[積読立読斜読] 『断腸亭日乗 【一】大正六―十四年』 (岩波文庫、2024年)大正十年一月~六月
超スローリーディング中の岩波文庫版『断腸亭日乗』。
荷風の大正十年、1921年は四十二歳。(青空文庫では43歳)。大正十年は大部になるので1月~6月と、7月~12月に分けて投稿します。
この年の浅草の大火は全焼1155戸だそうですが、荷風の日乗には記述がありません。新聞はとっていなかったのか。
<荷風年表>
1月 「夜網誰白魚」(戯曲)を左団次のために執筆した(3月、明治座で上演)
3月 「雨蕭蕭」を『新小説』に発表
7月 『三柏葉樹頭夜嵐』(戯曲集)を春陽堂から刊行
10月 「砂糖」を『国粋』に発表
11月「目黒」
12月 「写況雑記」を『明星』に掲載
<日本史>
尺貫法からメートル法へ統一(全面実施は1966年)
原敬首相暗殺/第三海堡(東京湾海上の人工島)、完成
4月:函館で大火
5月:浅草で大火
9月:近畿・中部地方に大型台風
[流行歌]青い眼の人形/赤い靴/どんぐりころころ
https://kazokuisan.jp/%E5%A4%A7%E6%AD%A310%E5%B9%B4/1921%E5%B9%B4
<浅草大火事・新聞記事>
真昼浅草の大火 千百余戸を焼く
吉原土手下より公園裏まで遮るものなき焦土
午後2時26分、六時間燃えて鎮火 火元は俳優中村方
6日午前8時40分頃、浅草田町一丁目37番地、俳優中村富右衛門方より発火、北西の烈風のため田町一丁目16番地から80番地までの一帯をひとなめにし、一方元火は吉原堤を越え地方今戸町に延焼したが、10時頃風は巽(たつみ:東南の方角*)に変じ、千束町三丁目の一部、象潟町のほとんど全部を焼き、吉原遊郭方面に迫らんとした頃(11時)、風はまた北西と変じ、馬道七八丁目を二手となり並行して公園に向かい、正午近く三度風は巽に変じ観音裏の千束町二丁目新開大道に燃え広がって、風も衰え今戸町堤防は同町97番地の掘割にて止まり、田町一丁目は45番地角の共同便所付近にて食い止め、猛火の風下となった千束町三丁目の火の手は二丁目41番地(宮古座裏手)にて、象潟町は同町3番地にて、また馬道町は七丁目1番地小林清章方にて食い止め、午後2時20分全焼1,155戸、半焼77戸を出して鎮火せるが、その区域田町馬道7丁目の全部および千束町三丁目東側一部、象潟町の東部八、九、十丁目の一部、馬道一丁目の馬道通りに面せる一小部分、その区域長さ五町、幅一町、坪数約27,000坪、損害約300万円以上におよんだ。火元主人は目下従業中不在なるが、留守番の雇人中田かつ(43)が朝飯を焚きつけたるまま外出せしため出火したるものなりと。
東京日日新聞 1921年4月7日
断水の記述があり、当時「水道管偽造」事件があったよし。
野呂景義(読み)のろかげよし
日本大百科全書(ニッポニカ) 「野呂景義」の意味・わかりやすい解説
野呂景義
のろかげよし
(1854―1923)
冶金学者(やきんがくしゃ)、近代製鉄技術確立の功労者。名古屋の生まれ。愛知英語学校から開成学校に進み、1882年(明治15)東京大学理学部採鉱冶金学科卒業。母校の助教授となり、恩師クルト・ネットーCurt A. Netto(1847―1909)のもとで冶金学の研鑽(けんさん)と学生指導にあたった。ロンドン大学で機械、電気工学、ドイツのフライベルク鉱山大学(恩師の母校)で鉄冶金学を学び、1889年帝国大学工科大学教授に就任。以来、今泉嘉一郎(いまいずみかいちろう)、俵国一(たわらくにいち)ら、後の鉄鋼界の代表的技術者・工学者を育成した。農商務省の技師を兼ね、松方正義(まつかたまさよし)、榎本武揚(えのもとたけあき)らの委嘱を受けて官営製鉄所建設計画や製鉄工業化試験に力を尽くした。東京市水道鉄管事件(国内製造業者が東京市の検査で不合格となった鉄管を合格品と偽って納入し、政治問題化した事件)に巻き込まれ、1896年いっさいの公職を辞したが、釜石(かまいし)、八幡(やはた)両製鉄所(ともに日本製鉄の前身)をはじめ、ほとんど全国各地の主要鉄鋼業の技術的確立は、彼の指導に負っている。鉄鋼の科学と技術と経済の結び付きを提唱し、門下らと1915年(大正4)日本鉄鋼協会を設立、初代会長に選ばれた。
[飯田賢一]
断腸亭日乗
断腸亭日記巻之五大正十年歳次辛酉 七月から十二月
荷風年四十三
七月一日。※[#「さんずい+揺のつくり」、U+6EDB、146-4]雨晴る。風吹き出でゝ庭樹をうごかす。
七月二日。松葉牡丹始めて花さく。
七月三日。晴天。炎暑襲ひ来れり。
七月四日。アンドレヱヂイドの小説パリユードを読む。感歎措く能はず。
七月五日。快晴。涼風水の如し。
七月六日。曇りて蒸暑し。毎日読書晩涼の来るを俟つ。身世淡々凡て興なし。
七月七日。炎暑甚し。
七月八日。夜雨ふる。涼味襲ふが如し。
七月九日。雨ふりて風冷なり。
七月十日。有楽座例年の如く文楽座人形芝居を興行す。古靭太夫が良辨杉の段を聴いて暗涙を催したり。母子の愛を題材となすもの、丸本には類例もとより尠しとせず。されどこの良辨杉の如く、直接深刻に母子再会の情を現せしものは稀なるべし。余故あつて日々慈顔を拝すること能はず。此の浄瑠璃をきいて感動措く能はざるなり。
七月十二日。玉山子と銀座の草市を歩む。
七月十三日。西風颯々涼気秋に似たり。窗を開いて書を曝す。
七月十四日。有楽座人形芝居二ノ替を見る。平岡君に逢ひ、自働車を山の手の狭斜に走らす。
七月十五日。炎熱日に日に盛なり。困憊甚し。
七月十六日。帝国劇塲廊下にて葵山子に逢ふ。
七月十七日。雑誌国粋の記者清果一籃を贈り来りて寄稿を請ふ。〔朱書〕(小品文砂糖を寄稿す)
七月十八日。連夜人形芝居を看る。
七月十九日。
七月廿一日。驟雨雷鳴。
七月廿二日。驟雨あり。
七月廿三日。天候いよ/\穏ならず。両国川開中止となる。
七月廿四日。降続きし雨深更に至り益※(二の字点、1-2-22)甚し。明治四十三年秋隅田川暴漲の事を想出しぬ。翁家の富松も既になき人の数に入りぬ。
七月廿五日。久振りにて清元会を聴く。夕陽明媚なりしが初更の頃より雨また沛然たり。
七月廿六日。※(「こざとへん+(人がしら/髟のへん)」、第4水準2-91-70)晴定まらず。時々微雨あり。虫声を聞く。
七月廿七日。雨ふる。
七月廿八日。木曜会に徃く。帰途始めて月を見る。
七月廿九日。松莚子に招がれて風月堂に飲む。
七月三十日。浅草散歩の途上古書肆浅倉屋を訪ひしが獲るところなし。
七月卅一日。
八月一日。帝国劇塲初日。帰途清潭子と南佐柄木町の弥生に飲む。
八月二日。雨。
八月三日。天気再び梅雨の如し。松莚子に招かれて末広に飲む。
八月四日。雨なけれど風甚冷なり。
八月五日。歌舞伎座初日なり。松莚子の村井長庵を見る。此の夜塲中炎暑忍難し。夜半家に帰るに虫の声俄に稠くなれり。窗を開いて眠る。
八月六日。炎暑甚し。
八月七日。午後机上の寒暑計九十度を示す。夜に入りて風涼しく虫の音次第に多し。
八月八日。この日立秋なり。夕餉の後日比谷公園を歩む。繊月樹頭に懸かる。
八月十日。新聞紙の報道によれば昨今の暑気華氏九十三四度に上るといふ。
八月十一日。春陽堂拙著全集第五巻、および其他の印税、総計金九百六拾参円を送り来る。夕餉の後有楽座に徃き、新俳優花柳一座の演劇を看る。久保田萬太郎吉井勇の諸氏に逢ふ。秋風颯颯として残暑俄に退く。
八月十三日。西ノ久保八幡宮祭礼にて近巷賑かなり。
八月十四日。
八月十五日。風雨襲来の兆あり。風卻て沈静し、草の葉も動かず。溽蒸忍ふべからず。窗を開いて寝に就く。
八月十六日。早朝驟雨の音に睡より覚む。終日雨来りては歇むこと幾回なるを知らず。夜電燈点ぜず。燭を点じて書を読むに、雨声虫語と相和し風情頗愛すべきものあり。
八月十七日。曇る。
八月十八日。曇りて蒸暑し。夜わづかに雨を得たり。
八月十九日。天気前日の如し。夜涼を俟ちて机に凭る。去月脱稾せし小品文を訂正して国粋社に送る。
八月二十日。高樹風を呼ばず、明月空しく中空にあり。炎熱限りなし。夕餉の後外濠の電車に乗りて涼を納る。
八月廿一日。秋暑前日に劣らず。
八月廿二日。夜に至るも風なし。
八月廿三日。グルモンの詩集 Divertissements を読む。
八月廿四日。夜に入り風を得たり。暑気少しく忍易し。
八月廿五日。晩※[#「餮」の「珍のつくり」に代えて「又」、U+4B38、150-3]の後有楽座に徃く。
八月廿六日。昨夜より西南の風烈しく、雨を催せしが、是日午後に至り大雨車軸の如し。
八月廿七日。雨後新涼肌を侵す。
八月廿八日。松莚清潭の二子と風月堂に飲む。
八月廿九日。秋雨霏々。虫声喞々。昼夜を分たず。
八月三十日。鄰家の籬に木槿花ひらく。
八月三十一日。門前の百日紅蟻つきて花開かず。
九月朔。生田葵山君と帝国劇塲に赴く。演藝野卑陋劣観るに堪えず。
九月二日。明治座初日。帰途驟雨に逢ふ。
九月三日。東宮還御の当日なる由にて、花火花電車提灯行列等あり。市中雑※(「二点しんにょう+鰥のつくり」、第4水準2-89-93)甚し。夜清元会に徃く。会塲にて田村百合子に逢ふ。洋画を有嶋生馬氏に学び、また清元を好みて梅吉の門弟となれり。去年の夏帝国劇塲にて旧作三柏葉樹頭夜嵐興行中始めて相識りしなり。清元会終りて後雑沓の巷を歩み、有楽軒に入りて倶に茶を喫す。
九月四日。薄暮大雨沛然たり。夜に至りて益※(二の字点、1-2-22)降る。
九月五日。薄暮雨来ること昨日の如し。風月堂にて偶然延寿太夫夫婦に逢ふ。庄司理髪店に立寄り、銀座通に出るに道普請にて泥濘踵を没す。商舗の燈火は黯澹として行人稀なり。余東京の市街近日の状况を見るや、時々何のいはれもなく亡国の悲愁を感ず。
九月六日。綾部致軒愛児を喪ふとの報あり。午後唖々子の来るを待ち、倶に天現寺畔の寓居を訪ひ吊辞を陳ぶ。白金雷神山の麓を過ぎ、権之助阪を下り目黒不動祠の茶亭に憩ひ、浅酌黄昏に至る。
九月七日。時々驟雨あり。※(「こざとへん+(人がしら/髟のへん)」、第4水準2-91-70)湿の天気旬余に及ぶ。世上頻に米価の騰貴を伝ふ。徹宵豪雨歇まず。
九月八日。正午の頃雨晴れたり。玄文社演劇合評会。市村座を見る。
九月九日。日本橋若松家にて玄文社合評会あり。此夕寒冷火鉢ほしきほどなり。
九月十日。与謝野寛氏雑誌明星の再刊を企つ。是夕四番町の居邸に石井柏亭、高村光太郎、平野萬里、竹友藻風の諸氏及び余を招ぎて胥議す。
九月十一日。秋の空薄く曇りて見るもの夢の如し。午後百合子訪ひ来りしかば、相携へて風月堂に徃き晩餐をなし、堀割づたひに明石町の海岸を歩む。佃島の夜景銅版画の趣あり。石垣の上にハンケチを敷き手を把り肩を接して語る。冷露雨の如く忽にして衣襟の潤ふを知る。百合子の胸中問はざるも之を察するに難からず。落花流水の趣あり。余は唯後難を慮りて悠々として迫まらず。再び手を把つて水辺を歩み、烏森停車塲に至りて別れたり。百合子は鶴見の旅亭華山荘に寓する由なり。
九月十二日。早朝百合子の手紙来る。午後母上来り訪はる。青山辺まで用事ありての帰り道なりと。夜小雨ふる。
九月十三日。百合子を見むとて鶴見に徃き華山荘を訪ふ。不在なり。折から雨降り出したれば急ぎ停車場に戻り、家に帰る。夜芝田村町の青木を訪ふ。奇事あり。
九月十四日。雨ふる。午後百合子来る。手を把つて長椅子に坐して語る。倶に出で※(二の字点、1-2-22)虎の門に至り、余は別れて風月堂に徃き、独食事をなし有楽座に久米氏を訪ふ。松山画伯里見醇とプランタン酒亭に至る。花月画伯猿之助を伴ひて来るに逢ひ、笑語覚えず夜半に及ぶ。
九月十五日。雨歇まず。蟋蟀いつか長椅子の下に潜み夜をも待たず幽かに鳴く音を立つ。平素書斎の塵を掃はざるもこの一徳あり。独居の幽趣亦棄つべきにあらず。明夜は中秋なりといへど思ふに月無かるべし。枕上クローデルの戯曲ペールユーミリヱーを読む。
九月十六日。午後より空次第に晴来りて意外なる良夜となれり。不願醒客と風月堂に会し、月中漫歩、九段の妓窩に徃きて大に飲む。
九月十七日。午後百合子来る。十六夜の月を観むとて相携へて愛宕山に登る。清光水の如く品海都市斎しく蒼然たり。芝山内の林間を歩み新橋停車塲に至りて手を分ちぬ。
九月十八日。細雨糠の如し。書窗黯澹薄暮に似たり。雑誌明星第一号原稾〆切の日迫り来りし故、草稿をつくらむと筆をとりしが感興来らず。苦心惨澹たり。夜半豪雨※(「口+曹」、第3水準1-15-16)※(「口+曹」、第3水準1-15-16)として屋を撲つ。
九月十九日。朝来大雨懸淙の如し。午後一天俄に晴れ風あたたく[#「あたたく」はママ]頭痛を催さしむ。晩間風月堂にて食事をなし、有楽座に長唄研精会を聴く。演奏凡て巧妙ならず。小三郎一派の長唄も追々盛りを過ぎて頽廃し行くものゝ如し。帰宅の後枕上マルセルブーランヂヱーの小説マルグリツトを読む。
九月二十日。秋暑甚し。華氏八十度を越ゆ。晩間風月堂にて偶然鬼太郎君に逢ふ。
九月廿一日。帝国劇塲、本日より十日間俄国人歌劇を興行す。一昨年来朝せし一座なり。
九月廿二日。百合子と風月堂にて晩餐を共にし、送つて停車塲に至る。独帝国劇塲に立寄りカルメンを聴く。深更驟雨あり。
九月廿三日。連宵帝国劇塲に歌劇を聴く。
九月廿四日。日比谷の横町に俄国人の営めるカツフヱーウクライナといふ酒亭あり。平岡画伯と劇塲聴歌の帰途、入りて憩ふ。歌劇一座の俄国人男女数名来りて頻にウオトカ酒を飲む。画伯遠客を慰めむとて盛に三鞭酒を※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、154-3]いて盃を勧む。彼等其の好意を謝し、盃を挙げて一斎に故郷の歌を唱ふ。言語の通ぜざるを憾む。
九月廿五日。雨ふる。蟋蟀昼夜屋内に啼く。
九月廿六日。連宵オペラを聴く。聊か疲労を覚えたり。
九月廿七日。秋陰の天気漫歩するによし。江戸川を歩み関口の滝に憩ひ、神楽阪に飯して帰る。
九月廿九日。松莚子に招がれて風月堂に飲む。夜半雨声淋鈴。
九月三十日。雨猶歇まず。宿痾再び発す。
十月一日。有楽座に有嶋武郎の作死と其前後を看る。帰途松山画伯の酒亭に憩ひ、主人と款晤夜分に至る。
十月二日。午後富士見町与謝野氏の家にて雑誌※(「圀+月」の「方」に代えて「冂」、第4水準2-14-27)星編輯相談会あり。森先生も出席せらる。先生余を見て笑つて言ふ。我家の娘供近頃君の小説を読み江戸趣味に感染せりと。余恐縮して荅ふる所を知らず。帰途歌舞伎座に至り初日を看る。深更強震あり。
十月三日。雨ふる。草稾を明星に送る。腹痛あり。終日湯婆子を懐中す。
十月五日。正午、数寄屋橋歯科医山形氏の家に至らむとする途上、小山内氏に逢ふ。倶に風月堂に登りて食す。薄暮秋雨また霏※(二の字点、1-2-22)たり。
十月六日。雨夜に入りて歇む。百合子来る。
十月七日。晩餐の後唖々子と銀座を歩み、新冨座の立見をなす。帰宅の後明星の草稾をつくり四更に至る。門外頻に犬の吠るを聞き戸を排いて庭に出づ。四鄰寂寞。虫声唯雨のごとし。
十月八日。雨霏々たり。夜に入りて風次第に強し。
十月九日。雨中百合子来る。吾家にて晩飯を倶にし、有楽座に徃きてオペラを聴く。ロメオジユリヱツトの曲なり。曲終りて劇場を出でむとするや、風雨甚しく自働車人力車共に出払ひて来らず。幸にして平岡画伯と廊下にて出遇ひ、其自働車に乗りて一トまづ花月に徃く。久米松山の二氏も共に徃く。画伯越前の蟹を料理せしめ酒を暖めて語る。雨いよ/\甚しく遂に帰ること能はず。余と百合子と各室を異にして一宿することゝなる。久米松山の二氏は家近きを以て歩みて帰る。余一睡して後厠に徃かむとて廊下に出で、過つて百合子の臥したる室の襖を開くに、百合子は褥中に在りて新聞をよみ居たり。家人は眠りの最中にて楼内寂として音なし。この後の事はこゝに記しがたし。
十月十日。朝十時頃花月を出で、百合子の帰るを送りて烏森の停車場に至り、再会を約して麻布の家に帰る。夜玄文社合評会に徃く。
十月十一日。花壇の菊ひらく。紅蜀葵の葉の黄ばみたるさま花よりも却て趣あり。
十月十二日。天候穏ならず。溽暑恰も温室に在るがごとし。
十月十三日。石蕗花ひらく。
十月十四日。北風吹きて寒し。七草会に出席す。
十月十五日。空晴れしが風寒きこと十二月の如し。風邪の気味にて腹痛あり。
十月十六日。百合子来りて病を問はる。
十月十七日。病痊ゆ。小春の天気愛すべし。菊花満開なり。
十月十八日。百合子草花一鉢を携へて来る。夕方松莚子より電話あり。百合子と共に風月堂に徃く。松莚子は歌舞伎座出勤中、幕間に楽屋を出で風月堂に来りて晩餐をなすなり。百合子と日比谷公園を歩み家に伴ひ帰る。百合子本名は智子と云ふ。洋画の制作には白鳩銀子の名を署す。故陸軍中将田村氏の女にて一たび人に嫁せしが離婚の後は別に一戸を搆へ好勝手なる生活をなし居れるなり。一時銀座出雲町のナシヨナルといふカツフヱーの女給となりゐたる事もあり。
十月十九日。快晴。百合子正午の頃帰去る。花壇にチユリツプの球根を栽ゆ。
十月二十日。百合子来る。倶に帝国劇塲に徃き池田大伍君の傑作名月八幡祭を看る。帰途雨ふり出したれば百合子余が家に来りて宿す。
十月廿一日。百合子と白木屋に赴き、陳列の洋画を見る。帰途また雨。百合子又余の家に宿す。
十月廿二日。午後百合子と相携へて氷川社境内の黄葉を賞す。此夜百合子鶴見の旅亭に帰る。
十月廿三日。午後百合子来る。倶に浅草公園に徃き千束町の私娼窟を一巡して帰る。百合子余が家に宿す。
十月廿四日。風雨。百合子終日吾家に在り。
十月廿五日。百合子去る。曇りて風なく新寒窓紗を侵す。二月頃の雪空に似たり。
十月廿六日。文藝座私演を見る。風雨夜に至りて歇む。
十月廿七日。神田小川町仏蘭西書院を訪ふ。
十月廿八日。三田文学会。
十月廿九日。山茶花ひらく。
十月三十日。晩※[#「餮」の「珍のつくり」に代えて「又」、U+4B38、157-13]後東仲通支那雑貨店にて水仙を買ふ。
十月卅一日。夜雷雨あり。
十一月朔。昨夜雷雨晴れてより天候始めて順調となる。久雨のため菊花香しからず。
十一月二日。門前百日紅の落葉雨の如し。
十一月四日。夜半地震あり。
十一月五日。百合子来る。風月堂にて晩※[#「餮」の「珍のつくり」に代えて「又」、U+4B38、158-2]をなし、有楽座に立寄り相携へて家に帰らむとする時、街上号外売の奔走するを見る。道路の談話を聞くに、原首相東京駅にて刺客の為に害せられしと云ふ。余政治に興味なきを以て一大臣の生死は牛馬の死を見るに異ならず、何等の感動をも催さず。人を殺すものは悪人なり。殺さるゝものは不用意なり。百合子と炉辺にキユイラツソオ一盞を傾けて寝に就く。
十一月六日。晴。風なし。百合子酉の市を見たしといふ。唖々子を誘ひ三人自働車にて北廓に徃き、京町相萬楼に登り一酌して千束町を歩む。たま/\猿之助が家の門前を過ぐ。毎年酉の市の夜は、猿之助の家にては酒肴を設けて来客を待つなり。立寄りて一酌し、浅草公園を歩み、自働車にて帰宅す。この夜明星晩※[#「餮」の「珍のつくり」に代えて「又」、U+4B38、158-11]会ありしが徃かず。
十一月七日。朝。百合子帰る。天気快晴。水仙を※(「火+共」、第3水準1-87-42)窗に曝す。
十一月八日。風寒く、落葉※(「くさかんむり/(嗽-口)」、第4水準2-86-69)※(「くさかんむり/(嗽-口)」、第4水準2-86-69)たり。
十一月九日。仏蘭西書院より Gide: La Symphonie Pastorale, App〔ママ〕ollinaire: Alcools. の二書を送来る。
十一月十二日。有楽座に長田秀雄の作先夫の子を観る。
十一月十三日。連日快晴。暖気春の如く夜は月光昼のごとし。
十一月十四日。七草会なり。席上にて小山内君新作脚本の朗読をなす。
十一月十六日。母上来り訪はる。
十一月十七日。
十一月十八日。大演習の由。飛行機の響鳴りわたりて小春の空ものどかならず。
十一月十九日。快晴。
十一月二十日。快晴。
十一月廿一日。戯に偏奇館画譜を描く。
十一月廿二日。晴天半月余に及べり。此の夕たま/\微雨あり。
十一月廿三日。朝寒気甚し。窓を開くに屋上の繁霜雪の如し。
十一月廿四日。清元一枝会。
十一月廿五日。猿之助の春秋座招待状を贈来りしが、寒気甚しきが故徃かず。
十一月廿六日。花月主人素人写真展覧会を催さむとて、三越呉服店事務員及余等両三人を京橋角東洋軒に招飲す。
十一月廿七日。快晴。寒気厳冬の如し。夜明星第三号の草稾をつくる。
十一月廿八日。清元会の帰途平岡松山の二画伯と赤阪の長谷川に徃く。岡田画伯水上瀧氏既に在り。是日午後より酒を置いて棋に対すといふ。此夜風暖にして淡烟蒼茫たり。
十一月廿九日。晴れてあたゝかなり。
十一月三十日。三越楼上素人写真展覧会開催。余も亦二葉を出す。百合子を伴ひて赴き見る。
十二月一日。帝国劇塲初日を見る。
十二月二日。初めて氷を見る。
十二月三日。寒気少しく寛なり。
十二月四日。寒気甚しからず。
十二月五日。松莚子宅午※[#「餮」の「珍のつくり」に代えて「又」、U+4B38、160-9]に招がる。毎年の佳例なり。大彦翁、岡鬼太郎、小山内薫も亦招がる。寒風凛冽なり。帰途小川町角仏蘭西書院に立寄り風月堂に夕餉をなす。市村座に徃き西川流踊さらひを看るつもりなりしが、寒風を恐れて家に帰る。
十二月六日。曇りて寒し。深夜細雨の落葉に滴るを聞く。その声※(「くさかんむり/(嗽-口)」、第4水準2-86-69)※(「くさかんむり/(嗽-口)」、第4水準2-86-69)また蕭蕭たり。幽寂極りなし。
十二月七日。快晴。銀座にて靴を買ふ。弐拾六円なり。
十二月八日。初更入浴中地激しく震ふ。棚の物器顛倒して落ち時計の針停りたり。
十二月九日。終日寒雨溟濛たり。
十二月十日。三越楼上素人写真会閉会。
十二月十一日。水道水切となる。八日夜地震のため水道浄溜池破壊せし故なりと云ふ。東京市の水道工事は設置の当初より不正の事あり。即浜野某等ののろなり。今日わづかなる地震にて水切れとなるが如きは敢て怪しむに足らず。夜十一時に至るも水猶なし。
十二月十二日。水道僅に通ず。痳疾患者の尿の如し。呵々。
十二月十三日。七草会依頼の脚本を起稾す。過般松竹会社にて募集したる女優に演ぜしめむがためなり。筆意の如くならず。午後理髪舗庄司に徃き、尾張町春祥堂にて大西氏の支那陶器全書四巻を購ふ。
十二月十四日。西南の風烈し寒月皎々たり。
十二月十五日。木曜会忘年の句会に徃く。夜暖なり。
十二月十六日。風あたゝかなり。終日机に凭る。
十二月十七日。天気暖なり。人々地震を虞る。
十二月十八日。暖気前日の如し。銀座通煉瓦地五十年祭なりとて、商舗紅燈を点じ、男女絡繹たり。百合子と風月堂にて晩※[#「餮」の「珍のつくり」に代えて「又」、U+4B38、161-15]をなし、上野清水堂の観世音に賽す。百合子毎月十八日には必参詣する由。何の故なるを知らず。この夜風暖にして公園の樹木霧につゝまれ、月また朦朧。春夜の如し。
十二月十九日。風さむく日いよ/\短くなりぬ。
十二月二十日。晩※[#「餮」の「珍のつくり」に代えて「又」、U+4B38、162-2]後風月堂より歩みて日比谷公園を過ぐ。夏夜の雑沓に反して、満園寂々人影なし。葉落ちて枯木亭々たり。電燈の光は蒼然として月の如く、噴水の響は蕭蕭として雨の濺ぐに似たり。東京市中の光景にして雅致愛すべきところは人影少き処なり。人在らざれば街路溝渠到るところ漫歩逍遥によし。
十二月廿一日。明星発行所より金五拾円を送り来れり。厚意謝すべし。
十二月廿二日。終日草稾をつくる。日いよ/\短く、夕五時に至らざるに書窗早くも暗し。此日冬至なれど、独居何事も不便なれば柚湯にも浴せず。
十二月廿三日。曇りて寒し。晩間九穂子と歳晩の銀座を歩む。九穂子二十年来の痳疾、膏盲に[#「膏盲に」はママ]入り小水通ぜず、顔色憔悴せり。然れども猶医師の治療を受けず、友人の忠告を聴かず、唯酒を飲む。奇行もこゝに至つて見るに忍びざるものあり。
十二月廿四日。寒気甚し。田村百合子葡萄の古酒一壜を贈らる。深情謝するに辞なし。端書に句を書して送る。
葡萄酒のせん※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、162-14]く音や夜半の冬
十二月廿五日。寒気益※(二の字点、1-2-22)甚し。此頃宿痾殆痊え、寒夜外出の際も湯婆子を懐にせず。風月堂にて晩※[#「餮」の「珍のつくり」に代えて「又」、U+4B38、162-16]をなし、築地の待合のおかつに至り妓八郎に逢ふ。
十二月廿六日。少しく暖なり。歯科医山形氏を訪ふ。
十二月廿七日。松莚子竈河岸の八新に岡、川尻、及余の三人を招飲す。風寒からず。帰途人形町を歩みて八丁堀に至る。歳暮の市街到る処雑沓甚し。彩旗花の如く紅燈星の如し。
十二月廿八日。
十二月廿九日。慶応義塾教授小泉沢木の二氏、小山内氏と余とを八丁堀の偕楽園に招飲す。余腹痛あり。酔を成す能はず。
十二月三十日。晴れて暖なり。机上の水仙、花将に開かむとす。夜臙脂を煮て原稾用罫帋を摺ること四五帖なり。
十二月卅一日。午後旧稾を添刪す。夜百合子と相携へて銀座通歳晩の夜肆を見、また浅草仲店を歩む。百合子興に乗じ更に両国より人形町の夜市を見歩くべしと云ふ。余既に昔日の意気なく、寒夜深更の風を恐るゝのみ。百合子が平川町新居の門前にて袂を分ち、家に帰る。暁二時なり。キユイラツソオ一盞を傾け、寝に就かむとするに、窗前の修竹風声忽淅瀝たり。窓紗を排き見れば雨にあらずして雪花飄飄たり。帰途この雪に遇ばざりしを喜び、被を擁して眠に入る。
印影
底本:「荷風全集 第二十一巻」岩波書店
1993(平成5)年6月25日第1刷
2010(平成22)年12月21日第2刷
入力:米田
校正:小林繁雄
2013年7月21日作成
2014年6月22日修正
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