2017年9月29日金曜日

[惹句どんどん] 久保田万太郎(2)



同じく安藤鶴夫の『わが落語鑑賞』(ちくま文庫版)あとがきより。久保田万太郎の序文代わりの落語俳句集です。

「船徳」の「四萬六千日の暑さとはなりにけり」が渋いですね。


富久
かぞへ日となりたる火事に焼けにけり

★百川
ふく風やまつりのしめのはや張られ

船徳
四萬六千日の暑さとはなりにけり

笠碁
梅雨の笠あはれまぶかにかぶりけり

★干物箱
猫の恋猫の口真似したりけり

酢豆腐
打水のぬかるみをよけゝ来る

★お見立
墓腹の空に鳶舞ふ日永かな

厩火事
石蕗の花唐(から)にもありしためしかな

素人鰻
夏の夜の性根を酒にのまれけり

★愛宕山
はる風をきり土器(かはらけ)のとびにけり

寝床
明易やらちくちもなく眠りこけ


昭和27年の創元社版。前作に百川・干物箱・お見立・愛宕山を加えて全部で14編。
久保田万太郎はこの版にも序文の代わりに俳句を寄せ、同じ落語に前作とは別の俳句を添えた(全部ではないようです)。




2017年9月28日木曜日

[惹句どんどん] 久保田万太郎(1)



昭和24年刊『落語鑑賞』(安藤鶴夫著)に序文の代わりとして久保田万太郎が寄せた俳句。10編の古典落語の聞き書き。時々読み返してます。万太郎の俳句はあとがきに掲載されてます。


「酢豆腐」の「たゝむかとおもへばひらく扇かな」はまさに落語通りですね。


鰻の幇間
横町のうなぎや日のさかりかな

明烏
大門といふ番所ありほととぎす

酢豆腐
たゝむかとおもへばひらく扇かな

素人うなぎ
夏の夜の酒にのまるゝ性根かな

寝床
短夜やらちくちもなく眠りこけ

(注)らちくち【埒口】「―もない」(めちゃくちゃだ)

船徳
漕ぎいでゝいよいよつよき南風(みなみ)かな

厠火事
短日の夫婦のでるのひくのかな


笠碁
ばかにならぬしぐれの降りとなりにけり

富久
火事見舞あとからあとゝふえにけり

心眼
短日や大提灯の朱ヶのいろ



画像は明治の「銀座カリー」のサイトからお借りしました。「銀座紳士録」より。
https://www.meiji.co.jp/foods/curry/ginza/shinshi/kubotamantaro.html

2017年9月24日日曜日

[その他] 映画『ファウンダー(創業者)ハンバーガー帝国のヒミツ』



9月23日(土曜日)、八丁堀の八丁座で映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』を観ました。

世界で約3万5千店以上を展開する世界的規模のFFチェーン(店舗数の一位はサブウエイ)、もともとは1940年、カリフォルニア州サンバーナディノでマクドナルド兄弟が始めたのがオリジナルで、映画ではFC化して巨大チェーン化したレイ・クロックが「創業者」として描かれています。

全編ほとんど有色人種が登場しない古きよき時代のアメリカ白人社会にあって、強烈な上昇志向を持って一代で世界的なチェーンを構築した主人公をいまさら描く映画とうい点で興味深かったです。

もともとはミルクシェイク・ミキサーのセールスマンだった地方出張中のクロックが、モーテルで自己啓発書の朗読レコードを聞くシーンが登場しますが、ノーマン・ビンセント・ピールのベストセラー『積極的考え方の力』だそうで、トランプ米大統領が唯一の「師匠」として仰いでいる人物だそうです。

映画内で興味深かったのは、ほとんど知られていなかった真の創業者マクドナルド兄弟のサクセス・ストーリーです。

またFC化を渋る兄弟にレイ・クロックが説得材料に使った、アメリカの全土に協会と法廷以外のシンボル(ゴールデン・アーチ)を広げようというエピソード(創作かも)が面白かったです。実際にそうなったし。

白人社会へのノスタルジーあふれる1950年代を描いた本作。トランプ大統領誕生の思想的背景を理解できるかも知れません。

ちょっと他の知識メモ。

ビッグ・マック指数
マクドナルドのビッグマックの価格は、ビッグマック指数と呼ばれ、通貨間の購買力平均価格の比較手段として使われた。この指標の考案者はイギリスの経済雑誌『エコノミスト』誌(The Economist)である。マクドナルドの標準化は、同時に生活様式や経済活動のグローバリゼーションを意味した。

マクドナルドを食べる国同士の戦争はない?
トーマス・フリードマンは自著の『レクサスとオリーブの木』の中で、“黄金のM型アーチ理論”として「マクドナルドのある国同士は戦争を行わないだろう」と予言したが、1999年にアメリカ合衆国のセルビア爆撃によって破られている。

以上はウィキペディア。

デイヴィッド・アルバースタムの著書『ザ・フィスティーズ』にはマクドナルドの他にもアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを作ったとされる住宅の紹介もあり、ちくま文庫版には映画評論家の町山智浩さんが解説を書いてます。(当然この映画評も的を得たものになります)。

以上だらだらと書きましたが、映画そのものは題材が強烈で面白かったのと、1950年代をセットでよく表現したのは認めるものの、レイ・クロック自身の掘り下げが不十分で魅力をそがれました。残念。

2017年9月17日日曜日

[あの頃のレコード] Bob Dylan and The Band "The Basement Tapes"(1975) (1)


"The Basement Tapes"(1975)

ボブ・ディランさんは偉大すぎて他に語る方も多いと思われます。当方はザ・バンドに限って本作品を聴くことが多いです。高校時代はマイナーすぎて当然買ってません。


録音は1967年6月から9月。一部の曲は1975年3月に録音。正規でのレコード発売を予定していなかったので先に海賊版が出回り後に正規版が発売されました。

1966年7月にオートバイ事故を起こして、ニューヨーク州のウッドストックで静養していたボブ・ディランのもとに、当時バックバンドをしていた、のちにザ・バンドとなるメンバーが集結し、ピンク色の外壁の大きな借家(ビッグ・ピンクと呼ばれた)の地下室で延々と繰り広げられたセッションまたは練習曲をテープレコーダーで録音したもの。正規版はトラディショナルな曲から新曲までの膨大な音源(100曲を超える)から24曲を収録。

そのうちの8曲がザ・バンド単独での演奏です。すべてがビッグ・ピンクの地下室で録音されたものでないのは確からしく、明らかなオーヴァーダビングもあるようですが、バンド名が決まってなかったボブ・ディランのバックバンドから、70年代のロック史を語るうえで欠かせないバンドに成長したザ・バンドのレコード・デビュー前の音源を聴くことができます。

印象的なジャケット写真はモダンジャズの名門ブルーノートのデザインの多くを手掛けたリード・マイルス。

バンドのオリジナル・メンバーをあらためて紹介します。

リヴォン・ヘルム (Levon Helm, 1940年5月26日 - 2012年4月19日)
ジェイミー・ロイヤル・"ロビー"・ロバートソン(Jaime Royal "Robbie" Robertson, OC、1943年7月5日- )
リック・ダンコ(Rick Danko、1942年12月29日 - 1999年12月10日)
リチャード・マニュエル(Richard Manuel、1943年4月3日 - 1986年3月4日)
ガース・ハドソン(GARTH HUDSON、1937年8月2日 - )

"The Basement Tapes"の録音当時、メンバー全員は20歳代ですが、1958年からアメリカのロカビリー歌手、ロニー・ホーキンスのバック・バンドとして、1965年からはボブ・ディランのバック・バンドとしてツアーに参加し、10年近いキャリアがありました。

8曲の音源を聴いてみると、すでにバンドとしてのまとまりは十分ですが、さらに高いレベルに到達するために、ディランの静養期間が同時にザ・バンドとしてのデビューへの最後の熟成期間となったようです。

8曲あるので、4曲ずつ2回に分けて紹介します。

Side 1-2."Orange Juice Blues (Blues for Breakfast)" Richard Manuel 3:39
Side 1-4."Yazoo Street Scandal" Robbie Robertson 3:29
Side 1-6."Katie's Been Gone" Manuel, Robertson 2:46
Side 2-2."Bessie Smith" Rick Danko, Robertson 4:18


Side 1-2."Orange Juice Blues (Blues for Breakfast)" Richard Manuel 3:39
R&Bの軽快な曲です。サックスなどが1975年にオーバー・ダビングされたそうで、音源として完成しすぎの感じがして、デビュー前の「地下室」での録音からはほど遠い感じです。ザ・バンドが演奏する曲というより、前身のホークス時代を髣髴とさせる曲です。リチャード・マニュエルのボーカル、ダビングとはいえガース・ハドソンのサックスも魅力的です。

Side 1-4."Yazoo Street Scandal" Robbie Robertson 3:29
"Yazoo Street"はリヴォン・ヘルムの出身地アーカンサス州に実在する通りで、カナダ出身のロビー・ロバートソンがおそらくは想像上のアメリカ南部のざらっとした風合いの通りを歌にしたものと思われます。最初のボーカルはロビー・ロバートソンだったそうですが、曲調に合わず、リヴォン・ヘルムで再録音したそうです。

Side 1-6."Katie's Been Gone" Manuel, Robertson 2:46
イントロなしの出だしから歌唱・演奏ともザ・バンドの音です。途中の転調も効果的です。リチャード・マニュエルとロビー・ロバートソンの初期の競作曲だそうです。ザ・バンドとしての音の完成度は、想像ですがSide 1から録音の順番の月が下がっていった感じがします。

Side 2-2."Bessie Smith" Rick Danko, Robertson 4:18
女性ブルース歌手、ベッシー・スミスへの賛歌。最近ではノラ・ジョーンズが魅力的なカバーをしてます。この曲も歌唱・演奏ともザ・バンドとして完成の域ですね。

この"The Basement Tapes"とデビュー・アルバムの"Music from Big Pink"のバンドとしての完成度の違いはなんなのかが興味深いところです。これはまた後日考察します。

※曲目のデータは"List of Basement Tapes songs (1975)"(Wikipedia)を参照しました。

2017年9月16日土曜日

[惹句どんどん] unknown "I don' need Google, my wife knows everything."



ユーモアとしていろんなサイトで

マグに印刷したりTシャツにしたり、というのを見かけます。



2017年9月10日日曜日

[自分史のレッスン] 2017年9月 次女・聖子の結婚

[自分史のレッスン] 2017年9月 次女・聖子の結婚




9月10日(日)は次女・聖子の結婚式でした。

こじんまりとしたシンプルなよい結婚式となりました。

余興で長女のピアノ、私のギターと歌で、中島みゆきさんの結婚式の定番『糸』を演奏しました。

「逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます」

人の人生を「糸」の出会いに喩えて、最後に「幸せ」でなく「仕合わせ」の字を宛てています。

もともとは縫製で横糸と経糸の選別を「仕合わせ」と呼ぶらしく、この「仕合わせ」には良きも悪きもあるので、

糸(人)と糸(人)が出会い、力を合わせて「仕合わせ」を「幸せ」にするべく、

同じ糸へんであるところの「縁」と「絆」を大事に人生を築こう、という壮大な歌詞のようです。


中島みゆき 作詞・作曲
1998年2月4日発売

『糸』

なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない

どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ

こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます


あがってしまって歌はなんとかなりましたが、ギターのほうが殆ど弾けてません。

これで娘2人が片付き、自分の人生も自分史ではなく、もう他人史になってますね。

2017年9月9日土曜日

[あの頃のレコード] いしだあゆみ『アワー・コネクション』(1977年)



いしだあゆみ(1948年生まれ)とティン・パン・アレイが組んだ1977年の作品。アナログ盤で再発されたので聴いてみました。

1977年当時はまったく記憶にありません。初めて聴きました。ティン・パン・アレイの作品としては以前、雪村いづみの『スーパージェネレーション』を紹介しました。
同時期の荒井(松任谷)由美のプロデュースと並んで良質の作品ではりますが、雪村いづみの歌唱力、荒井由実の存在感と比べるといしだあゆみの線が細く、大きなヒットには結びつかなかったのでしょう。

アルバム・タイトルの"Our Connection"は想像ですが歌謡曲側とロック側がいしだあゆみを通じて作品となったという意味かもしれません。

プロデュースはグループ・サウンズの作詞を多く手掛けた作詞家の橋本淳(1939年生まれ)。東京生まれで青山学院大学卒。筒美京平(1940年生まれ)とは同窓です。このコンビでの作品は500曲以上を数え、最大のヒットがいしだあゆみ(1948年生まれ)の『ブルー・ライト・ヨコハマ』(1968年)です。細野晴臣(1947年生まれ)も東京生まれで立教大学卒業。

全12曲のうち作詞はすべて橋本淳。歌謡曲からポップス寄りの6曲を萩田光雄(1946年生まれ、慶応大学卒業、1975年『シクラメンのかほり』レコード大賞編曲賞)が担当し、この頃ワールドミュージックに凝っていた細野晴臣が6曲を担当してます。
ティン・パン・アレイ(細野晴臣、林立夫、鈴木茂)をバックに据え、佐藤博、矢野顕子、羽田健太郎、コーラスには山下達郎、吉田美奈子が参加。

東京育ちの音楽好きの連中が上京して都会で一人暮らしをしている成熟した女性の暮らしを切り取って、聴き手も歌い手が揃った、この時代でしか成立しない世界を確立してます。

青山あたりで 遊ぶには
私の心は カントリー・ガール
話し相手さえ いないから
椅子に身を寄せて 沈んでいるわ

『ダンシング』(橋本淳・作詞、細野晴臣・作曲・萩田光雄・編曲)のこの数行がこのアルバムのコンセプトでしょうね。

1977年の紅白出場曲にして佳曲『港・坂道・異人館』(喜多条忠・作詞、大野克美・作曲)を境に女優業にシフトしたいしだあゆみの歌手としての最後のきらめきともいえるかも知れません。


2017年9月5日火曜日

[同窓会] 広島市立まんが図書館開館20年 烏田順子館長に聞く 

9月4日(月)付朝日新聞広島版記事より。

28期の烏田順子さんが館長をされてます。

図書館の館長という職業にはあこがれますね。

2017年9月3日日曜日

[新聞記事] "Struggling Americans Once Sought Greener Paastures - Now They're Stuck"


"Struggling Americans Once Sought Greener Paastures - Now They're Stuck"
「今は昔の新天地移住、苦しくてもじっとしているアメリカ人」

9月3日(日)付朝日新聞別冊Globe連載記事「見出しを読み解く」から。

西部開拓史ではないが、かつてアメリカ国内にあった労働者の流動性が失われつつあるという記事です。


struggle:(名)努力、(動)奮闘する
sought:>seek(動)探す、得ようと努める
pasture:(名)牧場、牧草

Greener Pasturesを「新天地」と訳してますね。

記事によると流動性がなくなった理由は3つ。

(1)大都市の住宅費の高騰
(2)州ごとに免許が異なる職業が増えていること(バーテンダー・花屋は州ごとに免許が必要な場合がある)
(3)現在の公的支援、地縁・血縁の支援を捨てられない

だそうです。

トランプ大統領誕生の背景にはこんな理由もあるのでしょうか。