アメリカの読者や文芸評論家が、とくに七〇年代に、ブローティガンをビートニク文学の代表的な作家だといって、ほんの短期間もてはやしたあと、
いつのまにか塵芥(ごみ)収集のある月曜日に、
まるで古い帽子を生ごみといっしょに棄てるような態度で「処分」してしまった
(フランスの構造主義の評論家)シュヌティエは「ブローティガンの美学は不連続性のそれである」と書いている。
わたしにはおそらく「美学」ということばは使えないだろう。しかしアメリカの読者や文芸評論家が、とくに七〇年代に、ブローティガンをビートニク文学の代表的な作家だといって、ほんの短期間もてはやしたあと、いつのまにか塵芥(ごみ)収集のある月曜日に、まるで古い帽子を生ごみといっしょに棄てるような態度で「処分」してしまった事実と、ビートニクたちが踏みこまなかった、ずっと先にある場所へ、ブローティガンはひとりで歩き続けたことを考えてみたい。
新潮文庫版のあとがきより。
