2021年3月31日水曜日

[惹句どんどん] 玉村豊男(エッセイスト、ワイン農場主)

 




眼前の風景は、写真に撮ったその瞬間から過去になる。



P107

二度の東京オリンピックの間に過ぎた半世紀のうちに、日本人の暮しは大きく変わった。個人の人生の上昇曲線と国の経済の成長がシンクロしていた時代は終わり、豊かさがピークを迎えてから生まれたいまの子どもたちは、凋落する未来を見ようとしない。子供たちや若い世代に限ったことではないが、みんながやたらに写真を撮るようになったことも、私は気になっている。もちろんそれはフィルムからデジタルへの技術革新がもたらしたものだが、旅行をしても、食事をしても、目の前にあるものを楽しむ前にまず写真を撮りたがる。眼前の風景は、写真に撮ったその瞬間から過去になる。競うようにスマホをかざして写真を撮り合う人びとは、一刻も早く現実を目の前から消し去りたいと願っているかのようだ。未来はなくても、思い出だけあれば生きられるか…。

『明けゆく毎日を最後の日と思え』(玉村豊男さんの新刊より)。小さなな子供が「思い出づくり」がしたいと答えるのがお嫌いのようです。いつになく辛辣。



[積読立読斜読] 『鍵山秀三郎「一日一話」』 4月2日~4月8日


 昨年はイエローハットの創業者で「日本を美しくする会」の相談役、鍵山秀三郎氏の『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著、PHP、2019年)を年間を通じてスローリーディングしました。今年はその前著にあたります『鍵山秀三郎「一日一話』を1週間ごとに投稿していきます。







[自分史のレッスン] 孫のT君 小学校入学

 もう自分史ではなくて他人の歴史になってますが。


当方の千田小学校卒業式

長女の入学式

孫のT君の入学式前撮り


4月1日から隣家の孫のT君が千田小学校に入学。

当方と当方の長女も同じ小学校でしたので、

三世代続けて同じ小学校に通うことになりました。

感慨深いです。

2021年3月30日火曜日

[積読立読斜読] 『とりあえず、本音を申せば』(小林信彦著、文藝春秋、2021年)



 小林信彦さんは1932年生まれ御年88歳。週刊文春連載記事の昨年度一年分がまとまって出版されました。連載最初の単行本化が1999年の『人生は五十一から』からですから20年以上の連載になります。2017年脳梗塞を起こされ左半身不随となられましたが奇跡的に執筆活動を再開され、さすがに外出しての映画演劇鑑賞は難しいようですが、DVDの再発、テレビ番組、書籍等の評論では昔日の腕力は衰えておらず、まだ数年は稀代のエンターテインメント評論を楽しめそうです。


当方はエンターテインメントの情報を積極的には取りに行っていないので、例年小林さんの連載がまとまって書籍化されると、1年遅れで吸収していっぱしの情報通を気どっています。


小林信彦さんの映画評論は、再発ものでも、リアルタイムで本編を劇場で観られており、また当時の世相を細かいところまで想起され(メモ魔らしいです)、評論が重層的で説得力があります。つまり本物ということです。


当方が昨年観た『ジュディ 虹の彼方に』を絶賛されていますが、本物のジュディ・ガーランドの本編を劇場で観た方の評論ですのでうなずけます。ジュディ・ガーランドの晩年は謎が多かったようですが、アメリカ映画では描き切れなかった闇の部分を「イギリス映画だからこそ、これが作れたのだ。」(P13)とは小林さんの評です。


最近では若いフォロワーも増えているようです。亡くなられた大瀧詠一さんと昵懇だったのは有名ですが、大瀧さんフォロワーの若いミュージシャンの間でもカルトな評論家として著名なようです。例えばみのミュージック。背面の本棚に小林さんの本が写り込んでいます。




現在何度か改編のあった『定本・日本の喜劇人』の完全版を執筆中だそうで、完成が楽しみです。


装丁は今年3月22日に享年82で亡くなられた平野甲賀さんのものです。


2021年3月29日月曜日

[積読立読斜読] 『LAフード・ダイアリー』(三浦哲哉著、講談社、2021年)

 


著者の三浦哲哉さんは1976年郡山市生まれ。青山学院大学准教授。専門は映画批評・表象文化論。本職の映画論の他にクッキング・ブックを批評するというありそうでなかった『食べたくなる本』(みすず書房)でスマッシュ・ヒットを飛ばした気鋭の書き手です。


サバティカル休暇を資料してUSC(南カリフォルニア大学)で映画研究をするために家族でLAに滞在(2019年4月~2020年3月)。著者はフランス留学経験はあるもののアメリカでの長期滞在は初めてのようです。「フード」と書名は限定的ですが、家族と滞在したLAでの暮しを通じて、LAの魅力(があるとしてですが)、アメリカ文化の魅力、を食事を中心に論じたグラフィティー形式のエッセイです。


基軸に映画評論があるので、単なる食のエッセイにとどまらず、充分な文明批評になっています。映画論文の「映画と牛の関係について」がなぜか挟まっていて(これが大傑作でした、フィルム生産のゼラチンが牛由来だそです)久しぶりに「一読巻を措く能わず」痛快無比の食のエッセイでした。スーパーマーケットでの食材の調達から始まって著名なレストラン、ファストフードのめぼしいところを網羅して、LAのレストラン・ガイドとしても活用できそうです。


P2

「スロー対ファスト」とか「オーセンティック対リミックス」というような、私自身これまで少なからず囚われてきた対立構図がある。LAの食には、それを軽々と超える自由闊達な生命力があるようにも思えた。「多様性」とは何か、それをいまどう擁護しうるか。こんにち最も切迫したこの問いに対する貴重なヒントを、渡しはここでいくつも得ることになる。


P228

自分がすでに馴染んだ味があり、同時に、いまだ馴染んでない味があるということを、総体としておぼろげに想像しうることは、よろこばしいことだ。なぜなら、これらの間の差異ことが、美味の感動の根拠だからだ。LAはこのような想像を促してやまない都市である。


P229

1960年代ごろから、アメリカでは行き過ぎた食の画一化への反省を踏まえ、多様性を擁護する言説が唱えられるようになった。その拠点がほかならぬカリフォルニア州のサンフランシスコであり、ロサンゼルスであった。(中略)多様な食文化を知り、多種の美味を味わうことは、寛容な精神を滋養することである。それは私たちに画一的で効率優先のライフスタイルから脱することを促すだろう。環境問題への意識を高め、多様な種の共存するサステイナブルな社会の在りようを具体的に思い描かせてくれる。そこでファーストフードは、告発されるべき悪とされてきた。だが、20世紀的な経済成長が頭打ちになり、むき出しになった格差がアメリカ社会の空気を蝕むようになった現在、食の多様性を称揚する言説は、もはやかつてと同様の受け取られ方をしているとは言いがたい。


P231

したがって切実な課題は、いかにして食の「多様性」と「画一性」という二項対立を解きほぐすか、現代の食文化における両者のからまりあいを精細に理解しうるかという点にある。



P237

アメリカ料理とはつまり、実際に存在したことなどない料理へのノスタルジーのことだ。恋焦がれる想いが何に由来するかなんて誰も気にしちゃいない。恋い焦がれる、ということそれ自体が重要なんだ。




<著者プロフィール>

著:三浦 哲哉(ミウラ テツヤ)

1976年福島県郡山市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了。現在、青山学院大学文学部比較芸術学科准教授。映画批評・研究、表象文化論。食に関する執筆も行う。著書に『サスペンス映画史』(みすず書房)『映画とは何か フランス映画思想史』(筑摩選書)『『ハッピーアワー』論』(羽鳥書店)、『食べたくなる本』(みすず書房)。共著に『ひきずる映画 ポスト・カタストロフ時代の想像力』(フィルムアート社)『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』(石岡良治との共編著、フィルムアート社)。訳書に『ジム・ジャームッシュ インタビューズ 映画監督ジム・ジャームッシュの歴史』(ルドヴィグ・ヘルツベリ編、東邦出版)。


<内容紹介>

LA(ロサンゼルス)に渡った映画研究者が、「食」を通して考えたアメリカ。料理本批評エッセイ『食べたくなる本』で話題を呼んだ著者による、ユニークな食生活エッセイ&体験的都市論。


「スロー対ファスト」とか「オーセンティック対リミックス」というような、私自身これまで少なからず囚われてきた対立構図がある。LAの食には、それを軽々と超える自由闊達な生命力があるようにも思えた。「多様性」とは何か、それをいま、どう擁護しうるか。こんにち最も切迫したこの問いに対する貴重なヒントを、私はここでいくつも得ることになる。(本書「まえがき」より)


【目次】

なぜアメリカへ?

LAフリーウェイとIN-N-OUTバーガー

季節のない寿司

ゲリラ・タコス

カナダの自然食

ヴェニスのエキゾティシズム

ジョナサン・ゴールド

USC

「映画と牛の関係について」

LAの友人

記憶の襞

多様性と画一性


[惹句どんどん] レイモンド・チャンドラー(アメリカのハードボイルド小説家)

 



California, the department-store state.
The most of everything and the best of nothing.


カリフォルニアはある種のデパートのような州だ。

ほとんどのものは揃うけれど良い品物はない。

 

2021年3月28日日曜日

[その他] 装丁家の平野甲賀さん ご逝去

 


装丁家の平野甲賀さんご逝去。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

画像は「片岡義男.com」からのものです。

70年代の晶文社から出版された多くの書籍が平野さんの装丁になるもので、中学生の当方に、まだ出会っていない大人の「文化」を感じさせました。




[惹句どんどん] 土井善晴(料理研究家)




 一汁一菜は念仏のようなもの


一汁一菜は人間の暮らしを健全に滑らかにします。毎日、なにも考えずに、料理をして、仕事をする。これを繰り返すことです。『くらしのための料理学』(2021年)より。



[積読立読斜読] 谷崎潤一郎『卍』(1931(昭和6)年)


 阿刀田高さんの谷崎入門書『谷崎潤一郎を知っていますか』(新潮社、2020年)をテキストに年間テーマで谷崎の主要作品をスローリーディング中。紹介されていた『卍』を読了しました。


初出は雑誌『改造』、1931(昭和6)年単行本化。映像化に向いた作品なのか海外も含め5度も映画化されています。



こちらは1964年の若尾文子、岸田今日子、主演のもの。


日常的にはほとんど使うことのない「卍」の漢字。漢和辞典では①まんじ。梵字で「万」にあたる字。②「卍」のような形。また入り乱れるさま。とあります。日本語のみならず中国や逆書体でのドイツでの引用もあり不思議な漢字です。


内容は関西の有閑マダムを中心とした懶惰な愛憎劇。『痴人の愛』のナオミの育ちをよくして生まれを関西に移した感じです。愛憎劇に巻き込まれた寡婦が作家の先生(谷崎がモデルか?)に告白するという構成。


両家の子女が両性愛の上、不倫を重ねて情死する、というストーリーです。発表年代を考えると相当スキャンダラスな題材だったのでしょう。作品の質とすればやや単調で同じ時期の『蓼喰う虫』のモチーフとなった人形浄瑠璃のような関西ならではの文化的背景がなく、婦人の告白という語り形態をとったため(構成の秀逸さは認めつつも)底が浅くて残念でした。


周辺にモデルがいて、王朝絵巻を目指した『細雪』には刺激が強くて採用できず、スピンオフした作品と捉えればよいかも知れません。


アイデアと題名に『卍』を採用したことで「決まり」の作品かと思います。



卍(まんじ) 

インドの諸宗教で,瑞相(ずいそう)すなわち吉祥や美徳を象徴するものとして用いられる印。卍字,万字とも書く。サンスクリットでは〈スバスティカsvastika〉あるいは〈シュリーバトサ ⇒r ̄vatsa〉といい,吉祥喜旋,吉祥海雲などと漢訳される。太陽が光を放つありさまを象形化したのが起源であるとされているが,アショーカ王碑文中の〈スバスティ svasti(〈吉祥〉の意)〉という文字を図案化したものが起源であるとする説など異説も多く,一定していない。ヒンドゥー教ではビシュヌ神の胸の旋毛を象徴したものとされ,仏教では釈梼の胸や足裏にある瑞相とされる。またジャイナ教でも吉祥の印(しるし)として用いられている。


仏教とともに中国,日本にも伝えられ,現代の日本では仏教や寺院を示す記号・標識として用いられている。なお,万字には中心から右に旋回した右万字咏と左に旋回した左万字卍とがあり,ヒンドゥー教などでは両者に異なった意義づけを与えているが,中国,日本ではその区別はなく,現今の日本ではもっぱら左万字卍が用いられている。     吉岡 司郎


[卍文]  文様としての基本形は十字形の各先端が直角に曲がったもの(十字)。変化形が多く,先端が渦巻状となるもの,四つ巴の図と地が反転した形のもの,左万字,右万字の各先端がさらに屈曲し連続文となった万字昔ぎ(まんじつなぎ),万字崩し,数本の平行線から成る万字文,ギリシアの怪物ゴルゴンと組み合わされ,ゴルゴンの膝走り文(ひざばしりもん)と呼ばれるもの,幾何学文様化した鹿を万字形に構成したもの,全体を菱形に変形したもの,などがある。鉤十字を含めた文様としての万字の歴史は古く,前3千年紀のメソポタミアのスーサ出土の彩陶をはじめ,ギリシア,ローマ,インド,中国など古代文明の栄えた各地域で見つかっている。万字文は古くは太陽が光を放つ状態をかたどったものとも考えられているが,同時に運動のシンボルでもあった。初期の万字文には回転の方向による明確な意味づけはなかったが,のちに右万字が正常で聖なるものとして区別されることも行われた。その理由として,(1)太陽・天体の運行である右回りと同調する,(2)インドにおいて樹霊の宿る菩提樹を中心に右回りしながら男児の誕生を祈る,(3)仏教発祥以後聖地を右回りに拝するのがよいとされたこと,などが挙げられ,右万字は幸福と豊穣を表し,左万字は逆に死を表すものともされた。


 世界各地の万字文を挙げると,ギリシアにおいてはアテナイのディピュロン出土の前8世紀ころの壺にギリシア雷文の一つとしてあらわれ,のちに絵画や建築装飾,服飾など広く用いられた。また,ナチスの標章として有名なハーケンクロイツHakenkreuz は鉤十字の一種で,右万字である。中国では卍は仏書にある万の字の代りとして用いられ,仏の胸上の吉祥万徳の印であった。連続文の万字昔ぎは不断長久(ふだんちようきゆう)を表すものとして織物や黄檗(おうばく)山万福寺の装飾などに用いられている。万字昔ぎの一種,紗綾形(さやがた)は桃山時代に明から輸入された紗綾という織物の紋であったことからその名がついたというが,卍のもつ仏教的イメージから離れているためか,日本の織物や朕紙の文様として愛好されている。                       一条 薫


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2021年3月27日土曜日

[その他] 映画『ノマドランド』

 



社会派アカデミー賞女優、フランシス・マクドーマンド主演の映画『ノマドランド』をサロンシネマで鑑賞。3月27日(土曜日)19:15からの回。


2017年のノンフィクション『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(ジェシカ・ブルーダー著)が原作。リーマンショックで家を失い車上生活を余儀なくされた高齢者たち。季節労働を渡り歩いてRVで全米を移動。ほとんどが単身の高齢者。土地や血縁に縛られない自由さはあるものの、明日無き旅はかなり過酷なようです。


全米の美しい大自然が全編に流れ映画画面は雄大です。ノマドを「自由」ととるか「孤独」と取るかは観るものによって違うのでしょうが、地縁・血縁に安住している当方からは、かなりきつそうな生活と思えました。


フランシス・マクドーマンド(1957年生まれ)は役作りのため実際に車上生活を送り、本編でも排泄行為や大自然の済んだ河での全裸シーンもあり、渾身の演技となっています。

本職の俳優はマクドーマンドと淡い高齢者の恋仲の男優デヴィッド・ストラザーン2人だけで、あとの俳優は実際のノマドだそうです。


[その他] a day in the life 2021年3月27日(土曜日)

 7:00  広島掃除に学ぶ会・街頭清掃・平和大通り



8:00-12:00  孫守・大野妹背の滝で花見・川遊び




15:00  ギター教室

    ビートルズの「ミッシェル」練習中



17:30  ベース教室

   指の運びが自己流になっているので、基本の音階で指使いの反復練習



19:15  映画『ノマドランド』(サロンシネマ)


21:30  餃子家・龍(八丁堀店)






[広島掃除に学ぶ会] 3月27日(土曜日)平和大通り街頭清掃

 


「広島掃除に学ぶ会」の活動で平和大通りの街頭清掃(ゴミ拾い)に参加しました。

16名の参加がありました。

「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」地道に活動を続けます。


2021年3月24日水曜日

[その他] 10日と25日は'Punk in'(パン喰い)の日 中区千田町 HOSHINO BAKERY(高級食パン)


 







10日と25日は'Punk in'(パン喰い)の日。パン好きなもので。1日早いですが都合よかったので。


第二次高級食パンブームだそうで。近所にできた高級食パンの2軒目、HOSHINO BAKERY(千田町店)に生きました。アイテムは2種類。プレーンとレーズン入りです。比較のためセブンイレブンで普通の食パンも購入。価格差2倍の美味しさはあるか?


セブンイレブンの食パンは普通の食パン、持った感じは「熟成生食パン」のほうがズシリと思いです。


肌理の細かさは製法にもよりますが、セブンイレブンの食パンのほうが気泡が揃っています。縦に割いてみると、セブンのはスムース、熟成生食パンは、ギザギザに割けます。


風味は高級食パンのほうが美味しく感じました。


トーストして食べた感じは「熟成生食パン」が柔らかく、当方はカリっとしたトーストが好きなので、セブンイレブンの食パンのほうが好きでした。


「高級食パン」がブームで終わらず、根付くかどうかは疑問です。




「ミミまでおいしい セブンブレッド(3枚入り)」(本体88円)

193g(g当たり0.45円)



「熟成生食パン、星のプレーン 1本」(本体880円)

822g(g当たり1.07円)













[惹句どんどん] ピーター・キュリー(人類学者・ミュージシャン)

 


日本の食事の多様性が、自然環境によってもたらされるのだとすれば、LAの食事の多様性は、社会環境によってもたらされる、ということではないかな。



P60

食における「季節の不在」ということを、LAの住民たちの多くは、そもそも当たり前すぎて気にもしないということなのか。日本人が季節にやたらとこだわりすぎなだけなのか。季節などに頼らずとも、食の多様性を確保するための(単調さから逃れるための)ほかの手段を持っているということなのか。私はこういう疑問を、知り合った方々にそのままぶつけてみるようにしていたのだが、あつろき、なるほど、とぴったりくる表現を教えてもらった。

『LAフード・ダイアリー』(三浦哲哉著、講談社、2021年)より

[積読立読斜読] 『鍵山秀三郎「一日一話」』 3月26日~4月1日


昨年はイエローハットの創業者で「日本を美しくする会」の相談役、鍵山秀三郎氏の『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著、PHP、2019年)を年間を通じてスローリーディングしました。今年はその前著にあたります『鍵山秀三郎「一日一話』を1週間ごとに投稿していきます。















2021年3月22日月曜日

[惹句どんどん] 山口瞳(小説家)

 



これじゃ盛りあがりがなくて今年が終わっちゃうじゃないか。ざわざわとくる。ナンダコレダケカという表情もある。ちょうどその時だ、佐藤が決心を固めるのは。ちょうどその時だ、快男児佐藤勝利が両肌(もろはだ)脱いで立ち上がり、必死の形相で中央に進みでるのは。

 

山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』より「快男児」の項。毎回不覚にも落涙してしまう。昭和は遠くなりにけり。突然思い出しました。


山口瞳(ヤマグチ・ヒトミ)

1926(大正15)年、東京生れ。鎌倉アカデミアに入学。出版社勤務を経て、1958(昭和33)年寿屋(現サントリー)宣伝部に入り、「洋酒天国」の編集者・コピーライターとして活躍する。1962年『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞受賞。1979年には『血族』で菊池寛賞を受賞する。1963年「週刊新潮」で始まった「男性自身」は、31年間1614回に及ぶ。シリーズ最終巻は『江分利満氏の優雅なサヨナラ』。1995(平成7)年8月永眠。

新潮社のサイトより