2020年5月31日日曜日

[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』第二十五段 飛鳥川の淵瀬

書き写し『徒然草』。本日は第二十五段。

されば、万に、見ざらん世までを思ひ掟おきてんこそ、はかなかるべけれ。

(自分の死後のことまで心配してもしかたない)。




徒然草 第二十五段

現代語訳
 気ままに流れる飛鳥川は、昨日まで深かった場所が、翌日には浅瀬になっている。人の生きる世界も永遠に今の状態で続くことはない。時は過ぎ、始まりは終わりになり、喜びや悲しみも過ぎ去る。繁華街も整地されて原野となり、古民家の住人も過去に住んだ人とは違う。昔から咲いているのは、桃やスモモの木だけだ。彼らはコミュニケーション能力を持たないから、昔日の繁栄を語り継ぐ術を持たない。だから、見たこともない太古の大遺跡は、あぶくと一緒だ。

 京極殿や法成寺の廃墟を見ると、施工主の願いが叶わず、都市計画の跡形さえないので、心に淋しい風を立てる。藤原道長がデベロッパーとなり、土地を転がし、複合施設を建設してピカピカに磨き上げた。当時は「自分の肉親だけが天皇を食い物にして、いつまでもこんな日が続きますように」と願っていただけに、どんな世界になろうとも、ここまでメチャクチャになるとは想像さえしなかっただろう。寺院の門や、本殿は最近まで残っていたが、花園天皇の時代に南の門が火災にあった。本殿も地震で倒壊し、復旧計画は無い。阿弥陀堂だけは現存しており、五メートル弱の仏像が九体並び「我関せず」と他人事のように安置されている。達筆な藤原行成が書いた額縁や、源兼行が書いた扉の文字が鮮やかに残っている光景は、異様なほど虚しい。仏道修行をする建物もまだ残っているが、そのうち燃えて無くなるだろう。このような伝説さえなく、建物の基礎だけある場所などは、知る人もなく、いかなる物か謎だけが残る。

 この例からも、自分の死後、見ることが不可能な世界のことを思って、何かを計画するのは、森羅万象、無駄であり意味がない。

原文

 飛鳥川あすかがはの淵瀬ふちせ、常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃李たうりもの言はねば、誰たれとともにか昔を語らん。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。

 京極殿きやうごくどの・法成寺ほふじやうじなど見るこそ、志留とどまり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂殿みだうどのの作り磨かせ給ひて、庄園しやうゑん多く寄せられ、我が御族おんぞうのみ、御門みかどの御後見おんうしろみ、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門だいもん、金堂こんだうなど近くまでありしかど、正和しやうわの比ころ、南門は焼けぬ。金堂は、その後、倒れ伏したるまゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院むりやうじゆゐんばかりぞ、その形とて残りたる。丈六ぢやうろくの仏九体、いと尊たふとくて並びおはします。行成かうぜいの大納言の額、兼行かねゆきが書ける扉とびら、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華ほつけだうなども、未だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから、あやしき礎いしづゑばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。

 されば、万に、見ざらん世までを思ひ掟おきてんこそ、はかなかるべけれ。

[積読立読斜読] 『手ぶらで生きる 見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法』(ミニマリスト しぶ著、サンクチュアリ出版、2018年)


旧刊ですが、なぜか書店のレジ近くで山積みになってたので、タイトルに惹かれてつい購入。

ミニマリスト系の書籍も多数ありますが、この方の生活は結構徹底していて、本当に部屋になにもありません。

配偶者も子供もおらず、おそらくは親族との付き合いもあまりないように思われます。

生き方としては賛同できませんが、身辺整理のヒントにはなります。

















2020年5月30日土曜日

[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著、PHP、2019年)5月28日~5月31日

5月28日~5月31日

P98
小さな困難に遭遇すると、悩みになります。
ところが、大きな困難は知恵を生み出す原動力になります。



[その他] 自作スピーカーの御嫁入



自作スピーカーが御嫁入。

2017年キャビネット制作、2019年ユニット交換(6cm→8cm)した鳥型バックロード・ホーン「コサギ」が、ギター教室の先生の紹介でプロドラマーのSさん宅へ。本日搬入しました。

ホーン長が2m近くある複雑な構造で方チャンネルの板の枚数が30枚以上あって二度と作りたくありません。

(写真は同等品です)。

[その他] 広島掃除に学ぶ会 ゴミゼロ(5月30日)運動 千田公園トイレ





5月30日(土曜日)は広島掃除に学ぶ会の活動で、千田公園のトイレ掃除に参加しました。

その後世話役で会合を持って下ります。

コロナ禍で学校のトイレをお借りすることが難しくなってきました。今後は街頭清掃・公園等のトイレが主な活動場所になりそうです。

無心に一所懸命、身体を動かしてトイレ掃除をしたのは久しぶりでしたので、大変清々しい感じがしました。



[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』 第二十一段 万のことは、月見るにこそ 、

『徒然草』書き写し。本日は第21段。

ちょっと字がうまくなったような(錯覚か?)。





第21段 万のことは、月見るにこそ 、

<原文>
 万のことは、月見るにこそ、慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん*。

 月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ*。岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。「げん・湘、日夜、東に流れ去る。愁人のために止まること少時もせず」といへる詩を見侍りしこそ*、あはれなりしか。康も*、「山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ*山沢」と言へり。人遠く、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。


<用語解説>
折にふれば、何かはあはれならざらん:折にふれ、なんだってみな面白いのだ。もちろん、「月」も「露」も。

月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ:月や花が人の心を慰めるのはいうまでもないが、風というものもまた人にしみじみとした感慨を与えるものだ。西行の歌「おしなべてものを思はぬ人にさへ心をつくる秋の初風」(『山家集』)などを意識しているのであろう。

「げん・湘、日夜、東に流れ去る。愁人のために止まること少時もせず」といへる詩を見侍りしこそ:げん(さんずいに元)・湘 <しょう>は中国の河の名前。戴叔倫『湘南即事』の一節を引用。二つの河は日夜流れて、人生を愁える人など知らぬげにとどまることはない。作者は、「無常」感で共感しているのであ る。

康:<けいこう>。竹林の七賢人(中国晋代に、俗塵を避けて竹林に集まり、清談を行った七人の隠士)の一人。7人は、阮籍 <げんせき>・康 <けいこう>・山濤<さんとう>・向秀<しようしゆう>・劉伶<りゆうれい>・阮咸<げんかん>・王戎<おうじゆう>。(『大字林』より)。

山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ:『文選』巻22より引用。 山川に行って魚や鳥を見ると心が洗われる。


<ポイント>
 現代人が忘れ去ったすべてのものがここに開陳されている。

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure000_049/turedure021.htm

2020年5月29日金曜日

[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』 第十八段 人は、おのれをつづまやかしにし

書き写し『徒然草』。本日は第十八段。

究極のミニマリストの紹介。




徒然草 第十八段
現代語訳

 人は、無くても良い物を持ったりせず、欲張るのをやめて、貴金属も持たず、「他人が羨むようになりたい」などと考えないのが一番偉い。今日まで人格者が高額納税者になったなどという話は、お伽噺でしか聞いたことがない。

 昔、中国に許由さんという人がいた。その人は身の回りの所持品がなかったから、水は手で掬すくって飲んでいた。それを見た人が、柄杓を買い与え、木の枝にかけておくという余計なお世話を焼いた。すると、柄杓は風に吹かれてカラカラと音を立てるので、許由さんは「うるせぇ」とおっしゃって、投げ捨ててしまった。そうして、また手で掬って水を飲んでいたそうな。きっと許由さんは、せいせいした気持ちだったに違いない。また、孫晨さんという人は、クソ寒い冬の季節にも、お布団がなかったので、納豆みたいに藁にくるまって寝て、朝が来ると藁を片づけたという。

 昔々の中国人は、こんなことが伝説に値すると思ったから本に書いたのだろう。この近所に住んでいる人なら、こんな話は素通りして語り伝えたりはしない。

原文
 人は、己おのれれをつゞまやかにし、奢おごりを退けて、財たからを持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富とめるは稀まれなり。

 唐土もろこしに許由きよいうといひける人は、さらに、身にしたがへる貯たくはへもなくて、水をも手して捧ささげて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬むすびてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨そんしんは、冬の月に衾なくて、藁わら一束ひとつかありけるを、夕べにはこれに臥ふし、朝あしたには収をさめけり。

 唐土もろこしの人は、これをいみじと思へばこそ、記しるし止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

https://tsurezuregusa.com/018dan/

[ひとり「広島掃除に学ぶ会」] 5月25日(月)~29日(金)

通勤途上でのゴミ拾い継続中です。

今週は一日お休みしました。






[積読立読斜読] 『彼らを書く』(片岡義男著、光文社、2020年) そしてエルヴィス・プレスリーをDVDで観る。 

片岡義男さんの新刊は映像でビートルズ、ディラン、プレスリーを評論するという新機軸。難解そうなディランを後回しにして、本日はプレスリーの章を読みました。




そしてエルヴィス・プレスリーをDVDで観る。

<目次>
①それは白黒シネマスコープの西部劇だった
②さまよう青春とは、歌のうまい青年が歌手になる話のことか
③そんなことを思うのは僕ひとりだけだろうか
④まったく実現しなかった、という種類の可能性
⑤色はさぞかしまっ黄色だろう
⑥音声では Tell you what. 字幕では「でもさ」
⑦偶然というものはない
⑧ピーナツバターとバナナのサンドイッチ

<DVD解説>
①それは白黒シネマスコープの西部劇だった
"Love Me Tender"(1956)
20世紀フォックスの白黒シネマスコープの西部劇。
舞台は南北戦争終了後、北軍の現金を強奪した兄弟の話。
プレスリーが端役で出演、劇中で歌唱。

②さまよう青春とは、歌のうまい青年が歌手になる話のことか
"loving you"(1957)
エルヴィスの最初のカラー作品。邦題『さまよう青春』。
食料品店の配達係がスターになる話。

③そんなことを思うのは僕ひとりだけだろうか
"Jailhouse Rock"(1957)
前科者がロックスターになる話。『監獄ロック』を無理やり映画化。
片岡さんの目次はカントリー歌手をしていた同房の男からギターの指南を受ける場面受けて。

P204
「お前にはリズムのセンスがまったくない、などと彼は言う。このような場面はたいへんに貴重だと僕は思うのだが、そんなことを思うのは僕ひとりだけだろうか。」


④まったく実現しなかった、という種類の可能性
"King Creole"(1958)
パラマント映画、白黒ヴィスタ・ヴィジョン。

A rebellious young man takes a job as a nightclub singer to make ends meet, attracting the attention of a local crime boss.
https://www.imdb.com/title/tt0051818/?ref_=fn_al_tt_1

映画題名は酒場の店名。

P217
映画の脚本が完成したらまず送付された俳優としてのエルヴィス・プレスリーは、どれもまったく実現しなかったおいう種類の可能性を、静かに秘めている。


片岡さんによれば『冷血』『スター誕生』『タクシードライバー』などの脚本をエルヴィス・プレスリーは一番に受け取ったそうだ。(映画には出演しなかった)。


⑤色はさぞかしまっ黄色だろう
"Heartbreak Hotel"(1988)
舞台は1972年。
When a teen tries to set up a band at his school, his mother who was a big fan of Elvis Presley gets in a wreck he and his band members decides to kidnap Elvis and have him hooked up with his mother.

鬱気味の30代半ばのシングル・マザーは大のエルヴィス・ファン。高校生の息子がバンド仲間とツアー中のエルヴィスを誘拐して、母親に会わせるという荒唐無稽の設定。


⑥音声では Tell you what. 字幕では「でもさ」
"Elvis"(1979)アメリカのTVプログラム。日本語タイトル『ザ・シンガー』。

⑦偶然というものはない
"finding Graceland"(1998)映画。
自称エルヴィスと名乗る謎の男がヒッチハイクをしている。自動車事故で妻を亡くした男とのロードムーヴィー。
P238
「その謎の男は、この人生に偶然というものはない、と断言する。」
グレイスランドはプレスリーの住居があった場所。
制作には元妻が参加している。

⑧ピーナツバターとバナナのサンドイッチ
"El Ultimo Elvis"(2012、アルゼンチン映画)
英語タイトル"The Last Elvis"
自称エルヴィスの電気工場の組立工中年男性


<感想のようなもの>
片岡義男さんのサイトによると、1971年刊行の評論『ぼくはプレスリーが大好き』のタイトルのせいで、熱烈なファンと誤解されているが「条件付きで大好き」だそうで、歌手としてのプレスリーは「絶頂期はサン・レコード在籍中、そしてRCAに移籍してからのアルバム数枚。でも、その後はね……」というコメントです。

採用されたDVDにもそれが顕著で、助演・主演映画の4本はごく初期の作品ばかりです。このラインは歌手としてではなく俳優としてのエルヴィスの可能性についての考察のようです。

残りの4本はTVのドキュメンターリー風の再現ドラマを除いて、かなり変わった映画を採用しています。


2012年のアルゼンチン映画の自称エルヴィスという電気工場の組立工は、42歳の誕生日を前にすべての生活を引き払い、プレスリーの自宅のあったメンフィス・グレイスランドのダイナーでひとりエルヴィスの享年である42歳の誕生日を祝います。(その後の男の人生は謎です)。

若い頃エルヴィスの熱狂的なファンで最近はうつ病の母親のために、地方公演中のエルヴィスを誘拐して母親に会わせるという荒唐無稽なコメディ、"Heartbreak Hotel"も可能性の物語のようです。

P225
「映画のおしまいのところでエルヴィスは、You made me feel like Elvis, again.と(誘拐した息子の)ジョニーに言う。エルヴィスの気持ちにふたたびなれたとは、デビューしてRCAに移った頃のエルヴィスの気持ちにふたたびなれた、ということだ。エルヴィスのこの台詞のあと、ふたちは握手を交わす。あの頃の自分を取り戻したい母親と、ほんのいっとkぢえはあれ、1957年当時に戻れたエルヴィスとの、共通した到達点というファンタジーがここにある。」

P224
「ジョニーの母親とエルヴィスは、おたがいに惹かれ合う関係となる。しかしふたりが結ばれるわけにはいかない。エルヴィスは専用のジェット機でTCBの世界へ戻っていく。(TCB=taking care of business")。ジョニーの母親もまた、彼女のTCBを引き受けなくてはいけないのだろう。エルヴィスのしえいる指輪にTCBという文字があり、それはなんという意味ですか、と訊いたジョニーに、TCBとは Taking Care Of Businessのことだよ、とエルヴィスは答える。専用のジェット機の胴体にもTCBの文字がある。


アメリカのイコンを挙げよと言われたら、エルヴィス・プレスリーはおそらく上位にランクされると思われますが、アメリカ人の思いはエルヴィスの向こうに「可能性」の希望を見たのでは。南部出身のトラック運転手のアメリカン・ドリームが42歳の急逝で終わるまでの人生に、自己を仮託しているように思えます。

いまもって「エルヴィスは生きている」という都市伝説や、出生後に亡くなった双子の兄弟が生きているという小説もありました。

2020年1月22日水曜日
[積読立読斜読] 『短編画廊』(ローレンス・ブロック編、ハーパーコリンズ・ジャパン、2019年)よりクレイグ・ファーガソン

https://28minami-owaki.blogspot.com/2020/01/blog-post_22.html


片岡さんが採用したかなりひねった3本の映画もすべてエルヴィスに仮託した「可能性」の物語とみました。


<蛇足>
映画『フォレスト・ガンプ』は弱者から見たアメリカの現代史です。歴史のトリヴィアにガンプが絡んでいたという小ネタが挟まれていて、その一つ。 無名時代のプレスリーがガンプの家に泊まり、背骨の固定装置を足に着けたガンプの動きにヒントを得て独自のステージパフォーマンスを編み出すというくだり。

数年後スターになったエルヴィスの踊りを街頭TVで観たガンプの母親が「子どもの見るものではない」と連れていたガンプに言いますが、これは当時のプレスリーに対する親の考えが表されていました。





2020年5月28日木曜日

[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』 第七段 あだし野の露


『徒然草』の書き写し、毎日継続中。

本日は「第七段 あだし野の露」です。





第7段 あだし野の露

[要約]
死があるから生が輝く

原文
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出(い)でまじらはん事を思ひ、夕(ゆふべ)の日に子孫を愛して、榮行(さかゆ)く末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

現代語訳
露や煙ははかなく消える命なのに、この世に死者はなくならないので、あだし野霊園の草露や鳥部山火葬場の煙はいつまでも消えることはない。だが、その草露や煙のように人間がこの世に永住して死ぬことがないならば、人生の深い感動は生まれてくるはずもない。
やはり、人の命ははかないほうが断然良い。命あるもので、人間ほど長生きなものはない。

かげろうのように朝生まれて夕べには死に、夏の?のように春秋の季節美を知らない短命な生物もいる。それに比べたら、人間の場合は心安らかに一年間を送れるというだけでもなんとものどかな話ではないか。もしも命に執着するとたとえ千年の長い年月を過ごしても、それはたった一夜の夢のようにはかなく感じるだろう。どうせ永遠には住めないこの世に醜い姿になるまで生きていて何になろうか。長生きすると恥をかくことも多くなる。
長くとも四十そこそこで死ぬのが無難というものだ。

その年齢を過ぎると容姿の衰えを恥じる気持ちがなくなり、平気で人前に出て社交的にふるまおうとする。更に日没の太陽のような老齢の身で子孫を溺愛し、子孫の繁栄を見届けようと長生きを望んで世俗の欲望ばかり強くなり、深い感動の味わいもわからなくなっていくのはなんとも救いがたい気がする。

https://shikinobi.com/kenkou#02

2020年5月27日水曜日

[積読立読斜読] 『要点で学ぶデザインの法則』22/30




106 眺望-隠れ場理論
107 プロトタイピング
108 近接効果
109 リーダビリティ(可読性)
110 返報性







[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』第三段 よろづにいみじくとも



第3段|よろづにいみじくとも

[要約]
恋を知らない男はダメ

原文
よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の底なき心地ぞすべき。露霜にしほたれて、所さだめずまどひ歩(あり)き、親のいさめ、世のそしりをつつむに心のいとまなく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるはひとり寢がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべき業(わざ)なれ。

現代語訳
どんなにすばらしくても、恋を知らない男は非常に物足りない。みごとな玉製の盃の底が抜けたように、見かけだけで男としての魅力が欠けている。
早朝から深夜まで露・霜に濡れながら恋人たちを渡り歩き、親の説教や世間の避難をかわすために神経をすり減らし、あれこれ気をもんでいる。
そのくせ実際にはひとり寝が多く、恋人と共寝する夜の少ないのはなんともおもしろい。
とはいえ、恋に夢中だからといってがつがつすることなく、女性にいつも好感を持たれるように節度をもって行動するのが理想的である。

https://shikinobi.com/kenkou

2020年5月26日火曜日

[積読立読斜読] 書き写し『徒然草』序段



中古で書き込み式の『徒然草』を入手。全章段から32段の抜粋。

本日は初段を書き写し。

各段を2回ずつ書き写す構成ですが、まずは1回だけ書いて進めてみます。

[積読立読斜読]『徒然草 無常観を超えた魅力』(川平敏文著、中公新書、2020年) 序章 徒然草の誕生


スローリーディング中の中公新書『徒然草 無常観を超えた魅力』(川平敏文著、2020年)、本日は「序章 徒然草の誕生」を読みました。これで読了です。

『徒然草』の時代ごとの「読まれ方」に焦点をあて、古典の教科書にあった「無常観」の随筆以上の魅力がある読み続かれるテキストだという主張に共感しました。

本文の『徒然草』を今一度ゆっくり読んでみようと思います。

本投稿の後半に完結にまとまっていた日本大百科全書の「兼好」「徒然草」の項目を参考資料として掲載してます。



序章 徒然草の誕生

1 起源を問い直す―筆者・成立・ジャンル

・「吉田兼好」は、いない

「吉田」は卜部氏の一流が室町時代以降に名乗った姓であるから、兼好の時代に「吉田」姓はありえない

「卜部兼好(うらべ かねよし)」、または「兼好法師」が正しい


『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(小川剛生(国文学者)、中公新書、2017年)に新説

・吉田兼ぐ(ぐ=人偏に貝)の陰謀

兼好は卜部氏を名乗っているが、吉田流の卜部氏とは姻戚関係がない
後世の吉田家が歴史を捏造し、鎌倉時代後期の数少ない有名人であった兼好を一門に組み込んだ陰謀

・現時点で明らかな事実
出家前は「卜部兼好」、出家後は「兼好法師」と名乗った


・兼好の生涯

武家と公家双方にコネクションがあり、その内情にも通じている兼好は、情報・知識を伝達する代理人(エージェント)であり、また時に相談役(コンサルタント)でもあった

「遁世者」という身分は、フリーの肩書


・徒然草の成立
兼好自身の直筆原稿はない

244段に定着したのは、17世後半の北村季吟の注釈書『徒然草文段抄』(1667)
(兼好自信が段ふりをしたのではない)

近代以前のテキストでは二冊本(序段~136、137~243)
137段はB面の1曲目にあたり特殊な位置づけ

・4つの本文系統

岩波書店『新日本古典文学大系』は正徹本を採用(特殊事例)


・「随筆」というジャンル
『徒然草』、『枕草子』、『方丈記』、古典三大随筆が一般的

兼好の時代には「随筆」というジャンルはない

「来意の事」複数の章段にまがたる主題の流れの中で、特定の章段の意味を考える
(抄録の弊害)


2 古典の「発見」―中世から近世へ

現存する最古の『徒然草』の写本、正徹本、1431年
兼好の没年、1357、8年頃、70年以上の開きがある

空白期間の写本の経緯は不明

故実書として使われた

室町末期・近世初頭で大きな役割、細川幽斎、徒然草の面白さの評価

近世初期の漢学者は、『徒然草』の現実主義的・合理主義的な思弁に共感した

兼好がふつうの仏教学者のように喜怒哀楽という感情を消滅させよと言っていない、
それらの存在を認めながら、いかに統御するかについて述べている







<資料編>


日本大百科全書より

徒然草
つれづれぐさ

鎌倉後期の随筆。2巻。兼好著。成立年時不明。かつては1330年(元徳2)11月以後、翌年(元弘1)10月以前成立とする説が信じられたが、いまは疑問視されている。20代の起筆かとも、最晩年まで書き継がれたかともいい、執筆、編集の過程についてもさまざまに考えられており、決着をみていない。題名は、序段の「つれづれなるままに」の冒頭の語によったものである。一般に近世初頭の烏丸光広(からすまみつひろ)校訂古活字本が用いられるが、中近世にわたる多数の写本、版本などが残る。
[三木紀人]

内容・特性
心に浮かぶまま、連想の赴くままに書きつづったものである。長短不ぞろいの全244段に分けて読む習わしになっている。そのうち、序段には、随筆としての本書の趣旨・内容に触れる簡潔な記事がみられる。以下、貴族社会に生まれた男が願う物事に触れる第1段から、仏について父と問答を交わしたことを回想する第243段まで、各段の主題、内容はきわめて多岐にわたる。すなわち、その内容は、評論的なもの、説話的なもの、断片的な知識についての聞き書き、覚え書き的なもの、回想的なもの、その他と大別できようが、その内訳はまた多種多様である。たとえば評論的なもののなかには、「万事は皆、非なり。言ふに足らず。願ふに足らず」(第38段)のような手厳しい口調のものもあり、「よき友三つあり。一つには物くるる友。……」(第117段)のような、ふと心に浮かぶままをユーモラスに書き流したものもある。また、主題においては、現世を否定して発心遁世(ほっしんとんせい)を説く仏教的な段、人間の性格・心理・行動様式などについてその類型の素描を交えつつ論ずる段、趣味・教養・処世法などに触れる段などと変化に富む。それら多彩な内容をそれぞれの主題、素材にふさわしく論じ分け、描き分けており、本書は、各ジャンルの例文集のような趣(おもむき)もあるが、兼好による個性的統一が全体をよく引き締めており、分裂した印象を与えない。思想的には尚古的姿勢、王朝的・都会的価値観が目だち、当世風の事物に批判的であるが、新時代を担う武士、商人などに視野を広げようとする一面もあり、地方人や無名の専門家たちの知恵を紹介して共感を示す記事が多い。中世人の心をとらえた無常思想は本書にも流れており、それから導かれた見解が随所に出ている。とくに、無常感による物事への見直しを示唆する第137段、四季の変化を例に引きながら生成と衰亡のさまを重層的に指し示す第155段などは圧巻で、それらに至る各段のなかに、兼好の無常思想の発展、進化の跡が著しい。全体として、学問、思想などに関することを本格的に考察したものではなく、むしろ日常生活に根ざす実感のままに書いたとおぼしき部分が多い。独断と偏見をはばからない筆致はすこぶる刺激的で、これにうなずいたり反発したりして読むことは、いわば精神的柔軟運動となるはずである。
[三木紀人]

源泉
構成は平安時代の『枕草子(まくらのそうし)』に倣っており、個々の段にもそれを模したものが少なくない。ただし、目配りの広さ、論じ方の柔軟さは『枕草子』以上である。そのことは兼好の精神のあり方にもよろうが、彼をはぐくんだ和漢の古典に負う面も大きいと思われる。本書には、仏書、儒書、各種の漢詩文から、わが国の詩歌、物語、日記、説話、軍記、文学論、法語などに至るさまざまな先行書に触発された部分が目だつ。
[三木紀人]

享受・影響
成立後しばらくは人の耳目に触れなかったらしく、兼好の生存時の文献で『徒然草』に言及したものは一例もない。確認できる最初の読者は1世紀後にこれを書写した歌人正徹(しょうてつ)にすぎず、室町時代には一部の知識人に知られるにとどまったようであるが、江戸初頭の啓蒙(けいもう)期に有名になり、以後急速に読者が増大した。ただし、内容のどの面に中心を置くかにより読み方はさまざまで、教訓書とも、趣味論、人生論などともみなされる。それは、多様な読者それぞれの関心にこたえるだけのものを本書がもっていることの現れであろう。
[三木紀人]

cShogakukan Inc.

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉田兼好

鎌倉後期の隠者で歌人、随筆家。俗名卜部兼好(うらべのかねよし)。その名を音読して法名とした。後世「吉田兼好」とよばれている。吉田社を預る家の庶流に生まれた。父は治部少輔(じぶしょうゆう)兼顕(かねあき)、兄弟に大僧正慈遍、民部大輔兼雄がいる。『卜部氏系図』によると兼好は三男であるが、彼ら兄弟の年齢順ははっきりしない。兼好は源(堀川)具守(とももり)の諸大夫(しょだいぶ)となり、後二条(ごにじょう)朝に仕えて六位蔵人(くろうど)から左兵衛佐(さひょうえのすけ)に至ったが、30歳前後に遁世(とんせい)した。厭世(えんせい)思想に動かされたためかと思われるが、その具体的事情は不明。以後、修学院、横川(よかわ)などに隠棲(いんせい)して修行を重ね、40歳代になって都に復帰した。住居は洛西(らくせい)双ヶ丘(ならびがおか)の中央に位置する丘の西麓(せいろく)の草庵(そうあん)というが、確証を欠く。

 文化人としての兼好は中世の文献に「和歌数奇者(すきもの)(風流人)」(園太暦(えんたいりゃく))、「能書(達筆)、遁世者」(太平記)などとして出るが、活躍の中心は和歌にある。師は当時の歌壇で重きをなした二条為世(ためよ)で、42歳のときに彼から『古今集』に関する家説の授講を受けた。邦良(くになが)親王の歌会をはじめ、各種の歌会、歌合(うたあわせ)に参加、1344年(興国5・康永3)足利直義(あしかがただよし)勧進の『高野山(こうやさん)金剛三昧院(こんごうさんまいいん)奉納和歌』の作者ともなっている。作品は『続千載集(しょくせんざいしゅう)』以下の7勅撰(ちょくせん)集に18首、私撰集『続現葉集』に3首とられ、自撰の『兼好法師集』(1343ころ成立か)がある。「手枕(たまくら)の野辺の草葉の霜枯に身はならはしの風の寒けさ」(『新続古今集』)が有名で、これにちなんで「手枕の兼好」などとよばれた。没年はかつて1350年(正平5・観応1)とされていたが、翌々年8月の『後普光園院殿(二条良基(よしもと))御百首』に加点しているので、その年時以後の死ということになる。没した場所は、伝承によると、伊賀(三重県)の国見山の麓(ふもと)とも、木曽(きそ)の湯舟沢ともいうが、不明。

 残した業績として、和歌以外に随筆『徒然草(つれづれぐさ)』があり、『古今集』『源氏物語』など古典の書写・校合などもしている。歌人兼好は、頓阿(とんあ)、慶運、浄弁とともに為世門下の代表的草庵歌人を称する「和歌四天王」の一人に数えられているが、「兼好は、この中にちと劣りたるやうに人々も存ぜしやらん」(『近来風躰抄(きんらいふうていしょう)』)と評されており、現代でも評価が高いとはいえない。本領は、生前には知られなかったと思われる『徒然草』によってみるべきであろう。この作品は、1330年(元徳2)11月から翌年10月までの間に比較的短期間で書かれたかとする説が有力であったが、近年疑問視され、青年時から晩年まで、断続的に書き継がれたかともいう。したがって、ここには長年にわたる兼好の変化、屈折などが示されているかもしれないが、彼の才質、個性、教養の特徴はかなりうかがえる。それによると兼好は、鋭い批評眼とユーモアをもち、万事に旺盛(おうせい)な好奇心を向けて人間理解に冴(さ)えをみせる人物であったようである。発心遁世を説き、求道(ぐどう)の生活を勧めるが、単なる遁世者にとどまらず、王朝期を追慕して古典的価値観に生きつつ、新時代の胎動を聞き落としていない。交友関係も僧俗貴賤(きせん)と幅広く多彩にわたり、高師直(こうのもろなお)ら東国武将に奉仕することもあったらしい。一事にとらわれない自由な生き方は、すこぶる特徴的で、今日の評論家ないしジャーナリストの源流にも位置づけられよう。[三木紀人]
『冨倉徳次郎著『卜部兼好』(1964・吉川弘文館) ▽安良岡康作著『徒然草全注釈』上下(1967、68・角川書店) ▽三木紀人著『鑑賞日本の古典10 方丈記・徒然草』(1980・尚学図書)』
[参照項目] | 徒然草

2020年5月24日日曜日

[その他] 軽音楽部練習再開しました


しばらく「ほぼ皆実28期軽音楽部」の練習を休んでおりましたが、楽器部隊から再開しました。

ただし、ドアは解放し、扇風機で強制換気、部屋の中央に透明ゴミ袋でパーテーションを作成(終息したらゴミ袋でまた使うというエコ志向です)、という異様な雰囲気での再開となりました。

はやくコロナ禍が終息してくれるといいですね。

[その他] GWスペシャル スピーカー自作レポート④ 組み立て完成・視聴


GW期間中のスピーカー工作。やっと半分完成(塗装前)。

昼の軽音楽部練習での視聴は間に合わず、完成は夜になりました。

45回転レコードのジャームズ・テイラーさんで視聴。

なかなか良いです(外観は奇怪ですが)。


[その他] 10日と25日は 'Punk in' (=パン喰い) の日 アロフト(中区鶴見町)




パン屋さん好きなもので。1日早いですが。

こちらの本店は、昭和58(1983)年開店。

浮き沈みの激しい飲食店では老舗と言っていいかもしれません。

近くのケーキ屋さんにも買い物の用事があったので久しぶりに買い物しました。

パンは焼き立てパン屋さの王道を行くスタンダードなものばかりです。

5点購入で939円(税込み)でした。価格も良心的です。


<店舗データ>
ブーランジェリー・カフェ アロフト
〒730-0045 広島県広島市中区鶴見町11-19
TEL.082-244-1527

2020年5月23日土曜日

[積読立読斜読] 『彼らを書く』(片岡義男著、光文社、2020年) いまからザ・ビートルズをDVDで観る。



片岡義男さんの映像作品のみでビートルズ、ディラン、プレスリーを語る、という新刊。

本日はビートルズ編。(片岡義男さんは義理堅く「ザ・ビートルズ」という表記)。

DVD10作品からザ・ビートルズとは何だったのか、またそのビートルズを映像化した「彼ら」、演じた「彼ら」を語ることによって、音源からの評論では表せない新機軸となりました。

目次はDVDのタイトルを直接表しておらず、片岡さんの小説のタイトルの列挙のようでもあります。採用したDVDには著名な主演作品が漏れているというか、最初から選んでないようです。片岡義男さんが選択したという時点で評論になっていると思いますので、煩雑ですが、採用されたDVDを紹介します。ビートルズは10作品です。


<目次>

いまからザ・ビートルズをDVDで観る。

①さきにかねをもらわないと
②ご家族みんなのザ・ビートルズ
③Can you hear me? Hello?
④If that question waqs a joke, it wasn't funny.
⑤もとの生活にもどるための努力はしたけれど
⑥それもアストリッドが作った
⑦THE BEETLESと綴られたことはなんどもある
⑧事実の断片をつなぎ合わせると、それはひとつの美しいフィクションになる
⑨ジャッキー・デシャノンと飛行機のなかでモノポリー
⑩Please don't write anymore.


<採用されたDVDの紹介>

著者が採用したこと自体が批評と思いますのでタイトルと簡単な解説を。かっこ内はDVDの発売日ではなく映像の発表時点の年代です。

①さきにかねをもらわないと
"The First U.S. Visit" (1964)
初のアメリカ・ツアーのドキュメンタリー。音楽映画の手法「シネマトグラフィ」のスタンダード。
ツアーに密着して舞台裏まで撮影したもの。

②ご家族みんなのザ・ビートルズ
"The Four Complete Historic Ed Sullivan Shows featuring The Beatles and other artist invluding" (1964,1965)
ビートルズが出演した『エド・サリヴァン・ショー』4回分の映像(CM含む)。

③Can you hear me? Hello?
"The Beatles At The Shea Stadium" (1965)
1965年夏のアメリカ公演のライブ映像。

④If that question was a joke, it wasn't funny.
The Beatles(ビートルズ)/LIVE IN JAPAN MEMORIAL 1966 SPECIAL EDITION (1966)
1966年の日本公演の記録、ライブ映像+記者会見他。片岡さんは本編でなく頓珍漢な記者会見に注目。

⑤もとの生活にもどるための努力はしたけれど
"That'll be the day" (1973)
1973年のイギリス映画。リンゴ・スターが端役で出演している以外ビートルズとの接点はありません。なぜか片岡さんはリンゴ・スターの髪型が気に入った様子です。
片岡さんの引用は自分を捨てた父のセリフ。

Summaries
Abandoned by his father at an early age, Jim MacLaine (David Essex) seems to have inherited the old man's restlessness. Despite his apparent intelligence, Jim decides not to take the exams that would pave his way to university. He lives, for a time, a life consisting of dead-end jobs and meaningless sex, before returning home to work in his mother's shop. But still he can't settle down. He begins to think that the life of a pop musician might be the thing for him.

George S. Davis <mgeorges@prodigy.net>


⑥それもアストリッドが作った
"Backbeat" (1994)
1994年のイギリス映画。舞台は1960年のリヴァプールから1962年のハンブルグ時代。ハンブルグ時代はドラムスがピート・ベスト、サブのベース奏者にステュアート・サトクリフの5人編成。主人公をサトクリフに据えて、出会ったアストリッド・キルヒヘルという女性との関係を通してビートルズが芸術性に目覚める、という映画。メジャー・デビューの時の髪型をストリッドが作ったという挿話。


⑦THE BEETLESと綴られたことはなんどもある
"I Wanna Hold Your Hand" (1978)
1978年アメリカ映画。舞台は1964年のアメリカ。アメリカ人のおっかけ女性3人が主人公でビートルズは足元とかの間接映像しか出ないというコメディ。たしか小林信彦さんが褒めていたような記憶があります。映画の出来はさておき着眼点が面白いです。

⑧事実の断片をつなぎ合わせると、それはひとつの美しいフィクションになる
"Nowhere Boy" (2009)
ジョン・レノンがビートルズの前身ザ・クオリーメンを結成するまでの物語。目次は片岡さんの言葉。P67
「事実の断片をいくつもつなぎ合わせると、そこに生まれるのはひとつの美しいフィクションである、と教えてくれる映画だ。」

⑨ジャッキー・デシャノンと飛行機のなかでモノポリー
"Beatles Stories" (2011)
ビートルズとなんらかの形でかかわった人々へのインタビュー集。政策は1960年生まれのアメリカ人歌手、セス・スワースキー。

A big fan of The Beatles growing up in the 60s, Seth Swirsky noticed that whenever he heard someone relating a story about themselves and The Beatles, he was "all ears". So, starting in 2005, he sought out and filmed those with never before heard, "Beatles Stories".

Mike Pope

⑩Please don't write anymore.
"Good Ol' Freda" (2013)
日本語タイトル『愛しのフリーダ』。1962年から1972年までエプスタインの秘書だった女性の回顧録。編集に関わっていたファンクラブの会報にフリーダが最後に書いた言葉を片岡さんが引用。


<感想のようなもの>

片岡さんはビートルズの主演音楽映画には興味がなくて、ビートルズ出現前後の社会現象に興味があったようです。エルヴィス・プレスリーが登場した時のような衝撃はなかったという断定が新鮮でした。

DVDでは『エド・サリヴァン・ショー』の4回分の映像の解説が秀逸。このDVDでは当時のテレビ・コマーシャルまで完全に採録されており、片岡さんのCM解説はまるで考古学者のようです。(まあ60年前の話なので当然でしょうか)。

P22
Something for everybody.というこの番組の方針を、ザ・ビートルズはきれに体現している。スティーヴやシーラの歌に喜んで拍手する人たちがいれば、ザ・ビートルズの演奏と歌に拍手する人たちもいる。どの人たちも、この生番組を客席で見ている観客たちだ。Something for everybody.を日本語で言うなら、ご家族みんなで楽しめる、とでもなるだろう。ご家族みんとは、保守の見本ではないか。そのような雰囲気を出せ、と番組のほうがザ・ビートルズに強く求めたのではない。ザ・ビートルズが番組の雰囲気に自分たちを無理して合わせたのでもない。パラーフォンからデビューしてアメリカ公演にいたるまでのザ・ビートルズは、そもそもこのような中道的な雰囲気を持っていた。彼らはそのような人たちだった。


<蛇足>

執筆とタイミングが合わなかったのかも知れませんが、ビートルズのいない世界にスリップする売れないミュージシャンを描いた佳作 "Yesterday"(2019)も加えてほしかったです。この映画ではビートルズの楽曲がすでにパブリック・ドメインであることを主張していて面白かったです。

[積読立読斜読]『徒然草 無常観を超えた魅力』(川平敏文著、中公新書、2020年) 第1章 「づれづれ」とは何か



スローリーディング中の中公新書『徒然草』(川平敏文著、2020年)。本日は「第1章 「づれづれ」とは何か」を読みました。残りは『徒然草』の概要を述べた「序段」を残すのみです。

第1章では序段の「つれづれ」に注目し、近世から17世紀にかけての解釈の変遷が書かれています。

現代では「つれづれ」=「退屈」が一般的解釈ですが、近世では「寂寥」の解釈が最初だったそうです。


第1章 「づれづれ」とは何か

1 「退屈」と「寂寥」のあいだ ― 序段を掘り下げる

現代の注釈書では『徒然草』は「退屈」な折に書かれた随筆というイメージ
ドナルド・キーン訳の英訳本 "Essays in Idleness"

17世紀の注釈書ではすべて「つれづれ」=「寂寥」という解釈をとっている


P44
新版『新編日本古典文学全集』の検索結果
(平安~室町時代の文芸作品の「つれづれ」用例)

(A)行為の欠如感―退屈

(B)存在の欠如感―寂寥

(C)思考の停止・逡巡―煩悶

(B)と(C)の用例が多い


P50
序段「つれづれ」の類型
『徒然草』には序段も含め8例ある

著者の見解
単純な「退屈」のニュアンスではない。「寂寥」や「煩悶」のニュアンスを含み込んだもの


2 「寂寥の境地」という理想―17世紀の読者たち

P57
第75段に注目

つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ。

「「づれづれ」をつれいという人は、いったいどんな気持ちなのだろう。何かに邪魔されることもなく、たった一人でひることは良いことではないか」


「孤独の楽しみ」を日本文学史上初めて、ポジティブに提案した嚆矢(ただし天邪鬼的な意見)

この75段の解釈が序段にも適用されるミスリードが起こった(林羅漢)


P61
加藤磐斎『盤斎抄』で最初の「寂寞の境地」説


17世紀には禅宗の「静」の思想が流行
さらに朱子学の影響も加わる
煩悩の存在をある意味仕方ない、それをどう制御するかという方法を模索する

『徒然草』の「静」の思想は基本的に仏教思想だが、17世紀の注釈者は朱子学の影響を受けた「静」の思想で『徒然草』を再解釈しようとした


P73
「つれづれ」には「徒然」を宛てるが本来は別の意味