2014年8月30日土曜日
[あの頃のレコード] The Band "The LAst Waltz"(1978) その(4)
The Band のライブ・アルバム"The Last Waltz"のお勉強です。キリがないので今回で終わりです。
これまでに(1)ゲスト・ミュージシャンの曲目、(2)ザ・バンドの曲目、(3)萩原健太さんの『レコード・コレクターズ』(2002年6月)への記事「『ラスト・ワルツ』が終わらせたものは何か?」(この記事は『ラスト・ワルツ』を取り巻くロック界の環境について)、を紹介しました。
今回は同じ『レコード・コレクターズ』(2002年6月号)より、宇田和弘さんの記事。時系列的に"The Last Waltz"が生まれた経緯を紹介してます。良い記事だと思います。
The Bandはバンド名そのものに、定冠詞"the"を含む、唯一無二のバンドです。
もともとは、アメリカの三流ロカビリー歌手、ロニー・ホーキンスのバック・バンドをやってましたが、縁あってオートバイ事故で休養中のボブ・ディランに誘われて、ニューヨークのウッドストックにあるピンク色の大きな家の地下室でセッションを始めます。このときは正式なバンド名がなかったので、近所の人から「あのバンド」と呼ばれていたので、他には思いつかず、"The Band"としたということです。
この回想は映画版の"The Last Waltz"でメンバーのリチャード・マニュエルが披露してます。この地下室からアルバム『The Basement Tapes (地下室)』と『Music From Big Pink』(1968)が生まれました。
アメリカのルーツ音楽を追い続けたザ・バンド。その職人的な技巧から、ボブ・ディラン、エリック・クラプトンが(日本からは吉田拓郎が)バックで演奏してもらいたかったバンド。
解散コンサートにノーギャラで、ロック・フェスを上回る質のミュージシャンを集めた、まさに「徳」のあるバンドでした。定冠詞がつくに相応しいバンドだと、今から振り返ってみて思います。
かっこ内「 」は雑誌からの直接引用です。
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1976年11月25日の真実
豪華ゲストを迎えてアメリカン・ロックの集大成を目指した一大プロジェクトの舞台裏
(宇田和弘)
『レコード・コレクターズ』(2002年6月号)より
ロバートソンの決断から生まれた計画(プロジェクト)
ザ・バンドの1976年のツアーは6月、カリフォルニア、パロアルトのスタンフォード大学野外劇場からスタート
1975年リリースの『南十字星』は力作であったが、セールスは伸びなかった
「アメリカン・ロック界の成熟のスピーディな円熟は、この歴史的なアメリカン・ロック・バンドのアイデンティティを、わずかながらも希薄にさせていた」
「メンバーにはツアーを続けることの重荷が徐々にのしかかった。ホークスの時代から数えると、それは16年前からのルーティーンだったのだ」
リチャード・マニュエルのアルコール依存症はライブの演奏に支障をきたし始めていた,
9月、マニュエルはモータボート事故を起こし、ザ・バンドは10日分の演奏をキャンセル
ロビー・ロバートソンはこの時期、演奏活動をやめてレコーディングのみを行うことを決意
唯一のアメリカ人(南部アーカンソー生まれ)のリヴォン・ヘルムは逆にツアーを続けたかった
ロバートソンは最後のコンサートを、ザ・バンドの活動を集約するようなイヴェントにしたい構想を持っていた
音楽仲間、グループの音楽の糧となった偉大な先人をゲストに呼ぶ
このコンサートはライブ・レコーディングされる
1976年11月25日、サンフランシスコのウィンターランド会場は、"The Last Waltz"の計画前からザ・バンドの公演用に予約されていたが、そのまま解散コンサート用に転用されることになった(チケットは7ドル50セントから25ドルに値上げされた、すでに申し込んでいた人は差額を支払った)
ゲストへの依頼は主にロバートソンが行った。必要経費以外はノーギャラだったが、そのほとんどから快諾を得た
「これはミュージシャンにとって、ザ・バンドがいかに特別な存在であるかの証明だった」
ザ・バンドはスタジオ兼住居として、LAのマリブ・ビーチにシャングリラ・スタジオを持っていた
9月から10月にかけて、自身の曲と、20数曲に及ぶゲストの曲のバックの演奏の練習、キャピトルの契約最後のアルバム『アイランズ』のレコーディングと忙しかった
10月の初め、ドキュメンタリー映画の撮影がきまった。ロバートソンとバンドのマネジメント・チームが他のメンバーの了解なしに話を進めた
ウィンターランドはプロデューサーでオーナーのビル・グレアムのディレクションで飾り付けられた
・サンフランシスコ歌劇場から借用したヴェルディのオペラ「椿姫」のセット
・20世紀フォックスから貸し出された「風とともに去りぬ」のシャンデリア、など
コンサートでの曲順は、オリジナルのライブ・アルバム、完全盤と称されたCD(2002年)、映画、それぞれ違い、完全に網羅した音源はない
登場順
The Band, The Band with guests, 休憩、The Band, The Band with Bob Dylan, All performers with Ringo Starr & Ron Wood,
The Band
The Band の演目4曲目、"Life is a Carnival"からホーン・セクションが参加(レコードではオーヴァー・ダビングでこの前の曲にも管楽器が入っている)
ゲストの曲は、ザ・バンドがリスペクトするアメリカ南部のルーツ音楽を辿れるように考えられていた
ニール・ヤング以降は、同じ出身地の「カナダ」でくくったもよう
レコードのアルバム"The Last Waltz"では、Side 6 がスタジオ録音になっている
新曲の「イヴァンジェリン」は練習不足で物足りない演奏となったのと、「ザ・ウェイト」はゲストを想定していたゴスペルの「ステイプルズ」がスケジュールの都合で参加できず、
スタジオ録音に回した(ザ・バンドの音楽的ルーツのうち、コンサートではカントリーとゴスペルが要素を欠いていたという意見もあり)
「1978年4月、『ラスト・ワルツ』の映画と3枚組LPがようやく登場したとき、それぞれのメンバーの心は”ザ・バンド”から、すでに遠く離れていた」
