2019年12月31日火曜日

[惹句どんどん] 高浜虚子



去年今年貫く棒の如きもの


高浜虚子  1874‐1959(明治7‐昭和34)
たかはまきょし

俳人,小説家。本名清。旧姓池内。松山市生れ。伊予尋常中学在学中,同級生の河東碧梧桐を介して正岡子規を知り師事。三高から二高に転じて中退。上京して碧梧桐とともに子規の周辺にいて俳句運動を助けた。子規の写生を有情の方向で実らせ,絵画的な特色とともに,季題情趣に新しい世界を見せた。松山で創刊された《ホトトギス》を1898年から東京に移して経営,子規の俳句運動の〈場〉を新聞《日本》との両輪にした。《ホトトギス》では文章にも力を注ぎ,写生を生かした文章表現を子規と力を合わせて開拓した。子規没後,子規が否定した連句の復興を考え,夏目漱石,坂本四方太と試みた。漱石とは俳体詩の試みももち,これが小説家漱石を生み出す契機となった。1905年から漱石の《吾輩は猫である》を《ホトトギス》に連載するとともに,みずからも小説家を志し《風流懺法》(1907)その他の作品を発表した。小説には写生文の手法,態度が活用されており,人間を描く場合でも自然の風物と同じ眼でとらえ,自然主義と対蹠的な文学を形成した。12年からは俳壇に復帰し,守旧派と称して十七字を守り,季題の情緒を守る俳句を説いた。のち,事物の状態を描写することに徹する客観写生を強調,同時に〈花紅柳緑〉の境地に至りつくことを目ざした。さらに27年から〈花鳥諷詠〉論を提唱,俳句は日本独自の文学で,しかも小説,戯曲とは違う素材,内面をうたう文学であり,天然を写生する文学であると規定,この信条を生涯守った。この間,育成者としても多くの俊秀を育てた。59年,脳困血で死去。〈遠山に日の当りたる枯野かな〉。   松井 利彦

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[その他] 餅つき


当家は4世代近居です。

本日は当方の母親宅で餅つき。

全員参加。

残念ながら孫たちは早々に興味を失い退散しました。




2019年12月30日月曜日

[その他] 墓参




12月30日(月)は母、配偶者と3人で墓参。高陽墓苑。

墓苑には母方の「祖父母・伯父・いとこ」の墓、「母方の叔父」の墓、があり一か所で墓参が完了します。

現在勤務しているマンションを管理している会社の創業者一族の墓が、当家の墓の左隣りで、何かご縁を感じます。


[その他] 大掃除の美?

映画『利休に尋ねよ』より

12月30日(月)、31日(火)と大掃除中。

外の道路は結構な落ち葉がありました。

落ち葉と掃除といえば、いつも利休の逸話のことを考えます。

心がこもっていない掃除は、やはり美しくないのでしょう。

 ある日のこと、利休は、その子の紹安が、露地を綺麗に掃除して、水を撒くのをジット見ていました。紹安がスッカリ掃除を終わった時、利休は、「まだ十分でない」といって、もう一度仕直すように命じたのです。
 いやいやながらも二時あまりもかかって、紹安は、改めてていねいに掃除をし直し、そして父に向かって、「お父さん、もう何もすることはありません。庭石は三度も洗いました。石燈籠や庭木にも、よく水を撒きました。蘚苔も生き生きとして緑色に輝いています。地面にはもう塵一つも、木の葉一枚もありません」といったのです。
その時、父の宗匠は厳かにいいました。「馬鹿者奴、露地の掃除は、そんなふうにするのではない」といって叱りました。こういいながら茶人は、自分で庭へ下りていって、樹を揺ったのです。そして庭一面に、紅の木の葉を、散りしかせたのでした。
茶人がまさしく求めたものは、単なる清潔ではなかったのです。美と自然とであったのです。
『般若心経講義』(高神覚昇 著、角川書店)より

[その他] 2020年の目標


書いとかないと忘れるので。大したことはしてません。

[全体目標]
子どもたちに迷惑をかけないように働き、健康に過ごす。

[自己啓発]
・簿記3級
・TOEIC900点

[仕事]
・マンションに関する新書を3冊読む
・ビルメンテナンス協会の資格を取る(清掃)

[28期同期会]
念仁会(新春、納涼)
総会
2022年総会当番期の準備


[28期軽音楽部]
水辺のコンサート(春、秋)
ご町内ミニライブ
クリスマスライブ

大瀧詠一さんのレコードを聴く
ギター教室、ベース教室の継続
(発表会に出て2曲演奏する)


[28期軽音楽部四畳半オーディオ課]
夏休みスピーカー工作
情熱の真空管アンプ工作


[28期地歴部]
『この世界の片隅に』(聖地巡礼広島編)冬
『この世界の片隅に』(聖地巡礼呉編)夏


[趣味の読書]
谷崎潤一郎『細雪』
谷崎潤一郎『鍵』
熟読


[農場・アウトドア]
ドームハウスを作る
作物3つ作る(春~秋)


[広島掃除に学ぶ会]
毎回参加する

[賃貸物件]
大規模修繕工事
確定申告のWEB化

[私生活]
4番目の孫誕生(3月)
父の7回忌(10月)

[食事当番]
糖質制限(天然酵母パン)
食物繊維をとる(もち麦ご飯)
味噌汁、野菜をとる




2019年12月29日日曜日

[新聞記事] 動画ウォーズ



2019年12月1日付朝日新聞別冊Globeの記事です。

インターネットを通じて動画配信サービスを観ることが多くなりました。当方もテレビはほとんど見てません。

インターネットの動画配信サービスは大きく2種類。「サブスクリプション型」と呼ばれる定額制の動画配信サービス。ネットフリックスなど。

もう一つはGoogle傘下のYouTube。こちらは広告収入で成り立っており視聴は基本無料です(広告がうっとうしい人には有料の広告カットサービスがあります)。

手軽に時間・場所を気にしないで動画を観ることができるのは視聴者にとってよいことなのですが、玉石混淆で自分が動画に何を欲しているのかがわからず、良い番組を探すのに時間がかかることがもっかの悩みです。

『週刊TVガイド』ような雑誌のインターネット版の登場を早急に望みます。

TVメディアがこの流れに巻き込まれるのは確かでしょうが、おそらく新聞社もそうなると思います。

良質の活字媒体の印刷物が宅配され(隔週ぐらいがよいかも)、その印刷媒体を目次としてインターネットから映像情報を入手する、というスキームかも知れません。当方は高くても定期購読しますが。

<日々是不穏 like a rolling stone> 地球規模の新・世界史



新聞は地方紙と全国紙を取ってます。最近は直近のニュースは映像つきでインターネットで知ることが可能になって「新しいことを聞く」という「新聞」役目は終わっています。「旧聞に属するが」深堀して考えたい良質の記事を読みたいです。となると、いまの紙媒体、日刊、直接配送の新聞システムは、早晩いらなくなると思います。(新聞社は役目を変えて必要です)。

というわけで朝日新聞の記事。歴史を国別にバラバラに考察するのではなく、地球規模の世界歴史システムとしてとらえる学問系列がまとまってきたようです。すんなりと腑に落ちますね。

日本の歴史では大政奉還・王政復古が1867(慶應3)年ですので、イギリスが覇権を握る過程と同じ時期に明治維新を迎えたことになります。

遅れてきた帝国主義の日本は、アメリカが超大国になる経緯を見誤り、不幸な一連の侵略戦争へ進んだことになりますね。


近代世界の広がり
ウォーラーステインの「近代世界システム」は西欧などの「中核」、南欧などの「半周辺」、ラテンアメリカやアフリカなどの「周辺」という3地域の資本主義経済の分業体制。中核地域の工業化は、周辺・半周辺地域から供給される食料や原材料、労働力に支えられ、次第に世界全体に広がっていった。

1450~1620年
世界システム成立へ(農産物、銀など)
大航海時代で交易が活発化。ポルトガルとスペインが新航路と海外領土の開拓で競合

1620~1750年
オランダが覇権国に(茶、砂糖、奴隷など)
東インド会社によって金融資本を蓄積したオランダが初の覇権国に

1750~1840年
英仏の覇権争い(綿織物などの工業製品)
アジアの大半がシステムに組み込まれる。イギリスがフランスに勝ち、覇権を握った

1840~1917年
大英帝国の盛衰(鉄、石炭、ゴムなど)
「太陽が沈まない国」は第一次世界大戦までに衰退。アメリカとドイツが中核化

1917~1967年(石油、自動車など)
米国が超大国に
東西冷戦やベトナム戦争、世界経済のグローバル化に対する反システム運動も盛んに

1867年~
ポスト米国の時代(電子製品)



[その他] 孫守で「からだのひみつ大冒険」展へ

 

12月29日(日曜日)は、孫守で商工センター中小企業会館で開催中の「からだのふしぎ大冒険」展へ。参加体験型の科学イベントと称され、会場を巨大な人体に見立てて回遊しながら、人体の不思議について学べるというものでした。



もともとはアメリカのベストセラー絵本「グロッソロジー(日本語名は「きたないもの学」)」がテーマのイベント。キャラクターの作り込みから見てアメリカ発と思われます。

当方の孫二人はちょっと年齢的に早かったようで、あまり興味がなく、人体とは関係ないボール投げとかして帰りました。


会場にはいろいろな展示物がありました。象・パンダ・人のうんちの比較コーナーがありました。パンダのうんちは笹を食べるので緑色だそうです。

[惹句どんどん] 映画『運び屋』より



Earl Stone: The only people who want to live to 100 are 99 years old.

動画配信サービスでクリント・イーストウッドの映画『運び屋』を観ました。

原題は"The Mule"。ラバ、頑固者、の意。 (as) stubborn [obstinate] as a mule [形]非常に頑固な、すごく強情ぱっりな mile(2)(複数形で)スリッパ。

イーストウッド扮する主人公のセリフです。




[その他] 忘年会兼クリスマス会 下の娘の嫁ぎ先で



12月28日(土曜日)、下の娘の嫁ぎ先(戸坂)から忘年会兼クリスマス会のお誘い。

孫たちがいるので昼食時の開催となりました。

押しかけ演奏で「初心者向けジングルベル」を演奏しました。カスタネット・鈴・トライアングルの鳴り物入りでした。(YouTubeで見つけた楽譜は、初心者向けとありましたが結構難曲で、まだ完成してません。来年にご期待)。

嫁ぎ先の姑さんは料理上手で特に餃子がお得意でして、本日も鱈腹頂きました。

[晴れときどき英語のお勉強] 『「とりあえず」は英語でなんと言う?』

会話で副詞が自由に使えれば、かなりの上級者でしょうね。

[晴れどきどき英語のお勉強]は当方の自習メモ。最近はコンビニで購入したこの本を気長にメモしてます。



副詞を活かすとネイティブのように話せる

Clearly, that's a great idea.
(明らかに、それはいいアイデアだ)

Obviously, you don't want to walk down that road after dark.
(もちろん、夜になったらその道を通らないほうがいいよ)

Naturally, once I moved to Japan, I started to study Japanese.
(当然、日本に引っ越してから日本語を勉強するようになった)

Thankfully, it went well in the end.
(幸い、最終的にはうまくいった)

Frankly my dear I don't give a damn.
(はっきり言って興味ないよ)…カジュアル表現

Seriously, waht were you thinking?
(マジで、どういうつもりだったんだよ?)


※ネイティブは頻繁に「幸運か」「不運か」という表現を使う


Luckily, the weather was great, and we were able to get a good view of the mountain.
(幸運なことに、天気がとてもよかったので、山がよく見えた)

Fortunately, no one was in the building when the fire started.
(いいことに、火事が起きたときビルには誰もいなかった)

Unfortunately, no one brought any drinks, so the party was very boring.
(残念なことに、誰もお酒を持ってこなかったのでパーティーはとてもつまらなかった)


※副詞+enoughの組み合わせで強調表現となる

Interestingly enough, I was just thinking the same thing myself.
(面白いことに、僕も同じことを考えていたよ)

Curiously enough, I just saw her the other day.
(不思議なことに、先日彼女と会ったんだ)

She's twice my age. But oddly enough, I find her very attractive.
(彼女は僕の年齢の2倍なんだけど、不思議なことに、とても魅力的なんだよ)

Strangely enough, even though I lost my wallet in the station, I found it on a park bench.
(妙なことに、俺が駅でなくした財布を公園のベンチで見つけたんだ)



[補足解説]

『表現のための実践ロイヤル英文法』(旺文社)

P461 副詞 adverbs
副詞は、動詞、形容詞または他の副詞や文全体を修飾する。


P472 文修飾の副詞

文から離れて、その文全体を修飾する副詞を、文修飾副詞という。

He didn't die happily.
(彼は幸福な死に方をしなかった)…通常の副詞

Happily, he didin't die.
(幸いにも、彼は死ななかった)…文修飾副詞


(

2019年12月28日土曜日

[その他] 2020年食事方針



2020年 食事方針

食物繊維(野菜)、発酵食(みそ)、
でんぷん質(麦ごはん)を食事の基本にする


基本平日の月曜から金曜まで、夕食の当番をしてます。

当方は木造二階建ての一階に当方の実母、二階に当方夫婦。臨家に娘家族(孫2人)、娘婿は基本月~金は出張という四世代近居です。

当方夫婦、娘夫婦、全員働いているので、孫の保育園の送り迎え・食事当番は、総力戦で対応しております。

食事の当番は別に苦ではないのですが、どうしても自分の好きな油で揚げたもの、肉類が多くなってしまうので、基本的な軸を見直すことにしました。

それが本書にある「一汁一菜」です。他のモノは食べないのではなく、軸にするということです。

野菜も味噌汁もあまり好きではないので、めったに調理してませんでした。自分の健康のためにも、家族のためにもと思いました。

継続レポートします。


[積読立読斜読] 『教育格差』(松岡亮二著、ちくま新書、2019)第2章のまとめ

[積読立読斜読](つんどく・たちよみ・ななめよみ)は自分の読書メモです。

本書『教育格差』(松岡亮二著、ちくま新書、2019)は帯(腰巻)の出口治明さんの推薦文に惹かれました。

1章づつまとめてます。




第2章 幼児教育―目に見えにくい格差のはじまり

第1章では「いつの時代にも教育格差がある」SSMデータ(対象が幅広い年齢層)で確認した。

「緩やかな身分社会」を変える方策を知りたい。

教育格差が生まれるメカニズムを知らずに、効果的な処方箋を出せない

実態(what)、どのように・なぜ(how/why)「生まれ」が教育成果に変換されるのか(教育格差(=最終学歴格差)があるのか)

「生まれ」による最終学歴格差には複合的な過程があり、一つの理論では説目できない。
(可能な限り多角的に各教育段階(幼児・小学校・中学校・高校)を観察する必要がある)。

幼児教育機関中の教育格差要因の考察は3つの視点から。

①子育てパターンと子の発達・行動・性格
②保育所・幼稚園の利用状況
③習い事


<第2章のまとめ>
先行研究他では「生まれ」(出身家庭・出身地域)による幼児教育格差―小学校に進学する前の約6年間ですでに相当異なる時間の過ごし方をしている。

両親が大卒の家庭では子供に対して「意図的な養育」を施す傾向が強い。


①両親大卒層は3.5歳のときから幼稚園を利用する傾向にあり、両親非大卒との差は年齢が上がるにつれて拡大する。
②三大都市圏・18大都市居住者が幼稚園を利用する割合は高い。地域類型の中でも、非三大都市圏・郡部在住者の通園率が最も低い。
③2.5歳時点での習い事利用率は両親大卒層で高く、その差は5.5歳時点まで拡大する。水泳、音楽(ピアノなど)、英語のように利用率が高い種目に限定しても同じ。
④2.5歳から5.5歳まで毎年習い事の利用有無に地域格差がある。
⑤テレビ視聴時間・ゲーム時間ゼロの割合は親大卒者数によって大きく異なり、年齢が上がるにつれて格差は拡大する。

2019年12月27日金曜日

[積読立読斜読] 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ著、新潮社、2019年)


著者のブレイディみかこさんはちょっと変わった経歴を持つイギリス在住のライター。アイルランド人のご主人と息子さんとロンドンの南にあるブライトンで生活されてます。
クイーンの"Brighton Rock" のブライトンです。

もともとパンクロックが好きでイギリスに居ついてしまった格好のブレイディさんですが、地元のパブの会話について行くべく図書館・新聞等でイギリスの政治・経済・歴史を勉強し、いまや著名新聞社特派員を差し置いて第一級のルポを書かれる書き手となりました。



当方はあまりイギリスの現地情報に興味がないので、ブレイディさんの文章構成に唸ることはあっても、一冊じっくり読んだことはありませんでした。

本書はこれまでと立ち位置を変えて、公立の中学校に進んだ息子さんの日常と、母と息子の会話を通して、EU離脱で大揺れに揺れるイギリス国内事情と、時折描写される、これも難問山積の母国日本事情を織り交ぜながら綴られる、英国版『君たちはどう生きるか』です。

優良校に進学できた優等生の「ぼく」が何故、元・底辺中学校に通くことになったのかは本書に譲るとして、本書のもう一人の書き手「ぼく」の立ち位置が絶妙です。タイトルになった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が示すように日本人とアイルランド人のダブルとして生まれ、思春期特有の「ブルー」な感情が、母との会話を通じて第一級のルポを生み出しました。タイトルは「ぼく」のノートの端にあったいたずら書きだそうです。

感受性豊かなな「ぼく」から、ブレイディみかこさんの話の聞きだし方が上手なのか、それとも「ぼく」が観察力豊かで、適格な表現ができるのかは不明ですす。自分で考える子供を育てるような授業内容のあるイギリスの公立中学校の環境もあるのでしょう。

それにしても腐っても大英帝国。社会人がまっとうな議論ができ、考えることのできる大人に育つような教育システムはまだまだ健在のようです。ブレイディさんは日本からみれば落ち目のイギリスのことはあまり心配してません。議会制民主主義の長い歴史があるからで、いまさらながらもらいものの民主主義で、かつそのありがたみがわかってない日本の将来のほうが心配になりました。

自分がもし中学生の親ならば、こんなに密度の濃い会話はできないでしょうね。(かつて親だったのですが単身赴任中でほとんど会話してません)。


<著者プロフィール>
1965(昭和40)年福岡生れ。県立修猷館高校卒。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996(平成8)年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を、2019(令和元)年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞を受賞。他の著書に『THIS IS JAPAN』『ヨーロッパ・コーリング』『女たちのテロル』などがある。

<内容紹介>
優等生の「ぼく」が通う元・底辺中学は、毎日が事件の連続。人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり。世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子とパンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。落涙必至の等身大ノンフィクション。

いずれも新潮社のサイトより。

2019年12月26日木曜日

[その他] 正月飾り




お正月に坊さんが二人いてお正月(和尚がツー)。@初代・林家三平。

クリスマスが終わったので正月向けにディスプレーを変更しました。
勤め先と自宅の三か所。

海老と鯛の床飾りはプロダクトデザイナー・小林良一さんが主宰するスタジオ・ガラの作品。水引の正月飾りは金沢市にある「自遊花人ギャラリー」水引作家、廣瀬由利子さんの作品です。


2019年12月24日火曜日

[その他] クリスマスのプレゼント



隣家の長女宅では玄関前に大きなツリーを飾ってあり、その下に孫二人のクリスマス・プレゼントが置いてあります。明日の朝開封のようです。

たまたま本日頼んでいたモカシンの底貼が出来上がったのと、クラプトンのクリスマス・アルバムが実にクリスマスらしいので(クラプトンの自作の絵だそうです)便乗して飾ってみました。

(エリック・クラプトンのレコードは45回転2枚組です)。


[積読立読斜読] 『彼女に関する十二章』(中島京子著、中公文庫、2019)


題名に惹かれて文庫本で購入しました。中島京子さんの作品は『長いお別れ』に続いて二作目の読了です。

2010年『小さいおうち』で直木賞を受賞し、旺盛な筆力で絶えることなく佳品の小説を生み出されているという印象です。ウィキペディアでプロフィールを調べてみると、両親がフランス文学者というサラブレットの家系のようです。幼い頃から読書する習慣が自然に身に付き、血肉となっているのではないかと創造されます。

デビュー作の『FUTON』からして、田山花袋『蒲団』の構成を換骨奪胎して現代に蘇らせた作品で、本作も伊藤整の1954年のエッセイ『女性に関する十二章』を下敷きに、熟年夫婦の日常を描いたものです。

現代ではほとんど読者がいないと思われる『女性に関する十二章』をどう取り入れるかですが、主人公の夫が編集プロダクションを経営しており、ある会社PR誌に、創業者の会長が趣味である『女性に関する十二章』を下敷きに女性論を描いてほしいという依頼があった、という設定で、これで勝負あったという感じです。

この換骨奪取されるもと作品がなければ単なるホームドラマなのですが、語り手をパートの主婦に置いたことで、この古色蒼然たる女性論に時に反発、時に同意、という感情の流れをうまく章立てして構成しています。

[本文からメモ]
P89
女性に縁のなかった息子が連れてきた初めての彼女が小太りで老け顔だったことを受け、夫の放った一言。

「鰯(いわし)で精進(しょうじん)落ち:」
やっと迎えた精進落としの宴に、イワシのようないつでも食べられる魚を出す。ずっと耐えてきた努力が報われないことや、つまらないことで努力がむだになることのたとえ。

P211
思えば遠く来たもんだ、とうのは、あれは中原中也だったけ。昔、あの詩が好きだった、と聖子はまた忘れていたことを思い出した。

P212

「違う!それは海援隊よ。そっちはちっともよくないのよ。『遠く来たもんだ』とか『遠くへ来たもんだ』じゃ大違いよ。『へ』が入るだけでダサくなるのよ。女に振られて死のうと思ったとか、うっとうしい歌詞にしちゃって。だいいち、『とんおおくんええ』って、あの演歌みたいな節回しがいや」

「つまんないことで怒るなよ。」


頑是ない歌(1938(昭和13))
中原中也 『在りし日の歌』より

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しょうぜん)*1として身をすくめ
月はその時空にいた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ

今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質さが
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう

考えてみれば簡単だ
畢竟(ひっきょう)*2意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと

思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いずこ

*1 竦然(しょうぜん):恐れてぞっとするさま。悚然。慄然。
*2 畢竟(ひっきょう):つまり。結局。




思えば遠くへ来たもんだ(1978年)

■唄:海援隊  ■作詞:武田鉄矢  ■作曲:山木康世

踏切りの側に咲く コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる そして夕陽に消えてゆく
十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳をあて
レールの響き聞きながら 遥かな旅路を夢見てた

思えば遠くへ来たもんだ 故郷離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら

筑後の流れに小鮒釣りする人の影
川面にひとつ浮かんでた 風が吹くたび揺れていた
二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた

思えば遠くへ来たもんだ 今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ あの頃恋しく思い出す

眠れぬ夜に酒を飲み 夜汽車の汽笛聞くたびに
僕の耳に遠く近く レールの響きが過ぎてゆく

思えば遠くへ来たもんだ 振り向くたびに故郷は
思えば遠くへ来たもんだ 遠くなるような気がします

思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら

※国鉄からの依頼で作成したが、採用は谷村新司の『いい日旅立ち』となった。


[内容紹介]
彼女に関する十二章
中島京子 著

〈五十歳になっても、人生はいちいち驚くことばっかり〉息子は巣立ち、夫と二人暮らし。会計事務所でパート勤務の宇藤聖子が、ふとしたことで読み始めたのは、六十年前にベストセラーとなった「女性論」。一見古めかしい昭和の文士の随筆と、聖子の日々の出来事は不思議なほど響き合って……。どうしたって違う、これまでとこれから。人生の新たな段階を迎える世代ならではの感慨と、思いがけない新たな出会い。セクハラ、LGBT、貧困――身近な社会問題を織り込みながら、くすりと笑える読み心地のよさ。ミドルエイジを元気にする上質の長編小説

中央公論新社のサイトより


[中島京子さんのプロフィール]

1964年東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒。出版社勤務を経て渡米。帰国後の2003年『FUTON』で小説家デビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞、2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞、2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞、同年『長いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年日本医療小説大賞を受賞した。他に『平成大家族』『パスティス』『眺望絶佳』『彼女に関する十二章』『ゴースト』等著書多数。

新潮社のサイトより

伊藤整  1905‐69(明治38‐昭和44)
いとうせい

作家,評論家,詩人,翻訳家。北海道生れ。本名整(ひとし)。小伍高商卒,東京商大中退。1926年,詩集《雪明りの路》を出したが,まもなく小説,評論に転向。S. フロイトの精神分析を文学にとり入れ,J. ジョイスなどの西欧20世紀文学の方法を紹介,移入した。その後,抒情詩人としての資質を知性で統御しながら,20世紀小説の方法と私小説の持つ芸術的な力を組み合わせる独自の方向に進み,小説《街と村》(1939)から《得能五郎の生活と意見》(1941),《得能物語》(1942)を経て《鳴海仙吉》(1950)を書いた。また《小説の方法》(1948)は,私小説を中心とする日本の近代小説の性格を西洋と比較しながら理論的に解明した画期的な評論である。50年,D. H. ロレンスの《チャタレー夫人の恋人》を訳して裁判沙汰になった(チャタレー裁判)が,その後も《若い詩人の肖像》(1956),《氾濫》(1958),《変容》(1968)などの長編を世に送る一方,《日本文壇史》全18巻(1953‐72刊)の偉業を残した。           曾根 博義

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『女性に関する十二章』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「女性に関する十二章」(じょせいにかんするじゅうにしょう)は、作家伊藤整のエッセイ。『婦人公論』1953年1月~12月号に連載。1954年、中央公論社から単行本として刊行されベストセラーになった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%AB%A0







2019年12月23日月曜日

[積読立読斜読] 『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短編29』より内田百閒「件(くだん)」



洒脱なエッセイのほうが読者が多いかも知れません。内田百閒の「件(くだん)」(1921)を読みました。編者のカテゴリーでは「恐怖」で括られてます。

「件」と書いて「くだん」と読ませます。「件」の漢字の構成「人」と「牛」となってますが、顔が人間で、胴体が牛という化け物に変身してしまった男の話です。「件(くだん)」の化け物は内田百閒の創作かと思ってましたが、江戸時代からの想像上の化け物のようで、小説作品も多数あるようです。


百閒版「件(くだん)」は語り手を「件」に変身してしまった男に置いたところが秀逸で、「件」になった以上何か預言めいたことを言わないといけないということを知った「件」の苦悩という入り組んだ諧謔で小品ですが傑作と思います。

半挿(はんぞう)=盥の一種

内田百閒 1889‐1971(明治22‐昭和46)
うちだひゃっけん

小説家,随筆家。本名栄造。別号百鬼園。岡山市生れ。1914年東大独文科卒。陸軍士官学校,法政大学教授を歴任。六高時代に俳句を学び,また夏目漱石の作品に親しむ。1911年漱石を訪ね,以後門下となり,著作の校正などを手伝い,漱石没後は全集編纂に加わる。漱石の《夢十夜》やE. T. A. ホフマンの作に影響をうけ,存在の不安感を夢や幻想に託した小品,短編を執筆,21年以降それらを発表し,一部に注目された。《冥途》(1922),《旅順入城式》(1934)などを刊行する一方,《百鬼園随筆》(1933),同続編(1934),《阿房列車》(1952)などで,独自の随筆のジャンルを開拓した。鋭い観察ととぼけた味わいの筆致の絶妙なバランスは,近代日本の文学に類例がなく,従来の文学史では十分位置づけられているとはいい難い。しかし,生涯の貧乏暮しから生まれた気品ある散文は,大正・昭和の精神史を考える上でも貴重で,再評価の気運がたかまっている。
                         遠藤 渉

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2019年12月22日日曜日

[積読立読斜読] 『教育格差 ―階層・地域・学歴』(松岡亮二著、ちくま新書、2019年)



第1章のまとめです。


第1章 終わらない教育格差

主観的には、戦後日本の産業構造の変化や、ほとんどの中学生が高校に進学するようになった1970年代の「大衆教育社会」になったため、進学に関して「生まれ」は関係なくなったと感じる人も多い。

ほとんど「みんな」が高卒となれば、それは平均的な学歴となるし、相対的に有利な条件を持っている層は大学に進学する。

絶対的な水準として「みんな」の教育年数が伸びたところで、相対的な差は残る。

現代の日本には、出身階層によって人生の可能性に幅があることに変わりはない。


以下は第1章のまとめ。

ここでの「生まれ」は出身階層(父親が大卒かどうか)・出身地域(15歳時に三大都市圏に居住していたかどうか)を意味する。

「不利な状況」とは、進学した高校が偏差値の低い高校であったという状況。


①すべての年齢層・性別で、出身階層(父親が大卒かどうか)によって大卒割合が異なる。

②1990年代以降に育った若年層だけではなく、経済安定成長期とバブル期(70年代、80年代)に15歳だった中年層においても「子供の貧困」経験者の大卒割合は低い。

③男性はすべての年齢層、女性は20代について、出身地域(三大都市圏か否か)によって大卒割合に格差がある。都市規模による格差であれば、女性のすべての年齢層で確認できる。

④「大衆教育社会」であった1990年代であっても、階層によって教育価値志向に格差があった。2000年代と2010年代も同様。

⑤階層による教育サービス利用志向の格差は、1990年代には確認できない。2000年代以降にはある。

⑥1990年代、教育価値志向は地方(非三大都市圏)のほうが高かった。2000年代以降は逆転し、三大都市圏のほうが高い。

⑦1990年代、教育サービス利用志向に地域格差はなかった。2000年代以降は最大都市圏のほうが高い。

⑧住民の大卒者割合の地域格差は、戦後一貫して拡大傾向にある。

⑨ほとんどの年齢層・性別で「不利な状況」を打破して大卒となった人たちの平均的な階層は高かった。

⑩すべての年齢層・性別で「有利な状況」から大卒となった人たちの階層は高かった。

[結論]
戦後の日本社会は大きく変動したが「いつの時代にも教育格差がある」。

[その他] 時々食べたくなるパン(?)


「時々食べたくなる」シリーズ。きりがないのでこれで止めます。

地元タカキベーカリーの「アーモンドブーレ」と「チョコレーヌ」。スポンジ生地にコーティングまたは味付けしたもので、正確にはパンでありませんが。


「コロネ」は各社から出てますが行ったスーパーでは神戸屋のものが。当方は本格的なチョコクリームではなくてまがい物の安物の味が好きです。

「チョコレーヌ」は「マドレーヌ」からの発想でのネーミングでしょう。「アーモンドブーレ」の「ブーレ」の語源がわかりません。誰か教えてください。

kenichiowaki@gmail.com まで。


[その他] 喫茶店パールに再会 サロンシネマ

往年の喫茶店 パール

看板は譲り受けたそうです 

店内にあった象の置物も

広島駅前再開発で立ち退きになった渋すぎる喫茶店パール(昭和32年創業)が、なんとサロンシネマの中で店名を譲り受けて営業中。何回かこの映画館に来てますが、うかつにも気づきませんでした。

駅前のパールには何回か行ったことがあります。濃いコーヒーにピーナツの小皿がつき、コーヒーを飲み終わったころ、なぜか緑茶が出てきます。

駅前再開発で何もかも新しくなりましたが、戦後の闇市の跡を引きずっていたような愛友市場とか、この喫茶店とか、亡くなってしまうのは惜しい感じがします。

[その他] 映画『No Smoking』を観てきました。。。


細野晴臣さん音楽活動50周年記念のドキュメンタリー映画『No Smoking』を観てきました。サロンシネマ。

12月21日(土曜日)のみレイト・ショー 21:40 - 23:25の回。本日は配偶者が江田島の実家に帰っており当方が独身なので自由に満喫しました。

アマチュア時代からほぼ編年体の構成で、ファンは必見です。当方ははっぴいえんど時代から熱心ではありませんが聴いてきたものですので感慨深いものがあります。

ミュージシャンとしての正しい「枯淡の境地」と思います。

2019年12月21日土曜日

[その他] 献血しました


年末年始はA型の血液が不足するそうで、はがきの案内が来たので献血しました。(サンモール前の献血場)。

従業員が多数いる事業所では献血チームが来られますが、現在の勤務先にはそのシステムがないので。

中学生の頃、五木寛之さんが好きで全集を購読してました。昭和30年前後の苦学生は本当に貧しかったようで「売血」の話が出てきます。

現代の献血は無報酬ですが、もともと健康でないと献血できませんし(元気でないと献血場まで行く気力がない)、簡易健康診断にもなるので定期的にされることをお勧めします。(血液に問題があると献血できません)。

五木寛之は、早稲田大学に入学した当時の昭和27年から28年にかけては生活するのに必死であり、そのため売血もたびたびしていたようです。
「…立石の製薬会社に、しばしば血を売りに行ってピンチをしのいだ。この売血というやつは、肉体よりも、精神に悪い影響を及ばすものらしい。出かけて、二百C。抜いて、手取り 四百円ほどもらってくると、二、三日は働かないで済む。つい習慣性におちいりやすい危険があった。当時の立石は、ひどく荒涼たる感じの土地で、たんばの中に高い煙突の製薬会社が見えた。採血の前に、血液の検査がある。病毒の検査ではなく、比重を調べるのだ。……「はい、合格-」少女は私の二の腕に、ベタリと紫色のゴム判を押す。丸の中に「合」という字を押された私は、顔をほころばせて採血場の方へ向かって歩き出す。裸の腕の○の印を、行列の仲間に誇示しながら、軽い優越感に酔った足どりで歩いて行くのだ。「駄目、足りない」「はい、合格」採血場のベッドに横になり、掌を握ったり開いたりする。そのたびに赤黒い血液が、強く弱く抜けていく。二列に分れたベッドの上で、開いたり閉じたりする数十本の痩せた腕。四百円を握りしめてたんぼ道を帰ると、遠くの景色が傾斜して見えた。もう二度と血を売るのはやめよう、とそのときに考える。だが、またどうにもならなくなると、京成電車に乗るのだった。…」
当時の400円はどの位の価値だったのでしょうか。きつねうどんや天ぷらそばが35円から50円位だったとおもいますので、10倍かなと思ったのですが、消費者物価指数で昭和30年と現在を比べると、6倍位だそうです。このN製薬についてはAさんから教えていただき修正しました。ありがとうございました。
http://www.tokyo-kurenaidan.com/itsuki-tokyo2.htm

[その他] 時々食べたくなるパウンドケーキ


時々食べたくなるパウンドケーキ。


パウンドとは重量の単位であるポンドの事(ポンドはオランダ語、パウンドは英語)。小麦粉、バター、卵、砂糖の4つの材料を1ポンドずつ使用することから「パウンドケーキ」と名付けられた。カトルカールともいい、こちらはフランス語で4/4の意。4つの材料を1:1:1:1と等量の割合で使うことに由来する。一般的に長方形の型を用いて作られる。

だそうです。

1パウンド=453.592グラムは、覚えられませんね。



[惹句どんどん] 特別編 三方一両損とそのバリエーション

三方一両損

落語。講談(大岡政談)に取材したもの。左官金太郎が3両拾い、落とし主の大工吉五郎に届けるが、吉五郎はいったん落とした以上、自分のものではないと受け取らない。大岡越前守は1両足して、2両ずつ両人に渡し、三方1両損にして解決する。

https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%96%B9%E4%B8%80%E4%B8%A1%E6%90%8D-514820
「デジタル大辞泉」より



三方一両得

「一両損」の模倣犯が「おれなら三方一両得にするがなあ」。つまりこの三両を三人で一両ずつ分ければいいとのこと。
「男1は三両落として戻ってこなかったはずなのに1両戻ったから一両の得」
「男2は拾わなかったら何ももらえなかったのに1両もらったから一両の得」
「お奉行様はどうして一両もらうんだ?」 「それはそれ、お奉行様の手数料さ」

筒井康隆著「横車の大八」(『ビタミン・日本列島七曲り(筒井康隆全集. 第9巻)』より。


三方命得

 2人の男が褒美目当てに、「3両を受け取れ」「いや、受け取らぬ」と争って、大岡越前守に訴え出る。越前守は「三方一両損の判決は誤りだった。私は責任をとって切腹する。

お前ら2人は打ち首だ」と言う。驚愕した2人は、「命ばかりはお助けを」と泣き叫ぶ。越前守は「反省するなら助けてやる」と言い、「お前ら2人は打ち首にならず、私も切腹せず、3人ともに命が助かった。三方命得(いのちどく)だ」と解説する。

『名判決』(星新一『ちぐはぐな部品』)より

[惹句どんどん] 三浦梅園(江戸中期の哲学者)


枯れ木に花咲くに驚くより 、生木に花咲くに驚け

三浦梅園  1723‐89(享保8‐寛政1)
みうらばいえん 

江戸中期の哲学者。名は晋(すすむ)。号は梅園,洞仙,二子山人など。豊後の国東(くにさき)郡富永村(現,大分県東国東郡安岐町大字富清)で名望家の医者の家に生まれ,生涯,医を業とした。かたわら家塾を開き,常時20人たらずの寄宿生がいた。その一生はなんの波乱もなく,伊勢参りに1度,長崎へ2度,旅行したのみ,杵築(きつき)侯その他から出仕の招聘を受けたのもすべて辞退し,郷里を離れたことは一度もない。人となりは温厚篤実で安分知足をモットーとし豊後聖人の称があった。青年時代ごく短期間杵築藩や中津藩の儒臣に入門したほかはまったくの独学であった。ただ,若き日の友人でのちに大坂に出た天文学者麻田剛立(ごうりゆう),大坂懐徳堂の中井履軒とは生涯文通をもった。

 幼時より天地万物あらゆることに疑いを抱きノイローゼを発するほど苦しんだが,20歳過ぎて西洋天文学書によって天地の形体を知るを得,29歳または30歳で〈天地は気なり〉と気づき,つづいてその天地万物に〈条理〉のあることを覚った。かくて条理探究の書《玄語》の稿を起こし,53歳でついに完成した。別に彼が思索の資料とした中国古典,日本・中国の医書,西洋学の書(《天経或問(わくもん)》,《解体新書》,清の梅文鼎の天文学書など)を縦横に引用し批判した《贅語》があり,また人倫哲学の《敢語》がある(合わせて〈梅園三語〉,すべて漢文)。そのほか経済論として有名な《価原》,漢詩概論として中国にも比肩するものなしといわれる《詩轍》など,卓越した著述が多い。《梅園叢書》は穏健な通俗的道徳教訓書である。1912年《梅園全集》上下(計2000ページ)が刊行された。

 難解煩瑣な《玄語》を彼自身が和文で要約した《多賀墨縁君に答うる書》(岩波文庫《三浦梅園集》所収。〈明治以前において真に哲学精神によって貫かれている書物〉(三枝博音))によるとその条理の学(中心は自然哲学)の概要は,(1)天地を達観せんがためには,まず心から習慣による癖(習気)を除去せよ,そして万物万事に疑いを発せよ(〈天地をくるめて一大疑団となしたきものに候〉)。(2)聖賢の言でなく天地(つまり自然)そのものを判断の基準とせよ。西洋におけるごとき実測実験を重視せねばならぬ。(3)かくて探究のための格率は〈反観合一,心の所執(習気)を捨て,正しき徴(証拠)に依る〉である。反観合一とは条理を把握するための方法。(4)条理とは究極の存在者たる気が陰陽二気から成っているのに応じてあらゆる存在(一)は相反するもの(二)の合一である。すなわち〈一二〉の論理に貫かれているということをいう(三枝博音が弁証法哲学として高く評価したゆえん)。(5)万物は,気,物(気の結集体),神(気のエッセンス,エネルギー)より成る。万物は天地という構造をもつ。(6)天地は,時間空間,運動静止,容れる容れられる,明暗乾湿においなど,の4契機より成る。(7)天(自然)と人(人倫世界)は相反するものであるから,その研究法も前者は反観,後者は推観という別個のものでなくてはならぬ。

要するに梅園の哲学はイエズス会士の伝えた西洋天文学(ただし地動説以前の T. ブラーエの段階)その他の諸科学を中国伝統の気の哲学によって解釈し独自の条理哲学をうちたてたもの,気の哲学の最後を飾るにふさわしい壮大精密な体系であるが,あまりに機械的でシンメトリックな論理主義のために気の哲学に固有な宇宙進化論を否定するに至っている。                   島田 虔次

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[積読立読斜読] 『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短編29』(ジェイ・ルービン選、村上春樹序文、2019年新潮社)より 国木田独歩、柴田元幸さん




国木田独歩の「忘れえぬ人々」(1898)、と柴田元幸さんの「ケンブリッジ・サーカス」(2004)を読みました。二編とも編者が区分した「自然と記憶」というカテゴリーに入っています。


国木田独歩の「忘れえぬ人々」(1898)はメタ・フィクションというか、小説の中にもう一つ小説を押し込んだ形の小品ながら読後感の印象の強い作品で、なんと『世界大百科事典』に単独項目として採用されている、この本の中では文壇史的に重要な作品でした。
この時代は若干漢文表現が小説の日本語に残っていたようで、所々に漢文の言い回しが出てきます。

村上春樹さんの解説によれば「森鴎外や夏目漱石とだいたい同世代の明治時代の作家だが、「文豪」と呼ばれるその二人に比べれば、マイナー・ポエト(minor poet)という印象が強い。ロシア文学における(トルストイやドストエフスキーに対する)ツルゲーネフのような存在であるかもしれない」というように渋い作家・作品です。


「ケンブリッジ・サーカス」(2004)の"circus"は円形になっている交差点で、近隣にケンブリッジ大学があります。曲馬団の「サーカス」も同じスペルです。柴田さんは紹介するまでもなく東大教授で英米文学翻訳家の大家、村上春樹さんの翻訳の師匠筋にあたる著名な方です。この作品はエッセイと小説の間のような短いスケッチ。自身の留学時代の挿話をパラレル・ワールド仕立てにして楽しんでらっしゃいます。



忘れえぬ人々  
わすれえぬひとびと 

国木田独歩の短編小説。1898年(明治31)4月,《国民之友》に発表。溝口(みぞのくち)(現,川崎市)の旅館亀屋で,無名の文士大津が,たまたま泊まりあわせた画家の卵秋山に物語る形式となっている。大津には,親兄弟や先生と違って忘れても義理を欠くわけでもないのに,妙に忘れられない何人かの人々がいる。瀬戸内海通いの汽船の甲板から見た寂しい小島の漁夫,阿蘇山のふもとで見た馬子,四国の三津が浜で見た琵琶僧などである。立身出世の妄執から解放されたとき,すべての者に対する同情の念が生まれ,人懐かしくなるというのである。山林海浜の小民に無窮の天地に孤立する人間存在を見るという,独歩文学の原点を示す作品である。            山田 博光

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武蔵野  
むさしの 

国木田独歩の短編小説。1898年1~2月,《今の武蔵野》の題名で《国民之友》に分載。第1小説集《武蔵野》(1901)に収められた。1896年9月から翌年4月まで当時武蔵野の面影を残していた渋谷の岡の上に住み,近郊の林や野道や小川のほとりを散歩して得た印象を新鮮な感覚で描いた作品。伝統的な松林の美しさなどではなく,秋から冬にかけての武蔵野の落葉林の美しさを中心に描くについては,文中に引用されている二葉亭四迷訳のツルゲーネフ作《あひゞき》の影響が著しい。独歩の最初の口語体小説としても,二葉亭に負うところがある。徳冨蘆花の《自然と人生》と並んで自然描写文学の傑作とされ,日本人の感受性に強い影響を与えた。             山田 博光

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国木田独歩  1871‐1908(明治4‐41)
くにきだどっぽ 

詩人,小説家。千葉県生れ。本名哲夫。父専八は播州竜野藩士。明治初年,藩船で漂着した専八と銚子出身の淡路まんとの間に生まれた。幼少年期は山口県で育ち,山口中学を経て,1888年から91年まで東京専門学校(現,早稲田大学)に学ぶ。在学中,《女学雑誌》《青年思海》に投稿。またキリスト教に入信。92年,浪漫主義の同人誌《青年文学》に参加,ワーズワース,カーライルの作品に出会い,精神革命を経験した。93年に起筆した日記《欺かざるの記》は,97年まで続き,明治中期の青年の苦悩とあこがれに表現を与えた。佐伯の鶴谷学館の教師を経て,94年国民新聞社に入社。日清戦争の従軍記者として《愛弟通信》を連載。帰還後佐々城信子と知りあい,はげしい恋愛の末結婚。この結婚は半年で破局を迎えたが,このころから詩人的資質に目覚め,民友社系の《国民新聞》《国民之友》に浪漫的な詩を発表。これらは97年,宮崎湖処子,松岡(柳田)国男らとの共著詩集《抒情詩》にまとめられた。同年小説の処女作《源叔父(げんおじ)》を発表。ついで《武蔵野》《忘れえぬ人々》を《国民之友》に発表。これらを収めた短編集《武蔵野》(1901)は浪漫的色彩が強い。《牛肉と馬鈴題》(1901),《運命論者》(1903),《春の鳥》(1904)など中期作品は,やや現実的傾向を深め,好評を博した。晩年の《窮死》《竹の木戸》(ともに1908)などは,貧民の悲惨な運命を見つめ,自然主義の旗手と目された。自然賛美,人間の運命諦視の裏に小民への愛が一貫し,明治期を代表する短編作家である。      山田 博光

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柴田元幸さん プロフィール

1954(昭和29)年、東京生れ。米文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。翻訳の業績により早稲田大学坪内逍遙大賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳するほか、著書も多数。文芸誌「MONKEY」の責任編集を務める

新潮社のサイトより


2019年12月19日木曜日

[積読立読斜読] 『教育格差 ― 階層・地域・学歴』(松岡亮二著、ちくま新書、2019)

ノートを取りながら読書中です。P11~P28の「はじめに」のまとめ。

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P11
はじめに(私が『教育格差』という本を書いた理由)


・教育は自分の経験に基づいて自説を持ちやすい分野

・日本の教育格差の全体像を俯瞰し、実態理解に基づいた建設的な議論がされるようになることを願っている

・人には無限の可能性がある。私はそう信じているし、一人ひとりが限りある時間の中で、どんな「生まれ」であってもあらゆる選択肢を現実的に検討できる機会があればよいと思う。

・しかし現実の日本では、出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件(生まれ)によって教育機会の格差があるからだ。

・この機会の多寡は最終学歴に繋がり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる。つまり、20代前半でほぼ確定する学歴で、その後の人生が大きく制約される現実が日本にはあるのだ。

・これは近年だけの話ではない。戦後日本社会には、程度の差こそあれ、いつだって「生まれ」による最終学歴の格差――教育格差があった。

・日本の現実は、生まれ育った家庭と地域によって何者にでもなれる可能性が制限されている「緩やかな身分社会」

・それは、一人ひとりの無限の可能性という資源を活かさない燃費の悪い非効率的な社会

・教育機会格差が存在する社会状況に根本的な変化を求める大きなうねりは発生しないまま、昨日のコピーのような今日が過ぎ去る

・教育社会学の研究者である私にできることは、入手可能な質の高い様々な調査データを理論と先行研究に基づいて分析し論文にすること。

・本書のような一般的な新書とすることで、過大評価も過小評価もせずに現時点でわかっている教育格差の全体像を一人でも多くのみなさんと共有し、既視感だらけの教育論議を次の段階に引き上げることを目指す。


P17
本書の構成

第1章 終わらない教育格差
戦後、教育格差は常に存在してきた。

第2章 幼児教育―目に見えにくい格差のはじまり
未就学段階で教育格差は立ち上がっている。

第3章 小学校―不十分な格差縮小機能
第4章 中学校―「選抜」前夜の教育格差
義務教育であっても出身階層と学校・地域によって機会と結果に大きな格差がある。

第5章 高校―間接的に「生まれ」で隔離する制度
高等学校では学校間格差が大きい、「生まれ」と学力に強い関連があるまま高校受験という教育選抜を行うので、結果的に学校間で大きな出身階層格差が生じる。進学校は「勉強できる」と同時に「恵まれた家庭で育った」生徒の集まりなのだ。

第6章 凡庸な教育格差社会―国際比較で浮かび上がる日本の特徴
他国と比較しながら日本の教育制度の特徴を俯瞰する。日本の義務教育制度は格差を縮小するほどの力はない。

第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか
教育格差に対する対策を考える際に、土台とすべき観点をまとめ、2つの具体案を提示する。

P24
親の学歴が子学歴に与える因果的影響を立証することはできないが、親子学歴に関連があるという実態(what)を示し、様々な理論や研究を援用しながら、なぜ(why)/どのようにして(how)関連が生じたのか―学歴再生産メカニズムを
開明する「試み」をすることはできる。

P25
20年後に「前の世代と同じく教育格差が存在した」と「答え合わせ」するのを待つのではなく、現在の教育実践・政策の参考になるように短期的な格差とその生成メカニズムを明らかにする必要がある。

P26
最後に、私の研究動機を明確にしておきたい。一言でまとめると、「改善のための冷静な現状把握」である。

P28
わたしはこの現状を変えたい。一人でも多くのみなさんと研究知見を共有することを通して、緩やかな身分社会の再生産という「現実」を、一人ひとりが可能性を追求できる社会へと変えることができればと切に思う。





[晴れときどき英語のお勉強] 『「とりあえず」は英語でなんと言う?』より形容詞を使った大げさな表現



P57
[COLUMN]
大げさな表現を使ってネイティブのように話そう
(英語ネイティブが日常的に使う大げさな表現)

She is the best teacher.
(彼女は一番いい教師です。)

She is the best teacher ever!
(彼女は一番いい教師です。)

That is the coolest car ever.
(あの車は最もかっこいい車だ。)

最上級と一緒にeverを使う例が多い。

I think I am the happiest person.
(私は最も幸せな人間だと思う。)

上記の例文には in the world , on the planet というフレーズを加わることが多い。

I think I am the happiest person in the world.
(私は世界中で最も幸せな人間だ。)

I am the sexiest woman on the planet.
(私は地球上で最もセクシーな女性だ。)
カジュアルな表現。

That is the worst car in history.
(あれは史上最悪の車だ。)

in history, in the history of the world
さらに大げさな表現もある。

「絶対!」「断然!」という意味で、by far, far and away も良く使われる。

That album is the best by far!
(あのアルバムは絶対に一番いいよ!)

That book is far and away the best.
(あの本は完全に一番いい。)

[その他] 「村上柴田翻訳堂」を私は捨てた

年末の断捨離シリーズ。

このシリーズは断腸の思い。専用のブックケースまで作りましたがなにせ長編を読む体力がないもので。

2016年に新潮文庫の企画として出た、村上春樹さんと柴田元幸さんの翻訳文学選集です。装丁も洒落てました。

結局2冊しか読了できず。





新潮社のPR誌『波』に出版当時の対談がありましたので、無断転載します。

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【対談】柴田元幸×早助よう子/村上柴田翻訳堂の楽しみ方



◆村上柴田翻訳堂とは

作家・村上春樹さんと柴田元幸さんが「この名作が手に入らないというのは間違っているぞ」「刊行からしばらくたっていても、現代作家と同じくらい新しい」という作品を選び、新訳・復刊してお届けする新潮文庫のサブレーベル。各巻巻末に収録されている店主の両氏による〈解説セッション〉も必読! 第一期として以下の作品を刊行した。

 ***

早助  〈村上柴田翻訳堂〉は、こっちは村上さんが選んだものかなとか、これは柴田さんが推したものかなとか考えるのが楽しかったです。

柴田  お互いに「これいいんじゃないですか?」と作品を挙げていって、「それはいい」と意見が一致するときもあったし、「そんなの全然知らない」というものでも一方がいいと言えば「じゃ、それいきましょう」と決めていきました。トマス・ハーディ、フィリップ・ロスあたりは二人の意見が一致しました。

早助  この間、アメリカ人の友人にこのシリーズのことを話したら、これは一体どういう基準で選んでいるんだって驚愕してました。確かにハーディとコリン・ウィルソンが並ぶって、わけわかんないだろうなあ。目をつぶって選択基準を当てるのは、そうとう難しそう。

柴田  池澤夏樹さんの〈個人編集 世界文学全集〉のラインナップだって、バランスよく重要作品を押さえた現代世界文学アンソロジーを予想する人からすれば違和感があるかもしれません。普通アンソロジーを編むときは、個人的な好みとかはなるべく排除するから。

早助  藤本和子さんが編集した〈北米黒人女性作家選〉や早川書房の〈ブラック・ユーモア選集〉なども、普通の全集とはちょっと別の雰囲気です。

柴田  二つとも素晴らしいアンソロジーですよね。でもまああれははっきりテーマがあるから。今の日本にはなぜか、池澤さんの全集や〈翻訳堂〉みたいに、個人的な思考や信念から選びましたというのが肯定される文脈があって、それはとてもうれしい。

早助  うん、そういうのっていいですよね。ところで〈翻訳堂〉は、七〇年代半ばから八〇年代初頭くらいに死んだ、学生のベッドサイドに積んであった十冊の本という感じが……。

柴田  それはすごく正しい(笑)。僕らが選んだ作品は、全集に入るには新し過ぎるし、マイナー過ぎるし、ジャンク過ぎるんじゃないかと思う。概してアンソロジーってAクラスが揃わなきゃいけないっていう前提があって、それに対抗してやったわけじゃないんですけど、結果的にそうなっているかもしれない。

◆PR誌は楽しい

早助  『宇宙ヴァンパイアー』はそれこそ、規格外のうさんくささですね(笑)。また、そこが最高です。こういう作家が流行った時代があるというのは勉強になりました。

柴田  この人の一番有名な本は『アウトサイダー』というアンチヒーロー論で、若者がその一冊を抱えてパリへ行く、みたいな本でしたね。ブローティガンとかジャック・ケルアックを抱えて西海岸へ行くみたいに。

早助  柴田さんは二十歳の頃イギリスに行かれたとき、そういう本はありましたか?

柴田  それが全然ないんです。その頃、本なんか読まなかったので。イギリスでヒッチハイクしていて、あまりに車が来ないものだから道ばたに座り込んでオーウェルの『1984』を読み切ったのが、生まれて初めてペーパーバックを読破した経験でした。

早助  わたしは読むものがなくなるのがキョーフで、切らさないように気をつけてます。デビューして小説を書くようになって、ちょっと軽減しましたけど。読むものがなければ書いてりゃいいと、あるとき発見したんですよ。

 そしてあの、「波」みたいなPR誌は日々の持ち歩きに重宝してます。私、“PR誌知識人”を自称してて(笑)。もう文庫すら重いと感じるときがあって、ピンチだなと思うんですが。……重い単行本を割ったこともあります。PR誌は軽くて、いろんな話が入ってて好きなんですよね。

柴田  いや、PR誌ってこの分量でどれも中身濃いですよね。

◆マッカートニー的なもの

早助  やっぱり、『結婚式のメンバー』を新訳で読むことができたのが嬉しかったな~。

柴田  マッカラーズはファンが多いですね。僕が大昔、英文科の学生だった頃は、女子学生に一番人気があったんじゃないかな。授業では取り上げられるか取り上げられないかの瀬戸際ぐらいなんだけど。

早助  マッカラーズってフラナリー・オコナーと比較して語られることが多い気がするんですが。

柴田  アカデミズムではオコナーの方が根源的だとされていると思います。それに対してマッカラーズは感傷的だと。マッカラーズの『心は孤独な狩人』(The Heart Is a Lonely Hunter)はセンテンスになっているタイトルですよね。で、そのまま作者のメッセージなんです。そこに皮肉はない。だけどオコナーの短篇「善人はなかなかいない」(“A Good Man Is Hard to Find”)もセンテンスのタイトルですが、これは皮肉なんですね。まあタイトルだけの問題じゃないんだけど、とにかくこういうほうが批評性があって高級とされる。

 でも村上さんが「それはジム・モリソンとポール・マッカートニーを比べるようなもの」だと言ってましたが言い得て妙ですね。このシリーズはポール・マッカートニー的なものを拾うシリーズなのかも。僕はソロになってからのポール・マッカートニーはそんなに好きじゃないけど(笑)。

早助  そっか、これ、ポール・マッカートニーなのか(笑)。

柴田  この中で一番、好きな作品は?

早助  うーん……昨日考えていたんですけど、これだけ多彩だと難しくて。はじめはマッカラーズが一番好きになるんだろうと思って読み始めたんですが、『チャイナ・メン』は大きな発見でしたし、ナサニエル・ウエストのひねくれ加減が心地いい夜もあり……。一気に読んだのはジェイムズ・ディッキーの『救い出される』。まさか途中からあんな話になるとは! 予想もつかない。『わが心の川』(注・『救い出される』の旧邦訳タイトル)じゃなくなった! そしてそういう作品をはしごしてお腹がいっぱいになると、『僕の名はアラム』の素朴さがしみじみ輝き出します。

 一番新しいなと思ったのは『チャイナ・メン』です。わ、こんなことができるんだ、と思いました。自分の作品で、真似してるっていわれないように気をつけなきゃ。もう、今にも影響を受けそうな気がします。

柴田  海外の小説を模倣しようと思ってもシチュエーションが全然違うし、結局そこまでは似ないと思うんですね。そういう意味で海外文学を読むことは作家にとっていいインスピレーションになるのかなと思います。小野正嗣君がまだ院生の頃「先生が訳した○○に刺激されて書きました」とかいって小説送ってくるんだけど、ちっとも似ていない(笑)。海外文学っていうのはちょうどいい距離があるんだと思います。

◆翻訳を見直す

柴田  最初は気がつかなかったんですが、結果的には、よい翻訳者による本が選ばれていますよね。だから、一つの基準はやっぱり翻訳ですね。

早助  翻訳者には、亡くなった方も、ご存命の方もいらっしゃいますね。

柴田  人生は短いなぁと思いました(笑)。僕が学生の頃にバリバリ現役だった方々がもう何人も亡くなってるんだなと思って。一方、ハーディの短篇集を翻訳なさった河野一郎先生の著書『翻訳上達法』は、僕がこれまでに唯一読んだ翻訳の指南書です。復刊するにあたって訳文に手を入れて下さいました。うれしかったですね。

早助  面白いでしょうね、何十年も経ってから自分の訳文を見返すのって。愛着があれば。

柴田  うん、もうちょっと長生きして自分もやってみたい……あ、もうしてるか(笑)。

◆うまければ、それでいい

柴田  ところで、アメリカに〈ライブラリー・オブ・アメリカ〉という叢書があります。これ専門のNPOがやっている、アメリカ文学のスタンダードを作ろうという全集です。最初はメルヴィルとかホーソーンあたりから始めて、最初のうち存命の作家で入ったのはフィリップ・ロスとユードラ・ウェルティだけだったけど、最近はけっこう生きている人も入れています。

 で、〈翻訳堂〉でこの叢書に入っているのはロス、ウエスト、マッカラーズ、それにラードナー。コリン・ウィルソンとハーディはイギリス人だから入っていなくて当然ですが、アメリカ人だけどサローヤン、ジョン・ニコルズあたりは入っていない。

早助  世界文学全集って、日本だと昔はそうそうたる教授陣が何時間も協議して作っていたと聞きますね。〈翻訳堂〉は……好きな本を独断と偏見で選んだ感じがしますねえ。

柴田  そう言ってもらえるとうれしい。文学全集とは違うけど、ハリウッド映画の、アンケートに基づいて作ったみたいな感じ、嫌なんですよね。独断と偏見が愛情のほうに働けば、そんなに恥じなくてもいいかなと思う。独断と偏見が否定のほうに働くのは嫌だけど。

早助  もし誰かに「こんな変なセレクトをして無責任じゃないか」って言われたら、何て答えます?

柴田  うーん……平等を期して何もやらないより、部分的にしかできなくても、とにかく何かに光を当てるのはいいことだと思うって答えますね。マッカラーズを入れるんだったらオコナーも入れなきゃダメだろうって言う人はいるでしょうけれど、そういうことを言いだしたら何もできないから。

 村上さんと僕が若い頃読んだものという時代性はやっぱりあるだろうと思います。その時代性の外に出て、普遍的に網羅的にやらなきゃいけないとなると、こういう無茶な選択はできない。現代的な新しい視点からきっちり全集を組めば池澤さんのような仕事になるし、光文社みたいに昔の全集のセレクションをそのまま翻訳だけアップデートするというのもひとつのやり方だと思います。そのどっちでもない、中途半端なのがこの〈翻訳堂〉。中途半端って僕、ひとつの方法だと思ってるんですよね(笑)。

 たとえば若い頃に食べて美味しかったものって、一貫性とか統一性とかべつになくたっていいじゃないですか。それと同じで、僕らは「あそこで食べたトンカツはうまかった」みたいなものを並べてみたんだと思います。