2019年8月31日土曜日

[惹句どんどん] カーライル(イギリスの思想家)



「悩んだ時は針箱を整理せよ」

『続・凡事徹底』(鍵山秀三郎著、致知出版社、2019年)より。孫引き。


P131
いろいろ悩んでいた時、恩師が教えてくれたカーライルの言葉を思い出しました。
「悩んだ時は針箱を整理せよ」という短い言葉です。
いまはそういうものがあるかどうか知りませんけれど、昔はどこの家にも針箱がありました。針箱の中には糸や針やホックボタンなど、身の回りのちょっとしたことをやるための道具が全部入っていました。五段ぐらいの箱で、何でもそこに入れていくからぐじゃぐじゃになるんですね。
悩んだときは、その針箱をひっくり返して、きちんと整理して、要らないものをより分けて整理せよ、とカーライルは言っているんです。これも本当にそのとおりでございました。
(中略)そういうことで、物事を成し遂げようとするならば底辺のことからきちっと積み上げていくことが欠かせないんですね。
『続・凡事徹底』(鍵山秀三郎著、致知出版社、2019年)より、

[新聞記事] 折々のことば 鷲田清一選 2019年8月25日付



朝日新聞に連載中の「折々のことば」から。

定収入のためにゴミ収集会社で働いているお笑い芸人「マシンガンズ」の滝沢秀一さんの著書より。

管理されなければできない恥ずかしい世代になんてなりたくない。

[その他] 10日と25日はパン屋の日 粉こから(大手町店)



25日に行けませんでした。本日大手町にある「粉こから」(ココカラと読むのでしょう)。へ。

呉の中央にあるお店がおそらく1号店で、大手町店は4号店だろうと思います。

大手町店ビルの谷間にあり、天井は低いのですが白っぽい内装で狭さを感じさせません。

狭いですがイートインも併設。

菓子パン・料理パン・サンドイッチが中心の品ぞろえです。5点購入で700円(税込み)とお値段は良心的。

[積読立読斜読] 『瘋癲老人日記』(谷崎潤一郎著)

昨年オペラ化されて上演されてますね。
家族構成図も乗っていたので作品の理解に役立ちました。






55ページまで読了

段々家族構成が分かってきた。


P32
オカシナコトダガ、痛イ時デモ性慾ハ感ジル。痛イ時ノ方ガ一層感ジル、ト云ツタ方ガイゝノカモ知レナイ。或ハ又痛イ目ニ遇ワセテクレル異性ノ方ニヨリ一層魅力ヲ感ジ、惹キルケラレル、ト云ツタ方ガイゝカ。

P35
今デモ本心ハ善良ナノデアラウガ、ウツノマニカ僞悪趣味ヲ覚エ、ソレヲ自慢ニスルヤウニナツタ。
病苦ヲ怯ヘルト云フコトガ、正常ナ性ノ快楽ガ享受出来ナイト云フコトガ、人間ノ根性ヲ斯クモヒネクレサセルノデアロウカ。

P45
日記ヲ書クト云フコトハ、書クコト自身ニ興味ガアルカラ書クノデアル。誰ニ読マセルタメニデモナイ。

<家族の余暇>

夏は軽井沢の別荘、京都での祇園会を見物

銀座・濱作で食事(鱧を食べる)

新宿第一劇場で観劇(歌舞伎)

庭でBBQをする


<家族構成>
私:神経痛、左手が動かない、介護が必要な老人

佐々木さん:住み込みの看護婦、夜は私の隣のベッドに就寝、子持ちで月に数回預けてある親せき宅に泊まる

經助:孫、7歳、小学校1年生、颯子の子供

颯子:息子の嫁、日劇のダンサー出身、映画好き、ボクシング好き

淨吉:息子、サラリーマン

婆さん:配偶者

陸子:辻堂在住、既婚、長女?、大学2年を頭に3人の子持ち、大学2年の息子に恋人あり、嫁の同居の計画あり、辻堂の別の大きな家を購入希望、私に融資を依頼中

秋子:次女?

春久:?、楓子とよく連れ立って遊びに行く、テレビ局勤務?

五子(いつこ):春久の配偶者?

静:女中、住み込み?


<時代背景>
映画『太陽がいっぱい』公開は1960年。

颯子の乗るヒルマンは、いすゞがCKD(完全ノックダウン生産)していたイギリスの乗用車(ルーツ自動車製造)。作中「右ハンドル仕様」という表現があるが、左ハンドルがデフォルトだったのか。
1953年から1964年まで生産。











[惹句どんどん] ウディ・アレン引用句集 007


Your self esteem is like a nothc below Kafka's.

君の自尊心はカフカよりは一段格下なんだよ。



self esteem:自尊心

notch:切れ込み、程度、階級


映画"Manhattan"(1979)より

自分の精神科医の能力を疑う恋人に対して。

[その他] 本日の夕食 豚肉のあんかけそば



配偶者のリクエストで作りました。

栗原はるみさんの『もう一度、ごちそうさまがききたくて。』(文化出版局、1994年)からのレシピ。当方の家では「ぱりぱり麺」と呼ばれています。

多めの油で麺をカリカリに焼くのがコツです。


2019年8月29日木曜日

[積読立読斜読] 『瘋癲老人日記』(谷崎潤一郎著)


超スロー・リーディング『瘋癲老人日記』。28ページまで読了。

七十七歳の老人の日記(旧字旧仮名遣いカタカナ書き)が延々と続き、登場人物や家族構成の説明は断片的でしかないので、まだ全体像が分かりません。

(1)老人は性的能力はなくなってしまい、想像上の性欲と食欲のみで生きている。
(2)息子の嫁の颯子に変態的な性的魅力を感じている。
(3)仕事は不明だが観劇、百貨店通い、外食が頻繁にできる裕福な生活を送っている。
(4)アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』ロードショーを颯子が観に行った。
(5)颯子は家にあったヒルマンを運転して一人で出かける。


P22
既ニ全ク無能力者デハアルガ、ダカラト云ツテイロゝ變形的間接的方法デ性ノ魅力ヲ感ジルコトガ出来ル。現在ノ予ハサウ云ウ性欲的楽シミト食欲ノ楽シミトデ生キテヰルヤウナモノダ。サウ云ウ予ノ心境ヲ、颯子ダケハオボロゲニ察知シテヰルラシイ。

2019年8月28日水曜日

[積読立読斜読] 『瘋癲老人日記』(谷崎潤一郎著)


超スロー・リーディングで『瘋癲老人日記』を読む。本日は6ページまで。

何しろ旧仮名遣い・カタカナ書きの日記形式で、大変読みにくい。16日付の日記の部分を読む。77歳の老人が歌舞伎の女形に性的魅力を感じているという告白。


然ルニ七十七歳ノ今日ニナリ、既ニ左様ナ能力ヲ喪失シタ状態ニナツテカラ、男装ノ麗人ナラヌ女装ノ美少年ニ魅力ヲ感ジ出シタノハナゼカ。(中略)。
ソレヨリ何カ不能ニナツタ老人ノ性生活―不能ニナツテモ或ル種ノ性生活ハアルノダ―ト関係ガアルラシイ。

[その他] 今日の夕食はケンタロウ・ハンバーグ



娘のリクエストで作りました。現在バイク事故のリハビリ中のケンタロウさんのレシピ。

ハンバーグは両面焼き色をつけた後、高さの半分まで水を入れてフタをして蒸し焼きにします。

ソースは、ケチャップ・ウスター・醤油・料理酒・バターを煮詰めたもの。こればまた美味です。


2019年8月26日月曜日

[その他] 本日の夕食は「お好み焼き」。。。


もうすぐ三歳になる孫のY子ちゃんのリクエストで「お好み焼き」を作りました。

オタフクソース社の「お好み焼きセット」を使いました。

オタフクソース社の推奨は

(1)「やまいもパウダー」(付属)を最初に入れて生地を作ること(ふっくら焼きあがる)。

(2)材料のキャベツは粗いみじん切り(2cm角)にすること(やわらかい食感になる)。

の2点です。


本当は厚い鉄板で調理したいのですが、ずぼらしていつもフライパンで作っています。写真の見栄えは悪いですが、味はよくて家族には好評です。

追伸:オタフクソース社のレシピにはありませんが、当方は焼きそばを入れます(ケチャップが隠し味)。



[惹句どんどん] 晏子(あんし)(中国春秋時代の政治家)



「益はなくても意味はある」


P80
宮城谷昌光さんの『晏子(あんし)』という小説に、中国春秋時代の政治家、晏子が、「益はなくても意味はある」と言う場面があります。無益なことは必ずしも無意味ではなく、意味があるというのです。晏子という人は、無益なことにも意味を見いだして行動する、そういう生き方を生涯貫いたんですね。
『続・凡事徹底』(致知出版社、2019年)からの孫引き

荘子の「無用の用」に似てますね。

2019年8月25日日曜日

[その他] 七五三の写真前撮り



長女夫婦の長男(8月末に5歳)、長女(10月末に3歳)の七五三参りの写真前撮りで市内のスタジオへ。後自宅で長男君の誕生日会。

最近のスタジオは貸衣装屋さんも兼ねていて写真もデジタルなので即日クラウドにアップというシステムのようです。

宮参りは別途実施だそうです。


「七五三」の説明は『世界大百科事典』より。
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七五三 
しちごさん

3歳,5歳,7歳の子どもの成長を祝って11月15日に氏神まいりをすること。子どもの成長を承認し祝う通過儀礼の一つであるが,七五三と称して現在のように華美を競うようになったのは,多分に都会の商業政策によるもので新しいものである。けれどもその基礎となる伝承的な習俗は古くから各地で行われていた。地方によって必ずしも七五三とはかぎらず,3歳と7歳,または7歳だけを祝うというところもある。

3歳の祝いにはヒモオトシとかオビムスビ,カミオキ(髪置)祝などがある。このとき,女児がつけ紐をとってはじめて帯を結び,三つ身の着ものを着て宮まいりをする所もある。富山県では丸ぐけの帯をつけるので三つのコロオビという。髪置祝は武家の風習の影響とみられるが,3歳の男女児ともに頭髪のおかっぱを結髪に改めた。現在では髪置祝は東北から九州にわたって言葉として残っているにすぎない。

男児5歳の袴着(はかまぎ)の祝いは,武家の風を受けつぐもので,明治時代には士族や上流家庭では,5歳の男児にはじめて袴をつけて碁盤の上に立たせて祝宴を行った。北陸,中部地方などでは,袴祝とか袴つけ,裃着(かみしもぎ)などといい,男児だけの祝いをする例が多いが,5歳の女児がヒモオトシ,オビツケの祝いを行う地方もある。

7歳の祝いは男女ともに幼年期の最後の祝いとして,ハレギを着せて宮まいりをするが,女児はこのときにはじめて帯を結び,オビトキ,ヒモオトシをする所もある。これは人生の重要な段階の一つを帯であらわしたもので,帯の重要性を示している。

7歳は男女ともに幼児期から少年少女期への折り目として重要な年齢とされている。〈七つまでは神の子〉といって,7歳までに死んだ子には本葬は営まなかった。7歳の宮まいりによって改めて氏子入りをすることになり,神からも社会からも一人前の社会的人格として承認されたのである。これ以後は子供組などの社会的な組織に加わることができた。

11月15日が選ばれたのは,それが霜月の祭りの日に当たり,家々の生業に関係深い神々を祭る日であったからである。七五三は幼児が成長していく段階ごとに,その加護を氏神に祈り,また社会からも祝福と承認を受ける日でもあった。
                        大藤 ゆき

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[同窓会] 東京皆実有朋会の機関紙『ふぉーらむ』(2019年8月10日号、NO24)に28期還暦同窓会の記事掲載



昨日の定期総会の定期総会で配布がありました。東京皆実有朋会では28期のY君が運営にいろいろご尽力されております。感謝です。

かなり昔のことのように感じますね。もう一度やれと言われたらご勘弁を。

[惹句どんどん] 藤本和子(翻訳家)



アメリカの読者や文芸評論家が、とくに七〇年代に、ブローティガンをビートニク文学の代表的な作家だといって、ほんの短期間もてはやしたあと、
いつのまにか塵芥(ごみ)収集のある月曜日に、
まるで古い帽子を生ごみといっしょに棄てるような態度で「処分」してしまった


(フランスの構造主義の評論家)シュヌティエは「ブローティガンの美学は不連続性のそれである」と書いている。

わたしにはおそらく「美学」ということばは使えないだろう。しかしアメリカの読者や文芸評論家が、とくに七〇年代に、ブローティガンをビートニク文学の代表的な作家だといって、ほんの短期間もてはやしたあと、いつのまにか塵芥(ごみ)収集のある月曜日に、まるで古い帽子を生ごみといっしょに棄てるような態度で「処分」してしまった事実と、ビートニクたちが踏みこまなかった、ずっと先にある場所へ、ブローティガンはひとりで歩き続けたことを考えてみたい。

新潮文庫版のあとがきより。


[惹句どんどん] ウディ・アレン引用句集 006


If only God would give me some clear sign!Like making a large deposit in my name at a Swiss Bank.
   神が存在する証には、残高がたっぷりある私名義のスイス銀行の口座が欲しい。

2019年8月24日土曜日

[同窓会] 皆実有朋会定期総会に参加しました。。。


28期からは4名参加。K君、A君、Oさん、私。

2022年が28期の当番期なので、だんだん迫ってきてますね。

2021年から、当番期が3期(64歳、49歳、35歳)で担当することに変更になったそうです。


第 66 回皆実有朋会定期総会
2019年8月24日(土) 午後4時~ リーガロイヤルホテル広島

当番期:
皆実25期 1974(昭和49)年3月卒業
皆実54期 2003(平成15)年3月卒業
専攻科6回 1976(昭和51)年3月卒業
専攻科35回 2005(平成18)年3月卒業

[その他] 映画『ロケットマン』を観ました


八丁座で皆実28期軽音楽部のA君と一緒に映画『ロケットマン』を観ました。エルトン・ジョンの伝記映画です。昨年大ヒットしたクイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディー』を受けて同じ監督が製作したので二番煎じを恐れていたのですが傑作でした。

オレンジ色のド派手なステージ衣装を着たエルトン・ジョンがスローモーションで廊下を進んでいき、スタジアムのライブ会場に登場と思いきや、集団心理療法のミーティングの場所で、エルトン・ジョンの語りで半生が進んでいきます。

またエルトン・ジョンの代表曲を年代順に並べてありますが、一部ミュージカル仕立てもあり、飽きさせません。

実際のステージ衣装を精密に再現していたり、実在の人物に酷似した俳優をキャスティングするなど、相当金がかかった豪華な作品になってます。



[積読立読斜読] 『日本社会のしくみ』(小熊英二著、講談社現代新書、2019年)終章 「社会のしくみ」と「正義」のありか



新書なのに600ページを超える大作『日本社会のしくみ』(小熊英二著、講談社現代新書、2019年)読了しました。

副題に「雇用・教育・福祉の歴史的社会学」とありますが、主に日本の明治以降の「雇用」の慣習が、教育・福祉の慣習も形作っているという結論です。

日本の高度成長を支えた雇用の慣習が制度疲労を起こしているのは明らかですが、著者によれば慣習をいきなり変えるのは容易ではありません。

本書は政策提言書ではないので、著者の結論はけっこうあっさりとしていて、「雇用」に関して言えば「透明性と公開性」の向上が重要としている。

P573
こうした透明性や公開性が確保されれば、横断的な労働市場、男女の平等、大学院進学率の向上などは、おのずと改善されやすくなると考える。それはなぜか。これまでそうした諸点が改善されにくかったのは、勤続年数や(企業内の)「努力」を評価対象とする賃金体系と相性が悪かったためだ。

またかつての「大企業型」「地元型」の社会保障体制から零れ落ちた「残余型」(大企業にも地元にも属さない都会で暮らす人々)が増大し、日本社会内部で格差が開いていいる状況には、社会保障の拡充で解決せよと、結構あっけなかったです。

いずれにせよ大変読み応えのある日本社会論でした。(学術的すぎて諧謔に欠けるきらいがありますが著者の性格かも知れません)。


終章 「社会のしくみ」と「正義」のありか

章別の本書のまとめ
P552
①「大企業型」は、社会全体の構造を規定している。1980年代以降、「地元型」から「残余型」への移行がおきているが、「大企業型」はさほど減少していない。

②企業を超えた横断的基準の不在が、日本型雇用の最大の特徴である。

③他の社会における横断的基準は、職種別労働組合や専門職団体の運動によって形成されてきた。

④近代日本では、「官僚制の移植」が他国より大きかった。その背景は、政府が近代化において突出していたことである。

⑤「官僚制の移植」はどの社会でもみられた現象だが、他国では職種別労働運動などがこうした影響を少なくしていた。

⑥戦後の労働運動と民主化によって、長期雇用や年功賃金が現場労働者レベルに広まった。これが社会の二重構造を生みだし、「地元型」と「残余型」を形成させた。

⑦日本では「学歴」のほかに、能力の社会的基準がなかった。そのため、企業の学歴抑制効果と、企業秩序の平等化/単線化がおきることになった。

⑧「大企業型」の量的拡大は、石油ショック後は頭打ちとなった。その後は非正規労働者の増大、人事考課や「成果主義」による厳選などがあったが、日本型雇用はコア部分では維持されている。

P553
近代日本は、政府と企業の規定力が強かった。そのため、横断的な基準や労働市場ができず、企業が年功賃金の負担その他に苦しむことになったのである。

P553
雇用レジームの比較
一国の内部は多様であり、類型化するのは困難である。ここでは、国ごとに類型化するのではなく、「企業のメンバーシップ」(日本で支配的)「職種のメンバーシップ」(ドイツで支配的)「制度化された自由労働市場」(アメリカで支配的)という3つの社会的機能で類型化してみたい。

この3つの機能は、いわば三原色のようなものだ。現実の「アメリカ」や現実の「日本」は単色ではない。しかし複雑な色も、三原色の混合と考えれば、理解がしやすくなる。


P560
福祉および教育
前述の3機能による雇用レジーム論は、エスピン‐アンデルセンが唱えた福祉レジーム論に近いものである。

エスピン‐アンデルセンの福祉レジーム論は、社会をカール・ポランニーがいう交換・再配分・互酬の3機能の複合といなし、福祉体制を3つに類型化したものだ。交換・再配分・互酬には、それを担う市場・政府・家族という社会的部分と、それを重視する新中間層・雇用労働者・自営農民という社会勢力がある。それらの勢力が政党政治に占める構成と、福祉政策の歴史過程によって、レジームが3つに分かれるのである。

アメリカのように新中間層が主導した政治体制では、市場での交換が支配的な自由主義レジームができる。スウェーデンのように、労働者主導で連合政権ができた政治体制では、再配分重視の社会民主主義レジームになる。そしてドイツのように、農民と労働者が二大政党を作った政治体制では、共同体の互酬を重視したコーポラティスト国家レジームができるという。

P562
日本にエスピン‐アンデルセンの議論をあてはめるのは、もともと無理があると考える。

P562
福祉においても、先に挙げた三機能による類型化の方が、まだしも有効である。つまり、ドイツは「職種のメンバーシップ」が支配的な福祉体制、アメリカは「制度化された自由労働市場」が支配的な福祉体制、日本は「企業のメンバーシップ」が支配的な福祉体制と図式化できる。

これらの国では、政府の役割が北欧などに比べて小さいため、こうした類型化が可能といえる。

日本においては、「企業のメンバーシップ」が全体を想定し、残余部分は国民健康保険や生活保護といった形でカバーする福祉体制が、築かれていったと考えられる。

P562
教育も同じように類型化するならば、日本は企業志向、アメリカは市場志向、ドイツは資格志向の教育体制であるという図式化も可能だろう。

P568
この30年あまりの日本の変化は、「大企業型」の増加が頭打ちになるなか、自営業セクターの衰退と社会関係資本の減少が進んできたというものだったと考えられる。そうした変化のなかで、かつての社会契約の「約束」の有効性が懸念されるようになった。マイナス面をしのぐだけの利点がある社会契約なのか、疑われるようになってきたのである。





[積読立読斜読]『デンジャラス』(桐野夏生著、中央公論新社、2017年)



本を量で読む体力がもうないようで、なかなか一冊の本を読了できなくなってきました。量を求めるのを止めて一章づつでもよいのでちゃんと読了しようと思ってます。

若いころに読み飛ばした谷崎潤一郎を再読していこうかと考えていて、いきなり本題の谷崎に入る前に、谷崎晩年の生活を主題にした、積読してあった桐野夏生さんの『デンジャラス』を読むことにしました。

谷崎の戦後の老熟期を『細雪』雪子のモデル、重子を語り手として描いた快作です。

『世界大百科事典』によると、谷崎潤一郎の活動は5期に分かれるとあります。『デンジャラス』が描いているのは第4期から5期の時代です。


谷崎潤一郎  1886‐1965(明治19‐昭和40)
たにざきじゅんいちろう
小説家。東京日本橋の商家の長男として生まれる。父倉五郎は〈敗残の江戸っ児〉の世代に属する無気力なタイプ,母せきは性格の強い美人だったといわれ,その幼児環境は潤一郎の精神形成に大きく作用した。東京府立第一中学校に入学したが,父が家業に失敗したため書生をしながら第一高等学校英法科に進み,さらに東京帝国大学国文科に籍を置いたが,1911年学費未納のため退学,ただちに作家生活に入った。
その活動は明治・大正・昭和の3代,前後55年間にわたっているが,およそ五つの時期に区分できよう。
 第1期は明治末年の耽美主義の時代。1910年,小山内薫,和嶋哲郎らと第2次《新思潮》を発刊し,同誌に発表した《刺青(しせい)》《騏武(きりん)》などの短編小説が,翌11年11月《三田文学》誌上で永井荷風に激賞され,一躍文壇に登場する。世評は,潤一郎を反自然主義の若き旗手とみなした。
第2期は,ほぼ大正年間全般にわたるモダニズムの時代。《異端者の悲しみ》(1917)ほか自伝的な作品,〈小田原事件〉と呼ばれる佐藤春夫との三角関係を題材にした作品などが多いが,概して不振作が目だつ。その不振に終止符を打ったのが,この時期の代表作《痴人の愛》(1924‐25)の成功であった。
第3期はいわゆる〈古典回帰〉の時代。1923年の関東大震災の後,関西に移住した潤一郎は,しだいに伝統文化と古典文学に眼を開き,昭和初年代の多産な活躍期を迎える。《盲目物語》(1931),《蘆刈》(1932),《春琴抄》(1933)など〈語り〉の機能を生かした作品が次々と書かれた。
第4は戦時期。1935年から《源氏物語》の現代語訳に着手した潤一郎は,続いて大作《細雪(ささめゆき)》の準備にかかるが,戦時下の条件のもとで発表できず,完結は48年であった。
第5に,戦後の老熟期。王朝文学の世界を舞台に母性思慕の主題を描いた《少将滋幹(しげもと)の母》(1949‐50)に始まり,〈芸術かワイセツか〉という論争をひきおこした《鍵》(1956)を経て,〈老い〉と〈性〉との損藤を追求しつくした《瘋癲(ふうてん)老人日記》(1961‐62)を完成する。
潤一郎の作品には,〈母〉と〈悪女〉という対蹠的な二つのタイプが交互に登場してくるが,女性のその両面を見きわめ,人間にとってのエロティシズムの意味の根源を老境にいたるまで存分に追求した巨人的作家である。     
野口 武彦
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桐野夏生さんの『デンジャラス』は、中央公論新社創業130周年にして谷崎生誕130周年に出版された新版の『谷崎潤一郎全集』に合わせるように出版されたものです。著者には林芙美子の南洋従軍記者体験を素材にした『ナニカアル』(2010年)があります。

谷崎潤一郎の小説にモデルがあることはつと有名な話のようです。『痴人の愛』の「ナオミ」は、最初の妻の妹である葉山三千子。『細雪』の四姉妹は三度目の妻・松子と姉の朝子、妹の重子・信子。主人公の老人が息子の嫁に性的欲望を抱く『瘋癲老人日記』の「颯子」は、谷崎の義理の息子の嫁である渡辺千萬子。

P9
(語り手の重子から見て)兄さんは、家族を再編し、構築するのが好きでした。身の回りを、好きな女性だけで(それも血縁のない)固めていく傾向があったのです。(中略)昭和二十年代後半に、兄さんを頂点とする理想的な家族王国がようやく成立したのです。その家族王国は、兄さんの創作を支える、妖しい理念の宝庫でもありました。

昭和26年に谷崎潤一郎が読んだとされる和歌が冒頭に引用されています。


つまいもうと娘花嫁われを囲む潺湲亭(せんかんてい)の夜のまどゐ哉


つま:三番目の妻、松子

いもうと:松子のすぐ下の妹、寡婦、重子(夫の田邊弘は昭和24年病死)

娘:潤一郎の実の娘、藍子ではなく、松子と前夫・小津清之介との間の子、美恵子(昭和22年、次女として潤一郎が入籍)

花嫁:松子と前夫・小津清之介との間の子、清一(重子の養子となっていた)の嫁・千萬子

P8
谷崎と松子夫妻、美恵子、清一と千萬子夫妻、そして私(重子)と女中たち。大勢の大人が、下鴨神社を取り巻く糺(ただす)の森に隣接する「後の潺湲亭(せんかんてい)」と呼ばれる屋敷で暮らしていたのです。

物語の骨子は、谷崎の興味が『細雪』のモデルであった松子・重子から、『瘋癲老人日記』のモデルとなった義理の息子の嫁である千萬子に移っていく、極めて「デンジャラス」が「四角関係」(帯のキャッチ)を巡って展開されます。

評伝も多数あり、また家族の手記も量のある谷崎の晩年を新たに描こうというのは、かなりの冒険的な試みかと思えますが、桐野夏生さんは、語り手を『細雪』の雪子のモデル、妻・松子の妹・重子とすることで(ほとんど資料を残されていないようです)、物語に奥行きが生まれました。

晩年の谷崎が周辺の女性から材を得て作品を生み出す作家だったとはいえ、世間一般から見れば異様な家族構成であります。また周辺の女性もその谷崎に惹かれ多くの手記を出しているところをみると、谷崎の創作源となった自分を自負している面も見受けれれます。

半世紀近くの作家活動で「文豪」の名称にふさわしい「大谷崎」(おおたにざき)は、私生活でも悠揚迫らざる存在であったというのを再確認した次第です。

小説のメディアとしての役割が小さくなっている現代では考えられない話です。『細雪』『瘋癲老人日記』のような「妖しい」生活も忘却の彼方に消えてしまうと同時に、文豪としての生活もなくなってしまいました。


時事的な話ですが、今年の4月に『瘋癲老人日記』のモデルとなった、渡辺千萬子さんが亡くなられています。


■渡辺千萬子さん死去 瘋癲老人日記のモデル
2019年4月20日05時00分 朝日新聞デジタル
 渡辺千萬子さん(わたなべ・ちまこ)14日、脳梗塞(こうそく)で死去、89歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長女高萩たをりさん。
 作家谷崎潤一郎の義妹の息子の妻で、小説「瘋癲(ふうてん)老人日記」のヒロインのモデルとなった。谷崎の没後、往復書簡を刊行した。

[追記]
作家の中島京子さんとの対談で本作品が語られていて、系図が掲載されていましたので、お借りしました。(2020/11/06)




2019年8月23日金曜日

[その他] 夕食はオムライスです。



基本、月曜から金曜まで、二人の孫を保育園に迎えに行き、家族の夕食を作るのが日課です。本日の夕食はオムライス。土井善晴さんの『お箸で食べる洋食』(講談社、2007年)のレシピです。

コツはご飯に「ケチャップを加えたら、焼きつけるように炒めて味をなじませます」という点と、卵を無理にフライパンの中で包もうとしないで、フライパンの卵の上にケチャップライスを中央に縦長に乗せ、「フライパンを返しながら器に盛る」と卵が破れたり、ケチャップライスがはみ出たりする失敗が少ないそうです。

写真は実際の夕食、なかなか美味しいですよ。


2019年8月21日水曜日

[積読立読斜読] 『日本社会のしくみ』(小熊英二著) 第8章 「一億総中流」から「新たな二重構造」へ



第8章 「一億総中流」から「新たな二重構造」へ

第8章の要点

・大企業正社員の量的拡大は、1974年でほぼ止まった。また大学・短大の定員もこの時期から抑制された。そのため、増えなくなったパイの奪い合いが、受験戦争の激化となって表れた。

・とはいえ1970年代後半は、もっとも格差の少ない時期であった。その状態は、農家と自営業がさほど減少していなかった一時的状況に支えられていた。

・企業は「日本型雇用」の重荷に苦しみ、人事考課の厳格化と、出向・非正規・女性などの「社員の平等」の外部を作り出した。

・1980年代に、従来の大企業と中小企業の二重構造に代わって、正社員と非正規雇用の二重構造が注目され始めた。

・1990年代以降、「日本型雇用」の改革や成果主義の導入が唱えられたが、基本的な慣行は変わらなかった。日本の雇用慣行は、その適用対象を限定しながら、コア部分では維持されている。


P501
1970年代は、「日本人論」が流行した時代でもあった。一連の「日本人論」は、日本の企業経営や労使関係が「イエ社会」の論理にもとづいているとか、農村の集団主義を起源としているといった文化論をとることが多かった。だが、それらの多くは、1960代以降に大企業に普及した雇用慣行を、日本の歴史に投影したものにすぎなかった。

P528
年功による昇進や昇給は、元来は経済的コストに左右されない官吏の慣行であり、戦前の民間企業では少数の職員だけの特権だった。それを全従業員に適用するのは、高度成長期のような例外的時期をのぞけば、困難なことだった。

それでもなお、長期雇用と年功賃金を続けようとすれば、適用対象をコア部分に限定するしかなかった。そのための方法が、人事考課による厳選、そして出向・非正規雇用・女性という外部を作り出すことだったといえるだろう。

2019年8月18日日曜日

[積読立読斜読] 『日本社会のしくみ』(小熊英二著)第7章 高度成長と「学歴」


第7章 高度成長と「学歴」

第7章の要点

・進学率の上昇は、中卒就職者を減少させ、従来の三層構造の維持を困難にした。

・企業は従来の構造を維持しようとし、政府に実業教育の普及を要望したが、進学率の上昇を止められなかった。

・戦後の労働運動によって長期雇用が定着したため、採用が慎重化した。そして、学校から情報が得られる新卒一括採用が、現場労働者レベルまで拡張した。

・中卒者が不足し、高卒者が現業員に配置され、大卒者も販売などの職に就くようになった。これらは離職率の増大や学生叛乱など、社会不安をもたらした。

・こうした一連の変化に苦しめられた企業は、三層構造を解消し、全員を「社員」とした。代わりに導入されたのは、「能力」によって全社員を査定し、「資格」を付与していく職能資格制度だった。

・職能資格制度は、戦前の官庁・軍隊型のシステムの延長であり、人事担当者たちもそれを自覚していた。


P431
敗戦後の労働運動は、あらゆる差別を批判し、「社員の平等」を追求した。だが敗戦後の民主化と労働運動を経ても、1950年代までは、戦前の三層秩序は根強く残っていた。それでは三層秩序を崩壊させ、「社員の平等」を定着させたものは何だったのか。結論から言えば、それは高度成長以後の進学率の上昇だった。

ではなぜ高学歴化は、三層構造を崩壊させたのか。その理由は、日本の企業秩序では、職務と学位が結びついていなかったからである。

(米国などのように)職務給であるならば、ある職務に高い学位の者を雇ったとしても、それだけが理由で賃金が高くなるわけではない。

P432
ところが日本には、こうした学位と職務の結びつきがなかった。日本にあったのは、上級職員は高等教育卒、下級職員は中等教育卒、現場労働者は義務教育という慣例だった。また日本企業は、職務とは関係なく、学歴と年齢で賃金を決めていた。


P432
しかも日本の場合、ここに戦後の教育改革が影響した。
戦前日本の教育制度は、西欧の影響を受けていた。一般に西欧諸国は階級社会で、高等教育を限定する傾向があった。戦前の日本でも、小学校のみが義務制で、中学校は試験を経て選抜された者だけを入学させていた。また高等専門学校や大学は、ごく少数の者だけが進学するところだった。

アベグレンは1958年に、「戦前の教育制度は企業の採用の仕組みとうまく適合していた」と指摘している。戦前の学歴別の三層構造が成り立っていたのは、戦前の中等教育や高等教育が、限定された人数しか受け入れていなかったからだった。
ところが戦後には、アメリカの教育制度を参考にした改革が行われた。アメリカの教育は、階級制に根差した西欧とは異なり、普遍的に人民の教育程度を挙げる志向を持っていた。そして戦後日本では、中学校も義務制になり、高校は希望者が無試験で入学できる(注:のちに試験選抜制に)中等教育機関になった。さらに大学として認定される教育機関が大幅に増え、高等教育の大衆化がはかられた。

P448
総じて1959年の時点では、まだ戦前の三層構造を維持しながら、中卒新卒者の工員採用を増やしていた段階だったことがうかがえる。だが1960年代半ば以降になると、大企業では新卒一括採用が主流になった。

労働史の研究者たちは、日本で新卒一括採用や「終身雇用」が定着したのは1960年代だと位置づけることが多い。たしかにこうした慣習が、社会の多数派である現場労働者にまで広まったのは60年代になってからである。

とはいえ日本の民衆は、新卒一括採用や年功賃金、終身雇用などを、戦前の官吏や職員が享受していることを知っていた。彼らは全員が高校に進学し、全員が「社員」となることで、こうした慣行の適用範囲を大幅に拡大した。それが、「日本の労働者が理解した戦後民主主義」だったといえるかもしれない。


P453
(大学進学率の上昇という)くした事態にたいし、企業がとった対応は、従来は中卒・高卒者が就いていた職務に、大卒者を配置することだった。

P455
学生叛乱の分析は本書の中心テーマではない。本書の文脈で重要なのは、かつて高卒者が就いていた職務に大卒者が就くようになり、学歴への期待と社会の実情にずれが生じたとき、社会不安が発生していたという事実である。

P466
これが、西川の「同一学歴者の同一処遇」原則だった。つまり学歴を軽視するからではなく、学歴を重視するがゆえに、三層構造を放棄するというのだ。

もともと日本企業は、欧米企業と似た三層構造をなしていたものだった。しして三層構造と学歴別秩序が両立しなくなったとき、前者を捨てて後者を優先したといえる。

P466
西川の提言は、日本鋼管の方針転換に沿ったものだった。日本鋼管は、敗戦後も「労働秩序を乱すおそれがある」という理由で、「職・工員の身分撤廃」を拒否していた。ところが西川の論文が公表された1964年1月、「工員の学歴構成の向上」などに対応するため、「全従業員をすべて社員と呼ぶ」という方針を明らかにしたのである。

P473
こうした職能資格制度に対する、労働研究者の評価は分かれている。肯定的な評価は、現場作業員に昇進の道を開いた平等な制度であり、労働者の勤労意欲を高めたものとみなす。批判的な評価は、労働者を出世競争と過剰労働に追いこみ、企業に忠誠を尽くす「会社人間」に変えた制度だったとする。おそらく、これらは同じ事実の両側面なのだろう。

P473
いずれの評価をとるにしても、こうした資格制度は各社ばらばらに導入され、互換性のないものだった。(中略)こうした資格制度が現場労働者レベルにまで広まったことは、彼らの転職率の低下をうながす要因になったと考えられる。

P475
全社的な定期人事異動は、「社員の平等」の完成を示すものだった。トヨタを研究した辻は、新卒一括採用などの定着が1960年代だったのに比べ、約0年遅れて全社的な定期人事異動が定着したことを評して、「人事異動の定期化という現象は、日本的雇用に関する諸制度、諸慣行の、いわば総合的、総括的な到達点だったからではないか」と述べている。

そしてこの制度を裏面から支えていたのは、女性が大部分を占めていた高卒や短大卒の事務職員であった。長期雇用と年功賃金が普及した1950年代後半以降、女性の賃金が上昇する前に解雇する結婚退職制や性別定年制を、明示的に規定する企業が増えていった。

P484
「能力主義」は、こうした多様な解釈が可能であったがゆえに、支持されたと考えれれる。こうして、学歴よりも「社内のがんばり」を重視する「社員の平等」が、日本企業の新しい秩序となっていった。

こうして1960年代に、一連の日本的雇用の特徴が定着した。それは明治期いらいの慣行が、総力戦と民主化、労働運動と高学歴化などの作用によって、三層構造をこえて拡張することによって成立したのである。

P487
日本のGNPが年率10%前後で急成長していた時期だった。その時期には、現場労働者レベルにまで「社員の平等」を拡張しても、賃金コストの増大に対応できた。

だが、1973年の石油ショックを境に、そうした時期は終わりを告げた。それでも、いったん拡張した「社員の平等」は、もはや撤回できなかった。そのあとの時代には、正社員の範囲だけに「社員の平等」を制限するという、「新たな二重構造」が顕在化してくることになる。






[自分史のレッスン] 2019年60歳 夢のような生活


1973年(14歳)


2019年(60歳)

本を読んだり、音楽を聴いたり、感想文を書いたり、するのが好きなので、中学校以来ずっと書斎らしきものが家にありました。雑然としておりますが現在もあります。

カセットテープ、ICラジオは、インターネットに集約され、ただ同然でTV番組や音楽や映画を楽しむことができます。

(音楽だけはレコードに後戻りしました)。

勉強時間を気にしないで好きなだけ本が読め、ギターもウッドベースも演奏できます。

頭髪は失いましたが、中学時代からは想像できない、正に夢のような生活を送っていますね。




2019年8月15日木曜日

[その他] 勝間和代の、シュガーフリーでダイエット


YouTubeの勝間和代さんのチャンネルから。

「シュガーフリー」でダイエットのまとめです。


<勝間和代はどうやってダイエットに成功したか>
(1)(カロリーが低い)栄養価の高い食べ物を食べる
(「シュガーフリー」がキーワード)
(2)毎日こまめに動く(運動する)
(3)毎日8時間良く寝る

<シュガーフリーとは>
カロリーはあるが栄養価のないものは食べない
典型的なものは精製糖

非常に依存性が高い(おいしくない食材でもおいしくなる)

古代は食べ物の中に糖分があったので過剰摂取は避けられた
現代では分離糖(精製糖)になったのでいくらでも摂取できる

コンビニにはほとんどの加工食品に分離精製糖が入っている
食べれば食べるほどますます欲しくなる
(チーズ、くだもの、ナッツなど)

<血糖値スパイク>
血糖値が上がる、インシュリンを分泌、おなかがすく、というスパイク

日本人の食べる食材は砂糖が多い

意識しないところで砂糖を摂取してしまう

シュガーフリーの実行は、自炊すること(砂糖の分量がわかる)

なぜ砂糖を使うのか=調理の時間が短すぎる

かぼちゃもゆっくり調理すると食品内の糖がおいしくなる
(塩分を足さなくてよい)

食事に砂糖をたすと塩分がほしくなる

食生活に精製糖を取り入れない

ケーキ、アイスクリームなどは自炊する

基本、1日の精製糖は基本0g、晴れの日は5~10gまでは食べてよい

自分で食べる砂糖の量を自炊によってコントロールしている

白米、精製小麦粉も摂らない(玄米、全粒粉を摂る)→血糖値があがらない

はちみつ、黒砂糖も摂らない


※東洋経済オンラインに同じ趣旨の記事がありましたので、補足として掲載します。

体調不良につながる「血糖値スパイク」の深刻
疲労感、頭痛など様々な症状を引き起こす

東洋経済オンライン(2018年4月29日付記事)
https://toyokeizai.net/articles/-/218153

◆その不調、実は低血糖かも…
最近よく聞かれる「血糖値スパイク」という単語。血糖値が乱高下する症状を言いますが、これを繰り返していると日常のパフォーマンスが大きく下がるだけでなく、肥満にもつながります。でも現代人の食生活は、血糖値スパイクを引き起こすものがいっぱい。そこで糖尿病専門医である牧田善二先生に、「血糖値スパイク」が起こる仕組みと予防法について教えてもらいました。

健康な人の血糖値は、空腹時で約80~90mg/dl。これが食事を摂ると、1時間後に120mg/dlくらいまで上昇し、再びゆっくりと下がっていきます。


しかし一度に大量の糖質を摂ると、30分ぐらいの短い時間で血糖値が急上昇。すると膵臓はこれを下げようと慌てて大量のインスリンを分泌するため、今度は血糖値が急降下する。これを「血糖値スパイク」と言います。

「血糖値が急降下すると、当然、低血糖に陥ります。70ml/dlを切ると眠気や体のだるさ、イライラ、頭痛、吐き気といった症状が起きるようになり、さらに50ml/dlを切ると、ふるえや動悸、めまい、血圧上昇、脈や呼吸が早くなるといった症状も起きてきます。そして30ml/dlを切ると、意識がもうろうとしたり痙攣を起こしたりするだけでなく、最悪の場合は意識がなくなって昏倒することもあるのです。

怖いのは、血糖値スパイクを繰り返していると膵臓が正常に働かなくなり、必要以上に血糖値を下げてしまうようになること。これを『反応性低血糖症』と言うのですが、代表的な症状には、やたら眠くなる、疲れやすい、やる気が起きない、集中力が続かない、不安、動悸、といったものがあります。

これが低血糖からくるものとは気づかず、症状から精神科や心療内科に行き、うつ病や自律神経失調症と診断されている人は非常に多いのです」

◆もっとも怖いのは糖質たっぷりのドリンク
では血糖値スパイクを引き起こす要因は何かというと、当然のことながら、糖質の多い食事。小麦や白米といった糖質を多く含む食材をたらふく食べるのはもちろんNGですが、それ以上に避けたいのが清涼飲料水だそう。

「人の体というのは、消化と吸収を繰り返して上手に血糖値が上がりすぎないよう作られています。たとえば肉なら吸収されるまで3、4時間、脂肪なら5、6時間かかります。糖質の多い白米やパンでも2、3時間はかかるので、タンパク質や脂肪がメインの食事をしていれば血糖値スパイクを起こすことはありません。しかし糖分を溶かした液体になると、消化が必要なく短時間で体に吸収されてしまうため、血糖値の急上昇が起こります。とくに糖質たっぷりの缶コーヒーやジュース、スポーツドリンクなどは絶対にやめたほうがいいでしょう」

現代人は糖質中毒に陥りやすい!
でも、脳のエネルギー源はブドウ糖だから糖分は必要、という話もよく聞きます。集中力ややる気を高めるには、糖分の摂取は効果的なのでは?

「それは食べ物を充分に摂取できなかった太古の話です。私たちの体は、ブドウ糖がなくなれば脂肪を燃焼させてケトン体を作り出しエネルギー源にしますから、糖質を摂らなくても1ヵ月ぐらいは生きられます。ところが困るのは、かつての食糧が少なかった時代に、『いざという時のためにチャンスがあれば糖質をとりなさい』と脳がプログラミングされてしまっていること。そのため糖質を摂取すると、脳はセロトニンやドーパミンを出して快楽を覚えるようにできており、食糧豊富な現代においてもついつい糖質を欲してしまうのです。つまり現代人は、普通にしていると糖質中毒に陥ってしまうということ。“締めのラーメン”などは、糖質中毒の最たる症状ですね」

参考までに下記に、簡単な「糖質中毒チェックテスト」を載せたので、是非チェックしてみてください。

1.朝食をしっかり食べたのに、昼食前に空腹を覚える。(はい・いいえ)
2.ジャンクフードや甘い物を食べ始めると止めるのが難しい。(はい・いいえ)
3.食後もときどき満足感を感じないことがある。(はい・いいえ)
4.食べ物を見たり、匂いをかいだら、食べたくなる。(はい・いいえ)
5.お腹が空いていないのに夜食べたくなることがある。(はい・いいえ)
6.どうしても夜食を食べたくなる。(はい・いいえ)
7.食べ過ぎたあと、何だかだるい感じがする。(はい・いいえ)
8.昼食後、何となく疲れや空腹感を感じる。(はい・いいえ)
9.おなかがいっぱいなのに食べ続けてしまうことがある。(はい・いいえ)
10.ダイエットして、リバウンドしたことがある。(はい・いいえ)

◆理想の食事は
上記の10の質問のうち、「はい」が3~4個あった人は「軽い糖質中毒」、5~7個だった人は「中程度の中毒」、そして8個以上だった人は「ひどい中毒」に陥っているので、食生活の改善が必要です!

理想は縄文時代の食事
ちなみに上記のテストを行うと、肥満の人の75%が糖質中毒に陥っていたそう。では糖質中毒に陥らないための正しい食事とは、一体どのようなものなのでしょう?


「それは縄文時代のような食事です。現代日本人は縄文人のDNAを強く受け継いでいることが証明されていますが、そこから考えると、体も縄文人のように生きていくようプログラミングされているはず。

つまり本当は、魚を中心に木の実や山菜、また貝類などをたくさん摂る食生活が良いのです。肉も、牛や豚より、当時食べられていた熊や鹿がお勧め。もちろん忙しい現代において、まったく同じ食生活を送るのは難しいでしょうが、少なくとも縄文時代になかったものは食べるべきではありません。

縄文時代に砂糖はありませんでしたし、ましてやその砂糖を液体に溶かして一度に大量摂取するなんてあり得ない。長く健康で美しく生きるためにも、糖質の摂取は可能な限り減らすことを強くお勧めします」

お話をお伺いしたのは……

牧田善二先生
AGE牧田クリニック院長。北海道大学医学部卒業。アメリカ・ロックフェラー大学などでAGE(終末糖化産物)の研究をおこなう。久留米大学医学部教授等を経て、糖尿病専門クリニックを開業。これまで20万人以上の患者を診てきた。著書に『老けたくないなら「AGE」を減らしなさい』、『医者が教える食事術?最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』など。
(文:山本 奈緒子)

[積読立読斜読] 『日本社会のしくみ』(小熊英二著) 第6章 民主化と「社員の平等」



第6章 民主化と「社員の平等」

第6章の要点

・戦時期の総力戦体制から戦後の民主化のなかで、「社員の平等」への道が開かれた。その背景は、戦争による一体感の高まりと、敗戦後の生活苦による平準化だった。

・戦後の労働運動は、年齢と家族数に応じた生活給のルールを確立した。

・しかし戦前の三層構造は、簡単に崩れなかった。また生活給は、勤続年数とは連動していなかった。労使交渉のなかで、勤続年数を重視する傾向は出てきていたが、「日本型雇用」が完成するのは高度成長期以後である。

・1950年代半ばから、大企業と中小企業の「二重構造」が注目された。大企業で「社員の平等」があるていど達成されたため、代わって大企業と中小企業の格差が目立ってきた反映と考えられる。

・社会保障制度も、こうした二十構造に沿って1950年代後半に制度化した。これによって、「カイシャ」と「ムラ」を基本単位とする制度が作られた。

・1960年代前半までの政府と財界は、職務給と普遍的社会保障、企業横断的労働市場による変革を構想した。しかし経営者たちは企業横断的なルールの導入を嫌った。


P351
愛国心と「差別意識」

戦争は雇用のあり方に、大きく二つの影響をもたらした。一つは、労働者不足と戦時体制による格差解消。もう一つは、ナショナリズムの高まりと連動した身分差別批判である。

これらは二つとも、戦後に「社員の平等」が達成される下地となった。

戦争による軍需景気は、労働者不足をもたらした。これは労働者の賃金を上昇させ、待遇の悪い企業から労働者が離職する傾向をひきおこした。

P352
むしろ戦争の影響で大きかったのは、インフレがもたらした平準化と、ナショナリズムの高まりからおきた運命共同体意識だったと思われる。これが企業内の身分差別批判につながり、戦争による第二の影響となった。

P352
戦争による労賃上昇と、インフレによる金融資産の目減りは、労働者の地位を相対的に上昇させた。西洋の「自由主義」への批判や、「贅沢は敵だ」というスローガンがとびかい、「資本主義」と旧特権階級を批判する風潮が高まった。


P355
戦争経験と戦後の民主化の関係は、明示的に語られることは少ない。しかし後述するように、戦後の労働争議では、「身分制」の撤廃、企業幹部の戦争責任追及、そして「産業復興」が掲げられることが多かった。これらの要求は、企業幹部が不正によって生産能率を下げ、国を破滅に導いたことを、労働者たちが怒っていたことを間接的に物語っている。戦後の労働運動は、こうした背景のもとで行われたのである。

P355
企業別混合組合(工員・職員混合)の台頭

敗戦後の1945年10月、占領軍は一連の指令を発し、労働組合の結成を奨励した。(中略)1949年6月には(中略)推定組織率55.8%にまで高まった。

P358
敗戦後の都市は産業が壊滅し、人々は食料がある農村に縁故を頼って疎開していた。二村(労働史研究者)は「焦土と化した都会にとどまったのは、帰るべき田舎をもたない人々であった。彼らにとって、企業は最後の拠り所となった」と述べ、これが企業別の混合組合を生んだ大きな背景だったと指摘している。

P361
戦前の職員は特権層であり、職工との差別は激しかった。それを考えれば、戦前の労働運動で混合組合が広まりえなかったのは、当然のことだった。企業別の混合組合は日本の文化的伝統などではなく、戦争と敗戦による職員の没落を背景として生まれたものだったのである。

P397
二重構造論の出現

だがこの時期には、そうした「社員の平等」を達成していたのは、おもに大企業だった。前述のように敗戦後の一時期は、中小企業の方が大工場よりも、操業率や賃金が高い傾向すらあった。だがそうした時期がすぎた1950年代には、企業規模による賃金格差が広がっていた。
企業規模による賃金の格差は、戦前からあったとされている。しかし、それが社会的な問題として注目され話題になったのは、1950年代後半のことだった。

第2章で述べたように、アメリカやヨーロッパでは、企業規模による賃金格差は重要な話題ではない。職務や職種による賃金格差の方が重要だからである。
また戦前の日本でも、このテーマは、さほど話題にならなかった。戦前にも大企業と中小企業の賃金差はあったが、それよりも大企業内の職員と現場労働者の賃金差が明白だったことが、一因だったと考えれられる。

P400
「地元型」「残余型」の形成
現実には、むしろ二重構造を追認し、強化する形で近代化と制度化が進行した。その一つが社会保障制度である。結論から先にいえば、日本の社会制度はまず大企業従業員をカバーする制度からでき始め、その残余をカバーする制度が後からできた。それによって「大企業正社員」と「それ以外」の分断を強化することになった。

P403
つまり日本では、まず大企業、つぎに地域を単位として、健康保険組合が作られた。第1章で述べたように、社会保障の研究者である広井良典は、これを「日本の制度は、『カイシャ(職域)』と『ムラ(地域)』という、日本社会において基本的な単位となる帰属集団をベースとして組み立てられた」と形容している。とはいえこうした「カイシャ」と「ムラ」は、伝統的に存在した実体というよりは、近代的な政策で作られた類型だった。その場合の「ムラ」は、「カイシャ」の残余である雑多な人々の寄せ集めで、実体があったわけではなかった。むしろ社会保障制度が、「カイシャ」と「ムラ」を日本社会の基本的単位とみなす慣行を制度化したとさえいえる。


P405
こうして「大企業型」「地元型」「残余型」の類型が、1950年代後半の二重構造と社会保障制度によって表現され、制度化された。それは、戦後の民主化と労働運動によって、大企業から長期雇用と年功賃金が広がったことで、形成されてきた類型だったともいえる。

P418
日本の経営者たちは、たしかに一時は、職務給と横断的労働市場を称賛した。しかしそれは、中高年労働者の賃金を下げ、解雇を進めやすいという動機からだった。だが企業横断的な労働市場が本当にできたら、企業内だけで職務や賃金を決定できなくなる。それに気づいたとき、経営者たちは職務給を警戒したというのである。

P418
(GHQの勧告にもかかわらず)職務給の導入と、それに連動した政策パッケージは立ち消えとなった。代わって定着していったのは、長期雇用や年功賃金とひきかえに、企業別労組と妥協した「日本的労使関係」だった。

[惹句どんどん] ウディ・アレン引用句集 005



映画『アニー・ホール』の冒頭でウディ・アレンがカメラに向かって相当な早口でしゃべっている内容です。

古いジョークを紹介しましょう。
キャットスキルのあるリゾート(アメリカNY州)で二人の老婦人の会話。

「ボーイさん、ここの料理はとてもまずくて食べられません」。
もう一人の老婦人が続けて「そうよそうよ、それに量もとても少ないわ」。

このジョークは基本的に人生について私が感じていることです。孤独・悲壮・苦痛・不幸が一瞬で全身を蝕んでいるという感情です。
もう一つの重要なジョークは、俗にグラウチョ・マルクス(アメリカのコメディアン)とされていますが、自分はフロイトの『ジョークと無意識の関係』(1905年)がオリジナルだと思います。自分なりに言い換えると、

「自分のような人間をメンバーに入れるようなクラブには金輪際入りたくない」。

というものです。私が成人してから自分と女性との関係という見地からだと、キー・ジョークになります。

Alvy Singer: [addressing the camera]
There's an old joke - um... two elderly women are at a Catskill mountain resort, and one of 'em says, "Boy, the food at this place is really terrible." The other one says, "Yeah, I know; and such small portions."
Well, that's essentially how I feel about life - full of loneliness, and misery, and suffering, and unhappiness, and it's all over much too quickly.
The... the other important joke, for me, is one that's usually attributed to Groucho Marx; but, I think it appears originally in Freud's "Wit and Its Relation to the Unconscious," and it goes like this - I'm paraphrasing - um, "I would never want to belong to any club that would have someone like me for a member." That's the key joke of my adult life, in terms of my relationships with women.


2019年8月14日水曜日

[新聞記事] 昭和の人生すごろく



ちょっと古い資料ですが、この「昭和の人生すごろく」は経済産業省の若手官僚が2017年5月に発表しネット上で公開されたレポート「不安な個人、立ちすくむ国家 モデルなき時代をどう前向きに生き抜くか」内にあった図表です。

「昭和の人生」=国家・個人のモデル、という前提で、男性:正社員になり定年まで勤めあげる(退職金・年金が充分にある)、女性:結婚・出産して離婚しない、というモデルが崩れかけている。結果個人は「不安」であり、国家は対処に困っている、という見立てのようでした。

問題は1950年代生まれと、1980年代生まれの男女100名の統計上、たしかに女性は未婚・未出産の人が大幅に増加した一方で、正社員で円満定年の男性は、34人が27人になりはしましたが、前提となる昭和のモデル自体が全体の34%しかなかったのは統計をとった若手官僚も意外だったようです。

このレポートについては産経新聞の記事がよくまとまっていました。

https://www.sankei.com/premium/news/170630/prm1706300006-n1.html
「昭和の人生すごろく」にしがみつくな!?
若手エリート官僚の報告書「立ちすくむ国家」ネットで炎上
2017年6月30日付、産経ニュース

このレポートには多くの指摘がありましたが、

・問題提起はしたが解決に向けての提案がない
・レポートの前提となる正社員・円満定年の比率が
34%しかなく訴求力が弱い
・作成者が正社員側にあり弱者の視点がまったくない

という瑕疵があり、無料のレポートはもの珍しさからか100万を超えるダウンロードがありましたが、書籍化されたものは散々な部数だったようです。

現在読書中の『日本社会のしくみ』(小熊英二著)にも、このレポートが引用されていました。小熊さんは著者に先立って、スタジオ・ジブリのPR雑誌『熱風』(2017年11月号)(アニメの会社なのに相当硬派)でレポートをまとめた若手官僚と座談会を持っています。座談会でも若手官僚の見立ての甘さを指摘されていました。

『熱風』(2017年11月号)
【座談会】経産省 次官・若手プロジェクト『不安な個人、立ちすくむ国家』をめぐって
出席者]上野千鶴子(社会学者)/小熊英二(社会学者)/雨宮処凛(作家)/須賀千鶴・植木貴之・今村啓太(経産省プロジェクトメンバー)


『日本社会のしくみ』を読んでいくうえで、はずせないレポートなのと、官僚が日本社会をどう把握しているのか理解するために掲載しておきます。

2019年8月13日火曜日

[その他] 大人の夏休み工作 スピーカー自作 (途中経過)



いろいろキャビネットを悩んだあげく、ダブルスロート・バックロードホーン型を製作することに。

本日はホームセンターで1800×900(12mm厚)の合板から設計図サイズ通り切り出したところです。

(長い長辺のみカットサービスを頼み、短辺は自分で切りました)。

お盆期間中で無料の工作室は空いていました。自宅でもできないことはないですが、騒音が近所迷惑なのでこちらを使用することが多いです。

[その他] 突然ユーチューバーになった勝間和代さん


多方面に活躍中の経済評論家(?)の勝間和代さん。いろいろな小ネタを披露してる
「勝間和代が徹底的にマニアックな話をアップするブログ」のファンでしたが、ここにきて突然ユーチューバーになられました。

「勝間和代が徹底的にマニアックな話をするYouTube」というチャンネルで、2019年8月13日現在のチャンネル登録者数は、21,601人です。1日1更新以上をめざされているそうです。

当方はテレビを観ないので、情報元は新聞・雑誌・書籍がほとんどでしたが、ここにきてYuoTubeの比重が高くなってきました。趣味のギター練習などは、曲を詳細に解説している番組が多数あり、興味がつきません。

勝間さんのユーチューブは着眼点が新鮮で、さすがマッキーンゼー出身だけあってプレゼンが上手で、込み入った題材もすんなりと頭に入ります。

最近では「ダイエット」関連で「シュガーフリーの生活」というのが大変ためになりました。

[惹句どんどん] ウディ・アレン引用句集 004


なかなか『アニー・ホール』から広がりませんが。



人生は2つに分類できる。

"horrible"であるか、"miserable"であるかのどちらかだ。

"horrible"は末期症状、盲目の人、四肢が欠けている人、などだ。

この人たちの人生は想像ができない。

その他の人はすべて"miserable"だ。

君が"miserable"であるのは、大変幸運なことだと思うことだね。


"horrible"は客観的なことで、"miserable"は主観的なことですね。

Alvy Singer: I feel that life is divided into the horrible and the miserable.
That's the two categories. The horrible are like, I don't know, terminal cases,
you know, and blind people, crippled. I don't know how they get through life.
It's amazing to me. And the miserable is everyone else.

So you should be thankful that you're miserable, because that's very lucky, to be miserable.

Annie Hall (1977)

2019年8月12日月曜日

[その他] 孫のT君と恐羅漢へ登る




8月11日(日曜日)~8月12日(月曜日)は長女家族と当方夫婦で恐羅漢エコロジー・キャンプ場のケビンを借りてキャンプをしました。

初日は三段峡長渕で水遊び。川の底まではっきり見える透明な気持ちのいい水でした。なぜかアフガニスタン人の団体も水遊び中。

夜はBBQ、花火大会、ミニ・キャンプファイヤーなど。ログハウスのケビンを借りて雑魚寝しました。

二日目は当方夫婦と孫のT君(保育園年中組、もうすぐ5歳)で恐羅漢登山に挑戦。休み休みですが見事登頂。

昼はカレーライスを自炊して食べました(土鍋で炊いたご飯が固かったですが)。

大変楽しい2日間でした。


2019年8月11日日曜日

[新聞記事] 日本経済新聞による経団連分析




現在読書中の『日本社会のしくみ』でも引用があった日本経済新聞の記事です。スポンサー先の経団連批判とも受け取れる内容の記事でちょっとした話題になったようです。

2019年6月17日付「変わる経団連、変われぬ経団連」

2019年6月21日付「経団連、この恐るべき同質集団」

いまどき背広を着た老人ばかりが国を代表する企業の集団というのも投資先として魅力がありませんね。




2019年8月10日土曜日

[その他] 10日と25日はパン屋の日 ハートブレッド・アンティーク(ゆめタウン広島店内)


ハートブレッド・アンティーク
ゆめタウン広島内

ゆめタウン広島に新しくできたパン屋さん(7月25日開店)です。

デニッシュ生地の巨大なリング状のパンで有名なチェーン店です。

レジが新しいタイプのもので店員さんは現金を触らず、お客の方が投入口にお金を入れます。個人的には徹底したキャシュレスのほうがよいような気が。

勢いのあるチェーン店らしく店内の陳列も立体的で楽しくなるお店のようです。菓子パン数点を購入。パン自体は普通の味でした。

[惹句どんどん] ウディ・アレン引用句集 003


Manhattan Murder Mystery (1993) より。


ワグナーのオペラは長いこと聴いていられないんだ。

ポーランドに侵攻したくなるからね。


Larry Lipton: I can't listen to that much Wagner, ya know? I start to get the urge to conquer Poland.

Larry Lipton がウディ・アレン役。奥さん役のダイアン・キートンとオペラを聴きに行ってのセリフ。

[積読立読斜読] 『日本社会のしくみ』第5章 慣行の形成


第5章 慣行の形成

第5章の要点

・新卒一括採用、定期人事異動、定年制、大部屋オフィス、人事考課などは、いずれも明治期の官庁や軍隊にその起源を求めることができる。

・それが波及した背景は、教育を受けた人材が不足していた明治期の事情だった。

・日本の学校が果たした役割は、企業に対して人材の品質を保証する紹介機能だった。これは他国の場合、職種別組合や学位が果たした機能である。

・ドイツにも、官庁の制度が企業に影響した歴史はあった。しかしドイツの場合、民間の職種別組織や、職員の地位向上運動の存在があったため、日本とは異なる形となった。



P281
軍隊や官庁に職務と別個に給与等級があることは、日本だけの特徴ではない。とはいえ、第2章で述べたように、ドイツやフランスの官僚制には新卒一括採用や
定期人事異動、大部屋主義といった特徴はない。
それでは、こうした日本の特徴は、どのような経緯から生じたのか。結論からいえば、それは日本の近代化のあり方に関わっていた。

P283
しかし明治の日本では、同時代のドイツにくらべ、高等教育を受けた人材が不足していた。

P285
こうした状況のため、近代日本では、富裕層や貴族層でなければ高級官吏になれないわけではなかった。出自を問わず帝大生になれる可能性があったという意味でも、
同時代のドイツより明治の日本は平等だった。

P289
新卒一括採用と定期人事異動の関係については、示唆はsれているものの、実証的研究は少ない。(中略)おそらく、組織が定期一括採用を開始して
20年が経つと、定期人事異動を行わざるをえない状態になるのだと考えられる。

P293
(注:大部屋主義という)しかし物理的な空間以上に注目したいのは、「課」より下の職務分担を明確化するこが要求されなかったという事情である。

P296
つまり「課」や「室」を単位とした大部屋主義は、個々の議員の職務が明確に定められていないことと同時に、「課」が周囲から独立した「一国一城」の権限保有
を主張する意識の表れである。その背景は、プロイセンの君主や、アメリカの世論といった、官庁を監視する対抗権力がなかったことである。日本の「大部屋主義」の
起源があるとすれば、明治初期の建造物の構造以上に、こうした緊張関係の有無だといえるだろう。

P296
ところで、個々人の職務が明確でないとすれば、何を基準に昇進を決めるのか。結論からいうと、戦前の官庁で基準となったのは、勤続年数と成績だった。

P309
戦前の人々にとって、徴兵は共通の体験だった。そうした社会では、軍隊用語だった「定限年齢」は、おなじく軍隊用語だった「現役」と同じく、
受け入れられやすい概念だったと考えられる。

P309
また官庁から民間企業への影響として、従業員を「社員」とよぶ慣習を挙げることができる。「社員」という言葉そのものは、明治10年代からあった。
しかしそれは従業員ではなく、出資者を意味する言葉だった。いまでも日本国の法律では、「社員」とは出資者のことである。

P312
それでは、企業はいったい、何を大学に期待していたのか。おそらくそれは、一般的な知的能力や「人物」の情報を、スクリーニングする役割だった。

P321
高等教育が生産性に及ぼす影響が不明であったとしても、能力の指標(シグナル)としての機能を持つことは、経済学では「シグナリング」とよばれる。
そのこと自体は、洋の東西を問わず存在するものだ。

とはいえ日本で学校紹介が上記のような展開をとげたのは、企業側が職務に対応した学位を求めていなかったこと、職種別組織の資格証明などが発達していなかったことが大きな要因だったろう。
また日本政府が、学校のカリュキュラムなどを統一していたことも背景だったと考えられる。

P328
しかし日本企業は、固定の職務給で人を雇う制度にはなっていなかった。そのためこうした女性事務員には、昇給する前に退職させる方法がとられた。






2019年8月9日金曜日

[惹句どんどん] ウディ・アレン引用句集 002




(ポーカー卓でのゲストとの会話)

「実は最初のルーベンスはポーカーに勝ったお金で買ったんです」

「えーっ、あなた、ルーベンスの絵を買ったんですか?」

「違います違います。絵ではなくてサンドイッチです」


Sid Waterman: Actually, I bought my first Reubens with my poker winnings.

Garden Party Guest: [stunned] You bought a Rubens painting?

Sid Waterman: Oh, oh, no. Not a painting. A sandwich.


映画"Scoop' (2006) より。Sid Waterman がウディ・アレンの役です。

サンドイッチと画家を知ってれば大変面白い。

2019年8月7日水曜日

[惹句どんどん] ウディ・アレン引用句集 001

不定期連載。ウディ・アレン引用句集。映画『アニー・ホール』より。


 「先生、弟は頭がおかしくて、自分をニワトリだと思っています」

「それなら、ここに連れてくれば診察しますよ」

「そうはしたいのですが、卵は欲しいものですから。。。」

Alvy Singer: After that, it got pretty late and we both had to go, but it was great seeing Annie again. I realized what a terrific person she was and how much fun it was just knowing her. And I thought of that old joke: this guy goes to a sychiatrist and says, 'Doc, my brother's crazy; he thinks he's a chicken.' And the doctor says, 'Well, why don't you turn him in?' The guy says, 'I would, but I need the eggs.' Well, I guess that's pretty much now how I feel about relationships: they're totally irrational, and crazy, and absurd, and... but, I guess, we keep goin' through it because most of us... need the eggs.


映画"Annie Hall"(1977)より
主人公、Alvy Singer、Woody Allen 役。

[その他] 体重管理表




「生活習慣病」ならぬ、仕事柄「健康習慣」(毎日6km歩く、階段500段昇降)となっているので順調に減量中。

お風呂場の体重計の傍に「体重管理表」とペンを置き毎日記入してます。

この手のものはデジタルよりアナログのほうが楽しいようで。


[積読立読斜読]『日本社会のしくみ』第4章 「日本型雇用」の起源



第4章 「日本型雇用」の起源

・高度成長前の日本企業にも、三層構造はあった。しかし、職務よりも学歴で処遇が決まっていた点は、他国と異なっていた。

・このしくみの起源は、明治期の官庁制度にある。そこでは、俸給は経済原則や職務ではなく、実質的に学歴と勤続年数によって決定された。

・官庁の「任官補職」原則と、軍隊型の階級制度が、明治期の日本企業に広まった。これは、戦後の日本企業にも職能資格制度という形で残り続けた。

・戦前の職工差別は激しく、彼らに年功制や長期雇用は適用されていなかった。これは学歴による「身分差別」だと受け止められていた。


P224
ヨーロッパの貴族は土地を所有しており、それを基盤にその後も地位を保ち続けた。それに対し、日本の武士は土地と切り離され、城下町に住んで俸禄を受け取っていた家臣団にすぎなかった。そのため、明治の秩禄処分後は退潮したといわれる。

P225
官庁の三層構造は、じつは現在でも受けつがれている。
「キャリア」「ノンキャリア」(本庁採用)、地方職員

現代では、こうした三層構造の人事処遇に、必ずしも法的な根拠はない。だが戦前では、これは法的に決められた身分だった。

P244
(イギリスのEE社と日本の日立製作所を調査した)ドーアはこう述べている。日本的経営が日本文化の産物だというのは誤りで、「日立の組織形態は決してイギリスと無縁のものではなく、イギリスの軍隊や官庁の型とよく似ている」。そして、「日本が独特なのは、大部分の西欧諸国では軍隊や官庁にのみ向いていると考えられている組織の型を産業にも適用したという点にある」。ドーアは日本企業と官庁の歴史を調べたのではなく、印章論として両社の類似を指摘しただけである。だが、彼の直感は正しかったといえるだろう。

P267
日本の慣行では、学位と職務は連動していなかった。そのため彼らは(職工)、大卒者と同じ職務に就く機会があり、自分たちの方が優れた能力があると感じていた。それでも境遇に差があるのは、学歴による「身分制的な差別」だとしか受け取られなかったのである。

こうした学歴の機能は、他の社会とやや異なるものであった。イギリスなどの場合、学位の証明による業績主義(メリトクラシー)が、上流階級出身者を役職に就ける慣行を時代遅れなものにしていった。ここでは、学歴と身分は対立関係にあった。

ところが日本の場合、士族が早々に退潮してしまった。そのことが、学歴が一種の身分的指標に転化するという、ある意味で矛盾した現象がおきた背景と考えれれる。


2019年8月5日月曜日

[積読立読斜読] 『日本社会のしくみ』 第3章 歴史のはたらき


第3章 歴史のはたらき

P160
第3章の要点

・ヨーロッパでは、職種別組合が発達していた。それが職種別の技能資格や職業教育、企業を横断する人材移動にまでつながった。

・こうした労働のあり方は、社会保障や政党のあり方とも結びついて、社会のしくみを作っている。

・そうした慣行は、中世のギルドから直接に発達したのではなく、労働運動のなかで形成されたものである。

・アメリカでは、科学的管理法から職務(ジョブ)の概念が生まれた。しかしそれが広がったのは、戦時期の政策、労働組合の運動、差別撤廃の公民権運動、専門職団体の存在などによってである。

・長期雇用は、必ずしも「日本型雇用」の特徴ではない。むしろ、企業横断的なルールがないことが「日本型雇用」の特徴である。


P170
日本の慣行からみれば、同じ企業の多職種の人間より、他企業の電気工に「仲間」意識が生じるのは不思議かもしれない。職種が同じというだけで、会ったこともない相手である。

しかし日本でも、何万人もの大企業なら、会ったことがない人の方がずっと多い。それなのに「同じ会社の人間」という仲間意識が生じるとしたら、これは想像上の共同体というほかないだろう。つまりこうした仲間意識は、直接の面識の有無以上に、社会的な慣行の産物なのだ。

そして同じ職場の顔見知りでも、正社員でない人は、「同じ会社の社員」という「仲間」から排除されている。

P171
だたし日本でも、「同じ会社の社員」という意識は、決して古いものではない。戦前の日本企業では、職員と現場労働者はまったく別で、「社員」とよばれたのはホワイトカラーの職員だけだった。それが現場労働者までふくんだ「社員」という意識に変化するのは、戦後の企業別組合による労働運動の結果である。

P181
かつての機械は、職人が一点ずつ手作業で仕上げるもので、部品の互換性がなく大量生産ができなかった。18世紀にフランスで兵器生産のために互換性部品の試みが始まったが、兵器以外の産業に広まったのは19世紀のアメリカにおいてだった。ヨーロッパと違ってアメリカは熟練職人が少なく、手作業に頼らなくてもよいシステムが必要だったのである。


2019年8月4日日曜日

[その他] 夏休みの工作 スピーカー製作

スピーカーまわりのビジュアルが悪くて申し訳ありません。
ちょっと傾いて見えるのは気のせいです。


今年の夏の雑誌『stereo』編のムックは昨年に続いて香港ベースのマークオーディオによる8cmユニットでした。あまり製作意欲を湧き立てるキャビネットの例がなかったので、2017年に作成した鳥型バックロードホーン「コサギ」のパイオニア製6cmユニットと交換してみました。

パイオニアには申し訳ないのですがユニットの品質が桁違いによく、直径が2cm大きいこともあって朗々たる鳴りっぷり。しばらくメインのスピーカーになりそうです。

今年は2セット購入したので、あと1セットは一からキャビネット作成してみます。



2019年8月3日土曜日

[同窓会] 次回定期総会のお知らせ


次回定期総会のお知らせ

第 66 回皆実有朋会定期総会
2019年8月24日(土) 午後4時~ リーガロイヤルホテル広島

会費: 7,000円(予定) (当日券あります)

当番期:
皆実25期 1974(昭和49)年3月卒業
皆実54期 2003(平成15)年3月卒業
専攻科6回 1976(昭和51)年3月卒業
専攻科35回 2005(平成18)年3月卒業


・皆実28期からは5名出席目標

・希望者は事務局:大脇までご連絡ください。

・当日15時45分受付前集合

大脇携帯:080-2890-5793


[積読立読斜読] 『日本社会のしくみ』第2章 日本の働き方、世界の働き方



第2章の要点

・ヨーロッパやアメリカをはじめ、日本以外では企業は三層構造をなし、企業横断的に採用や昇進が行われる。

・そこには「職務の平等」が志向されるが、「社員の平等」はない。

・そこでは、企業横断的な職務の専門能力や、大学院の学位があったほうが有利になる。それに対し、日本は学位よりも「社内のがんばり」が評価される。

・日本では、大学名の競争になり、修士号や博士号の取得のインセンティヴが働かない。その結果、相対的に日本は「低学歴化」しつつある。





P98
企業の三層構造
ヨーロッパやアメリカ、あるいはその他の社会にも格差がある。ただし、日本とは格差のあり方が違う。日本で意識されるのは、「大企業か中小企業か」つまり「どの会社か」の区分である。しかしヨーロッパやアメリカその他の社会では、「ホワイトカラーかブルーカラーか」つまり「どの職務か」の区分のほうが強く意識されているようだ。欧米などの企業は、三層構造だと考えるとわかりやすい。

P101
「職務の平等」と「社員の平等」
図式的にいうと、日本企業では一つの社内で「タテの移動」はできるが、他の企業に移る「ヨコの移動」はむずかしい。しかし欧米でその他の企業では、「ヨコの移動」のほうがむしろ簡単で、「タテの移動」のほうがむずかしい。


P104
どこの社会も格差はある。ただし欧米では、「どの職務か」の格差が意識される。だが日本では、「どの会社か」の格差が意識される。欧米は「職務の平等」を追及した
社会であり、日本は「社員の平等」を追求した社会だ、といえるかもしれない。

P129
本書の文脈で重要なのは、以下のことだ。「初めに職務ありき」の社会では、まず職務があり、それに即した人を雇う。しかし「初めに職員ありき」の社会では、まず人を雇い、その人に職務をあてがう。この違いが働き方や教育、採用や人事にまで影響しているのだ。

P141
日本型雇用のマイナス面
つまり日本では、おなじ会社の正社員でおなじ勤続年数なら、極端な格差は少ない。
その代わり、「社内のがんばり」に参加できないと、高学歴の女性でも評価されない。
不本意な人事異動や定年による強制解雇もある。そのうえ、「大企業正社員か否か」によって格差が開く。

第1章で述べたように、日本社会の格差は1%と99%という形ではなく、10%と90%という形になって表れている。それは、こうした「社員の平等」の内部と外部の格差なのかもしれない。


[その他] 平和大橋の欄干について知っている二三のこと

広島市の後方「広報ひろしま 市民と市制」(2019年8月1日付)は平和記念式典関係の記事特集。最終ページは各区ごとの編集のようで当方は「区報なか」となります。

その「区報なか」に平和大橋の欄干の記事がありました。



この欄干は(西平和大橋と合わせて)彫刻家のイサム・ノグチのデザインになります。

近くを通るたびにこの虚飾をそぎ落としたシンプルなデザインに毎回感心しておりました。イサム・ノグチの伝記『宿命の越境者』(ドウス昌代著)も読んだことがあります。

多くの人に知ってもらいたいモニュメントです。

2019年3月に平和大橋歩道橋が開通し、同時に歩道橋側の欄干が整備されました。その際にこの欄干がイサム・ノグチのデザインであることの説明が加わりました。

欄干の説明板 設置までに70年近くかかる

 広島市ではなくロータリークラブが寄贈

平和大橋下流側の欄干は未整備で老朽化したまま


以前にはまったく説明板はありませんでした。今回の説明板も広島市の設置ではなく「広島北ロータリークラブの寄贈」という形をとっています。

日系とはいえ原爆を落とした国のアメリカ人の手になる作品を堂々とは説明できないようです。