当家と(隣家の長女宅)では年中行事をちゃんとやらないといけないという強迫観念があるのか、本日は節分のフルコース。
(1)恵方巻を食べる。
(2)干し魚を(干さないで)食べる。
(3)家の中で豆まきをする。
(4)19時からあった近所の千田胡子神社の豆まきに行く。
今年は娘婿さんが秋田出張でお土産に買ってきた「ナマハゲ」のマスコットが、新たに加わり、ご利益が増したかも知れません。
「恵方巻」の命名はセブンイレブン舟入店だそうで(wiki情報)、まんざら縁がないわけでもないのでしょうか?
節分 (せつぶん)
雑節の一つで,立春の前日。現行暦では2月3日もしくは4日にあたる。大祁日,1月6日,1月14日とともに年越しの日とされ,これらとの混交もみられるが,現在の節分行事はほぼ全国的に,いり豆をまく追儺(ついな)の行事と門口にヤキカガシ(ヤイカガシ)を掲げる風習を行う点で共通している。社寺でも民間でも盛んに行われる豆まきの唱え言は土地によって各種あるが,〈鬼は外,福は内〉というのが一般で,訪れる邪鬼をはらおうとするものと解されている。豆で身体を撫でて捨てる風もあり,これは災厄の祓と考えられよう。ヤキカガシとは,焼いた陛の頭など臭気の強いものを豆の枝や鋭い葉をもつ柊(ひいらぎ)にさして家々の入口に掲げるもので,鬼の目突き,鬼おどしなどと呼ばれ,これも邪霊防御の手段とされている。また豆占いや,ヤキカガシを焼くときの虫の口封じの唱え言もかつては広く行われていた。以上のように節分には追儺の考えが濃いが,別にこの夜に神霊の訪れを認めて,本来ヤキカガシ掲示はそのための物忌(ものいみ)をしているしるしであり,豆は神への供え物とする解釈もある。⇒追儺
田中 宣一
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追儺 (ついな)
悪鬼を払い,疫癘(えきれい)を除いて,新年を迎える儀式。宮廷年中行事の一つ。大祁日の大祓(おおはらえ)についで行われた。大儺(たいな),鬼やらいともいう。古く中国に始まり,《周礼(しゆらい)》によれば方相氏(ほうそうし∥ほうしようし)と称する呪師が熊の皮をかぶり,四つの黄金の目玉のある面をつけ,黒衣に朱の裳(も)をつけ,手に戈(ほこ)と盾(たて)とをもって疫鬼を追い出した。日本へは文武天皇のころに伝わったという。《延喜式》によると,大舎人(おおとねり)寮の舎人が鬼の役をつとめ,大舎人長が方相氏になり,《周礼》の古制にならった扮装をした。大祁日の夜群臣が内裏(だいり)の中庭に立ち,亥(い)の刻に陰陽寮(おんみようりよう)が儺祭を行い,終わって方相氏が大声(儺声という)を発し,戈で盾を3度打つ。群臣はこれに呼応して桃の弓,葦の矢,桃の杖をもって鬼を追う。鬼は宣陽,承明,陰明,玄輝の四門を回り,滝口の戸から逃げ出すが,方相氏が先頭に立って追った。方相氏の扮装が異様なため,のちには方相氏が鬼で,群臣が追い出すのだと考えられた。宮廷行事としては中世に廃れたが,近世になり諸国の神社で節分に追儺祭が行われるようになった。
伊藤 唯真
[中国] 儺(だ),大儺とも呼ぶ。古代では季節ごとに行われたが,漢代以降12月中に1度行われ,唐・宋時代,除夜の行事となった。庶民の間でも行われたが,宮中の追儺はとくに盛大である。熊の皮を着た方相氏が,手に戈を執り盾をふりあげて,偉子(しんし)(善童の意。漢代120人)や十二神獣の助けを借りて悪鬼を追放した。このとき,方相氏は十二神獣とともに勇壮に舞い,悪鬼をおそれさせたという。唐代には方相氏は4人となり,儺儺(鬼やらいの声)を唱え,また朱髪の恐ろしい12人が麻のむちをふるって鋭い音をたて,口々に悪鬼を食う神の名を呼んだ。偉子も多数参加する。宋代ではいっそう遊戯化し,役人たちにさまざまな仮面と彩色の衣をつけさせ,槍や旗を持たせた。これ以後,しだいに廃れるが,清代の正月にはラマ教徒による打鬼が行われた。現在では,春節の爆竹などに,そのなごりをとどめるにすぎない。 植木 久行
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