[積読立読斜読](終活断捨離文庫100冊プロジェクト)『子供の領分』(吉行淳之介著、中公文庫、2021年)
オリジナルは単行本・番町書房『子供の領分』(1975年)。中公文庫化にあたって十編を選び編年体で収録。当方はこのうちの「童謡」(雑誌『群像』(1961年1月号)収録)を中学3年の教科書で読み、理解度を教科担任から褒められたことを鮮明に覚えています。吉行淳之介は娼婦を扱った性的なイメージの作品という印象が強いのですが(私生活でも女性遍歴が旺盛ですが)、少年から大人になる過程の心理を繊細に描いたこの作品群は成長期の生徒に相応しい作品と言えるかもしれません。
教科書に採用になった「童謡」の筋は簡単です。 中学生と思しき少年が正体不明の病気にかかり高熱を発し極端にやせ細って入院して、転地療養して極端に太り、また痩せてもとの体に戻った、というだけの話です。「童謡」というタイトルは見舞いに訪れる夢見がちの友人がつぶやく複数の童謡から。
p132
「ぼくは静かな大男、
枕の丘から眺めてる。
すぐ眼のまえは谷や野だ。
楽しい布団の国なのだ」
文庫版に収録された吉行の「私と教科書」というエッセイでは「童謡」執筆の動機が述べられています。
p230
(旧制)中学5年生の春、私は腸チフスに罹って、隔離室に入れられた。そのため、5年に留年することになった。「童謡」はそのときの体験が底にある。腸チフスという病気は、現在では新薬の発見によって、比較的簡単に治る。昔は相撲の大関級の病気だった。時代によって、重さの変わっている病気なので、わざと主人公の罹った病名をあきらかにしなかった。
極端に痩せていた少年が、みるみる肥って二倍くらいになり、また元に戻ってくる。そういう現象は、人を食った話のようだが、現実にそういう体験をした。ただし、小説として書く時には、その「人を食った」感じを面白い句おもっていたことも、また事実である。
少年から大人なる心情を吐露した小説のラストは鮮明です。
p149
校庭の砂場の前には、少年たちが集まって、高く跳ぶ競争をしていた。少年は、その方角へ歩いて行った。
少年は、ためらいがちの足取りで歩いて行ったが、不意に勢よく走り出した。砂場の前で、強く地面を踏みつけると、跳躍の姿勢になった。
しかし、水平に掛け渡された横木は、少年の腰のあたりに当たって、落ちた。
「前は、高く跳べたのに」
いつの間にか、友人が少年の傍に来ていて、そうささやいた。
「しかし、すぎに高く跳べるようになるよ。長い間、寝ていたのだからムリないさ」
そうかもしれない、そう考えるのが当然だ、と少年はおもった。病気で、痩せ、異常に肥り、そしてようやく元に戻った。その間、使わなかった筋肉が衰弱した。ただ、それだけのことだ。
「しかし」
と、少年は心の底で考えていた。
「もう、高く跳ぶことはできないだろう」
そして、自分の内部から欠落していったもの、そして新に付け加わってまだはっきり形の分からぬもの、そういうものがあるのを、少年は感じていた。
当方が教科書で出会ったのは1973年(昭和48年)の三省堂版と思われます。
中公文庫版の印象的なカヴァーはパウル・クレーの『思いきり量って』(1930年)です。
以下アマゾンより。
<著者について>
吉行淳之介
大正十三年(一九二四)、岡山市に生まれ、二歳のとき東京に移る。麻布中学から旧制静岡高校に入学。昭和十九年(一九四四)九月、岡山連隊に入営するが気管支喘息のため四日で帰郷。二十年東大英文科に入学。大学時代より「新思潮」「世代」等の同人となり小説を書く。大学を中退してしばらく「モダン日本」の記者となる。 二十九年に「驟雨」で第三十一回芥川賞を受賞。四十五年には『暗室』で第六回谷崎潤一郎賞を受賞する。主な作品に『娼婦の部屋』『砂の上の植物群』『星と月は天の穴』『夕暮まで』など。平成六年(一九九四)死去。
<内容紹介>
大人と子供の領域を往還する少年。そのどこか醒めた目は何を見つめるのか。教科書で読み継がれた「童謡」、父とその連れの美女に伴われ伊豆大島へ赴く「夏の休暇」、二人の少年の間の危うい均衡を描く表題作など、思春期の波立つ心と体を澄んだ筆致でとらえた十篇。新たに随筆「子供の時間」他一篇を付す。〈巻末エッセイ〉安岡章太郎・吉行和子
<目次>
夏の休暇/暗い半分/梅雨の頃/斜面の少年/悪い夏/崖下の家/童謡/子供の領分/窓の中/春の声
〈随筆〉子供の時間/私と教科書

