大川裕弘さんの写真で谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』スローリーディング中。
大川さんの写真が素晴らしいので、6回にわけて投稿します。
テキストは青空文庫からお借りしました。
五
紙と云うものは支那人の発明であると聞くが、われ/\は西洋紙に対すると、単なる実用品と云う以外に何の感じも起らないけれども、唐紙や和紙の肌理きめを見ると、そこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる。同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔かい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。そうして手ざわりがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。それは木の葉に触れているのと同じように物静かで、しっとりしている。ぜんたいわれ/\は、ピカピカ光るものを見ると心が落ち着かないのである。西洋人は食器などにも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いて、ピカピカ光る様に研みがき立てるが、われ/\はあゝ云う風に光るものを嫌う。われ/\の方でも、湯沸しや、杯や、銚子等に銀製のものを用いることはあるけれども、あゝ云う風に研き立てない。却って表面の光りが消えて、時代がつき、黒く焼けて来るのを喜ぶのであって、心得のない下女などが、折角さびの乗って来た銀の器をピカピカに研いたりして、主人に叱られることがあるのは、何処の家庭でも起る事件である。近来、支那料理の食器は一般に錫製のものが使われているが、恐らく支那人はあれが古色を帯びて来るのを愛するのであろう。新しい時はアルミニュームに似た、あまり感じのいゝものではないが、支那人が使うとあゝ云う風に時代をつけ、雅味のあるものにしてしまわなければ承知しない。そしてあの表面に詩の文句などが彫ってあるのも、肌が黒ずんで来るに従い、しっくりと似合うようになる。つまり支那人の手にかゝると、薄ッぺらでピカピカする錫と云う軽金属が、朱泥のように深みのある、沈んだ、重々しいものになるのである。支那人はまた玉ぎょくと云う石を愛するが、あの、妙に薄濁りのした、幾百年もの古い空気が一つに凝結したような、奥の奥の方までどろんとした鈍い光りを含む石のかたまりに魅力を感ずるのは、われ/\東洋人だけではないであろうか。ルビーやエメラルドのような色彩があるのでもなければ、金剛石のような輝きがあるのでもないあゝ云う石の何処に愛着を覚えるのか、私たちにもよく分らないが、しかしあのどんよりした肌を見ると、いかにも支那の石らしい気がし、長い過去を持つ支那文明の滓おりがあの厚みのある濁りの中に堆積しているように思われ、支那人があゝ云う色沢や物質を嗜好するのに不思議はないと云うことだけは、頷ける。水晶などにしても、近頃は智利チリから沢山輸入されるが、日本の水晶に比べると、智利チリのはあまりきれいに透きとおり過ぎている。昔からある甲州産の水晶と云うものは、透明の中にも、全体にほんのりとした曇りがあって、もっと重々しい感じがするし、草入り水晶などと云って、奥の方に不透明な固形物の混入しているのを、寧ろわれ/\は喜ぶのである。ガラスでさえも、支那人の手に成った乾隆グラスと云うものは、ガラスと云うよりも玉ぎょくか瑪瑙めのうに近いではないか。玻璃を製造する術は早くから東洋にも知られていながら、それが西洋のように発達せずに終り、陶器の方が進歩したのは、よほどわれ/\の国民性に関係する所があるに違いない。われ/\は一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳かげりのあるものを好む。それは天然の石であろうと、人工の器物であろうと、必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光りなのである。尤も時代のつやなどと云うとよく聞えるが、実を云えば手垢の光りである。支那に「手沢」と云う言葉があり、日本に「なれ」と云う言葉があるのは、長い年月の間に、人の手が触って、一つ所をつる/\撫でているうちに、自然と脂が沁み込んで来るようになる、そのつやを云うのだろうから、云い換えれば手垢に違いない。して見れば、「風流は寒きもの」であると同時に、「むさきものなり」と云う警句も成り立つ。とにかくわれ/\の喜ぶ「雅致」と云うものの中には幾分の不潔、かつ非衛生的分子があることは否まれない。西洋人は垢を根こそぎ発き立てて取り除こうとするのに反し、東洋人はそれを大切に保存して、そのまゝ美化する、と、まあ負け惜しみを云えば云うところだが、因果なことに、われ/\は人間の垢や油煙や風雨のよごれが附いたもの、乃至はそれを想い出させるような色あいや光沢を愛し、そう云う建物や器物の中に住んでいると、奇妙に心が和やいで来、神経が安まる。それで私はいつも思うのだが、病院の壁の色や手術服や医療機械なんかも、日本人を相手にする以上、あゝピカピカするものや真っ白なものばかり並べないで、もう少し暗く、柔かみを附けたらどうであろう。もしあの壁が砂壁か何かで、日本座敷の畳の上に臥ねながら治療を受けるのであったら、患者の興奮が静まることは確かである。われ/\が歯医者へ行くのを嫌うのは、一つにはがり/\と云う音響にも因るが、一つにはガラスや金属製のピカピカする物が多過ぎるので、それに怯えるせいもある。私は神経衰弱の激しかった時分、最新式の設備を誇るアメリカ帰りの歯医者と聞くと、却って恐毛をふるったものだった。そして田舎の小都会などにある、昔風の日本家屋に手術室を設けた、時代後れのしたような歯医者の所へ好んで出かけた。そうかと云って、古色を帯びた医療機械なんかも困ることは困るが、もし近代の医術が日本で成長したのであったら、病人を扱う設備や機械も、何とか日本座敷に調和するように考案されていたであろう。これもわれ/\が借り物のために損をしている一つの例である。
六
京都に「わらんじや」と云う有名な料理屋があって、こゝの家では近頃まで客間に電燈をともさず、古風な燭台を使うのが名物になっていたが、ことしの春、久しぶりで行ってみると、いつの間にか行燈式の電燈を使うようになっている。いつからこうしたのかと聞くと、去年からこれにいたしました。蝋燭の灯ではあまり暗すぎると仰っしゃるお客様が多いものでござりますから、拠んどころなくこう云う風に致しましたが、やはり昔のまゝの方がよいと仰っしゃるお方には、燭台を持って参りますと云う。で、折角それを楽しみにして来たのであるから、燭台に替えて貰ったが、その時私が感じたのは、日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。「わらんじや」の座敷と云うのは四畳半ぐらいの小じんまりした茶席であって、床柱や天井なども黒光りに光っているから、行燈式の電燈でも勿論暗い感じがする。が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆら/\とまたゝく蔭にある膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。そしてわれ/\の祖先がうるしと云う塗料を見出し、それを塗った器物の色沢に愛着を覚えたことの偶然でないのを知るのである。友人サバルワル君の話に、印度では現在でも食器に陶器を使うことを卑しみ、多くは塗り物を用いると云う。われ/\はその反対に、茶事とか、儀式とかの場合でなければ、膳と吸い物椀の外は殆ど陶器ばかりを用い、漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされてしまっているが、それは一つには、採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせいではないであろうか。事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。今日では白漆と云うようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。派手な蒔絵まきえなどを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。古えの工藝家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を画く時は、必ずそう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光りの中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび出る工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。つまり金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろ/\の部分がとき/″\少しずつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ餘情を催すのである。そして、あのピカピカ光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもおり/\風のおとずれのあることを教えて、そゞろに人を瞑想に誘い込む。もしあの陰鬱な室内に漆器と云うものがなかったなら、蝋燭や燈明の醸し出す怪しい光りの夢の世界が、その灯のはためきが打っている夜の脈搏が、どんなに魅力を減殺されることであろう。まことにそれは、畳の上に幾すじもの小川が流れ、池水が湛えられている如く、一つの灯影を此処彼処に捉えて、細く、かそけく、ちら/\と伝えながら、夜そのものに蒔絵をしたような綾を織り出す。けだし食器としては陶器も悪くないけれども、陶器には漆器のような陰翳がなく、深みがない。陶器は手に触れると重く冷たく、しかも熱を伝えることが早いので熱い物を盛るのに不便であり、その上カチカチと云う音がするが、漆器は手ざわりが軽く、柔かで、耳につく程の音を立てない。私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたゝかい温味ぬくみとを何よりも好む。それは生れたての赤ん坊のぷよ/\した肉体を支えたような感じでもある。吸い物椀に今も塗り物が用いられるのは全く理由のあることであって、陶器の容れ物ではあゝは行かない。第一、蓋を取った時に、陶器では中にある汁の身や色合いが皆見えてしまう。漆器の椀のいゝことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁ふちがほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつゝあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口に啣ふくむ前にぼんやり味わいを豫覚する。その瞬間の心持、スープを浅い白ちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べて何と云う相違か。それは一種の神秘であり、禅味であるとも云えなくはない。
七
私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつゝこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。茶人が湯のたぎるおとに尾上の松風を連想しながら無我の境に入ると云うのも、恐らくそれに似た心持なのであろう。日本の料理は食うものでなくて見るものだと云われるが、こう云う場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云おう。そうしてそれは、闇にまたゝく蝋燭の灯と漆の器とが合奏する無言の音楽の作用なのである。かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹ようかんの色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉ぎょくのように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。けだし料理の色あいは何処の国でも食器の色や壁の色と調和するように工夫されているのであろうが、日本料理は明るい所で白ッちゃけた器で食べては慥かに食慾が半減する。たとえばわれ/\が毎朝たべる赤味噌の汁なども、あの色を考えると、昔の薄暗い家の中で発達したものであることが分る。私は或る茶会に呼ばれて味噌汁を出されたことがあったが、いつもは何でもなくたべていたあのどろ/\の赤土色をした汁が、覚束ない蝋燭のあかりの下で、黒うるしの椀に澱んでいるのを見ると、実に深みのある、うまそうな色をしているのであった。その外醤油などにしても、上方では刺身や漬物やおひたしには濃い口の「たまり」を使うが、あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み、闇と調和することか。また白味噌や、豆腐や、蒲鉾や、とろゝ汁や、白身の刺身や、あゝ云う白い肌のものも、周囲を明るくしたのでは色が引き立たない。第一飯にしてからが、ぴか/\光る黒塗りの飯櫃めしびつに入れられて、暗い所に置かれている方が、見ても美しく、食慾をも刺戟する。あの、炊きたての真っ白な飯が、ぱっと蓋を取った下から煖かそうな湯気を吐きながら黒い器に盛り上って、一と粒一と粒真珠のようにかゞやいているのを見る時、日本人なら誰しも米の飯の有難さを感じるであろう。かく考えて来ると、われ/\の料理が常に陰翳を基調とし、闇と云うものと切っても切れない関係にあることを知るのである。




















