新シリーズ。古刊ですが。10句づつ紹介していきます。
上下で1900句超あるそうで、終了いつになるやら。
岩波文庫版『柳多留名句選(上)』(山澤英雄選、粕谷宏紀校注、岩波文庫、1995年)
春
1 薬種屋(やくしゅや)で屠蘇を買ふのは無病なり
2 屠蘇を下さいと丈夫な男来る
3 喰積がこしゃくに出来て一分(いちぶ)めき
4 元日はまだこわいから戸を明けず
5 元日に女の歩くひどい用
6 二つ三つ鼾をかくと御慶なり
7 年始帳留守を遣ふのはじめ也
8 あがるなといわぬばかりの年始帳
9 上下(かみしも)の音ばかり聞く年始帳
10 ひどい借り春めきながら冴へかへり
1 かかりつけ医者から屠蘇をもらうのが慣例だった
3
喰積
現代ではお正月の御節料理をさしていう場合が多いが、本来は新年の祝饌。 三方などに米、餅、昆布、熨斗鮑、ゴマメ、橙、ユズリハなどの種々の縁起物を飾り、年賀客にも供した。 これらは地方や家庭により違いがあるが、野の物、山の物、海の物が中心となっている。
喰積(くいつみ/くひつみ) 新年 – 季語と歳時記
台の物、一分
吉原は元和4年(1618)に幕府公許の遊廓として日本橋葺屋町の辺で営業を始め、明暦3年(1657)に浅草寺裏に移転して新吉原と呼ばれました。上の絵は文政(1818~30)年間の新吉原で、そのころには遊女屋に仕出しをする専門の料理屋がありました。この料理屋を喜の字屋といい、大きな台に料理を飾りつけ、松などをあしらった、台の物と呼ばれるものを注文に応じてつくりました。
台の物の価格は1分で1分台と呼ばれ、刺身、煮物、硯蓋(口取り)、焼物の4種、天保(1830~44)年間には2朱台もできて、煮物と酢の物の2種だったようです。台の物は高価な割に味が良くなかったそうで、遊廓の外からの仕出し料理も利用され、そのほか遊廓の中にはうどん屋、そば屋、うなぎ屋もあり、玉子やすしの行商もありました。なお、遊女たち自身の食事は1日2食で、粗末なものだったといいます。
https://www.kabuki-za.co.jp/syoku/2/no28.html
4 大晦日の借金取りを警戒
5 元日には外出しないのが女性の嗜み
6 御慶:新年の挨拶
10 冴へかへり:余寒の厳しいこと

