高校時代のエピソードを鮮明に覚えていて、この太宰治の短編の作品中にある詩(のような独白)は、朝礼で校長先生が何の話の結末だったかは失念したものの引用され、その後のクラス朝礼の前に、同じクラスのY君が黒板に板書し、入ってきた担任のZ先生が「なかなか良い詩だ」と感嘆されたものです。
45年振りに、読書中の太宰の作品中から見つけました。
生活。
よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつっているのさ
新潮文庫版『晩年』収録「葉」(昭和九年四月季刊同人誌『鷭(ばん)』に発表)より。
太宰治の生涯、ちょっと復習です。
太宰治 1909‐48(明治42‐昭和23)
だざいおさむ
小説家。本名津島修治。青森県生れ。東京帝大仏文科中退。
津軽屈指の大地主の六男として生まれたことが,この作家の生涯と芸術に決定的な影響を与えた。中学時代から文学に親しみ,旧制弘前高校に入って左翼思想に接し,大地主の子であることに屈折した罪意識を抱くようになった。
1930年に東京帝大仏文科に進み,井伏箆二に師事する。この年から非合法運動に関係するようになった。同年,青森の芸妓小山初代と結婚するが,その直前にバーの女給と心中をはかり女だけが死んだ。この事件は,非合法運動からの離脱とともに彼の心に終生消えぬ〈黒点〉を残した。
35年,《逆行》によって第1回芥川賞候補となり,36年第1創作集《晩年》を刊行。その後,麻薬中毒になり,錯乱した内面を《HUMAN LOST》(1937)などの前衛的な方法で表現したが,初代と離別し石原美知子と再婚するころから,《富嶽百景》《女生徒》(ともに1939)など平明な作風に移り,《走れメロス》(1940)などの好短編も生まれた。
第2次大戦中は《右大臣実朝》(1943),《お伽草紙》(1945)などの翻案的佳作を書くとともに,《津軽》(1944)のような名作を残した。
戦後は戯曲《冬の花火》(1946)などで便乗思想を批判する一方,《ヴィヨンの妻》(1947)など既成倫理に反逆するような短編を発表。
滅びゆく高貴なものへの恐歌《斜陽》(1947)で流行作家になったが,人間恐怖の自画像《人間失格》(1948)を残して山崎富栄とともに入水して果てた。 東郷 克美
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