2021年12月3日金曜日

[惹句どんどん] 田山花袋(明治・大正の小説家)

 



毎日掃いても落葉がたまる。

これが取りも直さず

人生である。


コンビニエンスストアにあったフリーペーパーに載ってました。

この季節、掃除をしていると落葉がたしかに多いです。



田山花袋  1871‐1930(明治4‐昭和5)(たやまかたい) 

作家。群馬県生れ。本名録弥。父濃十郎は館林藩の下級藩士であったが,維新後東京に出て警視庁の巡査になり,西南戦争で戦死,一家は館林に帰り,花袋は一時,東京京橋南伝馬町の有隣書店の丁稚になった。1886年兄の実弥登が修史局の書記になったのを機に,一家をあげて東京牛込富久町に移り住んだ。旧館林藩士で当時大学予備門学生であった野島金八郎から英語を学び,西洋文学に関心を持つようになった。

小学校時代から《穎才(えいさい)新誌》に漢詩文を投稿していたが,兄の世話で桂園派の歌人松浦辰男(萩坪)の指導をうけ,松浦主宰の〈紅葉会〉で松岡(柳田)国男と知り合った。91年尾崎紅葉に近づき,江見水蔭の成春社に入り,《千紫万紅》に《瓜畑》などを発表,94年《文学界》の同人となり,島崎藤村と交わるようになった。96年の末,親しくなった国木田独歩らと民友社から《抒情詩》を出し,99年太田玉茗の妹里さと結婚し,また紀行文《南船北馬》を刊行,大橋乙羽の世話で博文館に入社した。1900年から週刊《太平洋》に関係し,ゾラをはじめ外国作家の研究,紹介につとめ,02年には《重右衛門の最後》を発表して注目された。04年《露骨なる描写》を書き,日露戦争に従軍,客観的な傍観者的態度の上に立つ〈平面描写〉を打ち出した。

06年《文章世界》創刊によりその主事となる。翌年発表した,女弟子とのことを暴露した《蒲団(ふとん)》は自然主義文学を確立した作とされる。その後,《生》《妻》《縁》の三部作を発表,09年には《田舎教師》を書き世人の心をとらえた。12年博文館退社後,40歳の峠を意識し,ユイスマンスを経て仏教に入り《時は過ぎゆく》《一兵卒の銃殺》などを書いた。17年には書きおろしの回想集《東京の三十年》を刊行し,18年には諦念の影を落とす《残雪》をまとめた。20年《文章世界》終刊後は歴史小説に心境を託し,《源義朝》などを書いた。一方,11年の《髪》以来愛欲の問題を追求,27年の象徴的な長編《百夜(ももよ)》はその到達点である。                   小林 一郎

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