仕事を止めて本当に老後生活に入ったら、何も持たない禅的な生活に興味があり、旧刊ですが購入してみました。
著者は、多少放浪癖があったとはいえ普通のサラリーマン。なぜか一念発起、厳しい修行で知られる禅宗の永平寺へ。実社会ならパワハラで即訴えられそうな暴力ざたの先輩雲水からの指導に耐え、1年間の修行を無事終えた著者の回顧録。
現在は著者はまた勤め人のようです。文章が卓越しており、厳しさの中にも諧謔あり、一冊だけの出版ではあまりにも惜しい逸材です。
禅的なあこがれはあまりにも理不尽な修行内容で、早々にあきらめました。
P183
修行とは本来そんなものである。たとえ時を経て位が上がったり、歳を重ねたとしても、それによって特別な待遇が与えられるものではない。修行とは、どこかへ向かうための段階ではなく、生きているその瞬間瞬間の、自分のあり方そのものなのである。
過去に「禅的なもの」として、「応量器」と「トートバッグ≒頭陀袋」を投稿してます。
2020年4月2日木曜日
2020年2月29日土曜日
<内容紹介>
その日、僕は出家した。彼女と社会を捨てて――。
雲水として修行した一年を描く体験記。
その日、僕は出家した、彼女と社会を捨てて――。道元が開いた曹洞宗の本山・永平寺。ひとたび山門を潜れば、そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。新入りは、古参僧侶に罵倒され、規矩を徹底的に叩き込まれる。さらに坐禅に日々打ち込んだ末、30歳の著者が会得したものはなにか? 雲水として修行した一年を描いた体験的ノンフィクション。
<著者プロフィール>
野々村馨
1959(昭和34)年、神奈川県生れ。在学中から中国、チベットなどアジア各国を旅した。卒業後、デザイン事務所に勤務するが、30歳の時、突然出家し、曹洞宗大本山・永平寺に上山、雲水として1年の修行生活をおくる。その後、再びデザイン事務所に勤務し、その通勤の行き帰り、電車の中で修行記を執筆し始める……。
新潮文庫のサイトより
