旧刊ですがレクトにある蔦屋書店で食の本を集めた平台にあり、表紙が非常にシンプルで逆に目につき購入してみました。(ナチュラルホワイトのファンシーペーペーだそうで、お堅いみすず書房からというのも知的スノッブの心を揺さぶります)。
料理に関する本ですが、カラー写真はなく、ひたすら料理本と、時にはその料理本のレシピを自分で作った、あるいは作ってきた自分史のような、料理本に関する批評集、という切り口が新鮮でした。オリジナルはみすず書房のPR雑誌『月刊みすず』に2016年10月号から2年間連載したものを加筆したものだそうです。
著者の本職は大学の教壇に立つ映画研究者。それがなぜ食についてというもっともな疑問は、大学院時代に料理を始めたことがきっかけで、映画と同じ、創作への関心から、食に目覚めたそうで「色んな料理本を読み、未知のメソッドを試す楽しい時間でした。他者の生き方や生活の様相を事細かに示すのが映画の魅力なら、それは食や料理本にも言えることなのです」とは本人談。目を通したのは約500冊だそうで、全体は3章の構成。
第1章は、自分自身の来歴、料理を通じた自分史。第2章が料理研究者の作家論。第3章が料理に限らず大きな視野から食文化や環境についての考察となっています。意外なところで2章の作家論に丸元淑生の名があったことで、このカルトな料理研究家(本業は小説家)にも一時当方が傾倒していたこともあり、懐かしかったです。(著者の入れ込みようもカルトで尋常ではない)。
総じて料理研究家の表す文章には名文が多いようです。手際よく料理の手順を説明する必要があるため達意の文書が自然と書けるようになるのではと推測していますが、この著者の料理本を料理する文章も非常に明快で唸りました。たとえばこの一節。
肉ならば肉を、パンではさみ、覆い隠す。それはある意味では擬態である。頭では、もちろん、それがたかだか肉をパンではさんだものにすぎないことがわかっている。けれども、唇と舌は最初にパンと触れるから、パンに対してなされる強い加減の、あむっという噛みしめる動きが反射的に起こり、すると、ふだんよりも深く、歯は肉に突き刺さってゆく。そのあとも、口の中に留まるパンのかけらの感触によって、噛みしめる動きが弱まることはない。だから、具材の風味がいつもよりも奥深くから引き出される。そのとき生まれている「差」が、驚きをもたらす。おそらく、ここで私たちは、無意識の営みであるところの「噛み」、「飲み下す」という習慣の在りようまでも、再発見することになるのではないか(「16 サンドイッチ考」)
かつて自らも「食通」ジャンルの秀逸な随筆を書いた丸谷才一は日本の三大料理随筆として、『食は広州にあり』(邱 永漢、解説は丸谷才一)、『檀流クッキング』(檀一雄)、『私の食物誌』(吉田健一)を挙げましたが、本書を新ジャンルの料理本批評の秀逸な一冊として推薦します。
<出版社からの内容紹介>
美味い料理、美味い酒には目がない気鋭の映画批評家が、料理本や料理エッセイを批評的に読む。食の素材、味、調理法、さらには食文化のあり方をめぐる、驚きと発見に満ちた考察。丸元淑生、有元葉子、辰巳芳子、高山なおみ、細川亜衣、ケンタロウ、小泉武夫、冷水希三子、奥田政行、勝見洋一……。その根底に流れるのは、「料理を作る・食べる・もてなす」ことに人生を捧げてきた人びとへのオマージュだ。「料理本批評」という、かつてないユニークな試みであり、もちろん本書も「食べたくなる本」である。
https://www.msz.co.jp/book/detail/08781/
<著者プロフィール>
みうらてつや/1976年、福島県郡山市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了。専門は映画批評・研究。著書『サスペンス映画史』『映画とは何か』『『ハッピーアワー』論』、訳書『ジム・ジャームッシュ・インタビューズ』。
https://bunshun.jp/articles/-/11560
