これは、つまり、私の生活から文化というものが
一掃されてしまったということではないか。
下町に生まれて、そこで育った私は、山の手の生活にかなりあこがれていた。
中学、高校と、大塚にある<教育大付属>中学、高校に通ったから、山の手の暮らしを全く知らないわけではない。
校庭の向こうに見えるのは<鳩山家>である、ここの主人は、一時、日本の総理大臣だったこともある。学校の先輩の名をあげれば、永井荷風、星新一といった人々の名もある。荷風の後輩であるのを私は誇りに思っていた。荷風の作品や日誌の愛読者だからだ。若き日の荷風が教室で<いじめれらっ子>だったというのも好きな話で、のちに将軍になる人にいじめられていたろころに、後年の荷風の面目を見る。
そして、今や、自分が山の手の文化の中に入り込んでいるわけだが、世田谷区は広いだけで、文化の影はあまり見られない。
方南町からここに引っ越してきたころには、家の近くにソバ屋や天プラ屋があり、韓国料理もあった。私が親しくしたい新刊本屋も、最低二軒はあったと思う。駅のとなりに一軒、帰り道にもう一軒。そして値段の高い本を注文すると、主人がわざわざ町中の問屋まで行って、買ってきてくれたものだった。
どういうわけか、それからの時間の中で、食べ物屋も本屋も消えてしまった。今では、新刊書だったら渋谷まで行かなければ手に入らず、文房具も渋谷で、という風になっているのだ。これは、つまり、私の生活から文化というものが一掃されてしまったということではないか。
皮肉にも、私が育ち、家業だった和菓子屋を継いだとすれば、となり町の人形町には本屋もあり、食べ物も名店がそろっているということになった。これらは、すべて、<仕方がない>の一語で処理するしかない。<山の手に住む>という一事は実現したのだから、文句を言うな、という声が飛んできそうである。
私が望んでいたのは、今のような生活ではないのだが、まあ、仕方がない。
引退した和菓子屋のせがれとして、すべてが枯れ果てた山の手で過ごすことにしよう。
『また、本音を申せば』(小林信彦著、文藝春秋、2020年))278「羽根木だより(一)」より
