード・スノーデン氏が大量の内部文書を暴露したことで明らかになったNSAの電話やインターネットのデータ収集。ビニーさんは32年間NSAに勤め、後年はNSAの監視システムに疑問を抱き、スノーデン氏より前に内部告発をして退職した人物だ。彼がその日々を語った時には、机にひじをついて悩む人の絵と「32年」の文字。「NSAが監視システムを辞めないのは、続けることで予算も入ってくるからだ」という指摘には、議会の建物に紙幣が次々と飛んでくる絵。「NSAのデータ収集は大量すぎて実際にはターゲットを絞れない」という話は「システム」を表す歯車から、大量のデータを示す雨粒が大量にあふれ、下で傘をさしている人の上に落ちていくという絵で表現した。

 描く人は事前に講演内容は知らされていない。メモを取ることもなく、耳から入ってくる内容を頼りに絵にしていく。絵を描いている間にも話は進んでいくので、記憶に留めながら描かなければならない。約1時間後、講演が終わるころには、ボードがきれいに埋められ、色も付けられていた。たくさんの人がボードの周りに集まってきて、写真を撮り始めた。「こんなことができるなんて信じられない」という人や「この絵自体がポスターのようでかわいい」という声も聞いた。


[ご案内] 納涼会 7月25日(土)18:30~ 袋町45(キャラント・サンク)

[ご案内] 納涼会 7月25日(土)18:30~ 袋町45(キャラント・サンク)

リクエストに応え納涼会、開催します。

今回はこの日のために出張を組み込んだ8Hの田中誠司君が出席確定。

料理はフレンチ風ビストロ。もと太田荘跡のワイン・レストランです。

万障お繰り合わせの上ご参加ください。


<日時>
2015年7月25日(土曜日)18:30より


<お店>
45(キャラント・サンク)

広島県広島市中区袋町1-18
082-545-1225
050-5868-5183 (予約専用電話)


<予算>
飲み放題 5、500円

□コース(10品)
・一口前菜2種盛
・本日のカルパッチョ
・エビとジャガイモのアヒージョ
・ニース風サラダ
・フランス産全粒粉バゲット
・鯛のホタテのポワレ 白ワインソース
・もみじ豚のロースト シャルキュトリー風
・アンチョビポテト
・厚切りベーコンと茄子とバジルのトマトパスタ
・ベリーのココナッツプリン


<予約人数>
10名で予約しました。


<参加申し込み>
メールでも電話でも狼煙でも。


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広島皆実高校28期事務局
専用メール:28minami@gmail.com
 
大脇健一 (おおわき けんいち)
携帯:080-2890-5793  携帯メール:kanri_92@docomo.ne.jp
自宅(phone & fax):082-241-4055
〒730-0052 広島市中区千田町2-7-8
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[積読立読斜読] 『一生モノの英文法』 第5回 従位接続詞(1)



従位接続詞のうちthat, whether, if を扱います。

『一生モノの英文法』ではp.112からp.120まで。

P.112
第2章 従位接続詞

従位接続詞の機能

(1)文(節)を要素にする(従位接続詞が文(節)の前に置かれる)
(2)この要素がほかの文の中ではたらく(どの要素になるかは置かれる従位接続詞で決まる)
(3)文(節)と文(節)が結ばれる


従位接続詞の分類(横軸)

A 名詞節となり主語・補語・目的語・前置詞の目的語となる
B 形容詞節となり名詞を修飾する
C 副詞節となり動詞を修飾する
D 副詞節となり形容詞を修飾する


『表現のための実践ロイヤル英文法』の説明で補足します。こちらでは形容詞節は関係詞として別に項目があります。

p.224
「~だから…」「~したときに…」「もし~したら…」のように、…の部分(主節)に~の部分(従位節)を結びつけるのが従位接続詞である。
名詞節と副詞節がある(形容詞節には関係詞を用いる)。


『一生モノの英文法』の真骨頂は、p.116にある従位接続詞の一覧表です。他の文法書にはない分類かと思われます。

横軸に「従位接続詞が形成する節全体の要素」(上記のAからD)、縦軸に「従位接続詞自体の要素」を置いて一覧表にしてます。




文法への理解が深まるかどうかは別としても著者が言うように「美しく整理できます」(p.133)は本当です。


従位接続詞の分類(縦軸)

0 θ(従位接続詞は要素にならない)
1 主語・補語・目的語・前置詞の目的語
2 名詞修飾語
3 動詞修飾語
4 形容詞・副詞修飾語
5 その他


p.116
名詞節を形成する従位接続詞(that, whether, if)

A-0 
A 名詞節となり主語・補語・目的語・前置詞の目的語となる
0 θ(従位接続詞は要素にならない)

例文は『表現のための実践ロイヤル英文法』から(p.232~p.236)

that:「~が…する[である]ということ」という意味の名詞節を導く

<that節が主語の場合>

That he is Japanese doesn't matter.
(=It doesn't matter that he is Japanese.)

※形式主語itを置くのが普通。

It was evident that the old system didn't work anymore.
(古いシステムではうまくいかなくなったことは明らかだった)


<that節が補語の場合>

I don't plan to add a chat room to the site. The only reason is that I don't have time to monitor one.
(このサイトにチャットルームをつけ加えるつもりはありません。唯一の理由は、それをチェックする暇がないからということです)


<that節が目的語の場合>

I think (that) this limitation is too restrictive.
(私はこの制限は厳しすぎると思う)

※思考・認識・伝達・要求を表す動詞の多くはthat節を目的語にとる

I think it great that she's making such an effort to help out other people
(私は、彼女が他人を助けるのにあんんあに努力しているのはすばらしいと思う)

※<S+V+О+C>のОがthat節になるのでitを形式目的語として置いたもの


<that節が前置詞の目的語になる場合>(原則として前置詞の目的語にはならない)

※例外は次の2例

<except that~>「~ということを除けば」

I don't know anything about her except that she's from Wales.
(ウェールズ出身だということを除けば、私は彼女のことなど何も知らない)

<in that~>「~という点で(は)」

This new timetable is better in that it gives more detailed information, but it is a little hard to read.
(この新しい時刻表は、より詳しい情報を表しているという点では、前のものよりよいですが、ちょっと読みにくいです)


whetherとif
「~かどうか」という意味はwhetherかifで表す(ifは他動詞の目的語となる節にしか使えない)


<whetherとif節が他動詞の目的語の場合>

I asked him whether[if] he could give me a satisfactory reply to my letter.
(私は彼に、私の手紙に納得のいくような返事をよこせるかどうか聞いた)


<whetherが主語となる場合>

Whether the two incidents are related is unknown.
(2つの出来事が関係あるのかどうかはわからない)


<whetherが補語になる場合>

A good test of sincerity is whether we are willing to listen to others.
(相手の言うことを聞こうとするかどうかで誠実さがよくわかる)


<whetherが前置詞の目的語となる場合>

A reporter's success depends on whether he or she works well under pressure.
(報道記者としての成功は、時間にせかされてよい仕事をするかどうかにかかっている)



[惹句どんどん] 橋本武(もと灘高校の国語教師)



http://www.utsumi-news.com/archives/date/2012/06
写真は「新・内海新聞」というサイトからお借りしました。


「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」


ジャーナリストの池上彰さんの言葉として紹介しましたが、オリジナルはもと灘高校の国語の先生、故・橋本武さんでした。

http://28minami-owaki.blogspot.jp/2014/05/blog-post_4.html
2014年5月4日日曜日 [惹句どんどん] 池上彰


昨日の天声人語より。

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(天声人語)文系学部見直しへの疑問(2015年6月12日)デジタル朝日

 遊ぶと学ぶは同じこと。といえば、はてと首をひねる方もいるだろう。「伝説の国語教師」と呼ばれ、一昨年に101歳で亡くなった橋本武さんの言葉である。「遊び感覚で学ぶ」ことの大切さを説いた

▼神戸の灘中学・高校で長く教壇に立った。教科書を用いず、中勘助(なかかんすけ)の小説『銀の匙(さじ)』一冊を中学の3年間かけて精読する授業で知られた。ガリ版刷りの自作の教材を配る。作品に桃の節句が出てくれば、端午の節句や七夕にも説き及ぶ。大きく「横道にそれる」教え方だった

▼本文に登場する駄菓子の食べ比べをしたり、凧(たこ)を作って揚げたりの授業。自分の興味を自分で引き出し、自分でどんどん掘り下げる。自分で調べて見つけたことは「一生の財産」、という信念を貫いた。お仕着せの詰め込み教育の対極だ

▼そんな悠然たる学びなど無用ということだろうか。文科省が8日、全国の国立大学に通知を出した。人文社会科学系や教員養成系の学部や大学院を見直して、廃止や、より需要の多い分野への転換を考えよ、と

▼理工系に力を入れ、技術革新を生み出し、成長につなげる。職業教育を強化し、実社会に即戦力を送り出す。手っ取り早く、目に見える成果を出せということか。しかし、人文系の知を軽んじていいということにはなるまい

▼文理融合が必要な研究課題は数多い。生命倫理や環境倫理は好例だ。効率のみの追求は学問全体を衰弱させないか。橋本さんに至言がある。「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」

2015年6月12日金曜日

[惹句どんどん] 早坂暁(脚本家)

http://www.asahi.com/kansai/mini-rensai/OSK200903250027.html
画像はデジタル朝日からお借りしました。




ぼくらは子どものころ、「無財の七施(しちせ)」というのを教わりました。 
財なくても七つの施しはできるというのです。

「席を譲る、人の荷物を持ってあげる、笑顔を見せる、道を教える、泊めてあげる、楽しい唄を聞かせる、『あんたが好きだよ』という」、つまり愛情です。

遍路道の人は、それを千年実行している。その底には、「お遍路さんは自分の身代わりだ」という思いがあるんです。


『すごい人のすごい話』(荒俣宏著、イースト・プレス、2013年)より



2015年6月10日水曜日

[その他] VAN製トートバック付録つき 『IVY Now & Then』発売中。。。



スミマセン。雑誌好きなもので。

正確には「mook」分類ですが、宝島社からVAN製トートバックが付録についた『IVY Now & Then』が発売中。

付録は納得ですが本文はスカスカでした。本体1690円。

巻頭対談が石津謙介さんとくろすとしゆきさん。アメリカ西海岸の取材など。

思えばヴァン・ジャケットはお金が比較的自由になった大学時代にはすでに倒産していてイメージが悪く、かといってアイビーから転換するのは面倒で、ということで、いまでもアイビー調のファッションで芸がないですが。

[その他] 10日と25日はお菓子の日 島々(しましま)





月に2回スイーツを解禁してダイエットするという「10日と25日のダイエット」。

それ以外にもジャンク・フードを食べてしまうので、ほとんど効果なく、単なるタベログになっていまていますが。。。

本日は広島和菓子界のニューウエーブ、新天地にある「島々」。和食屋さんの1階にあります。

和生菓子のみの品ぞろえでケースには1種1品しか陳列がなく、注文すると保存ケースから出してもらえます。

練り物は上品な味でしたが蒸し物がちょっと乾燥気味でした。残念。

値付けがちょっと間違っているのではという高価格帯で、17時~21時までの飲み屋街営業時間に合わせた価格なのかも知れません。

店構えが独特なので、なんとか続けてほしいです。


<店舗データ>
島々(しましま)
広島市中区新天地1-17

<商品>
いずれも生菓子

夕日 270円
檸檬 432円
紫陽花 432円

合計 2268円


<体重>…ちょっと痩せてきてます。。。

6月10日 81.5kg

5月24日 82.9kg

5月10日 83.0Kg

4月25日 83.2Kg


※6月24日に健康診断があるので、それまでに80kgを切りたいです。

[その他] 書道の村上先生 インタビュー記事



28期が高校時代に書道を教えていただいた村上先生。

中国新聞文化センターで「かな書道」の講師をされており、インタビュー記事が掲載されてました。

御年83歳になられますがお若いお姿です。

2015年6月10日、中国新聞より。


[その他] 皆実28期のYさん新聞投稿



無断転載恐縮です。

中国新聞2015年6月10日付け「広場」。


娘さんが切迫流産で予定日より2ヵ月早い出産。

母子ともにご健康でなによりです。

核家族化により、家族での出産のケアに限界があるとのご意見です。

そうですね、9カ月になる当方の初孫も両家の両親、当方の実母まで時に手伝ってますので

「安心して出産、育児できる環境づくりが、少子化を防ぐ一歩だと思う」という意見には賛同します。



2015年6月9日火曜日

[積読立読斜読] 『Green Neighborhood』(吹田良平著、繊研新聞社刊、2010年)




画像はポートランド市開発局のビジョン・ビジブル・アート
「実践!街創りゼミ」のサイトからお借りしました


副題が「米国ポートランドにみる環境先進都市のつくりかたとつかいかた How to create and live in the sustainable city as Portland」

著者の吹田良平さんは1963年生まれ。商業コンサルタント会社の浜野安宏総合研究所出身で現在は㈱アーキネティクス代表。施設開発・都市開発構想が専門だそうです。

ポートランドについては過去に雑誌特集記事を紹介しました。

http://28minami-owaki.blogspot.jp/2014/06/blog-post_13.html
2014年6月13日金曜日 [その他] 雑誌『ポパイ』(2014年7月号)がアメリカのポートランド特集

http://28minami-owaki.blogspot.jp/2014/10/blog-post_10.html
2014年10月10日金曜日 [その他] 『ソトコト』がポートランドとブルックリンのサスティナブルなライフスタイルを特集


本書は旧刊ですがかなり早い時点で環境先進都市ポートランドを紹介したものです。娘婿の書棚から借りて読みました。


著者が偶然滞在したポートランドが魅力的で、その魅力の源泉がどこから来るのかをまとめたものが本書です。業界の視察記録やスポンサー付きの記事ではなく、あくまで著者の好奇心から編集されており、相当数の取材もこなされたようで、今後の都市再生、環境問題への取り組み等、地域の問題のみならず、個人のライフスタイルの再構築の参考にもなる良書と思います。

当方も本書に偶然出会いましたが、その魅力が伝えられるかどうか。それほど取材の奥が深いように思いました。

ポートランドの魅力は煎じつめれば「身の丈主義ともいえる独特のライフスタイルと自立しながら連携する風通しの良いコミュニティ感覚」だそうです。

著者が感じたポートランドの魅力は本書の2ページに詳細がまとめられています。


●マーケティングの暴走があまり見受けられないこと。
過度のマーケティング社会は人間を依存体質にするが、ここでは市場原理主義に染まらない、消費よりも創造することの方が重視されている。

●身の丈に合ったモノ、店、消費、暮らしを選択していること。
つまり自分の等身大に意識的であり、加えて、その先にある自然環境に対しても意識的であるということ。

●新規の開発や新製品、つまりモノ(things)の消費・取得に対する喜びよりも、生活をいかに楽しむかというコト(event)により強い関心があるということ。
イニシャル(開発)よりもランニング(運営)主体の生活観。それが成熟ということか。

●良心的でバランスの取れた大衆向けの論調よりも、刺激のある革新的な姿勢を歓迎するということ。
人々の服装から仕事に対する態度、人気の店の雰囲気などまでに、自由な気風や寛容性、自立の意識が尊重されている。

●さほど情報に振り回されずに自覚的な暮らしをしているせいか、物事の本質に迫る創造的思考能力が高いこと。
そしてその充実のためには、アイディアが集まり柔軟にキャッチボールできる、都市という触媒が好都合だということ。


著者の目的は「私の身体的な主観を普遍化し言語知として可視化すること」であり、結果として「経済の縮小・質の充実が求められる環境共生時代の新しい都市生活像が浮かび上がってくる」可能性があるということです。

箇条書きの詳細を3つの章立てにしてます。

第1章 アーバンネイバーフッド(主にパールディストリクトの再開発の紹介)

第2章 クリエイティブシンカーの住むところ(官民問わずキーパーソンの紹介)

第3章 エコエピキュリアン(全国チェーンでないフードの紹介)

仮説から検証に至る論考は、さすがにマーケティングで一時代を築いた浜野安宏総合研究所出身だけあります。

本書で一番印象に残っているのポートランド市開発局の仕事です。お堅いお役所仕事でないのは、マニュフィストが視覚化され、職員が全員通る通路に掲げられている点です。そのビジュアライゼーションのカッコいいこと。仕事振りも自然に想像されますね。

個人的にもポートランドの都市運営に興味がありますが、現在当方の住んでいる広島市と人口の構成がよく似ている点に注目してます。ポートランドは市の人口が約56万人で周辺都市を含めた都市圏人口が約214万人だそうで、ほぼ広島市と同じです。

どうも広島市・広島県の地域運営はいまだに「ハコモノ」頼りで、せっかくの広島自体が持っている魅力を引き出していないように前から思ってます。

ポートランドの事例は大いに参考にすべきだと思いますね。


下記は当方のメモなので気になさらずに。

パウエルブックス
エースホテル
ジーン・ボリューム・ナチュラル・キャピタル・センター
zine
W+K
ziba design




2015年6月7日日曜日

[惹句どんどん] 浜野安宏(ライフスタイル・プロデューサー)




創造的思考に長けた人とは。

でばがめ(好奇心)、やじうま(探究心)、おっちょこちょい(行動力)が根源的三要素。


P91

クリエイティブシンカーとは、創造的思考に長けた人を意味する。では創造的思考とは一体何か。
かつて浜野安宏氏は自らを指して、でばがめ(好奇心)、やじうま(探究心)、おっちょこちょい(行動力)が根源的三要素と言った。それなら分かる。

『Green Neighborhood 米国ポートランドにみる環境先進都市のつくりかたとつかいかた』
(吹田良平著、繊研新聞社、2010年)より孫引き。



[新聞記事] "Room to roam? 'Free-range parenting' proves contentious"



"Room to roam? 'Free-range parenting' proves contentious"
「さまよう余地はある? 議論沸騰の『放し飼い育児』」

2015年6月7日付け朝日新聞別冊Globeの連載「見出しを読み解く」は子育ての話題。
アメリカでは過保護と放任の両端で子育てが揺れ動いているようで、現在では「放任主義」の子育てが注目されているそうです。

見出しの"free-range parenting"が「放し飼い育児」と訳されてて、これが「放任主義教育」のことです。

rangeが他動詞で「~を(順序正しく)並べる」。

roam:(あてもなく)歩きまわる

contentious:議論のある、異論のある

prove:証明する、(結果として)…となる

今回は見出しが結構凝っていて、room to roamがまずゴロ合わせよく、prove contentiousで「議論沸騰」と訳されてます。


[積読立読斜読] 『一生モノの英文法』 第4回 等位接続詞




『一生モノの英文法』の第4回は、等位接続詞です。

この読書ノートと本書の章は違いがあります。

第1部第3章 感嘆文、第4章 命令文、第5章 肯定文と否定文、は省略。

第2部は接続詞で、等位接続詞、従位接続詞を学びます。


『一生モノの英文法』では等位接続詞をあっさり流しているので『表現のための実践ロイヤル英文法』からノートします。

また『一生モノ。。。』では「接続副詞」の説明がありませんので補足します。(従位接続詞は文の要素にならないという説明を取ってます)。

等位接続詞には、and, but, or, for, などがある。

for以外の等位接続詞は、節と節を結びつけるのに加えて、語と語、句と句、も結びつける。



下記からは『表現のための実践ロイヤル英文法』からの引用です。


<連結を示す等位接続詞> and

You should eat less and exercise more.
(食べる量を減らし運動量を増やすべきです)

She started up the machine, and it began to move.
(彼女がその機械を始動させると、機械は動き出した)

Scratch my back and I7ll scratch yours.(ことわざ)
(僕の背中をかいてくれれば、君の背中をかいてあげる=魚心あれば水心)

One more click, and you'll get the details.
(=If you click one more time, you'll get the details.)
(もう一度クリックすれば詳細が表示されます)

This very old cup and saucer was made in England by Stanley & Co.
(この非常に古い受け皿つきの茶碗はイングランドのスタンレー社製です)

※AとBが合体して1つのもの・概念を表す(単数動詞で受ける)

The noise grew louder and louder.
(その音はだんだん大きくなってきた)

Every inch of thesmall shop was filled with bottles and bottles and bottles of wine.
(その小さな店の隅から隅までワインのビンまたビンでぎっしりだった)

Come and see me soon. I miss you.
(=Come to see me soon. I miss you.)
(じきに遊びにきてね。あなたがいないと寂しいの)

※くだけた言い方でto不定詞の代わりにandを用いる。

This jacket is nice and warm.
(このジャケットはとても暖かい)

※くだけた言い方で「とても~」と言う場合に<nice [good] and ~>と言う場合がある。


<連結を示す等位接続詞> nor

He dosen't like nor trust anyone.
(He neither likes nor trusts anyone.)
(He doesn't like or trust anyone.)
(彼は誰も好きにならないし信用もしない)

※例文の場合neither-norを用いるのが普通。前にnotがある場合はorにしてもよい。

I haven't propposed to her yet, nor will I until I've met her father.
(私はまだ彼女に結婚を申し込んでいないし、彼女の父親に会うまでは申し込むつもりもない)

※norの次の節は倒置。


<連結を示す等位接続詞> both A and B

Salmon can live in both fresh and salt water.
(サケは淡水でも海水でも生きられる)


<連結を示す等位接続詞> not only A but(also) B

Not only soldiers but also civilians are now treated as enemies by the rerrorists.
(兵士たちだけでなく、一般市民までもが今やテロリストによって敵として扱われている)


<連結を示す等位接続詞> neither A nor B

Neither praise nor blame moves the wise man.
(賞賛も非難も賢人を動揺させることはない)


<反意・対立を示す等位接続詞> but

Gone with the Wind is a great movie. But it is a little long.
(『風と共に去りぬ』はすばらしい映画だ。でもちょっと長いね)

I'm sorry, but I can't come to the luncheon tomorrow.
(申し訳ありませんが、明日の昼食会には出られません)

The most important thing in life is no the trumph but the struggle.
(人生で最も大切なことは、勝利ではなく、それを求める苦闘である)

It is true that love is blind, but marriage is definitely an eye-opener.
(なるほど恋は盲目だが、結婚は明らかに目を覚まさせてくれるものだ)


<選択を示す等位接続詞> 「すなわち」or

SARS, or severe acute respiratory syndrome, is a severe form of pneumonia.
(SARS、すなわち、重症急性呼吸器症候群は肺炎の重症の形である)


<選択を示す等位接続詞> 「さもないと」命令文+or、名詞+or

Buy it, or you'll be sorry!
(=If you don't buy it, you'll be sorry!)
(買いなさい、さもないと後悔しますよ)

<選択を示す等位接続詞> 「AかBかのどちらか」 either A or B

You must know either English or French to become a Canadian citizen.
(カナダ国民になるためには、英語かフランス語かどちらかできなければならない)


<理由を示す等位接続詞> 「というのは…」for

The door must be very thin, for I can here them laughing.
(ドアはかなり薄いでしょう。というのも、彼らの笑い声が聞こえるのです)


『表現のための実践ロイヤル英文法』p.229
接続副詞

副詞としての機能を持ちながら意味上・論理的にその前の文の要素や意味を受けて、2つの要素を結びつける。

<接続副詞> 連結

I don't feel like doing this; besides, I am very tired.
(私はこれをやる気はないし、それにとても疲れている)

My monitor is small. Also, it is rather out of date.
(私のモニターは小さい。その上、時代遅れの代物だ)

Mix the salt and water; then heat it for few minutes.
(塩と水を混ぜなさい。それから数分間熱しなさい)


<接続副詞> 反意・対立

It wa raining. However, the cat did not seem to mind at all - it sat under the outside table for over an hour.
(雨が降っていた。しかし、その猫はいっこうに平気のようで、1時間以上屋外テーブルの下に坐っていた)


<接続副詞> 選択

You'd better quit smoking; otherwise, you might get cancer.
(喫煙をやめたほうがいい。さもないと、癌になるかもしれないよ)

<接続副詞> 原因・結果

Dorothy was very tired, so she had supper and went right to bed.
(ドロシーはとても疲れていたので、夕食をとってすぐに寝た)

I don't have a key; therefore, I'll have to ring the bell.
(私はカギをもっていません。ゆえに、ベルをならさなければなりません)

<接続副詞> 付加説明

In 1996, the Canadian population was 28.8 million, 5.7% greater, that is to say, than that of the census of 1991.
(1996年にはカナダの人口は2888万人だった。すなわち1991年の人口調査から5.7%の増であった)




2015年6月6日土曜日

[あの頃のレコード] "No Reason to Cry" Eric Clapton (1976)




28期が高校時代だった時の音楽を、本当にレコードで聴くという無謀な企画。

エリック・クラプトンのソロ4枚目。1976年の作品。70年代のクラプトンといえば74年の"461 Ocean Boulevard"が著名ですが、レゲエ一色だった74年の作品に比べ、
カントリー、フォーク、ブルース、ゴスペル、R&Bといったアメリカン・ルーツ・ミュージックを程よく融合させ、円熟したレイド・バック・ロックが聴けます。

アルバム自体は特に統一したコンセプトはなく、ザ・バンドのスタジオであるシャングリラ・スタジオにボブ・ディラン、ザ・バンドの全メンバーを始め総勢40人とも言われるミュージシャンを集めて製作されたものです。
エリック・クラプトンのアルバムと言うよりは、ザ・バンド+ボブ・ディランのアルバムにクラプトンが参加したような恰好にも取れます。

もともとがザ・バンドのメンバーに入りたかったクラプトンの夢がかなったアルバムなのでしょうか。自分の国にロックのルーツを持たない外国人(イギリス)として、同じ外国人(カナダ)のザ・バンドが展開するアメリカ南部音楽を再現したかったようです。ザ・バンドのファンとしては拡大ザ・バンドのアルバムが1枚増えた恰好です。純粋なクラプトン・ファンには高い評価ではないようですが。

クラプトンはこの時31歳ですが、この年で円熟した音楽を演奏しなければならないというのもロックの業のようなものでしょうか。

28期も還暦が近くギンギンのロックはつらいので、愛聴盤になってますね。

"No Reason to Cry" Eric Clapton

Side A
1.Beautiful Thing (Rick Danko / Richard Manuel) 4:26
2.Carnival (Eric Clapton) 3:44
3.Sign Language (Bob Dylan) 2:58
4.County Jail Blues (Eric Clapton / Alfred Fields) 4:00
5.All Our Past Times (Eric Clapton / Rick Danko) 4:40

Side B
1.Hello Old Friend (Eric Clapton) 3:36
2.Double Trouble (Otis Rush) 4:23
3.Innocent Times(Eric Clapton / Marcy Levy) 4:11
4.Hungry (Marcy Levy / Dicky Simms) 4:39
5.Black Summer Rain (Eric Clapton) 4:55


※Side B、 3で印象的なソロ、4でデュエットを歌っている女性はMarcella Detroit (born Marcella Levy, June 21, 1952) で80年代にソロアルバムも出しているようです。75年のクラプトンのツアーに同行。

女性ボーカルの曲を挟むのは、バンド、ボブ・ディランのこの頃のアルバムの影響でしょうか。

[自分史のレッスン] 1976(昭和51)年 17歳




高校3年の体育祭。1976年9月19日。

広島皆実高校には常設の応援団がなく、運動部が大会で決勝に残りそうな場合とか、体育祭に限って召集されていたようです。

花の応援団の張りぼての人形、ガキデカの大型漫画、などが懐かしいですな。

現在はテニスコートの壁打ち用の壁に書いてあった標語(?)「勤勉強行 責任自由」はなくなっているようです。

真ん中でコーラを飲んでいるのが白組の私です。



1976(昭和51)年の出来事

・戦後生まれ総人口の過半数となる

・ロッキード事件で<ピーナッツ>流行語となる

・日本初の五つ子、鹿児島市で誕生

・ジョギングがブーム

岩波ブックレット『昭和・平成史』より

<日々是不穏 like a rolling stone> 日本の歴史認識を考える


大袈裟なタイトルですが。

続けて朝日新聞にアメリカ発の日本の歴史認識を考える上で重要なオピニオンが掲載されました。

インターネットに速報性では負けるので最近の新聞はこのような論壇調の記事が多く見受けられます。ただしいずれも自社の記事ではなく外部の識者の意見であり、新聞独自の視点がないのが残念です。

1本目はアメリカで原爆投下の真の理由を正しく認識しようという運動を映画監督のオリバー・ストーンと行っている、アメリカン大学教授のピーター・カズニック氏の紹介。(2015年6月2日付け)。アメリカ国内で正当化されている原爆投下が終戦を早め本土決戦でのアメリカ兵の犠牲をなくしたというのは後付の理由で、真の理由はソビエトへの牽制であったこと。また原爆の被害の実態を実際に生徒を広島へ研修で引率して理解させようとしていること。いずれもアメリカの原爆投下に対して、アメリカ人として正しく歴史認識したいという行動でしょう。

2本目はコロンビア大学のキャロル・グラック女史のインタビュー。(2015年6月5日付け)。5月初旬に採択された日本研究者らによる「日本の歴史家を支持する声明」を主導し、第二次世界大戦の日本の過ちについて「全体的で偏見のない清算」を求めるものです。日本研究者は概して反日の考えはありませんが、首相の戦後70周年記念談話を牽制する意味での声明かと思われます。特にアジアと歴史認識で向き合うことを主張しています。

2本の記事はアメリカからの対日歴史認識、日本からの対アジアへの歴史認識であり、好対照で印象に残りました。

アメリカの識者の力を借りずとも日本単独で歴史認識ができるような成熟した国民を目指したいものです。

2015年6月3日水曜日

[惹句どんどん] 読み人知らず



10年以上前に確かプレゼントで頂いた付箋紙(アメリカ製)。


Stressed!

It's just desserts spelled backwards.



良くできてますね。かなりロングランのダイエット中の私。