2014年8月24日日曜日
[あの頃のレコード] The Band "The Last Waltz" (1978) その3
ザ・バンドの解散ライブアルバム『ザ・ラスト・ワルツ』(1978年発売)に関するメモです。
今回は雑誌『レコード・コレクターズ』の特集から。この特集はレコード音源になかった曲も加えた完全盤と銘打つCD4枚組の発売を期に組まれたようです。
1976年11月25日の解散コンサートの時期は、ザ・バンドも周りを取り巻くロック音楽業界も大きな曲がり角を迎えていたようです。
レコードのライナーノーツはリアルタイムな限られた情報しかないので、『ザ・ラスト・ワルツ』の魅力を理解するためには、どうしても後付で勉強する必要があります。
長くなるので何回かに分けて特集の記事を抜粋します。完全盤のCDや、映画のDVDについて語っているとキリがないので、本稿のタイトル通り、「レコード」に留めておきます。
『ラスト・ワルツ』が終わらせたものは何か? 萩原健太(抜粋)
(『レコード・コレクターズ』(2002年6月号より)
■ザ・バンドの日本での評価
60年代末~70年代初頭、洋楽アーティストの情報は少なかった。
ザ・バンドの魅力はグリール・マーカスの『ミステリー・トレイン』の抄訳が雑誌『ニューミュージック・マガジン』に連載された70年代半ばから。
■1970年代のザ・バンド
1975年のアルバム『南十字星』のプロモーションをめぐり発売元のキャピトルに失望、ザ・バンド(実際には中心メンバーのロビー・ロバートソン個人)は移籍をもくろんだ
すでに計画中だった『ラスト・ワルツ』のライブ音源の発売権利を手土産に、多額の契約金を提示するワーナー・ブラザーズへ移ろうとしていた
1977年、キャピトルとはもう1枚アルバム契約が残っていたので、寄せ集めの印象が強い『アイランド』が作られた
1978年3枚組ライブアルバム『ラスト・ワルツ』がワーナー・ブラザーズから発売
(ワーナーからはザ・バンド名義のスタジオアルバムは作成されなかった)
オリジナル・ザ・バンドの軌跡は、4人のカナダ人がひとりの米南部人とともにアメリカ音楽の深層へと分け入っていく旅だったと形容される。とともに、その日その日を楽しく歌って暮らせればOKの音楽バカ4人と、明日を見据えた上昇志向の強いひとりの策士(注:中心メンバーのロビー・ロバートソンを指す)による旅でもあった。そんな歪んだ人間模様がとびきり明解な形で表面化したのが、70年代半ば、”ラスト・ワルツ”開催前後のザ・バンドだった。
1976年の全米ツアー中。ロビー・ロバートソンに子供が生まれる。リチャード・マニュエルが船の事故で10回のコンサートを中止。ロビー・ロバートソンはツアー生活に終止符を打ち、家庭に落ち着きたいと考えるようになった。
ロビー・ロバートソンはザ・バンドのマネージメント・チームとともに(他のメンバーに相談なく)独断でザ・バンド最後のコンサートを立案した。
■ザ・バンドの軌跡と1970年代半ばの音楽界
ザ・バンドのメンバー5人がザ・ホークスとして初めて勢ぞろいしたのは61年。リック・ダンゴが他界する09年までグループが存続したと解釈すれば、途中ブランクを挟みながらも活動は38年に及ぶ。そんな長い歴史の中、デビュー作『ミュージック・フロム・ピンク』を出した68年から最後の傑作『南十字星』を出した75年まで、ほんの8年間、ちょっと異質な、外界に対して鋭い有効性を持った時期が紛れ込んでいただけという見方もできる。その異質な8年間を主導したのがロバートソンであり、”ラスト・ワルツ”はそんな彼の視点による様々な”終わり”と”始まり”をちりばめた一夜となった。
ザ・バンドが一本立ちした60年代末~70年代初頭といえば、グラム・パーソンズらによる重要なアイデンティティ確認作業としてのカントリー・ロックが話題を集めていた時期だ。ボブ・ディランの試行錯誤をより内省的かつ個性的にしたようなシンガ・ソングライターたちが静かなブームを呼び始めた。
ザ・バンド同様米南部に眠る宝物を掘り起こしたレオン・ラッセル、デラニー&ボニー、オールマン・ブラザーズ・バンドらスワンプ/サザン・ロック勢も脚光を浴びていた。が、それらの試みも70年代半ば過ぎには新鮮味を失い始めた。すべては急速にアダルト・コンテンポラリー化。ソフト&メロー時代の到来だ。音楽ビジネスは以前に増して巨大化していった。
※過去のブログにはゲストの曲の紹介(その1)と、ザ・バンドの曲の紹介(その2)があります。
