2020年3月7日土曜日

[積読立読斜読]『日本近現代史講義 成功と失敗の歴史に学ぶ』 第11章 日本植民地支配と歴史認識問題 (木村幹)


スローリーディング中の中公新書『日本近現代史講義』、本日は「第11章 日本植民地支配と歴史認識問題 (木村幹)」を読みました。

戦後の日韓関係史としても重要な示唆に富んでいると思います。

日本の植民地支配の影響が、今日の日韓関係に未だ影響しているということがよく理解できます。

かといって筆者に解決策を求めるのは酷な話であり、この章の末尾は徴用工問題に触れています。

P253
2018年10月、韓国大法院(最高裁)により、徴用工への補償を日系企業に求める判決が出ることになった。問題収拾に向けた日韓両国政府の動きは鈍く、両国の世論は対立を深めている。植民地支配という過去の歴史が、本当の過去になる時代は、しばらくやってきそうになさそうだ。

という悲観的なものになっています。

まずは正しい歴史認識、植民地支配、の知識を学ぶことから始める必要がありそうです。


第11章 日本植民地支配と歴史認識問題 木村幹


<著者プロフィール> 木村幹(きむら かん)
1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。著書に『朝鮮半島をどう見るか』、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『徹底検証 韓国論の通説・俗説』(共著)など。

https://www.huffingtonpost.jp/author/kan-kimura/


日本の植民地支配は例外だったのか
「日本植民地支配例外論」
<肯定的>
西洋列強の悪辣な植民地支配とは異なり、朝鮮半島・台湾の現地住民にも大きな恩恵があったことを強調し、そもそも朝鮮半島・台湾の支配は「植民地支配」ではないとする意見

<否定論>
西洋列強より悪辣な植民地支配だったとする意見。労働者・慰安婦の動員、創氏改名・神社参拝の強制など。


肯定論にも否定論にも見られる誤り
西洋列強の植民地支配の実態は多様で、「徹底的な搾取」といったステレオタイプな理解とは異なる

日本が朝鮮半島・台湾を支配した19世紀末から20世紀前半の西洋列強の植民地支配は、
本国で民主主義的な政治体制となっており、経済動向が選挙に大きな影響を与えた

植民地に投資した人々にとって、植民地の経済状況は自らの経済的利益に直結する問題

植民地を持つ政府は、植民地経済を良好な状態に維持させなければならず、莫大な投資が必要であった(鉄道、港湾、学校教育)

宗主国財政の植民地に対する赤字=その見返りとしての植民地の経済発展
日本の植民地のみに見られた特殊な状況ではない

植民地支配初期における弾圧の犠牲者、植民地からの兵士・労働者の動員、などは他の西洋列強にも見られた(明治維新後の日本の植民地支配は西洋列強の植民地政策を参考にしたため)


植民地とはなにか
日本の植民地支配、肯定論・否定論とも、議論の前提となる「植民地」とは何かという考察が欠如している

植民地とは「場所」であり「人」「社会」のことではない
その地域において適用される法律が宗主国本国のそれとは異なっている=植民地
(植民地における権利義務関係が宗主国本国のそれに対して劣る、参政権がなく、兵役の義務がないなど)

宗主国より優遇される場合は「特区」と呼ぶべき

朝鮮半島では1938年、台湾では1942年まで、志願兵制度も実施されなかった
(一部特権階級のみ士官学校への入学を許された)


地域差と時代差の単純化
植民地支配の実態が多様であるにかかわらず、過度に単純化したため、日本における植民地支配の議論の問題となっている

(1)朝鮮半島、台湾、南樺太、関東州、南洋群島、地域の違いを無視した単純化
(2)時代による変化の看過
(台湾植民地支配は1895年、韓国併合は1910年、終戦まで長い期間植民地であった)

朝鮮半島・台湾に対する日本の植民地支配のイメージは、長期の植民地支配の終戦までの最後の5年間に集中している(創氏改名、神社参拝、=日本人化)


植民地支配が残した問題
日本の植民地支配のイメージは日本の政治体制が総力戦体制期・末期のもの
イメージの定着理由
(1)総力戦体制期の直後に植民地支配が終了したこと
(2)大規模な植民地社会への介入をこの時期に行った
…日本の敗戦直後は朝鮮半島・台湾からの印象は極めて悪かった

日本の植民地支配をめぐる近隣諸国との対立はすぐには始まらなかった
(両国間の政治体制が原因)

<日韓関係の例>
1945年~1965年まで正式な国交がなかった
(朝鮮半島の人が日本政府・企業を相手取って訴訟は起こせなかった)

日韓政府が国民を代表する形で交渉を行い、1965年の日韓基本条約等の協定を結ぶ
(この時の日本からの補償金(=経済協力支援金の名目)を韓国国民への十分な補償を行わなかった(のちの日本に対する運動につながる)

1960年代後半から80年代の韓国
米ソ両大国の前線にある貧しい分断国家
経済は日本に大きく依存
権威主義的な政権(植民地問題の激化を防いだ)


1990年代以降に大きく変化
(1)民主化運動による権威主義的体制の崩壊(韓国の市民社会の活性化、植民地支配期の補償を求める人々の運動の活性化)
(2)日韓間の経済関係の変化(日本への経済依存度が急激に低下)
(冷戦体制の崩壊、韓国の経済成長、グローバル化の進行)


1970年代前半、韓国貿易の日本のシェアは40%強
2010年代、10%を割り込む
(モノの移動に限れば、韓国経済における日本経済の重要性はかつての5分の1以下)

今日の日韓両国の政治家には「歴史認識問題の収拾」という「火中の栗を拾う」人はいない
(リスクを冒すだけの利益がないため)