2014年に『イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む』(宮本常一、講談社学術文庫、2014年)を読んだときに中島京子さんの著作も知っていたのですが、のびのびになってました。
本作品も痛快無比。イザベラ・バードの旅自体も時代背景から見ると大変興味深いのですが、それだけを題材にしても小説的な深みに欠けるところを、通訳を務めた「イトウ」という日本人側からの視点でイザベラ・バードの旅を再構築する着想がお見事。
本文中に本作の着想を得たと思しき記述があります。
P129
(劇画雑誌の編集者、菅原)
「僕、あのあと、文庫の『秘境』を買って読んでみたんですけど、これじたいは、劇画的になんのつかみもないんで、だめだと思いました」「はあ」「でも主人公をこのイトウとう男と考えてみると、なんだかいけそうな気がしてきたんです。」
P256
(中学校の文化祭、郷土部展示解説)
彼の体験したことは、当時のこの国では他のいかなる人間も体験しえなかったものだと僕は思います。「文明」が「開花」するかしないかというようなころ。「近代化の波」が列島を覆いつくす以前。必死で「新政府」が「欧化」を進め、裸同然の恰好は野蛮であるとして着物の着用が義務付けられ、歩き方が矯正され、近代の枠組みの中にそれ以前の混沌が成型されようとしていたところです。
(中略)近代以前とその曙光のあわいのような場所で、イトウはまるで時空の次元を超えたような出遭いをしました。(中略)これがほんの少しでも、これより前に起こることはなく、わずか少しでも、これより遅れて起こることはないと思うからです。わずか前なら、逓信制度も街道ごとの馬のシステムも整わず、I・Bが旅行するなど不可能ですし、少し後には旅行産業が発達して、一人の旅人が一人の従者だけを連れて奥地を旅するというスタイルがとられなくなるからです。
時空の次元を超えた出遭い、と書いたのは、そういう特別の時間にめぐり合ったにもかかわらず、いえ、そうであったからこそ、というべきでしょうか。二人の出遭いが、時代にも国境にも邪魔されずに、ひたすら純粋なものでありえたということです。一人の人間が、もう一人の人間と、出遭うことの本質を、僕は二人の邂逅に見るように思います。
三流私立中学のさえない中年教師、久保耕平は郷土部の顧問。実は鎌倉の旧家の生まれで休み中に鎌倉の実家の倉庫から曽祖父の遺品の中から開国黎明期の日本を旅行したイギリス人女性の通詞をつとめた「イトウ」という男性の手記だった。手記は後半部分が欠落しており、他の遺品から「イトウ」の子孫である劇作家のシゲル(独身女性)と連絡を取りながら、欠落した手記の探訪が始まります。
さえない中年教師とか、ちょっと世間と波長がずれているモデル出身で長身の劇画作家の田中シゲル(女性)の人物造形が秀逸で、なぜかこの二人が淡い恋愛関係に堕ち、時空を超えてI・Bとイトウの恋(長身と短躯という比喩なのでしょう)。
いつもながらどんでん返しの大団円も用意されていました。
<講談社文庫の内容紹介>
「私とあなたはまた旅に出ましょう」
日本が西洋と出会ったばかりの時代の、切ない恋の物語。
「文学史上屈指の「通訳文学」の誕生である。」――鴻巣友季子
維新後間もない日本の奥地を旅する英国女性を通訳として導いた青年イトウは、諍いを繰り返しながらも親子ほど年上の彼女に惹かれていく――。イトウの手記を発見し、文学的背景もかけ離れた二人の恋の行末を見届けたい新米教師の久保耕平と、イトウの孫の娘にあたる劇画原作者の田中シゲルの思いは……。
<モデルとなったI・Bこと、イザベラ・バードの紹介>
イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird・1831~1904)。英国ヨークシャー生まれの女性旅行家、紀行作家。
46歳だった1878(明治11)年の6月から9月にかけて、東京から日光、新潟を抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した。また、10月から12月にかけては神戸・京都・伊勢・大阪を訪ねている。
1880年、日本での体験を『Unbeaten Tracks in Japan』(全2巻)にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻が関西方面の記録。1885年、第2巻と一部を省略した普及版を出版。明治期の外来人の視点を通した日本を知る貴重な文献であり、特にアイヌの生活ぶりや風俗については、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況をつまびらかに紹介したほぼ唯一の文献とされる。
http://gogonyanta.jugem.jp/?eid=2788より
<モデルとなった伊藤鶴吉の紹介>
伊藤鶴吉(1857(安政4)年~1913(大正2)年)
。亡くなったときには"通訳の名人"や"通弁の元勲"と新聞で報じられたようです。
イザベラ・バードの旅行記には伊藤の第一印象が描かれています。
"彼は、年はただの18だったが、これは、私たちの23か24に相当する。背の高さは4フィート10インチ(147cm)にすぎなかったが、がにまたでも均整がとれて、強壮に見えた。顔は丸くて異常に平べったく、歯は良いが、眼はぐっと長く、瞼が重くたれていて、日本人の一般的特徴を滑稽化しているほどに思えた。私はこれほど愚鈍に見える日本人を見たことがない。しかし、ときどきすばやく盗み見するところから考えると、彼が鈍感であるというのは、こちらの勝手な想像かも知れない"
9月14日に函館で彼女が伊藤と別れるときの記述。
"とうとう今日は伊藤と別れたが、大変残念であった。彼は私に忠実に仕えてくれた。彼を通して私は、たいていの話題なら、他のいかなる外国人よりもずっと多くの情報を得ることができた。彼は、いつものように私の荷物をつめる、と言ってどうしてもきかず、私の身の回りの品物をすべてきちんと片付けてくれたのだが、彼がいないと、もうすでに私は困ってしまっている。彼の利口さは驚くべきものがある。彼は男らしい立派な主人のところに行く。あの人ならきっと彼に良き模範を示し、彼を立派な人間にするのに役立つであろう。それは私にとっても満足なことである。伊藤は去る前に、私に代わって室蘭の長官宛に一通の手紙を書いてくれた。人力車の使用その他の私に親切にしてくれたことに対する礼状である"
http://gogonyanta.jugem.jp/?eid=2788より
<『日本奥地紀行』の紹介>
2014年5月5日月曜日
[積読立読斜読] 『イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む』(宮本常一、講談社学術文庫、2014年)
https://28minami-owaki.blogspot.com/2014/05/blog-post_5.html
<講談社学術文庫の紹介>
『イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む』(宮本常一著、講談社学術文庫、2014年)
日本観光文化研究所所長時代に毎月行われた講義のうち、昭和51年9月から52年3月まで全7回の『日本奥地紀行』の講義録。講義は幕末・明治期の紀行文を通して民衆社会や世相史を読むというもの。一英国人女性旅行家が目をとめた不思議な国「日本」の事象をきっかけに、その資料的価値、バードの視点の出色さを指摘するにとどまらず、著者自身の比類ない観察眼と聞き取り調査に裏打ちされた該博な見識も、圧倒的説得力を持って縦横無尽に紡ぎ出され、宮本民俗学の入門書ともなっている。


