短編を続けて読むのはしんどいので一編ずつ読んでます。
今回は宇野浩二の「屋根裏の法学士」(1918)を読みました。編者ジェイ・ルービンさんのカテゴリーでは「近代的生活・その他ナンセンス」に編入されています。宇野浩二は名前は知っていましたが、作品を読んだのはたぶん初めてです。
序文を書いた村上春樹さんは日本の私小説が苦手でこう書いています。
P9
ジャズ・ドラマーのバディー・リッチが入院したとき、受付の看護婦に「なにかアレルギーはおありですか?」と訊かれて「カントリー&ウェスタン音楽」と答えたという話を聞いたことがあるが、僕の場合のそれはどうやら「私小説」ということになりそうだ。
「屋根裏の法学士」(1918)は宇野浩二のキャリアの初期の頃の作品。法科大学を出たもののちゃんとした職に就かず日がな下宿に寝転んで界隈の通行人を眺めて夢想している男を、諧謔的な筆致で描いた短編です。
村上春樹さんはどうも苦手だったようで、下記解説の一部です。
P27
夏目漱石『それから』の中で描いたのは「高等遊民」の姿だが、この主人公はどう転んでも「高等」とは言い難い。下宿の押し入れに日がな寝転んで、頭の中で夢を描き、自分を評価してくれない世の中を見下ろしているばかりだ。自虐的私小説なのか、それとも風刺的ユーモア小説なのか、見定めがたいところがある。「でも、こういう人間って今でもいっぱいいますよ」と言われたらそれまでだけと…。
ちなみにこの作品が書かれた1918年は富山県の米騒動の年ですが、短編中政治的な記述は一切ありません。
宇野浩二 1891‐1961(明治24‐昭和36)
うのこうじ
小説家。福岡県に生まれ,大阪で育った。本名格次郎。天王寺中学より早大英文科に進み中退。育った大阪の南区宗右衛門町の花柳界近辺への追憶をもちつづけた。1913年刊の処女作品集《清二郎 夢見る子》にはすでに宇野文学特有の夢と詩の合奏が見られる。翌年,永瀬義郎,鍋井克之らのはじめた美術劇場にも協力。19年には,終世の友広津和郎の紹介で《蔵の中》を《文章世界》に発表し,さらに《苦の世界》,《子を貸し屋》(1923)などにより大正文学の中心作家となる。饒舌体の文章で物語るユーモアとペーソスを基調とした作風であった。《軍港行進曲》(1927)発表後,精神異常に陥るが,やがて回復,大阪の画家小出絃重とのかかわりを軸にした《枯木のある風景》(1933)により文壇に復帰,作風も叙述体に変わり,《枯野の夢》《子の来歴》(ともに1933),《器用貧乏》などを発表,戦後の代表作は《思ひ川》(1948)である。随筆的評論も巧妙で《芥川竜之介》は力作。《文学的散歩》《文学の三十年》など回想的文学も多い。松川事件にさいしては広津和郎に呼応して《世にも不思議な物語》(1953)を書いた。文学への執念を最後までもちつづけた文学の鬼的存在といえよう。その周辺より渋川驍(ぎよう),水上勉らが育った。 紅野 敏郎
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蔵の中
くらのなか
宇野浩二の短編小説。1919年(大正8)4月《文章世界》に発表。同年12月,聚英閣より刊行。売れない貧乏な小説家で,着物道楽の山路が中心人物。これは近松秋江(ちかまつしゆうこう)の挿話をもとにして書かれたといわれているが,宇野浩二流のとぼけたおかしみも横困している。金に窮して着物を質屋に運んだが,騒がしい下宿をのがれたいため,自分の質入れした着物の虫干しを思いつき,交渉の結果,質屋の二階で虫干しをしながら蒲団を敷いて寝ころび,女道楽の思い出にふける。そこに別れたヒステリーの先妻のことや,質屋の主人の妹の話がからまる。説話体の大阪落語的な筆致だが,その底にペーソスにみちた庶民感情の起伏があり,宇野の出世作となる。単行本《蔵の中》には序にかえて《近松秋江論》を付載。
紅野 敏郎
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