2025年3月30日日曜日

[晴れ時々英語のお勉強] 中村澄子『炎の千本ノック!とことん文法徹底攻略』(祥伝社、2024年)



p326

FOCUS-92 他動詞make+名詞


 [問題文]

Ms. Ingles is expected to make an announcement as to

when the annual board of directors meeting will be held.


 make an announcement (発表する)












《make + 名詞》「(動作など)をする」という意味

TOEICでは頻出


《make + 名詞》の重要表現


make a complaint

make a contribution

make a decision

make a profit

make a reservation

make an agreement (契約を結ぶ)

make an appointment

make an improvement

make an investment

make progress (進歩する)


[新聞記事] 日曜日に想う 「三酔仁経綸問答」が示唆するもの

2025年3月30日(日曜日)付け朝日新聞。


いやしくも国家百年の大計を論ずる場合に、
奇抜を看板にし、
新しさを売り物にして痛快がることなど、
どうしてできようか

 



中江兆民  1847‐1901(弘化4‐明治34)

なかえちょうみん 


明治期の思想家,評論家。土佐藩出身。本名は篤介。秋水などとも号する。父は足軽身分下横目役(下級警察吏)。幼少年時を過ごした家は土佐藩獄舎のある牢の町の長屋であった。志士の投獄や処刑を目撃するよりほかに維新の胎動を感じるすべのなかった彼をこの閉ざされた空間から解き放ったのは,維新の激動と自身の学問への熱意であった。1862年(文久2)広く民兵にも門戸を開放した藩校致道館の設置によって勉学の機会を得た彼は,65年(慶応1)には土佐藩留学生として長崎に派遣され,そこでフランス語を学ぶとともに坂本竜馬に出会う。67年江戸遊学の志を後藤象二郎の援助で果たし,村上英俊の達理堂に入塾,さらには箕作麟祥の下でフランス語を学んだ。68年(明治1)苗字を許され中江を名のる。69年大学南校の大得業生となり,翌年には大久保利通の斡旋で司法省出仕としてフランス留学を認められ,岩倉使節団とともに渡欧した。2年にわたる滞仏生活の後,帰国。東京外国語学校校長,元老院権少書記官を務める一方,仏学塾を開いてフランス学の普及を目ざした。77年1月元老院を辞し,以後ふたたび官職につかなかった。辞官後は仏学塾での研究教育とならんで高谷竜洲,岡松甕谷,三島中洲らの漢学者の門をたたき漢学仏典の研究に専心した。81年西園寺公望らと始めた《東洋自由新聞》は,その後死ぬまで継続される藩閥政府批判と自由民権の確立のための言論活動の最初の舞台となった。

 思想家としての彼の特色は,西洋についての学識を単に知識として伝達啓蒙するだけでなく,一つ一つ伝統的思想の内部にある潜在的な要素とつきあわせ,その異同の吟味を通じて伝統思想の内側から普遍的価値に接近していこうとする態度をつくりあげた点にある。彼が〈東洋のルソー〉と称される機縁となった《民約訳解》(1882)はその代表的作品である。彼の〈民権至理也自由平等是れ大義也〉という確信は〈民権自由は欧米の専有に非ず〉とする認識と結びついていた。このことは非欧化主義的立場に対しても一定の共感と協働を可能にしたという点で,同時代の西欧派知識人にはない中江の大きな特色となった。また異論との対決が真理への道を進めるという確信から,藩閥政府に対しては言論の自由をはじめとする市民的自由の保障を求め,在野の政治運動に対しては地縁的閥族的結合を超えた旨義の自由な交流による結合を説いた。《三酔人経綸問答》(1887)はその思想的結実である。さらに独自の唯物論哲学に立った徹底した平等論から,いち早く〈新民世界〉(1888)と題する本格的な部落解放論を発表した。

 彼の政治活動は《東洋自由新聞》《自由新聞》《欧米政理叢談》,さらに保安条例による東京退去後は《東雲(しののめ)新聞》《立憲自由新聞》《自由平等経綸》等の新聞雑誌での言論を主としていたが,第1回総選挙には衆議院議員に当選し,民党合同と憲法点閲のために議院内外の活動に尽力したが,第1議会での予算案削減をめぐるいわゆる自由党土佐派の裏切りに憤激し議員を辞した。その後実業活動に入るが失敗。晩年にはしだいに政府との間で〈情意投合〉を求める政党にも絶望し,国権主義的性格の強い国民同盟会にも接近する。1900年喉頭癌で余命1年を宣告されてからはいっさいの社会活動から身を引き,自由な言論人,孤独な理学者という〈真我〉に立ち帰って《一年有半》《続一年有半》の2著を残した。ほかに訳著書として,《理学沿革史》《理学鉤玄》《維氏美学》《ルソー非開化論》《国会論》《四民の目さまし》等があり,《中江兆民全集》もある。  宮村 治雄


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[積読立読斜読] 『英語で言うとはこういうこと』(片岡義男著、角川oneテーマ21、2003年)





 p114

この課題文のような否定の命令を英語でいうときdon'tで始めないほうがいい。

自分自身の悩みは誰もが背負っている。そこへ他人の悩みまでもが加わっていることに気づいたなら

それは自分のものではないのだから時分から離してしまえと発想するのが英語であるようだ。自他の区別の厳密さは、こんなところにも顔を出す。



p114

(1)他人の悩みを背負い込むな

Let go of burden not your own.

google翻訳:Don't take on other people's troubles


(2)小さな声で言うことなんだけどもね

I'll let you in on a little secret.

google翻訳:I know I have to say it in a small voice, but


(3)音楽一家に生れて

born into a musically inclined family

google翻訳:Born into a musical family


(4)私の音楽には私自身が大きく反映しています

There's a lot of me in my music

google翻訳:My music reflects a lot of who I am.

[あの頃のレコード] ボブ・ディラン『血の轍』(1975年)



先日偶然3月20日「レコードの日」に中古レコード屋さんで買ったレコード。

ボブ・ディランの伝記映画『コンプリート・アンノウン』が傑作だったせいで、

久々にボブ・ディランのアルバムを通しで聴いてみました。

アコースティック主体の楽器のひとつひとつの音が鮮明で、ディランのヴォーカルもおとなしめで、歌詞も聞き取りやすいです。ボブ・ディランのパンクロックへの回答とみました。



『レコード・コレクターズ』(2022年6月号)の「70年代のロック・アルバム200」では5位。


ジャケットはイラストではなく写真だそうです。ウキペディアより。

表ジャケットについて

[編集]

表ジャケットは絵画のようなディランの横顔だが、これは写真のフィルムに特殊な加工をしてプリントし着色したもの(オリジナル)。この写真は、1974年1月トロントのメイプル・リーフ・ガーデンズ(Maple Leaf Gardens)での2ndコンサートの際、カナダ・オンタリオ州を拠点にしている写真家ポール・ティル(Paul Till)が撮影したものである。プレスでさえも無断でディランの写真撮影は厳しく禁じられていたため、ポールは自費でチケットを購入しポケットにライカIIIを忍ばせて、巨大スピーカーに近い前列横方向から、許可なくその姿を撮影したのである。後日ディランのオフィスの住所を調べ、プリントした写真を直接送ったところジャケットに使用されることになった。ただし、ディラン側から何のフィードバックもなかったとのことである[4]。

2025年3月29日土曜日

[積読立読斜読] 『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス著、鼓直訳、新潮文庫、2024年)読了しました!!





 長らく超スローリーディング中の新潮文庫版『百年の孤独』。

本日は411ページから最後まで読了しました。

あらすじは例によって池澤夏樹さん作成の読み解きキットから。

ネットフリックスで映像化されたようなので観てみます。

鼓直さんの日本語訳はスラスラ読めていまさらながら秀逸でした。




411 アウレリャノ〔大佐〕の葬儀。翌年アマランタ・ウルスラ〔ガストン夫人〕の誕生。メメ、クラビコード奏者になる。公開演奏。母を避ける。彼女に対する父アウレリャノ・セグンド〔くじ売り〕の溺愛。三人のアメリカ娘との交遊。

421 アマランタ〔黒い繃󠄁帯〕。死の専門家としての彼女。レベーカ〔もらわれっ子〕の死を待ちのぞむ。死神の登場。自分のために経かたびらを織る。その完成と死の予告。冥界への郵便物を託される。『アマランタ・ブエンディアは、生まれたときのままの体で死んでいくのよ』。彼女の死。

431 ウルスラ〔家刀自〕、寝たきりになる。

432 メメ、映画館でのキス。マウリシオ・バビロニアと黄色い蛾。彼等の恋のなりゆき。ピラル・テルネラの手引き。メメの妊娠。夜の蛾、発覚、警官。マウリシオ・バビロニア、浴室へ忍びこもうとして銃撃される。一生ベッドを離れられない身体となって一生を終える。

445 メメの子が屋敷に運びこまれる。アウレリャノ〔大佐〕の仕事場でひそかに育つ。

446 それに先立つフェルナンダ・デル=カルピオ〔女王〕のもみ消し工作。メメはマウリシオ・バビロニアが銃撃されて以来二度と死ぬまで口をきかなかった。母との旅、その旅程。母の故郷の町の修道

院。「遠い先のことだが、さまざまな変名を使ったあげく、クラコウの暗い病院の片隅で、ひとことも口をきかずに老衰で息を引き取ることになるあの秋の朝まで……」。

453 フェルナンダ〔女王〕の通信療法。

455 バナナ栽培地域のデモとホセ・アルカディオ・セグンド〔スト指導者〕の煽動。ジャック・ブラウン氏の雲隠れ。弁護士ら。大規模なスト。軍隊の出動。金曜日の虐殺。死体を運ぶ列車。事件そのものが人々の記憶から消滅する。『雨が降ってるあいだは、業務はいっさい停止』。

469 雨が降りはじめる。一将校がブエンディア家へ、ホセ・アルカディオ・セグンド〔スト指導者〕を捜しにくるが、彼の姿は見えない。ホセ・アルカディオ・セグンド、メルキアデスの羊皮紙を読まんとする。

477 雨は四年十一カ月と二日のあいだ降りつづく。マコンド全体の衰退。雨の効果。瘦せたアウレリャノ・セグンド〔くじ売り〕は家から出られない。アマランタ・ウルスラ〔ガストン夫人〕はアウレリャノ少年と遊ぶ。フェルナンダ・デル=カルピオ〔女王〕の通信療法。ヘリネルド・マルケス大佐の死とわびしい葬列。アウレリャノ・セグンド〔くじ売り〕、ペトラ・コテスのもとで三月を過す。家畜たちの死。フェルナンダ〔女王〕の延々たる愚痴。アウレリャノ・セグンドは癇癪をおこして物をこわし、家を出る。食料を調達し戻る。

495 ウルスラ〔家刀自〕の老衰。

497 アウレリャノ・セグンド〔くじ売り〕、ウルスラの隠した金貨を捜す。

499 雨がやみ、十年間の旱魃が始まる。「マコンドは廃墟も同然の姿になっていた」。ペトラ・コテス、財産の再建を決意。

505 ウルスラ〔家刀自〕、起きあがって家の中を整理する。ホセ・アルカディオ・セグンド〔スト指導者〕は羊皮紙の解読に専念。「時は少しも流れず、ただ堂々めぐりをしているだけ」。

510 アウレリャノ・セグンド〔くじ売り〕、再びくじを売る。ペトラ・コテスのブエンディア家の人々に対する愛情。アウレリャノ少年〔私生児〕が育ってゆく。ウルスラはすっかりちぢんでしまう。

519 ウルスラの死。小鳥たちの死。奇妙な動物の死体の発見。

521 レベーカ〔もらわれっ子〕の死。

523 屋敷内、いよいよ荒れる。「客にたいする歓待の精神……の流れは、フェルナンダ・デル=カルピオ〔女王〕の世捨て人的な感情によってせき止められてしまった」。フェルナンダとペッサリー。

526 アウレリャノ〔私生児〕がホセ・アルカディオ・セグンド〔スト指導者〕と仲良くなる。羊皮紙の研究を教え、バナナ会社の虐殺を語る。

528 アウレリャノ・セグンド〔くじ売り〕、喉に異常を感じる。フェルナンダの呪い。土地のくじを売る。

531 アマランタ・ウルスラ〔ガストン夫人〕、ブリュッセルにむけて旅立つ〔彼女は一番ウルスラ〔家刀自〕に似ている〕。その旅の過程。

534 アウレリャノ・セグンド〔くじ売り〕とホセ・アルカディオ・セグンド〔スト指導者〕のふたごが同時に死ぬ。埋葬の混乱。

537 アウレリャノ〔私生児〕、羊皮紙解読に熱意を燃やす。メルキアデスの幽霊の援助。『サンスクリットだよ』。カタルニャ生まれの学者の本屋。

540 ペトラ・コテス、フェルナンダ・デル=カルピオ〔女王〕をひそかに養う。女の意地。

540 サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ〔主婦〕の性格。「人間わざとは思えない勤勉さや驚くべき仕事の能力」。崩壊してゆく家と彼女の勝ち目のない戦い。『降参よ』。彼女は家を出てゆく。

544 フェルナンダ〔女王〕、生まれて初めて家事をする。ものがなくなる不思議な現象。

547 アウレリャノ〔私生児〕、羊皮紙を一枚分訳す。韻文の暗号。彼とフェルナンダ〔女王〕の暮し。「この世の人とは思われぬほど美しい老女」。

550 フェルナンダ〔女王〕の死。ホセ・アルカディオ〔神学生〕の帰宅。

553 アウレリャノ〔私生児〕とカタルニャ生まれの学者の親交。五冊の本。

555 ホセ・アルカディオ〔神学生〕のローマでの生活。遺産相続の見込みとその消滅。四人の子供と遊ぶばかりの毎日。七千二百十四枚の四十ペセータ金貨の発見。ばか騒ぎとわびしさ。四人の子供を追い出す。

563 アウレリャノ〔私生児〕とホセ・アルカディオ〔神学生〕。アウレリャノの世間知。アウレリャノ・アマドルの帰還と殺害。ホセ・アルカディオ、四人の子供に殺される。

567 アマランタ・ウルスラ〔ガストン夫人〕が夫と共に帰る。彼女は家の中を整理する。彼女のすぐれた実務能力。「実に現代的で自由な精神の持ち主」。マコンドの空に放つ二十五つがいのカナリアのエピソード。彼女は「この不運の町を旧に復することができると信じて疑わなかった」。

572 アマランタ・ウルスラと夫ガストンのなれそめ。幸福な夫婦。

576 退屈したガストンの航空便開設計画。飛行機を待つ。

577 アウレリャノ〔私生児〕、外へ出るようになる。バナナ会社の廃墟。〔おそらくパトリシア・ブラウンからの〕電話。アウレリャノ〔大佐〕を覚えている唯一の男である黒人とその曾孫ニグロマンタ。アウレリャノ〔私生児〕、アマランタ・ウルスラに対する恋を自覚する。ニグロマンタと寝て、彼女を情婦にする。性的能力の証明。

582 カタルニャ生まれの学者の本屋と四人の若者。ごきぶり論議。みんなで女郎屋へ行く。循環的な経済。ガブリエルとの友情。「三十七番めの悲劇的な場面」。

591 アウレリャノ〔私生児〕、アマランタ・ウルスラに恋情を告白する。彼女の反撥。淫売宿〈黄金童子〉の発見。飛び交う石千鳥。ピラル・テルネラに自分の恋を話す。『相手はちゃんと待ってるから』。アウレリャノ〔私生児〕、アマランタ・ウルスラを襲う。

599 ピラル・テルネラの死と葬儀。カタルニャ生まれの学者の本屋、自分の故郷へ出発。彼の奇妙な手紙。四人の若者たちも発つ。ガストンももういない。「アウレリャノとアマランタ・ウルスラだけが、幸せだった」。二人の熱烈な性愛。屋敷を壊しながら愛しあう。外の世界、ガストンや本屋やガブリエルからの手紙。

612 アマランタ・ウルスラ〔ガストン夫人〕の妊娠。「ふたりはいっしょにいさえすれば幸福」。アウレリャノ〔私生児〕の素性しらべ。その失敗。二人の関係に関する謎。蟻と紙魚と雑草。『激しい執念は死よりも強い』。

617 男の赤ん坊〔最後の者〕が生れる。豚のしっぽがある子。『いや、アウレリャノがいい』。アマランタ・ウルスラの死。アウレリャノ〔私生児〕の孤独。

622 蟻に運ばれてゆく赤ん坊〔最後の者〕の死体。それを見てメルキアデスの最後の鍵が明らかになる。解読。〈この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる〉。

622 再び羊皮紙に取り組む。「百年前にメルキアデスによって編まれた一族の歴史」。「マコンドはすでに、聖書にもあるが怒りくるう暴風のために土埃や瓦礫がつむじを巻く、廃墟と化していた」。「羊皮紙に記されている事柄のいっさいは、過去と未来を問わず、反復の可能性のないことが予想された」。


[その他] 3月29日(土曜日)孫の誕生日会

 戸坂に嫁いだ次女宅。孫の誕生日会。

年中、小1、の男子2人。両方とも3月生まれなので合同誕生日会。

半球形のケーキはゲーム関連でなにが良いのか不明(味はよかった)。





[積読立読斜読] 『漱石俳句集』(坪内捻典編、岩波文庫)明治四十年 655—664



 [積読立読斜読] 『漱石俳句集』(坪内捻典編、岩波文庫)明治四十年 655—664


655 かりがねの斜に渡る帆綱かな


656 傾城に鳴くは故郷の雁ならん


657 夕雁や物荷ひ行く肩の上


658 草共に桔梗を垣に結び込みぬ


659 草刈の籠の目を洩(も)る桔梗かな


660 桔梗活けて宝生流の指南かな


661 丸髷に結ふや咲く梅紅(くれない)に


662 川ありて遂に渡れぬ枯野かな


663 法螺の音何処より来る枯野哉


664 わが影の吹かれて長き枯野哉



660 宝生流―能楽の流派。漱石はこの年11月から宝生新に謡曲を習った。


夏目漱石  1867‐1916(慶応3‐大正5)

なつめそうせき 


作家,英文学者。江戸牛込馬場下横町の名主夏目小兵衛の五男に生まれた。本名は金之助。生後1年で塩原昌之助の養子になり,幼年期を浅草界隈で送った。また,そのころ疱瘡にかかり,大人になってからも鼻の頭に痘痕が残った。このことを〈彼は暗い櫺子(れんじ)のうちで転げ廻った。惣身(そうしん)の肉を所嫌はず仰き強(むし)って泣き叫んだ〉と《道草》に記している。孤独な幼年時代の記憶は暗い色調に覆われている。10歳のとき養父母の離婚のため生家に戻ったが,やすらかな帰属感を抱くことはできなかった。やがて東京府第一中学に入学するが,まもなく中退,二松学舎に入り漢籍を学んだ。漱石の漢詩文の趣味と素養はこの時期に身についた。しかし文明開化の世に好きな漢詩文で身を立てることは諦め,成立学舎に入って英語を学び,1884年大学予備門に入学した。学制改革により予備門が改称された第一高等中学本科に進むにあたり,専攻を英文学に決めたとき,漱石は趣味にもとづく漢文の文学よりは国家有用の事業としての英語の文学を生涯の仕事としようとした。しかし〈洋文学の隊長〉たらんとの当初の野心は,まもなく〈英文学に欺かれたかの如き〉失望に変わった。英文学への懐疑は,東京帝大英文科に進み,卒業して後もつのる一方で,自分の生存理由を疑う人生的懐疑へ深まり,何ものかに追跡されている迫害妄想を抱くにいたった。かくて1895年高等師範学校の職を辞し,松山中学の英語教師として都落ちするという,常識からすれば不可解な行動に出た。松山で作った漢詩の〈大酔醒め来りて寒さ骨に徹し,余生養い得て山家に在り〉という句などから推察すれば,松山行きには自己埋葬の衝動が感じられる。翌年,熊本の第五高等学校へ移り,以後4年間,正岡子規の影響もあって多くの俳句を作っている。1900年文部省の命によりイギリス留学の途に上った。漱石は在学以来苦しんだ英文学への懐疑を根底より解決しようとし,下宿にこもり食費を節約して書物を買い込み,猛勉強を始めたが,激しい神経衰弱に陥り文部省の報告書を白紙のまま本国へ送り,そのため漱石発狂のうわさが飛んだ。漱石が突き当たったのは彼我の文学の言葉の違い,それも感性に訴える面での〈趣味 taste〉の違いに由来する了解不可能という壁であった。この宿命的な壁を除くことはできないが,論理化することによって日本人として英文学に対する主体的態度を確立しようとし,歴史,心理学,社会学,文明論にわたる読書と思索を続けた。それは英文学の範囲を超えた文学の原理的考察であり,東西文明の根底的な比較であった。

 03年帰国した漱石は,東京帝大英文科講師として〈英文学概説〉の講義を,ロンドンでの悪戦苦闘の思索をもとにおこなった(《文学論》)が,学生には難解で不評だった。一方漱石の神経衰弱は帰国後も続き,しばしば幻聴に悩み,被害妄想によるかんしゃくの破裂となり,一時妻子と別居するにいたった。このときの苦しみは,05年から雑誌《ホトトギス》に高浜虚子のすすめで発表した《吾輩は猫である》に,滑稽と諧謔を交えて描かれ,晩年の《道草》には自己を俎上にのせて解剖する苛烈さで描かれている。《吾輩は猫である》は予想外の反響を呼び,作家漱石の文名があがった。この年《倫敦塔(ロンドンとう)》《薤露行(かいろこう)》を《猫》と並行して書き,翌年には《坊っちゃん》《草枕》を発表し,せきを切ったような旺盛な創作意欲は,大学教師との両立を困難にした。そして漱石を慕って家に出入りする小宮豊隆,森田草平,鈴木三重吉ら教え子を中心とする弟子たちのために木曜日を面会日とした。いわゆる木曜会は06年に始まり,漱石の死の直前まで続き,晩年には芥川竜之介,久米正雄,松岡譲らが加わった。

 07年漱石はいっさいの教職を辞めて東京朝日新聞社に入社し,職業作家になった。すでに40歳であった。入社第1作《虞美人草》は,一文を草するのに俳句を一句ひねるがごとき苦心を重ね,美文に陥る嫌いはあるが,一見古めかしい勧善懲悪の意匠の下に卓抜な文明批評をおこなっている。つづく《三四郎》(1908),《それから》(1909)では文明批評とからませた人間の存在追求に深さを増し,《門》(1910)にいたって片隅に生きる男女の日常を描いて,澄んだ静謐(せいひつ)な形而上的感触を暗示する作風を示した。しかしこの年の8月,宿痾の胃潰瘍から転地療養先で大吐血をし,生死の境を彷徨した。いわゆる〈修善寺の大患〉で,《思ひ出す事など》(1910‐11)はこの体験のすぐれた結晶である。この後,《彼岸過東》(1912),《行人(こうじん)》(1913),《こゝろ》(1914)で人間の孤独と〈我執〉を追求する深刻な作風を示した。晩年の漱石は,自伝的小説《道草》(1915)で過去の自己を俎上に,その意味を問い,《明暗》(1916)で老練な作家的技量を駆使した最大の長編を書きすすめたが,胃潰瘍の発作のため未完のまま永眠した。漱石最晩年の心境として〈則天去私〉が有名だが,漱石自身に格別の説明はない。《明暗》に暗示されている作家的自由の境地や並行して書かれた漢詩群に即して考えるべきで,固定的な理念とみるのは,晩年の漱石の実像にそぐわない。                     桶谷 秀昭


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[その他] 3月29日(土曜日)まこと歯科で定期クリニック

 案内のはがきが来るので継続できてます。

患者さんが多く土曜日はなかなか予約がとれません。







[その他] 3月29日(土曜日) 花・花”きらめく”春 池坊広島睦月会支部いけばな池坊展

 母親が池坊の華道教室を主宰しております。

所属している池坊広島支部睦月会の花展へ出展。

当方は送迎とか後片付けとかの手伝いをします。



母親

配偶者

長女

孫2人

が出展


池坊広島支部は中学校の同じクラスだった伊東さん(旧姓:新藤)さんが支部長。

画像はFMラジオ番組出演の際。

あと孫娘のYちゃんの友達のマンションのオーナーでもあります。



https://archive.hfm.jp/blog/songs_on_your_lips/


2018年5月20日日曜日
https://28minami-owaki.blogspot.com/2018/05/blog-post_20.html








[積読立読斜読] 『鍵山秀三郎「一日一話』3月30日~4月5日












 

[その他] 遅まきながら 映画『侍タイムスリッパ―』(2024年)

 製作費が2600万円で興行収入が10億円という奇跡の映画。

劇場版ではチャンスがありませでしたがアマゾン・プライムで配信中。

脚本が秀逸で殺陣も素晴らしく傑作でした。




侍タイムスリッパー

『侍タイムスリッパー』(さむらいタイムスリッパー)は、2024年8月17日公開の日本映画。監督は安田淳一、主演は山口馬木也[4]。第67回ブルーリボン賞作品賞、第48回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作。

概要

『拳銃と目玉焼』、『ごはん』に続く未来映画社3作目の劇場映画(自主製作映画)。幕末の会津藩士・高坂新左衛門が長州藩士を襲撃した夜、落雷によって現代の京都の時代劇撮影所にタイムスリップしてしまい、「斬られ役」として生きていくという時代劇コメディ映画[4][5]。略称は「侍タイ(さむたい)」[6]。

Wikipediaより

2025年3月28日金曜日

[俳風ジャスロ多留] 3月28日(木曜日) 小太りが デジャヴュとジェメヴュを 往きかえり




 小太りがデジャヴュとジェメヴュを往きかえり


私はデブじゃ。


築50年のヴィンテージ・マンションでの管理員代務の仕事でした。

当時は管理員が夫婦住み込みの場合が多く当物件にも3LDKの部屋があります。

休憩時間に寝っ転がっていたら天井に見覚えが。学生時代の下宿屋さんの天井でした。

当時と変わったのは年齢と体重増加ということで。


デジャヴュ(déjà-vu)の反対ジャメヴュ(jamais-vu)って知ってますか?

2025年3月26日水曜日

[惹句どんどん] 大瀧詠一

 

 「ロックンロールは音質の悪い
        カーラジオで聴かなきゃダメ」




内田樹先生のサイトからの孫引きです

[晴れ時々英語のお勉強] 中村澄子『炎の千本ノック!とことん文法徹底攻略』(祥伝社、2024年)






 p325

FOCUS-91 (群)前置詞+疑問詞


[問題文]

Ms. Ingles is expected to make an announcement as to

when the annual board of directors meeting will be 

held.


expect O to do 「Oが~することを期待する」


as to when the annual board of directors meeting will be 

held.(年次取締役会がいつ開かれるかに関して)


2語以上からなる前置詞:群前置詞…名詞・名詞相当句(名詞句・名詞節)が続く


《(群)前置詞+疑問詞+S + V》…間接疑問文


《比較》

直接疑問文:When will the meeting be held?

間接疑問文:We don't know when the meeting will be held.

…疑問詞以下は動詞の目的語


他の著書

[問題文]

前置詞of + 疑問詞 how

79. The consulting team concluded that no action should 

be taken without careful consideration of how decisions

would affect shareholders.


前置詞by +疑問詞 how much

84. The tariff charged on an imprted product is 

determined by how much the item is expected to sell

for in the retail market.

tariff:関税

determin:課す





2025年3月25日火曜日

[その他] 10日と25日は 'Punk in'(パン喰い)の日 The City Bakery (広島駅minamoa)



2025年3月25日(火曜日)。ちょうど昼食時。30分待ち。

なんと看板の「プリッツエルクロワッサン」が420円。

NYの価格です。(パンはさすがにおいしいです)。









ニューヨークの店舗は残念ながら閉店してしまったようです。
当方はパン屋に勤めていて何度か視察したことがあります。




[新聞投稿] 皆実28期・寺本さんの投稿 中国新聞「広場」欄に掲載

寺本君も投稿の常連です。

2025年3月23日(日曜日)付中国新聞。



[俳風ジャスロ多留] 3月24日(月曜日)少しだけ 身体にありがたく 頂戴し

 


仕事中時間余ったので自宅近くの日赤内にあるスターバックスへ。


院内には糖質制限の患者さんもおられると思いますが、

当方はまったくの健康体なのでNYチーズケーキをありたがく頂戴。


この店舗はFC店のようで病院内なのにあまりホスピタリティ感じず。

残念。




[その他] 3月24日(月曜日)ヤマハ・ドラム教室

月に3回通ってます。30分の個人レッスン。

短いようですが30分叩きっぱなしで疲れます。

ヤマハの音楽教室はトイレの表示まで「音楽」してました。

 


2025年3月24日月曜日

[積読立読斜読] 『英語で言うとはこういうこと』(片岡義男著、角川oneテーマ21、2003年)

 




part 4

p110

(1)キャット・フードは魚が原料です

Cat food comes from the ocean.

DeepL翻訳

Cat food is made from fish.


(2)詳細は一週間後にお手もとに届きます

Deatails comes your way in a week.

DeepL翻訳

More details will be at your fingertips in a week.


(3)輸出は堅調に推移している

Exports are moving with firmness.

DeepL翻訳

Exports are holding steady.


(4)状況が好転した

Circumstances moved in my favor.

DeepL翻訳

The situation took a turn for the better.

[惹句どんどん] 内田樹(思想家)弟子について

 



弟子は師の背中を見つめて歩むだけで、
他の人と
勝敗強弱巧拙を競うようなことは
しないのである。


http://blog.tatsuru.com/2025/03/21_0809.html