2022年4月3日日曜日

[積読立読斜読] 『この道の先に、いつもの赤毛』(アン・タイラー著、小川高義訳、早川書房、2022年)



 アメリカの国民作家、アン・タイラーさんの新作。People誌が「アン・タイラーの新作を読むのに絶好のタイミングがあるとすれば、それは今しかない」。ならば読むしかありません。


“If ever there was a perfect time for a new Anne Tyler novel, it’s now? and this one doesn’t disappoint . . . Heartwarming and very funny? one of Tyler’s best yet.” 

People


本作はアン・タイラーさんにとって23冊目の作品で、オリジナルは2020年。執筆時はコロナ禍よりも前になりますが、主人公を社会から少し浮いている独身の堅物に設定したせいで、翻訳者の解説にある「単純に身体的な距離ではなく、その人の生き方として、他者とどのような距離をとっているかという問題だ」というテーマが世相と合致しました。


主人公のマイカ・モーティマーは、著者の出世作となった『アクシデンタル・ツーリスト』の主人公を彷彿とさせる人物設定で、脇役の設定もよく似ています。著者の住んでいるメリーランド州ボルティモアの白人社会の(いまだ健全で大きなトラブルのない桃源郷)なんでもない日常を、小説家らしい観察眼で細かくえがき、ヴェテランの名人芸のようです。


社会の断絶が進むアメリカの日常は、牧歌的な小説に表せるような世の中ではもうないのでしょうが、アン・タイラーの小説にはまだそれが活きており、アメリカでの人気は「メルヘン」を求める読者層にあるのかも知れません。


日本語版タイトルは『この道の先に、いつもの赤毛』。オリジナルは"Redhead by the Side of the Road"。byの使い方がよくわかりませんが、場所の「近接(近さ)」の意味だとすると、直訳では「いつも通っている道の端にある(いる)赤毛の人(女性)」。


小説を途中まで読まないと、このタイトルの意味がわかりません。「(眼鏡をかけずにする)ランニングの復路で、よくある勘違いをした。もうすぐ帰り着くという地点に、消化栓が立っている。くすんだ薄赤い色は、古ぼけた植木鉢のようだ。ちょっと見には、これが子供または小さい大人かと思える。交差点にさしあっかる下り坂で、てっぺんの丸いものが少しづつめてくるので、そんな漢字がするのかもしれない。ここを通るたびに、おやっと思う。あの赤毛の小柄なやつ、道端で何をしている…。どうせ消火栓だというとこはもうわかっているはずなのに、いつものと同じ錯覚が、毎朝決まって、ちらりと頭をかすめていた」。


生活のすべてに亘って自分独自のルールで押し通す、堅物の主人公が一瞬心が揺らぐ場面です。


終盤では生涯のパートナーにしたいと思いながらも、なかなか本心が打ち明けられない小学校の教師のキャスに、「つらい心を抱えた人。おれがそうなっちゃた」と寄り添います。


ぼんやりと距離を保っていた世間(女性)と、距離を縮めようとした瞬間だろうと思います。


心温まる小説でした。



About the Author

ANNE TYLER was born in Minneapolis, Minnesota, in 1941 and grew up in Raleigh, North Carolina. She is the author of more than twenty novels. Her twentieth novel, A Spool of Blue Thread, was short-listed for the Man Booker Prize in 2015. Her eleventh novel, Breathing Lessons, was awarded the Pulitzer Prize in 1989. She is a member of the American Academy of Arts and Letters. She lives in Baltimore, Maryland.


Chapter 1

 

You have to wonder what goes through the mind of a man like Micah Mortimer. He lives alone; he keeps to himself; his routine is etched in stone. At seven fifteen every morning you see him set out on his run. Along about ten or ten thirty he slaps the magnetic TECH HERMIT sign onto the roof of his Kia. The times he leaves on his calls will vary, but not a day seems to go by without several clients requiring his services. Afternoons he can be spot- ted working around the apartment building; he moonlights as the super. He’ll be sweeping the walk or shaking out the mat or conferring with a plumber. Monday nights, before trash day, he hauls the garbage bins to the alley; Wednesday nights, the recycling bins. At ten p.m. or so the three squinty windows behind the foundation plantings go dark. (His apartment is in the basement. It is probably not very cheery.)


マイカ・モーティマーのような男は、何を考えて生きているのかわからない。一人暮らしで、付き合いが少なく、その日常は石に刻んだように決まりきっている。毎朝、七時十五分になると、ランニングに出ていく姿がある。十時か十時半には、<テック・ハーミット>と書かれたマグネット式の掲示板を、いつも乗っている起亜のルーフ上にくっつける。いつ仕事で呼び出されるのかは不定だが、一日に何件かの依頼はあるもので、彼が技術サービスに出かけない日はないようだ。午後にはアパート全体の雑用をすることがある。管理人も兼ねているということで、通路の掃除をして、マットをはたいて、配管工と打ち合わせるのも業務のうちだ。月曜の夜は、収集日の前日なので、ゴミ箱を路地に出しておく。水曜の夜にはリサイクル箱を出す。だいたい夜の十時あたりに、壁際の植え込みの陰で、細めた目のような三つの窓が暗くなる(彼の部屋は地面よりも下にあって、住んで楽しいこともなさそうだ)。


[追記]

2022年6月4日(土曜日)付朝日新聞

書評で紹介されました。