[積読立読斜読] 『漱石俳句集』(坪内捻典編、岩波文庫)明治二十九年 216-225
216 朝貌の黄なるが咲くと申し来ぬ
217 紅白の菫擂鉢に開きけり
218 涼しさや奈良の大仏腹の中
219 あつきものむかし大阪夏御陣
220 琵琶の名は清山とこそ時鳥
221 満潮や涼んでをれば月が出る
222 秋立つや千早古る世の杉ありて
224 反橋の小さく見ゆる芙蓉哉
225 ひやひやと雲が来る也温泉(ゆ)の二階
215~221まで句稿(その十六)にある句。
清山:謡曲『経政(つねまさ)』にある琵琶の銘。
222~230まで句稿(その十七)にある句。
222は「博多公園」と前書。
223は「香椎宮」と前書。
224は「太宰府天満宮」と前書。
225は「船後屋温泉」と前書。ただし「後」は「小」が正しい。
船小屋鉱泉の由来
船小屋では昔からわき水が吹き出ており、この上を飛ぶスズメがよく落ちていたため、『雀地獄』と呼ばれていました。文化年間(1804~1818)、難病で苦しんでいた老人が病の苦しさからいっそのこと死んでしまいたいと『雀地獄』の水を飲み、その中に浸りました。ところが、死ぬどころか気分がよくなり長年の病気が楽になり、一ヶ月もすると治ってしまいました。この噂が広がり、近くの村々から湯治客がやってくるようになったため村の大庄屋が井戸を掘ることを決め、有馬藩の殿様に願い出て井戸を掘ったのが船小屋温泉の始まりとされています。浴場が完成すると、鉱泉の評判が広まり、多くの人が集まるようになりました。明治19年の分析の結果、この泉は含有量日本一の含鉄炭酸泉で、飲用して胃腸病・貧血症・浴して婦人病・神経痛などに効果があることが分かりました。
その後、船小屋温泉は戦傷軍人の湯地場に指定され、そして多くの文化人にも愛されました。夏目漱石は結婚したばかりの妻・鏡子と共にこの地を訪れ、浴しました。鉱泉場の北側には漱石が読んだ句『ひやひやと雲が来るなり温泉の二階』の碑があります。また、昭和天皇や秩父宮殿下の訪問の際の宿泊もありました。
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筑後市観光協会のサイトより

