ビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』の本国イギリスでの発売は1970年3月8日で今年発売50周年を迎えます。
例によってリマスター版とかボックスセットとか、デジタル・リマスターの映画とかの企画が目白押しと思われます。
ちょうどよいタイミングで湯川れい子さんが訳された「ビートルズ評伝の決定版!」と腰巻にあった評伝が「初の文庫化」されましたので、『レット・イット・ビー』を扱った第21章をまるまるタイプしていきます(レコードを聴きながら)。
(いつ終わるかわかりません)。
P404-407
だが、ビートルズの抱える問題が何であったにせよ、一月のあの午後に行われたアップル社の屋上ライブは、彼らがその気になれば、まだ音楽シーンへの登場が可能であることを示していた。そしれ翌日、今度は屋内で「レット・イット・ビー」、「ザ・ロング・アンド・ワィンディング・ロード」、「トゥ・オブ・アス」の最終バージョンをカメラの前でレコーディングし、彼らはそのことを証明した。この二つのパフォーマンスで、アルバム「レット・イット・ビー」に含まれる十二曲のうちの半分を生み出し、メンバー間の不協和音でビートルズの音楽は駄目になってしまったという悪評を返上したかに見えたのだった。
だが、話はそれだけではない。この二つのパフォーマンスに先立って、ぼーとるずは何十時間ものリハーサルを録音していたのだが、その多くが後に海賊版テープとして出回った。このテープでは「愛こそはすべて」や「ヘイ・ジュード」のテレビ・ライヴで世界中を感動させたバンドが、メンバーたちにやる気がなければ、きわめてひどいサウンドも出せるのだということを露呈している。こういったプライベートな練習でそのグループを判断するのは不当だ、という意見も一理あるだろう。俳優や運動選手にしても、問題にすべきは本番なのだから。だが、覇気がなく、まとまりもなく、メロディもテンポも外すことの多かった「ゲット・バック」プロジェクトのリハーサルと、彼らが過去何年間かスタジオで見せていた、意欲的でファンが愛した彼らのプロ意識との間のギャップは、無視するにはあまりにも大きすぎるのだ。この時期のことを、後にレノンはこう語っている。あのリハーサルは「誰も本気じゃなかった」わけで、それが出てしまったのだと―。
オリジナルの「ゲット・バック」のアルバムは、おそらく、そのやる気とまとまりのなさからリリースされなかったと思われるが、しかしそれ以上のヒントも含まれていた。ポールが選んだエンジニアで、アップルの地下にある新しいスタジオでの最初のアルバムのレコーディングを手伝ったグライン・ジョンズが編集した、オリジナル・アルバムの「ゲット・バック」は、後に作り替えられたアルバム「レット・イット・ビー」とはまるきり違っていた。同じなのは「ワン・アフター・909」、「レット・イット・ビー」、「フォー・ユー・ブルー」、「マギー・メイ」、「ザ・ロング・アンド・ワィンディング・ロード」だけだった。それ以外は、タイトル曲「ゲット・バック」も違ったテイクになっており(そのバージョンはシングルでリリースされた)、「ディグ・ア・ポニー」や「アイヴ・ガッタ・フィーリング」も、アルバム「レット・イット・ビー」に使われた屋上でのバージョンではなく、スタジオでの録音が収められていた。また、「アイ・ミー・マイン」や「アクロス・ザ・ユニバース」も、このオリジナル盤には入っていない。その替わりに、「ドント・レット・ミー・ダウン」や「セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー」のカバー、その名の通りの「ロッカー」、そして後にポールが初のソロ・アルバムで発表した「テディ・ボーイ」など、アルバム「レット・イット・ビー」にはない曲が入っていた。
それぞれのトラックの合間には、このプロジェクトのドキュメンター形式の手法に合わせて、スタジオでの会話もたくさん入れられている。中でも自然な瞬間には、非常に魅力的な場面もあった。たとえば、「ザ・ロング・アンド・ワィンディング・ロード」にとりかかる直前に、おそらくは真面目くさった顔つきでジョンがポールに尋ねている。「ソロの時に笑い出すつもりかい?」しかし、だいたいにおいてアルバム「ゲット・バック」には、魅力よりも散漫さを感じてしまうはずだ。「ライブ」感を強調するために、ライブ的な失敗も含めてレコード化するというアイデアは、理論としては良く聞こえるかもしれないが、実際には、「ディグ・イット」でレノンが必要以上にわめいていたり、「テディ・ボーイ」に見られるポールの自己陶酔的な仕上げなどには、魅力よりも退屈さを感じてしまうのだ。「セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー」では、彼ら二人が驚くほど単調に歌っていて、それにもむしろ戸惑いを禁じえない。
オリジナルのアルバム「ゲット・バック」のレコード盤が送られてきた時のことを、レノンは振り返って、「僕らは、本当にひどい状態でそれを出そうとしていたんだ」と言う。これならビートルズの「神話を崩壊させて」くれるに違いないから、レノンには逆に魅力的だったかもしれない。「これはズボンを脱いだ僕らのようなものだ。だからゲームはやめにしてくれないか?」とレノンは考えたのだ。だが、結果はそうはならなかった。1970年の初め頃、ビートルズがアルバム「アビイ・ロード」のレコーディングをすっかり終えてから―おそらく、彼らが解散を決意してから―レノンとハリスンは、有名なレコード・プロデューサーのフィル・スペクターに、そのアルバム「ゲット・バック」を再編集してみないかともちかけたのだった。その結果、1970年5月にアルバム「レット・イット・ビー」がリリースされた。

