3月19日の艦載機による空襲は、4月1日に予定されていた沖縄上陸への布石で、日本海軍の残存艦隊への攻撃が主体でした。
広義には3月18日から3月20日かけて「九州沖航空戦」と定義され、空母12隻1400機の艦載機による、九州・四国・和歌山各地への空襲の一部です。
呉軍港空襲
呉軍港空襲(くれぐんこうくうしゅう)は、太平洋戦争中、1945年の3月19日、7月24日、7月25日、7月28日、7月29日など複数回に渡って行われたアメリカ海軍を中心とした連合国軍空母機動部隊航空隊、及び、沖縄伊江島のアメリカ陸軍航空軍による呉軍港および瀬戸内海西部への空襲作戦。なお、この空襲とは別に、1945年5月5日に隣接地域にある広工廠空襲、6月22日に軍港内の呉工廠造兵部空襲、呉市街地が7月1日深夜から2日未明にかけて戦略爆撃(呉市街空襲)を受けている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
九州沖航空戦
翌3月19日には、米機動部隊の一部は高知県の室戸岬のおよそ80キロ沖にまで接近した。艦上機部隊は主に瀬戸内海を空襲し、呉の軍港に停泊中の日本の水上艦艇の一部を攻撃。軽巡洋艦大淀が中破、空母天城、龍鳳及び戦艦榛名、日向、巡洋艦利根が小破するなどの被害が出た。
これに対し日本軍は、特攻隊を交えた出動可能な全航空兵力をもって激しく反撃。室戸岬に最も近づいていた空母フランクリンとワスプを大破させた。空母フランクリンでは戦死者が832名にも及んだ。フランクリンへの攻撃は、第762海軍航空隊の攻撃第406飛行隊に所属の銀河1機の急降下爆撃によるものである。フランクリンは懸命の応急処置により辛うじて沈没だけは免れたが、甚大な被害状況のため米本土に帰還し、終戦まで戦線を離脱した。他の空母1隻も、しばらく戦線を離脱した。
F6F (航空機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
F6F ヘルキャット(Grumman F6F Hellcat)は、アメリカ合衆国のグラマン社が開発しアメリカ海軍が第二次世界大戦中盤以降に使用した艦上戦闘機である。
ゼロ戦との比較
同じ艦上戦闘機でありながら限られた出力の発動機で最大限の性能を発揮するため徹底的に軽量化し、パイロット個人の技量を活かした格闘戦を仕掛ける零戦に対し、大出力の発動機による余裕を防御性能に配分して生存性を確保しつつ、無線で連携し戦術的に戦うF6Fは正反対の性格をもつ戦闘機であり、日米の戦闘機設計に対する思想の差を象徴しているとも言える。



