1940年12月、44歳で急逝したF・スコット・フィッツジェラルドの最後の未完の長編小説。原題は"The Last Tycoon"です。
通説では半分までで中断しており、村上春樹さんが訳されたのは作者の大学時代からの友人であり高名な文芸評論家であったエドマンド・ウィルソンが断片原稿やメモ(梗概・プラン)を再構築して、なんとか完成版の小説が想像できるようにして出版にこぎつけたもの。1941年、スクリブナーズ社から刊行された「エドマンド・ウィルソン版」を下敷きにされています。
翻訳書の一時期の隆盛はなく、村上春樹さんの新訳版をもってしても、売れ行き好調とはいかないようで、平台にはなく、かなり狭まってきた翻訳本に一冊だけ在庫がありました。
大恐慌後の勃興するハリウッドの内幕劇で、せせこましい現代から、当時の絢爛たる舞台を想像するのはなかなか難しいかも知れませんが「悠揚迫らざる」読書もたまには必要では。
アマゾン・オリジナルのTVシリーズ"The Last Tycoon"(2016 - 2017)もIMDBのレイトでは7.6と高評価でしたのでこちらもお見逃しなく。
<内容紹介>(中央公論新社のサイトより)
舞台はハリウッドの製作現場、主人公は辣腕プロデューサー。映画界に君臨するこの男を待ち受けるのは、運命の出会い、そして悲劇の影。〈ギャツビー〉の先を目指した未完の遺作が、新しい翻訳で鮮やかに甦る。フィッツジェラルド最後の長編小説。
https://www.chuko.co.jp/tanko/2022/04/005502.html
ちょっとスノビッシュな華麗なる文体(なのだろう)は「フィッツジェラルド・タッチ」と呼ばれるそうですが、冒頭の飛行機の中のなにげないシーンにも、唸らせられます。
ちょっと長くなりますが、村上さんの訳と一緒にどうぞ。
The stewardess - she was tall, handsome and flashing dark, a type that they seemed to run to - asked me if she could make up my berth.
“--and, dear, do you want an aspirin-” She perched on the side of the seat and rocked precariously to and fro with the June hurricane. “ - or nembutal-”
“No”
“I’ve been so busy with everyone else that I’ve had no time to ask you ” She sat down beside me and buckled us both in. “Do you want some gum-”
This reminded me to get rid of the piece that had been boring me for hours. I wrapped it in a piece of magazine and put it into the automatic ash-holder.
“I can always tell people are nice,” the stewardess said approvingly, “if they wrap their gum in paper before they put it in there ”
We sat for awhile in the half-light of the swaying car. It was vaguely like a swanky restaurant at that twilight time between meals. We were all lingering- and not quite on purpose. Even the stewardess, I think, had to keep reminding herself why she was there.
P11
スチュワーデスは長身の美人で、煌めくような黒髪、男たちが飛びついていきそうなタイプだった。彼女がやって来て私に「寝支度をしてあげましょうか」と尋ねた。
「―それから、アスピリンみたいものはいるかしら?」、彼女は座席の脇にちょこんと腰掛け、六月のハリケーンのせいで不安定に身体を揺らせていた。「―それともネンブタール[睡眠剤]とか」「いいえ、けっこうです」「他のお客様のお世話で忙しくて、なかなかここに来られなかったの」、彼女は私の隣に腰を下ろし、二人分のシートベルトを締めた。「ガムはいらない?」
そう言われて私はやっと、もう何時間も自分をうんざりさせていたもののことを思い出し、それを口から出さなくてはと思った。それを雑誌の切れ端で包み、備えつけの灰皿の中に捨てた。「他の人たちもみんなそうしてくれるといいんだけど」とスチュワーデスはありがたそうに言った。「そこにガムを捨てる前に紙で包んでくれさえすればね」
私たちはゆらゆら揺れる飛行機の、仄(ほのか)な明かりの中で、しばらく一緒に座っていた。それはどことなく黄昏時の、まだ食事時間になる前の高級レストランを思わせた。私たちはみんなぐずぐずしていた―とくにこれという目当てもなく。見たところそのスチュワーデスさえ、自分が何故そこにいるのか、始終思い出していなくてはならないようだった。

