2024年4月20日土曜日

[積読立読斜読](特別編)終活断捨離文庫100冊プロジェクト 宮澤賢治 雨ニモマケズ手帖

宮澤賢治が病床で小さな手帖に書いた「雨ニモマケズ」は
花巻の「林風舎」という会社から復刻版が出ているのを知り
購入しました。

賢治の「雨ニモマケズ」を人生の目標としています。


ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ






 〔雨ニモマケズ〕

宮澤賢治


雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)ノ

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ


南無無辺行菩薩

南無上行菩薩

南無多宝如来

南無妙法蓮華経

南無釈迦牟尼仏

南無浄行菩薩

南無安立行菩薩


底本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房

   1997(平成9)年7月30日初版第1刷発行


宮沢賢治  1896‐1933(明治29‐昭和8)(みやざわけんじ) 

詩人,童話作家,農芸科学者,宗教思想家。岩手県剰貫(ひえぬき)郡花巻町(現,花巻市)の質古着商の長男として生まれ,浄土真宗の濃密な信仰の中で育つ。幼少年時から鉱物採集などに熱中した。盛岡中学2年のころから短歌を制作。1914年中学卒業,この年島地大等編《漢和対照妙法蓮華経》を読んで感動,終生熱烈な法華信者となる。15年盛岡高等農林学校農学科に入学。片山正夫《化学本論》を読み,物質観の基礎を与えられ,座右の書となる。20年ころから特に田中智学に傾倒,田中の主宰する国柱会に入会,父親にも日蓮宗への改宗を迫るが容れられず,21年1月無断出京,自活しつつ童話制作や布教活動に従事するが,8月に帰郷,この年の12月から26年3月まで花巻農学校教諭。この間,1922年1月から口語詩制作がはじまり,詩集《春と修羅》(1924),童話集《注文の多い料理店》(1924)を自費刊行。前者は嶋潤,佐藤惣之助らに激賞された。26年3月で農学校退職後,別宅に自炊独居して羅須地人協会を設立,若い農民たちに農学や芸術論を講義,また無料で肥料設計を行うなど献身的活動に入るが,治安当局の疑惑を招き,また賢治自身の健康状態の悪化により挫折する。31年に奇跡的に一時回復して東北砕石工場技師として活動した以外,晩年のほとんどを病床で送り,自作の改稿改作,文語詩制作などに没頭した。33年9月21日死去。その膨大な詩と童話は,みずみずしい言語感覚,奔放な想像力,自然との交感に裏打ちされた豊かな表現と構成,普遍的な幻想性とリアルな地方性の並存する多彩さ,文明への深い洞察等により,次第に多くの読者を獲得し,またその生前の質実で献身的な人柄と活動ぶりは死後も多くの讃仰の対象となり聖人化の傾向さえ生んだ。童話の代表作に《銀河鉄道の夜》《風の又三郎》《セロ弾きのゴーシュ》などがあり,1931年11月3日に手帳に記した独白《雨ニモマケズ》は有名。

                      天沢 退二郎


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