[積読立読斜読] 『断腸亭日乗 【一】大正六―十四年』 (岩波文庫、2024年)大正十年一月~六月
超スローリーディング中の岩波文庫版『断腸亭日乗』。
荷風の大正十年、1921年は四十二歳。(青空文庫では43歳)。大正十年は大部になるので1月~6月と、7月~12月に分けて投稿します。
この年の浅草の大火は全焼1155戸だそうですが、荷風の日乗には記述がありません。新聞はとっていなかったのか。
<荷風年表>
1月 「夜網誰白魚」(戯曲)を左団次のために執筆した(3月、明治座で上演)
3月 「雨蕭蕭」を『新小説』に発表
7月 『三柏葉樹頭夜嵐』(戯曲集)を春陽堂から刊行
10月 「砂糖」を『国粋』に発表
11月「目黒」
12月 「写況雑記」を『明星』に掲載
<日本史>
尺貫法からメートル法へ統一(全面実施は1966年)
原敬首相暗殺/第三海堡(東京湾海上の人工島)、完成
4月:函館で大火
5月:浅草で大火
9月:近畿・中部地方に大型台風
[流行歌]青い眼の人形/赤い靴/どんぐりころころ
https://kazokuisan.jp/%E5%A4%A7%E6%AD%A310%E5%B9%B4/1921%E5%B9%B4
<浅草大火事・新聞記事>
真昼浅草の大火 千百余戸を焼く
吉原土手下より公園裏まで遮るものなき焦土
午後2時26分、六時間燃えて鎮火 火元は俳優中村方
6日午前8時40分頃、浅草田町一丁目37番地、俳優中村富右衛門方より発火、北西の烈風のため田町一丁目16番地から80番地までの一帯をひとなめにし、一方元火は吉原堤を越え地方今戸町に延焼したが、10時頃風は巽(たつみ:東南の方角*)に変じ、千束町三丁目の一部、象潟町のほとんど全部を焼き、吉原遊郭方面に迫らんとした頃(11時)、風はまた北西と変じ、馬道七八丁目を二手となり並行して公園に向かい、正午近く三度風は巽に変じ観音裏の千束町二丁目新開大道に燃え広がって、風も衰え今戸町堤防は同町97番地の掘割にて止まり、田町一丁目は45番地角の共同便所付近にて食い止め、猛火の風下となった千束町三丁目の火の手は二丁目41番地(宮古座裏手)にて、象潟町は同町3番地にて、また馬道町は七丁目1番地小林清章方にて食い止め、午後2時20分全焼1,155戸、半焼77戸を出して鎮火せるが、その区域田町馬道7丁目の全部および千束町三丁目東側一部、象潟町の東部八、九、十丁目の一部、馬道一丁目の馬道通りに面せる一小部分、その区域長さ五町、幅一町、坪数約27,000坪、損害約300万円以上におよんだ。火元主人は目下従業中不在なるが、留守番の雇人中田かつ(43)が朝飯を焚きつけたるまま外出せしため出火したるものなりと。
東京日日新聞 1921年4月7日
断腸亭日乗
断腸亭日記巻之五大正十年歳次辛酉
荷風年四十三
正月元日。くもりて寒し。雪猶降り足らぬ空模様なり。腹具合よろしからず。炉辺に机を移して旧年の稿をつぐ。深更に至り雨降る。
正月二日。雨歇まず門前年賀の客なく静間喜ふべし。夜風あり。
正月三日。朝の中薄く晴れしが午後また雨となる。炉辺執筆前日の如し。浴後独酌。早く寝に就く。
正月四日。晴れて暖なり。銀座を歩む。
正月五日。去年十月中起稾せし雨瀟瀟、始めて脱稿。直に浄写す。
正月六日。九穂子と風月堂に飲む。此日寒の入りなれど暖なり。
正月七日。几上の水仙花開き尽しぬ。過日松莚子より依頼の脚本筆取るべきやいかゞせむと思ひわづらふ。
正月八日。二階押入の壁を張る。
正月九日。日曜日。机に凭ること前日の如し。冬の日少しく長くなりぬ。
正月十日。晴。
正月十一日。微雨。晩に晴る。
正月十二日。春陽堂の人来り全集第二巻五版の検印を求む。
正月十三日。木曜会運座。曇りて寒し。
正月十四日。雨。
正月十五日。仏蘭西新画家制品展覧会、三越楼上に開かる。銅板山水一葉。パステル裸体図一葉を購ふ。
正月十六日。脚本執筆。
正月十七日。植木阪より狸穴に出で赤羽根橋を渡る。麻布阪道の散歩甚興あり。三田通にて花を購ひ帰る。
正月十八日。不願醒客来訪。
正月十九日。夜雨ふる。脚本の稿を脱す。題して夜網誰白魚といふ。
正月二十日。木曜会に徃く。来会者少し。
正月廿一日。晴れてあたゝかなり。夜風吹出でしが月光満楼。燈火なきも枕上猶書をよみ得べし。
正月廿二日。
正月廿三日。毎夜寒月昼の如し。
正月廿四日。九穂子と牛門に飲む。
正月廿五日。正午松莚子に招かれて日本橋末広に飲む。
正月廿六日。諸方より依頼の短冊に揮毫し纔に責を果す。
正月廿七日。木曜会なり。
正月卅一日。拙作脚本の事につき松莚子岡氏等と竈河岸の八新に会す。小山内君亦来る。
二月朔。今年は大寒に入りてより益暖なり。鄰家の冬至梅既に満開なり。
二月二日。温暖頭痛を覚るばかりなり。全集第五巻校正甚多忙。夜に至りて俄に寒し。
二月三日。雪ふる。
二月四日。立春。
二月五日。雪後天気あたゝかなり。
二月六日。フランスの小説イストワル・コミツクを読む。
二月七日。偏奇館漫録を春陽堂に郵送す。
二月八日。春寒甚し。
二月九日。微恙あり。
二月十日。風邪。門を掩て出でず。
二月十一日。風邪痊えず。細雨残雪に滴る。庭上の光景甚荒涼。
二月十二日。雨歇まず。
二月十三日。晴。
二月十四日。松竹社七草会例会。正午地震。
二月十五日。風労猶痊えず。
二月十六日。雪まじりの雨なり。
二月十七日。木曜会。
二月十八日。午後三才社に徃かむとせしが風塵甚しければ虎の門より帰る。
二月十九日。晴れて暖なり。我善坊谷上、宮内省御用邸裏の石垣、東向きにて日あたり好く石垣の間より菫蒲英公[#「蒲英公」はママ]の花さき出でたり。仙石山を過ぎ電車に乗りて神田小川町仏蘭西書院に赴く。
二月二十日。晴天。去年栽えたる球根悉く芽を発す。
二月廿一日。唖※(二の字点、1-2-22)子と銀座清新軒に飲む。春寒料峭。
二月廿二日。早朝雪降りしが須臾にして歇む。日永くなりて薄暮の庭に雀多く来る。
二月廿三日。晴天。午後中洲病院に赴き、健康診断を乞ふ。白木屋にて毛布二枚を購ふ。夜具追々破れ来りしかど、此頃の女中には針持ち得ぬもの多くなりたれば、寝具も追※(二の字点、1-2-22)西洋風にかへるつもりなり。
二月二十四日。木曜日。夕刻より雨雪となる。
二月二十五日。松莚子に招がれて八新に飲む。
二月二十六日。明治座稽古。夜杵屋勝四郎来る。拙作夜網誰白魚上場につき、之に使ふべき独吟鳴物の相談に来りしなり。春風日に従つてあたゝかなり。
二月二十七日。早朝より門前に児童の打騒く声きこゆ。即日曜日なるを知る。
二月二十八日。風暖なり。銀座に徃き鳩居堂にて細筆五十本ほど購ふ。堀口大学レニヱーの著ヱスキツス[#「ヱスキツス」はママ]・ヱニシヱンを郵送し来る。開封して直に読む。
三月朔。細雨糸の如し。風暖にして花壇の土は軟に潤ひ、草の芽青きこと染めたる如し。
三月二日。明治座稽古。
三月三日。午後より明治座惣ざらひなり。余寒の時節芝居小屋に出入するは余の恐るゝ所なり。されど幸にしてまだ風邪ひかず。
三月四日。明治座舞台稽古なり。帰途風月堂にて晩餐をなし家に帰る。疲労甚し。炉辺更に葡萄酒を傾けて寝に就く。
三月五日。曇天。明治座初日。
三月六日。晴天。昨夜明治座初日、二番目出揃ひに至らざりし故今日重ねて見に行きぬ。
三月七日。毎朝鶯語窗外に滑なり。
三月八日。木村錦花明治座脚本礼金参百円持参す。夜有楽座に徃く。図らず大石冬牆君に逢ふ。
三月九日。蜀山人随筆を閲読す。松莚子依頼の脚本資料を得むがためなり。夜九穂子と三十間堀に一酌す。春宵漸く暖なり。
三月十日。窗外鶯頻に囀る。夜若松屋にて玄文社合評会。
三月十一日。曇りて風静なり。
三月十二日。春雨暖なり。満庭の草色碧きこと油の如し。案頭の桜草花既に落つ。
三月十四日。東仲通鳥屋末広にて七草会あり。
三月十五日。風さむし。唖※(二の字点、1-2-22)子来る。
三月十六日。晩餐後明治座に赴く。松莚君令閨の鶉にて自作の狂言を見る。
三月十七日。木曜会に徃く。
三月十八日。此日彼岸の入にて風寒し。
三月十九日。庭の梅満開なり。
三月二十日。西南の風烈しく塵埃烟の如し。夜に至り雨ふる。
三月二十日。春分。天気晴朗。
三月廿二日。風月堂にて夕餉をなし、有楽座に立寄る。久米氏風労にて顔面いがみ元気なし。花月主人もこの頃持病に悩まさるといふ。
三月廿三日。雁来紅の種をまき、菊の根分をなす。晩風冷なり。木下杢太郎その全集第一巻を贈らる。
三月廿四日。晴天。母上鷲津貞同道にて来訪せらる。倶に銀座の風月堂にて食事をなし、余は別れて木曜会に徃く。春月朦朧たり。
三月廿五日。雨ふりて風寒し。梅花散る。
三月廿六日。寒風冬の如し。春陽堂店員歓楽別本製本を持ち来る。
三月廿七日。守田勘弥の文藝座を見る。帰途雨。
三月廿九日。春酣にして風猶寒し。松莚子に招がれて八新に飲む。
三月三十日。瑞香の花満開なり。夜外より帰来つて門を開くや、香風脉※(二の字点、1-2-22)として面を撲つ。俗塵を一洗し得たるの思あり。
三月卅一日。松莚子と風月堂に会飲す。夜暖にして外套も早や重くなりぬ。
四月一日。夜暖にして漫歩によし。不願醒客と三十間堀に飲む。
四月二日。晴、後に雨。
四月三日。風雨を冒して明治座に徃く。此日初日なり。岡君新作の狂言其姿団七縞を見る。
四月四日。天気定まらず風烈し。梅花落尽して桜未開かず。
四月五日。竈河岸八新亭にて正午明治座当祝の酒宴あり。帰途毎夕新聞社に唖※(二の字点、1-2-22)子を訪ひ、新橋の弥生に一酌す。
四月六日。
四月七日。風吹き狂ひて夕方より雨ふる。桜花の候、天気日々行楽に適せず。大正二年大窪多与里を書きける頃、花開きて風寒き日多かりし事ども、何ともつかず憶ひ起しぬ。
四月八日。
四月九日。市兵衛町表通宮内省御用邸塀外に老桜数株あり。昨日あたりより花満開となれり。近鄰の児童羣れ集りて、或は石を投げ、或は竹竿にて枝を折り取らむとす。日本の子供は犬を見れば撲ち、花を見れば折らざれば已まず。獰悪山猿の如し。
四月十一日。春陽堂店員来り、余が旧作の脚本をあつめて一巻となし出版せむことを請ふ。
四月十二日。暮雨瀟瀟たり。
四月十三日。雨中芝山内を過ぐ。花落ちて樹は烟の如く草は蓐の如し。燈下山内秋生君新著青春の序を草す。
四月十四日。午後七草会。夜木曜会運座。雨後半輪の月佳し。
四月十五日。崖の草生茂りて午後の樹影夏らしくなりぬ。
四月十六日。銀座通の商舗早くも麦※[#「くさかんむり/稾」、U+85F3、139-3]帽を陳列す。路傍に西洋百合天竺葵の球根を売るもの多し。夜鶴屋南北の脚本集を読む。
四月十七日。時※(二の字点、1-2-22)驟雨あり。
四月十八日。午前驟雨。午後に霽る。
四月十九日。風冷なり。庭の雑草を除く。花壇の薔薇花将に開かむとす。
四月二十日。不願醒客と南鍋町弥生に飲む。
四月廿一日。晩餐後築地河岸を歩む。溝渠の水死して月黯澹たり。深更雨ふる。
四月廿二日。雨歇まず。腹痛を虞れて湯たんぽを抱き机に凭る。深更に及んで雨滝の如し。
四月廿三日。快晴。夜月よし。蛙鳴く。
四月廿四日。旧作の脚本を取りまとめて春陽堂に送る。
四月廿五日。松莚子に招がれて八新亭に飲む。
四月廿六日。新樹書窗を蔽ふ。チユリツプ花開く。
四月廿七日。竹田屋の主人一九の膝栗毛を持来る。
四月廿八日。薄暮木曜会に徃かむとして驟雨に妨げらる。唖々子と烏森の待合嶺月に飲む。雨後月あり。
四月廿九日。天気晴朗。薫風爽颯。
四月三十日。陰る。銀座街上青楓画伯に逢ふ。
五月朔。風月堂にて偶然松莚子一家門弟を伴うて来るに逢ふ。東仲通を歩み。魯西亜織敷物を買ふ。参拾円なり。
五月二日。唖々子と新冨座裏の酒亭に飲む。窗を開きて欄干に凭るに、築地川濁水の臭気甚し。曾て柳嶋橋本に飲み、天神川の臭気に鼻を掩ひしは十年前のことなり。今や市内河川の水にして悪臭を放たざるはなし。
五月三日。半日庭に出でゝ雑草を除く。
五月四日。脚本の執筆意の如くならず。苦心惨澹たり。
五月五日。明治座初日を看る。帰途雨に値ふ。
五月六日。雨。この日立夏。
五月七日。大雨車軸の如し。浅草下谷辺水害甚しと云。
五月八日。晴れたれど雨意猶去らず。溽暑を催す。銀座通の夜景盛夏の如し。平岡画伯に逢ふ。
五月九日。日比谷公園の躑躅花を看る。深夜雨ふる。
五月十日。薄暮また雨。
五月十一日。雨ふる。
五月十二日。※(「こざとへん+(人がしら/髟のへん)」、第4水準2-91-70)。腹痛あり。
五月十三日。風冷なり。微恙あり。
五月十四日。風冷なり。七草会。築地の雪本に開かる。
五月十五日。宿雨晴る。京伝が錦の裏、総籬等を読む。
五月十六日。帝国劇塲亜米利加の唱歌師シユンマンハインク女史を招聘す。舞台にて時事新報記者、ひよこ/\と女史の身辺に歩寄り、名誉賞を贈呈す。其の状の滑稽茶番狂言を見るが如し。
五月十七日。風寒し。ビクトル・オルバンの著ブラヂル文学史を読む。
五月十八日。夜雨淋鈴。燈下前年の日録を読返し、覚えず夜分に至る。此の断膓亭日記をかき始めてより早くも五年とはなれるなり。
五月十九日。清夜月明かにして、階前の香草馥郁たり。
五月二十日。夕刻雷鳴驟雨。須臾にして歇む。
五月廿一日。曇りて蒸暑し。桐花ひらく。
五月廿二日。夕刻驟雨あり。深更に至り大に雨ふる。
五月廿三日。脚本小説の腹案四五篇に上れり。されど何故か感興来らず、筆を秉らむとすれども能はず。懊悩甚し。余は屡文筆の生涯を一変し、今少し無意味なる歳月を送るにしかずと思ふなり。創作の興至るを俟たむが為、徒に平素憂悶の日を送るは、さながらお茶挽藝者の来らざる客を待つが如し。晩間雷雨襲来ること前日の如し。枕上ミゲル・ザマコイスの短篇小説集「アンジヱリツクの夢」を読む。
五月廿四日。清元一枝会有楽座に開かる。風冷なりしが幸に雨に逢はず。去年この日麻布に移居せしなり。
五月廿五日。曇りて風冷なり。小日向より赤城早稲田のあたりを歩む。山の手の青葉を見れば、さすがに東京も猶去りがたき心地す。此等の感想は既に小著日和下駄の中に記述しあれば重て贅せず。毎月二十五日は風月堂休業なれば神田今川小路の支店に立寄りしに、こゝも亦戸を閉しゐたり。九段を登り冨士見町の狭斜に飯して帰る。雨ふる。
五月廿六日。庭に椎の大木あり。蟻多くつきて枝葉勢なし。除虫粉を購来り、幹の洞穴に濺ぎ蟻の巣を除く。病衰の老人日※(二の字点、1-2-22)庭に出で、老樹の病を治せむとす。同病自ら相憫むの致すところなるべし。呵※(二の字点、1-2-22)。
五月廿七日。曝書の旁為永春水が港の花を読む。深川のむかしを背景にして、一篇を成したき思ひ、今に失せず。地理風俗の事をおぼえ帳に記す。
五月廿八日。松莚子に招がれて仲通の鰻屋小松に飲む。
五月廿九日。天気始めて定まる。
五月三十日。拙作脚本集校正。
五月卅一日。※[#「さんずい+揺のつくり」、U+6EDB、143-3]雨烟の如し。平岡小糸の二画伯と築地の瓢亭に飲む。
六月一日。雨歇まず。気温六十二度に下る。
六月二日。大久保辺にて運転手李某とよべる韓人乱酒なし、刀を振つて道路を行くもの十七人を斬りしといふ。我政府の虐政に対する韓人の怨恨、既に此の如し。王化は遂に※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)林に及ぼす事なし。
六月三日。雨晴れしが風寒し。
六月四日。数日来天候不順なり。微邪。肩張りて痛し。夕餉の後芝公園を歩む。枕上仮名垣魯文の富士詣をよむ。
六月五日。午後岡鬼太郎君来訪。其著脚本集の序を需めらる。銀座にて麦藁帽を買ふ。
六月六日。正午頃大雨沛然たり。薄暮に至るも歇まず。
六月七日。
六月八日。
六月九日。中洲病院に徃きて健康診断を乞ふ。尿中糖分多しといふ。現在の境遇にては日々飲食物の制限は実行しがたきところなり。憂愁禁ずべからず。
六月十日。
六月十一日。この日より入梅。朝より雨ふる。大石国手日本橋出張所に徃き再び診察を請ふ。帰途丸善にて洋書二三冊を買ふ。
六月十二日。時※(二の字点、1-2-22)雨あり。荷風全集最後の一集校正終了す。此れにて余が旧著の改版も終りしなり。余は生前著作の全集など出すべき心なかりしが、大正七年の春、米刃堂余が著書の印刷紙型及出版権を他店に売却したき由相談に来りしより、已むことを得ず春陽堂に改刻の交渉をなせしなり。病来久しく筆硯に親しまざるの時、旧著全集の改版完了せるを見る。余の身既に世になきが如き思ひあり。
六月十三日。雨晴る。山王御祭礼。
六月十四日。七草会。晴雨定りなし。
六月十五日。松莚子と風月堂に会す。
六月十六日。空くもりしが雨なし。夜に入り凉風颯※(二の字点、1-2-22)。半月樹頭に懸かる。風光秋の如し。
六月十七日。日本橋に大石国手を訪ふ。途次榛原帋舗の前を通過ぎし故、雁皮紙罫引帳面を購はむとせしに、近頃雁皮の製本をなす職人少くなり、又之を求むる顧客も稀になりたれば、出来合の品売切になりしまゝ備へ置かずといふ。是亦時勢推移の一現象なり。雨を恐れしが雨来らず。
六月十八日。雨午後に晴る。夜月さへわたりて風秋の如し。
六月二十日。久しく唖※(二の字点、1-2-22)子と会はず。風月堂に招ぎて飲む。
六月廿一日。夜、雨ふりしきりて門巷寂寞。下駄の音犬の声も聞えず。山間の旅亭に在るが如し。
六月廿二日。大石国手を訪ふ。魚河岸の晩晴、広重の筆致を連想せしむ。
六月廿三日。快晴。書斎の窗をあけ放ちて風を迎ふ。
六月廿四日。書架を整理す。伊東橋塘、花笠文京等、明治十四五年頃の小説を閲読す。
六月廿五日。梅雨中腹具合例によつてよろしからず。
六月廿六日。雨の晴れ間に庭の雑草を除く。
六月廿八日。午前大日本私立衛生会委員筱崎氏といへる人来りて、七月三日丸の内なる衛生会楼上にて、徃年統計恊会に関係ありし人々の追善紀念会を執行するにつき、先考の写真遺墨のたぐひをも借受けて陳列したしと語らる。筱崎氏は徃年小石川の家にて幼きころの余をも見知りたりと言はる。午後雨中大石君を訪ふ。尿中糖分全く去りしといふ。始めて安堵の思をなす。
六月二十九日。午後雨なきを幸に丸の内に徃き用件をすまし、有楽座に久米秀治を訪ふ。久保田萬太郎来合せ、談話興を催す。風月堂に赴くに恰も松莚子細君と共に在り。談笑更に興を添ふ。
六月三十日。夕餉の後神田仏蘭西書院に徃く。帰途風雨来らむとす。此夜燈前筆を把るに、たま/\興あり。小品文をつくる。題して砂糖といふ。
底本:「荷風全集 第二十一巻」岩波書店
1993(平成5)年6月25日第1刷
2010(平成22)年12月21日第2刷
入力:米田
校正:小林繁雄
2013年7月21日作成
2014年6月22日修正
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