2020年2月22日土曜日

[あの頃のレコード] ”Let it be" (Beatles, 1970) (5)




ビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』の本国イギリスでの発売は1970年3月8日で今年発売50周年を迎えます。

例によってリマスター版とかボックスセットとか、デジタル・リマスターの映画とかの企画が目白押しと思われます。

ちょうどよいタイミングで湯川れい子さんが訳された「ビートルズ評伝の決定版!」と腰巻にあった評伝が「初の文庫化」されましたので、『レット・イット・ビー』を扱った第21章をまるまるタイプしていきます(レコードを聴きながら)。

(いつ終わるかわかりません)。



P407-411

この「レット・イット・ビー」は明らかに、「リボルバー」や「サージェント・ペパー」ほどの絶対的な強さのあるアルバムではないが、「ビートルズの中の最低」でもない、と書いている本もある。「ゲット・バック」、「ザ・ロング・アンド・ワィンディング・ロード」、「アクロス・ザ・ユニバース」、「レット・イット・ビー」のようなビートルズの秀作を含み、「トゥ・オブ・アス」、「アイ・ミー・マイン」、「アイヴ・ガッタ・フィーリング」のような選外佳作もあって、おいそれと見過ごすわけにはいかない盤なのだ。スペクターは後に、マッカートニーとマーティンから、オーケストラのオーバーダブや、三つのトラックでのコーラスでアルバムを甘ったるいものにしたという批判をうけたが、一方では、アップル社屋上でのライヴやスタジオでのパフォーマンスを多用した彼は、グリン・ジョンズよりもオリジナルの「ゲット・バック」のコンセプトに忠実だったとも言える。しかもスペクターは、スタジオでの会話を「ゲット・バック」の質を低下させるほど過度に入れるのではなく、適度に織り込んで、リスナーに、ビートルズのセッション中、自分が壁に止まっていたハエになったかのような気にさせてくれたのだった。

このアルバムはビートルズがもはやサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドではなく、むしろ不運な「チャールズ・ホートリー・アンド・ザ・デフ・エイズ/Charles Hawtrey and the Deaf Aids」であることをほのめかすような、おどけた叫び声をあげるレノンの奇妙なアドリブで始まっている。そして、手際よくマッカートニーの魅力的なアコースティックのナンバー、「トゥ・オブ・アス」に移っていく。グリン・ジョンズは、アルバム「ゲット・バック」を「ワン・アフター・909」で始めて、ビートルズの最初の頃のルーツを引き出そうとしており―この曲は、レノンが初期に書いたものである―「トゥ・オブ・アス」は、マッカートニーがこの当時に書いたものではあったけれど、同じような枠割を果たしている。「トゥ・オブ・アス」は、実話ではないにしても、リンダ・イーストマンのことを描いた曲なのだが、そこに込められている雰囲気は、ラブ・ストーリーというよりも、男同士の友情映画のようだった。「ヘイ・ジュード」と同じように、「トゥ・オブ・アス」の菓子には、何よりもポールとジョンの関係がすぐにでも読ん取れるのだ。「burning matches, lifting latches(マッチに火をつけ、錠をはずして)」というくだりでは、ポールとジョンがよくやっていたように、いけない遊びをするために学校をさぼる二人の少年の姿が思い浮かぶ。「spending someone's hard-earned pay(誰かが苦労して稼いだ金を使うんだ)」は、ポールの言葉を借りれば、自分たちの曲作りが金になることに気づいた時に、ポールとジョンが感じたという「労働者階級の喜び」を思い出させる言葉だ。「chasing paper, getting nowhere(紙きれにあくせくしても、どうにかなるわけでなし)」は、自分たちの能力以上に官僚的になってしまったアップルでの経験に符合する。だが最も印象的な文句は、ポールが歌うブリッジの部分、「you and I have memories(君と僕には思い出がある)」だろう。この感傷は、リンダとは知り合って一年にもならないのだから、彼女に向けてではなく、ジョンに対して、長い緊密な友情を捨てないようにと(少なくとも)無意識のうちに呼びかけてたとも取れる歌詞なのだ。

パートナーの意識を強めるように、レノンとマッカートニーは「トゥ・オブ・アス」のリード・ヴォーカルを一緒に歌っている。実際「ホワイト・アルバム」ではほとんどが、ソロで歌ったのに対して、アルバム「レット・イット・ビー」の12曲のうちの6曲は、ジョンとポールが一緒に歌っているのだが、統一性のないところもたくさん見られて、このアルバムのイメージを混乱させている。その次の曲「ディグ・ア・ポニー」は、その6曲のうちの一つで、出来としてはなかなか良い。その歌詞にはヨーコへの愛の呼びかけも混じっており、ジョンがこれまでに書いてきた中で最も美しいメロディとは言わないが、ポールの高いハーモニーとハリスンの創意に富んだリード・ギターもあって、曲そのものよりも面白い出来になっている。

レノンがアルバム「レット・イット・ビー」のスペクターの再プロデュースぶりを褒める理由の一つは、次のトラック「アクロス・ザ・ユニバース」での彼のみごとな救済策により。ジョンは、すべての創造物を切れ目なく結ぶこの美しい祈りの言葉は、自分の書いた曲の中でも最高の一つであると考えていた。ビートルズは、1968年2月に「レディ・マドンナ」をうmに出したのと同じセッションでこの曲の最初の録音をしたのだが、ジョンは納得のいく表現がなされていないからと、そのリリースを拒んだ。彼はその失敗をポールのせいだと非難し、後には、このレコーディングの最中にマッカートニーが「ずぼらで呑気な実験室みたいな雰囲気」を作って、「この名曲を無意識に壊そうと」したとまで言った。レノンは「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」についても同じような非難をしているが、この「アクロス・ザ・ユニバース」の場合のほうがもっとひどかった。「アクロス・ザ・ユニバース」を7回テイクした後で、誰かがこの曲にハイ・トーンのバック・ヴォーカルを加えようと提案したのだが、ポールはプロのシンガーを雇うことはせずに、いつもアビイ・ロードを取り囲んでいる大勢のファンのところに出て行って、適当にティーンエイジャーの女の子を二人選んで連れて来ると、そのパートを歌わせたのだ。結果は案の定アマチュアっぽくなり、早いテンポがさらに曲のイメージを弱めて、心がなごむというよりも落ち着かないサウンドになってしまった。あこの曲を蘇らせた時、彼はテンポを遅くし、バックに弦楽器と合唱団の歌を加えて、ビートルズの歴史の中でも、最高の幻の名作となってこの曲が忘れ去られることから救ったのだった。「アイ・ミー・マイン」もまたスペクターによってオーケストラが加えられて、質の向上がはかられたが、このトラックのビートルズの演奏がすでに無理強いされたようなものだったから、彼の選択した効果はさほど目立つものにはならなかった。ハリスンが「重いワルツ」と表現した曲と、「永久の課題であるエゴ」という分析には悲しいものがあるが、ジョージのうねるようなギターとミドルエイトの部分のテンポを変えたのが功を奏して、ポールのバック・ヴォーカルを解放し、この歌を優れたものにしている。偶然にも、「アイ・ミー・マイン」「アイ・ミー・マイン」は、ビートルズがレコーディングした最後のフル・ソングとなってしまった。映画「レット・イット・ビー」のラフ・カットの準備ができた時に、「アイ・ミー・マイン」のレコーディング風景を入れることになり―ジョージがリンゴにこの曲のことを打ち明けて、冗談で「君たちのショーにこの曲を入れたくなければ、それでもいいよ」と言っているところと、ジョンとヨーコがトゥイッケナム・スタジオでワルツを踊っているところが入っている―ジョージ、ポール、リンゴが1970年1月3日にアビイ・ロードに戻って、このアルバムのリリース用のバージョンをレコーディングしたのだった(レノンは休暇中で、このセッションには参加していない)。