2024年5月31日金曜日
[HIP] 5月31日(金)平和公園ガイド 新潟国際大学の留学生
[積読立読斜読] 『The Tokyo Toilet』(TOTO出版、2023年)
出版社のサイトより。
The Tokyo Toilet
The Tokyo Toilet
著者=[文]岡野 民 [写真]永禮 賢発行年月=2023年10月
体裁=B5判変型(257×190mm)、並製、280頁、和英併記
ISBN=978-4-88706-404-1
デザイン=島田 隆
定価3,300円(本体3,000円+税10%)
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16組のクリエイターが発想する公共トイレ、その全貌がここにある。
これまでの公共トイレの常識を大きく変えるビッグプロジェクトに16組のクリエイターが参画。17トイレを写真、図面、データ等で紹介。関係者へのインタビュー、寄稿を多数収録。
参加建築家・クリエイターは、安藤忠雄、伊東豊雄、後智仁、片山正通、隈研吾、小林純子、坂倉竹之助、佐藤可士和、佐藤カズー、田村奈穂、NIGO®、マーク・ニューソン、坂 茂、藤本壮介、マイルス・ペニントン、槇文彦。
プロフィール
岡野 民(おかの たみ)[文]
エディター&ライター。
建築やデザインの分野を中心に取材、執筆。デザイン関連の展覧会の企画にも携わる。
永禮 賢(ながれ さとし)[写真]
1975年生まれ。フォトグラファー。
現在、作品制作・広告・雑誌・書籍等、国内外で活動。
目次
■INTRODUCTION
誰もが快適に利用できる公共トイレを
■THE TOKYO TOILETS
坂 茂/片山正道 Wonderwall®/田村奈穂/槇文彦/坂倉竹之助/安藤忠雄/NIGO®/隈研吾/佐藤可士和/伊東豊雄/佐藤カズー Disruption Lab Team/後智仁/マーク・ニューソン/マイルス・ペニントン 東京大学DLXデザインラボ/小林純子/藤本壮介
■PROJECT DESIGN
多様な利用者と建築に寄り添う、オリジナルのピクトグラム 佐藤可士和
THE TOKYO TOILETのメンテナンスについて
■CONCEPTION AND CONSTRUCTION
気づきを生み出し、心を動かす、THE TOKYO TOILET 柳井康治(プロジェクト発案・資金提供者)
身近な社会課題を見逃さず、 諦めずに取り組む 笹川順平(日本財団)
公共トイレへの態度変容を目指して 長谷部健(渋谷区)
優しさを象徴する空間としての公共トイレ 吉田伸典(TОTО)
建築の限りない可能性に触れて 竹林桂太朗(大和ライフネクスト)
■SPECIAL CONTRIBUTION
忙しい東京の中の静かな場所 ヴィム・ヴェンダース(映画監督)
■DRAWINGS AND SPECIFICATIONS
■LOCATION MAP
■CREDITS
https://jp.toto.com/publishing/detail/A0404.htm
2024年5月30日木曜日
[積読立読斜読] 『漱石俳句集』(坪内捻典編、岩波文庫)明治三十年 265—274
265 人に死し鶴に生れて冴え返る
266 寒山か拾得か蜂に螫(さ)されしは
267 ふるひ寄せて白魚崩れんばかりなり
268 落ちさまに蝱(あぶ)を伏せたる椿哉
269 ぶつぶつと大(おおい)なる田螺の不平哉
270 明天子上にある野の長閑なる
271 姉様に参らす桃の挿絵かな
272 朧夜や顔に似合わぬ恋もあらん
273 木瓜咲くや漱石拙を守るべく
274 滝に乙鳥(つばめ)突き当たらんとしては返る
265~277まで 句稿(その二十三)にある句
寒山・拾得—唐代の僧。奇行が多く、文殊の化身と称せられた。画材としても好まれた。
明天子—すぐれた天子。
「世間には拙を守るという人がある。この人が来世に生まれ変わるときっと木瓜になる。
余も木瓜になりたい」(『草枕』)。
[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著)6月3日~6月9日
「から」「のに」「こそ」
境遇を、人のせいや世の中のせいにする人がたくさんいます。
それではいつまでたっても、人生が好転することはありません。
「こうだったから、こうなった」ではなく、
「こうだったのに、こうなれた」というような生き方をしたいものです。
さらに、「こうだったからこそ、こうなれた」というような生き方ができたとき、
後悔のない人生が待っています。
[新聞記事] 寄稿 主体性消したコンビニ 重なる日本 放送大学教授・松原隆一郎(社会経済額)
経済欄でなく文化欄に掲載。
ではコンビニは何を残したのか。誤解されている面があると感じる。
コンビニの最大の特徴は、
モットーを掲げた(過去の)流通の雄たちとは異なり、
理想や思想を持たない点にある。
ものを作り売る側の主体性を滅却した点で、
コンビニは日本文化の到達点である。
戦後日本の教育では主体性や個性が重視された。
破産も恐れず技術革新に突き進むビル・ゲイツやイーロン・マスクのような個性が生まれないことは日本経済の宿痾であるかのように言われた。
その一方で獲得したのは、主体性を消去する文化だった。
コンビニは日本そのものの似姿である。
2020年7月24日金曜日
[積読立読斜読] 『コンビニ人間』(村田沙耶香著、文春文庫、2020年)
[広島掃除に学ぶ会] 5月30日(木曜日)=ゴミ・ゼロの日、袋町公園トイレ清掃
5月30日(木曜日)=ゴミ・ゼロの日。袋町公園の公衆トイレを清掃しました。6名の参加がありました。参加された皆様ありがとうございました。繁華街に近い公園のトイレで利用される方が多いため大変な汚れでしたが見違えるようにきれいになりました。
2024年5月29日水曜日
[その他] 徳山郵便局で貯金
2024年5月28日(火曜日)、
仕事で周南市に行ったので郵便局で御朱印(?)代わりに貯金。
局内に印となるスタンプがないか物色していると、窓口の親切な局員から声がかかり、
「徳山郵便局」のスタンプをわざわざ押していただきました。
郵便局で100万円貯めるプロジェクト進行中です。
といっても他の口座から移しているだけなので全部の総額は増えてません。
2024年4月4日木曜日
[その他] ゆうちょ銀行で100万円貯めるプロジェクト + 日本一周プロジェクト
広島県、高知県、山口県、へ行きました。
2024年5月27日月曜日
[積読立読斜読] (終活断捨離文庫100冊プロジェクト) 中島敦『山月記・李陵』(岩波文庫版)
中島敦の代表作は中国の古典に題材を採った短編小説で、漢文調の流麗な文体は唯一無二のものです。紙面から読み取ろうとするよりも、声に出したり、朗読を聴いたり、音で聴くことにより、意味は深く分からなくとも、文体の魅力は十分伝わってきます。幸い動画サイト等で(本当は違法でしょうが)朗読を聴くことができます。
山月記 朗読:江守徹(俳優)
名人伝 朗読:江守徹(俳優)
弟子 朗読:無記名(プロ声優)
李陵 朗読:西村俊彦(俳優・ナレーター)
当方は飄々とした「名人伝」が好みです。こちらは著作権が切れており、テキストが公開されています。岩波文庫版では、上記の4編に加えて、中島敦の作品を3つの要素に集約し、編纂されています。
(1)中国古典に題材を採った漢文調の作品
(2)南洋庁(パラオ)勤務時代の短編
(3)形而上の思索に根差した短編
あまり作品を残していませんので、岩波文庫版をもって全集に換えることが可能かも知れません。かつては中学・高校の国語教科書に必ず中島敦の作品が採用されていましたが、文学作品を教科書から大幅に割く昨今の風潮からか、中島敦の作品そのものが忘れられようとしています。
中島敦の作品群を声に出して読まずして、一生を終えるのは、日本語を国語にもって生まれた人間としては、あまりにももったいないことだと思います。
中島敦 1909‐42(明治42‐昭和17)
なかじまあつし
小説家。東京生れ。東大国文科卒。祖父は漢学者中島撫山,伯父にも漢学者が多く,父は中学の漢文教師。1933年横浜高等女学校の教師となり,かたわら作家を志して習作にはげんだ。持病の喘息悪化のため,転地療養を兼ねて41年パラオの南洋庁に赴任するが,健康を害して翌年帰京。唐代の伝奇《人虎伝》を素材にした《山月記》が深田久弥の推恐で42年2月の《文学界》に掲載されて文壇にデビュー。同年5月発表の《光と風と夢》も好評で以後創作に専念。《光と風と夢》《南島譚》(ともに1942)と相次いで創作集を刊行するが,同年12月喘息のため没。43年《弟子》《李陵》が遺稿として発表された。戦時下の文学空白期に彗星のごとき光芒を放つ中島の文学は,格調正しい明晰な文体で,人間と運命との格闘・相克のドラマの中に生のありようを実存的に追求している。それらは今日の現実的な課題を数多くはらんでおり,夭折が惜しまれる。 鷺 只雄
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名人伝
中島敦
趙ちょうの邯鄲かんたんの都に住む紀昌きしょうという男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己おのれの師と頼たのむべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛ひえいに及およぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔へだてて柳葉りゅうようを射るに百発百中するという達人だそうである。紀昌は遥々はるばる飛衛をたずねてその門に入った。
飛衛は新入の門人に、まず瞬またたきせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、妻の機織台はたおりだいの下に潜もぐり込こんで、そこに仰向あおむけにひっくり返った。眼めとすれすれに機躡まねきが忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰みつめていようという工夫くふうである。理由を知らない妻は大いに驚おどろいた。第一、妙みょうな姿勢を妙な角度から良人おっとに覗のぞかれては困るという。厭いやがる妻を紀昌は叱しかりつけて、無理に機を織り続けさせた。来る日も来る日も彼かれはこの可笑おかしな恰好かっこうで、瞬きせざる修練を重ねる。二年の後のちには、遽あわただしく往返する牽挺まねきが睫毛まつげを掠かすめても、絶えて瞬くことがなくなった。彼はようやく機の下から匍出はいだす。もはや、鋭利えいりな錐きりの先をもって瞼まぶたを突つかれても、まばたきをせぬまでになっていた。不意に火ひの粉こが目に飛入ろうとも、目の前に突然とつぜん灰神楽はいかぐらが立とうとも、彼は決して目をパチつかせない。彼の瞼はもはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡じゅくすいしている時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである。ついに、彼の目の睫毛と睫毛との間に小さな一匹ぴきの蜘蛛くもが巣すをかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛衛にこれを告げた。
それを聞いて飛衛がいう。瞬かざるのみではまだ射しゃを授けるに足りぬ。次には、視みることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微びを見ること著ちょのごとくなったならば、来きたって我に告げるがよいと。
紀昌は再び家に戻もどり、肌着はだぎの縫目ぬいめから虱しらみを一匹探し出して、これを己おのが髪かみの毛をもって繋つないだ。そうして、それを南向きの窓に懸かけ、終日睨にらみ暮くらすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った虱を見詰める。初め、もちろんそれは一匹の虱に過ぎない。二三日たっても、依然いぜんとして虱である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目みつきめの終りには、明らかに蚕かいこほどの大きさに見えて来た。虱を吊つるした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々ききとして照っていた春の陽ひはいつか烈はげしい夏の光に変り、澄すんだ秋空を高く雁がんが渡わたって行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙みぞれが落ちかかる。紀昌は根気よく、毛髪もうはつの先にぶら下った有吻類ゆうふんるい・催痒性さいようせいの小節足動物を見続けた。その虱も何十匹となく取換とりかえられて行く中うちに、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の虱が馬のような大きさに見えていた。占しめたと、紀昌は膝ひざを打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。人は高塔こうとうであった。馬は山であった。豚ぶたは丘おかのごとく、※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)は城楼じょうろうと見える。雀躍じゃくやくして家にとって返した紀昌は、再び窓際の虱に立向い、燕角えんかくの弧ゆみに朔蓬さくほうの※(「竹かんむり/幹」、第3水準1-89-75)やがらをつがえてこれを射れば、矢は見事に虱の心の臓を貫つらぬいて、しかも虱を繋いだ毛さえ断きれぬ。
紀昌は早速さっそく師の許もとに赴おもむいてこれを報ずる。飛衛は高蹈こうとうして胸を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒ほめた。そうして、直ちに射術の奥儀秘伝おうぎひでんを剰あますところなく紀昌に授け始めた。
目の基礎訓練に五年もかけた甲斐かいがあって紀昌の腕前うでまえの上達は、驚くほど速い。
奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに紀昌が百歩を隔てて柳葉を射るに、既すでに百発百中である。二十日の後、いっぱいに水を湛たたえた盃さかずきを右肱ひじの上に載のせて剛弓ごうきゅうを引くに、狙ねらいに狂くるいの無いのはもとより、杯中の水も微動だにしない。一月ひとつきの後、百本の矢をもって速射を試みたところ、第一矢が的まとに中あたれば、続いて飛来った第二矢は誤たず第一矢の括やはずに中って突き刺ささり、更さらに間髪を入れず第三矢の鏃やじりが第二矢の括にガッシと喰くい込む。矢矢しし相属し、発発はつはつ相及んで、後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るが故に、絶えて地に墜おちることがない。瞬く中に、百本の矢は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の括はなお弦げんを銜ふくむがごとくに見える。傍で見ていた師の飛衛も思わず「善し!」と言った。
二月ふたつきの後、たまたま家に帰って妻といさかいをした紀昌がこれを威おどそうとて烏号うごうの弓に※(「棊」の「木」に代えて「糸」、第3水準1-90-9)衛きえいの矢をつがえきりりと引絞ひきしぼって妻の目を射た。矢は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主ていしゅを罵ののしり続けた。けだし、彼の至芸による矢の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。
もはや師から学び取るべき何ものも無くなった紀昌は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
彼がその時独りつくづくと考えるには、今や弓をもって己に敵すべき者は、師の飛衛をおいて外ほかに無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衛を除かねばならぬと。秘ひそかにその機会を窺うかがっている中に、一日たまたま郊野こうやにおいて、向うからただ一人歩み来る飛衛に出遇であった。とっさに意を決した紀昌が矢を取って狙いをつければ、その気配を察して飛衛もまた弓を執とって相応ずる。二人互たがいに射れば、矢はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた矢が軽塵けいじんをも揚あげなかったのは、両人の技がいずれも神しんに入っていたからであろう。さて、飛衛の矢が尽つきた時、紀昌の方はなお一矢を余していた。得たりと勢込んで紀昌がその矢を放てば、飛衛はとっさに、傍なる野茨のいばらの枝えだを折り取り、その棘とげの先端せんたんをもってハッシと鏃を叩たたき落した。ついに非望の遂とげられないことを悟さとった紀昌の心に、成功したならば決して生じなかったに違ちがいない道義的慚愧ざんきの念が、この時忽焉こつえんとして湧起わきおこった。飛衛の方では、また、危機を脱だっし得た安堵あんどと己が伎倆ぎりょうについての満足とが、敵に対する憎にくしみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄かけよると、野原の真中まんなかに相抱あいいだいて、しばし美しい師弟愛の涙なみだにかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。美食家の斉せいの桓公かんこうが己のいまだ味わったことのない珍味ちんみを求めた時、厨宰ちゅうさいの易牙えきがは己が息子むすこを蒸焼むしやきにしてこれをすすめた。十六歳さいの少年、秦しんの始皇帝は父が死んだその晩に、父の愛妾あいしょうを三度襲おそうた。すべてそのような時代の話である。)
涙にくれて相擁あいようしながらも、再び弟子でしがかかる企たくらみを抱くようなことがあっては甚はなはだ危いと思った飛衛は、紀昌に新たな目標を与あたえてその気を転ずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)なんじがもしこれ以上この道の蘊奥うんのうを極めたいと望むならば、ゆいて西の方かた大行たいこうの嶮けんに攀よじ、霍山かくざんの頂を極めよ。そこには甘蠅かんよう老師とて古今ここんを曠むなしゅうする斯道しどうの大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯じぎに類する。※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)の師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。
紀昌はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の自尊心にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途ぜんと程遠ほどとおい訳である。己が業わざが児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って腕を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。足裏を破り脛すねを傷つけ、危巌きがんを攀じ桟道さんどうを渡って、一月の後に彼はようやく目指す山顛さんてんに辿たどりつく。
気負い立つ紀昌を迎むかえたのは、羊のような柔和にゅうわな目をした、しかし酷ひどくよぼよぼの爺じいさんである。年齢は百歳をも超こえていよう。腰こしの曲っているせいもあって、白髯はくぜんは歩く時も地に曳ひきずっている。
相手が聾ろうかも知れぬと、大声に遽だしく紀昌は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり立った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり背に負うた楊幹麻筋ようかんまきんの弓を外して手に執とった。そうして、石碣せきけつの矢をつがえると、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。弦に応じて、一箭いっせんたちまち五羽わの大鳥が鮮あざやかに碧空へきくうを切って落ちて来た。
一通り出来るようじゃな、と老人が穏おだやかな微笑を含ふくんで言う。だが、それは所詮しょせん射之射しゃのしゃというもの、好漢いまだ不射之射ふしゃのしゃを知らぬと見える。
ムッとした紀昌を導いて、老隠者ろういんじゃは、そこから二百歩ばかり離はなれた絶壁ぜっぺきの上まで連れて来る。脚下きゃっかは文字通りの屏風びょうぶのごとき壁立千仭へきりつせんじん、遥か真下に糸のような細さに見える渓流けいりゅうをちょっと覗いただけでたちまち眩暈めまいを感ずるほどの高さである。その断崖だんがいから半なかば宙に乗出した危石の上につかつかと老人は駈上り、振返ふりかえって紀昌に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込ひっこみもならぬ。老人と入代りに紀昌がその石を履ふんだ時、石は微かすかにグラリと揺ゆらいだ。強しいて気を励はげまして矢をつがえようとすると、ちょうど崖がけの端はしから小石が一つ転がり落ちた。その行方ゆくえを目で追うた時、覚えず紀昌は石上に伏ふした。脚あしはワナワナと顫ふるえ、汗あせは流れて踵かかとにまで至った。老人が笑いながら手を差し伸のべて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射というものをお目にかけようかな、と言った。まだ動悸どうきがおさまらず蒼あおざめた顔をしてはいたが、紀昌はすぐに気が付いて言った。しかし、弓はどうなさる? 弓は? 老人は素手すでだったのである。弓? と老人は笑う。弓矢の要いる中はまだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆うしつの弓も粛慎しゅくしんの矢もいらぬ。
ちょうど彼等らの真上、空の極めて高い所を一羽の鳶とびが悠々ゆうゆうと輪を画えがいていた。その胡麻粒ごまつぶほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
紀昌は慄然りつぜんとした。今にして始めて芸道の深淵しんえんを覗き得た心地であった。
九年の間、紀昌はこの老名人の許に留とどまった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰だれにも判わからぬ。
九年たって山を降りて来た時、人々は紀昌の顔付の変ったのに驚いた。以前の負けず嫌ぎらいな精悍せいかんな面魂つらだましいはどこかに影かげをひそめ、なんの表情も無い、木偶でくのごとく愚者ぐしゃのごとき容貌ようぼうに変っている。久しぶりに旧師の飛衛を訪ねた時、しかし、飛衛はこの顔付を一見すると感嘆かんたんして叫さけんだ。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕われらのごとき、足下あしもとにも及ぶものでないと。
邯鄲の都は、天下一の名人となって戻って来た紀昌を迎むかえて、やがて眼前に示されるに違いないその妙技への期待に湧返った。
ところが紀昌は一向にその要望に応こたえようとしない。いや、弓さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に携たずさえて行った楊幹麻筋の弓もどこかへ棄すてて来た様子である。そのわけを訊たずねた一人に答えて、紀昌は懶ものうげに言った。至為しいは為なす無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。なるほどと、至極しごく物分ものわかりのいい邯鄲の都人士はすぐに合点がてんした。弓を執らざる弓の名人は彼等の誇ほこりとなった。紀昌が弓に触ふれなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝けんでんされた。
様々な噂うわさが人々の口から口へと伝わる。毎夜三更さんこうを過ぎる頃ころ、紀昌の家の屋上おくじょうで何者の立てるとも知れぬ弓弦の音がする。名人の内に宿る射道の神が主人公の睡ねむっている間に体内を脱ぬけ出し、妖魔ようまを払はらうべく徹宵てっしょう守護しゅごに当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜紀昌の家の上空で、雲に乗った紀昌が珍めずらしくも弓を手にして、古いにしえの名人・※(「羽/廾」、第3水準1-90-29)げいと養由基の二人を相手に腕比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った矢はそれぞれ夜空に青白い光芒こうぼうを曳きつつ参宿さんしゅくと天狼星てんろうせいとの間に消去ったと。紀昌の家に忍しのび入ろうとしたところ、塀へいに足を掛かけた途端とたんに一道の殺気が森閑しんかんとした家の中から奔はしり出てまともに額ひたいを打ったので、覚えず外に顛落てんらくしたと白状した盗賊とうぞくもある。爾来じらい、邪心じゃしんを抱く者共は彼の住居の十町四方は避さけて廻まわり道をし、賢かしこい渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
雲と立罩たちこめる名声のただ中に、名人紀昌は次第に老いて行く。既に早く射を離れた彼の心は、ますます枯淡虚静こたんきょせいの域にはいって行ったようである。木偶のごとき顔は更に表情を失い、語ることも稀まれとなり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った。「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐じゅっかいである。
甘蠅師の許を辞してから四十年の後、紀昌は静かに、誠に煙けむりのごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、弓矢を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話ぐうわ作者としてはここで老名人に掉尾ちょうびの大活躍だいかつやくをさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された事実を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器具を見た。確かに見憶みおぼえのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途ようとも思い当らない。老人はその家の主人に尋たずねた。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談じょうだんを言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老紀昌は真剣しんけんになって再び尋ねる。それでも相手は曖昧あいまいな笑を浮うかべて、客の心をはかりかねた様子である。三度紀昌が真面目まじめな顔をして同じ問を繰返くりかえした時、始めて主人の顔に驚愕きょうがくの色が現れた。彼は客の眼を凝乎じっと見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖きょうふに近い狼狽ろうばいを示して、吃どもりながら叫んだ。
「ああ、夫子ふうしが、――古今無双ここんむそうの射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途みちも!」
その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠かくし、楽人は瑟しつの絃げんを断ち、工匠こうしょうは規矩きくを手にするのを恥はじたということである。
(昭和十七年十二月)
底本:「ちくま日本文学全集 中島敦」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年7月20日第1刷発行
底本の親本:「中島敦全集 第一巻」筑摩書房
1987(昭和62)年9月
初出:「文庫」
1942(昭和17)年12月号
入力:大内章
校正:j.utiyama
1998年10月26日公開
2004年2月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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2024年5月26日日曜日
[惹句どんどん] ロバート・キャパ
戦場カメラマンの一番の願いは、失業することだ。
キャパ 1913‐54
Robert Capa
ハンガリー生れの写真家。ブダペスト出身。本名Friedmann Andrレ。初めジャーナリストを志すが,言葉を越えて自分の主張を伝えられるのは写真だと考えるようになる。ベルリンで写真を勉強したのち,1933年同国人の写真家ケルテス AndrレKertレsz をたよってパリに出る。36年パリの新聞社の入社試験を受けるが落第し,近くのカフェで酒を飲んでいるときに,同様に落第したカルティエ・ブレッソン,D. シーモアと出会い,個性的で自由な写真活動ができる写真通信社をつくることを約束しあう。それがのちの〈マグナム・フォトスMagnum Photos〉(1947創設)である。キャパは〈戦争写真家〉といわれるが,文字どおり常に戦乱の第一線で写真を撮りつづけた。1936年人民戦線兵士が狙撃された瞬間を撮ったスペイン内乱,41‐45年の第2次世界大戦中はノルマンディー上陸作戦をはじめヨーロッパ各戦線,そして54年地雷でみずからの命を落とすことになったインドシナ戦争などで活躍した。彼の写真は《ライフ》《コリアーズ》などの雑誌に数多く発表されている。戦争の悲惨さをなによりも伝えようとするキャパの態度は,写真を非常に人間的で魅力的なものにしている。これらの時代においては,キャパの楽天的なヒューマニズムは,戦争の真の意味を問いかけ告発することに成功した。自伝的な《ちょっとピンボケ》(1947),写真集《戦争――そのイメージImages of War》(1964)などがある。 金子 隆一
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[広島掃除に学ぶ会] 中国ブロック研修会 5月25日(土)
広島掃除に学ぶ会の上位団体である日本を美しくする会の中国ブロック研修会に参加しました。研修初日はトイレ掃除実習。安芸髙田市の美土里小学校のトイレをお借りしました。
当方は絶滅危惧種の和式トイレを担当、ぴかぴかにしました。
2024年5月25日土曜日
[広島掃除に学ぶ会] 5月25日(土曜日)平和大通り街頭清掃・平塚公園トイレ清掃
5月25日(土曜日)平和大通りの街頭清掃(ゴミ拾い)を実施しました。本日は同時に平塚公園のトイレ清掃も実施しております。リーダーの育成ということで3名の若手の方と一緒にトイレ掃除をしました。高齢化が進む掃除の会ですが若い方の参加、子供たちの参加で、平均年齢がぐっと下がってきました。19名の参加がありました。参加された皆様ご苦労様でした。
[その他] 10日と25日は'Punk in'(パン喰い)の日 リトルマーメード段原店
広島掃除に学ぶ会の活動、平和大通りの街頭清掃、の後に寄りました。
駐車場があるので利用しやすいです。
当方は定番のイギリスパンサンドイッチ、クリームチーズペストリー、メロンパン(旧名・サンライズ)とコーヒーを注文。
2024年5月24日金曜日
[積読立読斜読] 『漱石俳句集』(坪内捻典編、岩波文庫)明治二十九年・三十年 255—264
260 餅を切る包丁鈍し古暦
明治二十九年
255 挨拶や髷の中より出る霰(あられ)
256 寐る門を初雪ぢやとて叩きけり
257 生垣の上より語る小春かな
258 どつしりと尻を据えたる南瓜かな
明治三十年
259 燭きつて暁ちかし大晦日
260 餅を切る包丁鈍し古暦
261 冬籠弟は無口にて候
262 桃の花民天子の姓を知らず
263 松立てて空ほのぼのと明る門
264 貧といへど酒飲みやすし君が春
古暦ー年がおしつまった頃のその年の暦。
君が春ー御代の春。新年のめでたさをいう季語。
[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著)5月27日~6月2日
・困難
小さな困難に遭遇すると、悩みになります。
ところが、大きな困難は知恵を生み出す原動力になります。
・先約優先
私がこれまで信条にしてきた一つが、先約優先です。
自分の都合や利害打算で、先約を変更したことはいままで一回もありません。
2024年5月23日木曜日
[その他] ガチャガチャにカセットプレーヤー登場
ホームセンターのレジ横にあったので衝動買い(といっても500円ですが)。
本当に録音できる本体と、カセットケース+レーベル、の別セットのようです。
なぜか小4と小2の隣家の孫が気に入り(本人たちはカセットを見たことがありません)、ずっと遊んでいますが。
<市場規模>
正式には「カプセルトイ」で業界団体「日本カプセルトイ協会」によると、2023年の製造元出荷ベースでの市場規模は焼く1,150億円(2022年720億から約160%アップ)だそうです。
<流行語大賞>
「親」が「ガチャ」って?
「親ガチャ」とは、この「ガチャ」に例えて「子供にとって出生、つまり親はランダムで、自分で選べない」という概念です。スマホゲームの流行とともに「親ガチャ」という言葉も流行し、2021年には流行語大賞にノミネートされたり、「大辞泉が選ぶ新語大賞」にも選ばれたりしました。
https://spaceshipearth.jp/oya-gacha/#:~:text=%E3%80%8C%E8%A6%AA%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81,%E9%81%B8%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
2024年5月22日水曜日
[その他] 写真で川柳 人の世の道理は三つで事が足り
[その他] 写真で川柳 人の世の道理は三つで事が足り
人の世の道理は三つで事が足り
5月22日(水曜日)仕事で移動中。猿猴側護岸の緑地でアート作品あり。何度も通った道なのでアートは知ってましたが□〇△が揃っていて、仙厓義梵・作(1819年頃)による禅画の「○△□」(まるさんかくしかく)を思い出させました。
解釈には諸説あり、△が坐禅の姿(仏と一体になった姿)、□が世間に囚われている姿、〇は円相で欠けることのない絶対的な真理、を表しているそうです。禅画の「○△□」はタイトルが実はなく、欧米では"The Universe"というタイトルだそうです。
[晴れときどき英語のお勉強] 『表現のための実践ロイヤル英文法』 第4章 助動詞 第2節 助動詞の用法 ought to (=should)
第4章 第2節 助動詞の用法
p88
38 ought to
oughtは不定詞を伴った ought toの形で義務・推量を表す
現在形のみで過去形はなく時制の一致の場合はought to のまま使う
(1)義務「~すべきである」
①ought to (=should)
《米》ではshouldが使われる
義務の表現としてはmustよりは弱いので命令ではなく忠告の意味で使う
You ought to be ashamede of yourself.
I don't think you ought to talk to us like that.
(△)否定文:ought not to..., oughtn't to...
Do you think we ought to stop using this term.
(△)疑問文:Ought we to...?
②<ought to have + 過去分詞>「~すべきだったのに」
You ought to have e-mailed or called me earlier.
(2)推量・当然「当然~のはずである」
①「~のはずだ」(話し手の確信度が相当高い場合)
I daialed 911(nine-one-one) just now. An ambulance ought to be here soon.
②<ought to have + 過去分詞>
事実に反する結果「~したはずなのに」
Why is she late? She ought to have arrived by now!
[Helpful Hint 23] 推量のmust (「違いない」と直訳するとニュアンスが違う)
推量に使われる場合のmustの訳し方に注意
She must [has to] be stuck in traffic.
(彼女はきっと渋滞にはまっているのだろう)
You must be tired.
(お疲れでしょう)
[積読立読斜読] 『体験格差』(今井悠介著、講談社現代新書、2024年)
新聞書評等で話題の書。著者は子供の体験格差解消を目指す「子どもの体験奨学金事業」の代表。
長年経済的に恵まれない子供の支援を行ってきた過程で、貧困の影響が学力格差や、家庭内の文化的環境の格差、以外にも、学校以外で行うアクティビティや、家庭内で行う家族旅行などの、子供の人格陶冶に重要な「体験」そのものの格差に影響するとした労作。
経済的に恵まれていない家庭の子供の体験機会が少ないことは、想像がつきますが、「体験」に関しての本格的な全国調査は以外にも初めてだそうです。
体験の少ない子供は、学習意欲の低下、主体性などの社会情動的なスキルの未成熟さにつながり、文部科学省でも重要な教育政策として推進されているそうですが、具体的な政策には至っていないようです。
本書はその調査報告書を一般向けの新書に再構築したものです。
統計学の専門家が調査に加わったようで、調査項目や層別が信頼できるものであり、著者の具体的な活動経験から導き出された調査結果だけに、政策や社会に対する対策も具体的で説得力があります。
貧困家庭のサンプルのみをスキャンダルに採り上げるのではなく、子供の教育は学力のみではなく、さまざまな課外活動(経験)による、人間力も極めて重要であると為政者だけでなく認識する必要があります。
本書でも引用されていましたが、過去に教育格差の労作も読みました。
2019年12月18日水曜日
本書のはじめにに引用されている『子どもの貧困』(阿部彩(社会政策学者))によれば欧米諸国に比べて「子どもが最低限享受すべきであるという生活の期待値が低い」という国民的な傾向もあるそうです。
「その社会に生まれたすべての子どもが享受できて然るべきものは何か?」「できていない子には社会的な援助」という国民的なコンセンサスが次代を担う子供たちの感情を豊かにしてくれるはずです。壮大ではありますが国力の向上にもつながるでしょう。
「体験格差」の初の全国調査は意義あることですが、「体験格差」が成人後にどのように影響しているかの追跡調査が今後望まれるでしょう。学歴、家族構成、収入、資産、等々。
<内容紹介>
習い事や家族旅行は贅沢?
子どもたちから何が奪われているのか?
この社会で連鎖する「もうひとつの貧困」の実態とは?
日本初の全国調査が明かす「体験ゼロ」の衝撃!
【本書のおもな内容】
●低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」
●小4までは「学習」より「体験」
●体験は贅沢品か? 必需品か?
●「サッカーがしたい」「うちは無理だよね」
●なぜ体験をあきらめなければいけないのか
●人気の水泳と音楽で生じる格差
●近所のお祭りにすら格差がある
●障害児や外国ルーツを持つ家庭が直面する壁
●子どもは親の苦しみを想像する
●体験は想像力と選択肢の幅を広げる
「昨年の夏、あるシングルマザーの方から、こんなお話を聞いた。
息子が突然正座になって、泣きながら「サッカーがしたいです」と言ったんです。
それは、まだ小学生の一人息子が、幼いなりに自分の家庭の状況を理解し、ようやく口にできた願いだった。たった一人で悩んだ末、正座をして、涙を流しながら。私が本書で考えたい「体験格差」というテーマが、この場面に凝縮しているように思える。
(中略)
私たちが暮らす日本社会には、様々なスポーツや文化的な活動、休日の旅行や楽しいアクティビティなど、子どもの成長に大きな影響を与え得る多種多様な「体験」を、「したいと思えば自由にできる(させてもらえる)子どもたち」と、「したいと思ってもできない(させてもらえない)子どもたち」がいる。そこには明らかに大きな「格差」がある。
その格差は、直接的には「生まれ」に、特に親の経済的な状況に関係している。年齢を重ねるにつれ、大人に近づくにつれ、低所得家庭の子どもたちは、してみたいと思ったこと、やってみたいと思ったことを、そのまままっすぐには言えなくなっていく。
私たちは、数多くの子どもたちが直面してきたこうした「体験」の格差について、どれほど真剣に考えてきただろうか。「サッカーがしたいです」と声をしぼり出す子どもたちの姿を、どれくらい想像し、理解し、対策を考え、実行してきただろうか。」――「はじめに」より
<目次>
■はじめに
子どもの必需品とは何か/見過ごされてきた「体験格差」/本書の構成
■第一部 体験格差の実態
「体験」がなぜ重要なのか/小4までは「学習」より「体験」/初の「体験格差」全国調査/体験は贅沢品か
1.「お金」と体験格差
「体験ゼロ」の子どもたち/体験にかかる値段/体験の「提供者」ごとの違い/体験をあきらめさせるもの
2.「放課後」の体験格差
スポーツ系でも文化系でも/人気の水泳と音楽で生じる格差/子ども目線で「放課後」を考える
3.「休日」の体験格差
自然体験も居住地よりお金/旅行の格差/近所のお祭りにすらある格差/「楽しい思い出」があることの意味
4.「地域」と体験格差
都市部と地方の体験格差/より細かく「地域」を見ていくと
5.「親」の体験格差
「親の体験」と「子どもの体験」/「あきらめさせた」と感じる背景
6.体験格差の「現在地」から
「無理をする」か「あきらめる」か「求めない」か/「現在地」の先へ
■第二部 それぞれの体験格差
事例1:サッカーがしたいです/子どもは親の苦しみを想像する
1.ひとり親家庭の子ども
事例2:体験は後回しに/事例3:最低賃金で働く/事例4:自転車も買えない/貧困と孤立の中を生きる親子
2.私が子どもだった頃
事例5:泣きながらやったピアノ/事例6:アウトドア系は行ったことがない/過去と現在、未来
3.マイノリティの子ども
事例7:障害のある子を育てる/事例8:ほかの子にできることができない/事例9:5人の子と海や山には行けない/選択肢が狭まっていく要因/体験の場をより包摂的に
4.体験の少ない子ども時代の意味
事例10:子どもの頃は買えなかったピアノ/子どもたちから何が奪われているのか
■第三部 体験格差に抗う
1.社会で体験を支える
体験の優先されづらさ/5つの提案/子どもへの経済支援/体験と子どもをつなぐ/体験の場を支える
2.誰が体験を担うのか
小さな担い手たち/自分の暮らす地域で
■おわりに
■参考文献
<著者プロフィール>
著:今井 悠介(イマイ ユウスケ)
公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事。1986年生まれ。兵庫県出身。小学生のときに阪神・淡路大震災を経験。学生時代、NPO法人ブレーンヒューマニティーで不登校の子どもの支援や体験活動に携わる。公文教育研究会を経て、東日本大震災を契機に2011年チャンス・フォー・チルドレン設立。6000人以上の生活困窮家庭の子どもの学びを支援。2021年より体験格差解消を目指し「子どもの体験奨学金事業」を立ち上げ、全国展開。本書が初の単著となる。
2024年5月20日月曜日
2024年5月19日日曜日
[その他] 5月19日(日)皆実28期軽音楽部「ほぼ皆」練習日
5月19日(日)皆実高校28期(ほぼ)の同期生で組んでいるバンドの練習日。
ギターのY君、ボーカルのNさんが都合で欠席。残り5人で練習。
「時代」
「遠い世界に」
「あの素晴らしい愛をもう一度」
「竹田の子守歌」
「岬めぐり」
を練習しました。
レパートリーの「あの素晴らしい愛をもう一度」、作曲の加藤和彦さんのドキュメンターリーが近々公開。トリビュートとしてエンディング曲として再録音だそうです。
本日のお菓子は紙屋町の宗家・源吉兆庵。店内にはねぶた作家によるこいのぼり。
景気がいいです。

















































