2022年1月16日日曜日

[積読立読斜読] 『葉隠入門』(三島由紀夫著、新潮文庫)

 


今年から縁あって読書会に参加することに。第1回が1月24日(月)だったのですがコロナ感染拡大を受けて順延に。課題図書は『葉隠』の現代語抄訳版。『葉隠』自体が膨大な量があり当然抄訳にはなるのですが、現代語訳者の作家・城島明彦さんが選ばれた内容を十分に理解することができず、解説本2冊を読むことに。


二冊はキンドル版で読書中の『図解・葉隠 勤め人としての心意気』(齊藤孝著、ウェッジ、2017年)と新潮文庫版『葉隠入門』(三島由紀夫)です。齊藤孝さんの図解は学生・若いサラリーマン向けの内容です。「勤め人」に「どう役に立つか」という視点での解説となっています。


本日は三島由紀夫の『葉隠入門』を紹介します。


オリジナルは昭和42年(1967年)光文社より。体裁がカッパ・ブックスの新書版で、知識人向け教養新書・岩波新書に対抗して、大衆向けの新書での出版。太平洋戦争の敗戦後軍事色の強い書物が全否定される中、三島由紀夫をもってしてさえ主流の新書からの出版はかなわなかった事例でしょうか。三島は1970年に割腹自殺を遂げていますので(享年45)自らが表した『葉隠入門』の思想に殉じた面もあります。




新潮文庫版は昭和58年(1983年)発行。カッパ・ブックス版にあった副題「武士道は生きている」は無くなっています。


三島の入門書は大衆向けの新書とは言え、教養人=読書人、の図式がまだ成り立っていた時代の書籍なので、『葉隠』が現代のサラリーマンにどう役立つかという功利的な説明は一切なく、むしろ哲学書に近い内容です。


P34

わたしが考えるのに、「葉隠」はこれを哲学書と見れば三大特色を持っている。一つは行動哲学であり、一つは恋愛哲学であり、一つは生きた哲学である。



「行動哲学」とは、「一定の条件下に置かれた人間の行動の精髄の根拠をどこに求めるか」ということに尽き、「政治的な理念」に基づくものではない。


「恋愛哲学」とは、「エロース(愛、恋)とアガペー(神への愛)を峻別しない」日本人本来の、「恋」と「忠」(献身)が同義となる観念で、「人間の恋のもつとも真実で、もつとも激しいものが、そのまま主君に対する忠義に転化される」というものである。


「生きた哲学」とは、「夢の間」である時の流れを「毎日毎日これが最後と思つて生きていくうちには、何ものかが蓄積されて」、自らが役に立つときが来るという根本理念である。



新潮文庫版の構成は下記の通り。


<目次>

プロローグ 「葉隠」とわたし

一 現代に生きる「葉隠」

二 「葉隠」四十八の精髄

三 「葉隠」の読み方

付 「葉隠」名言抄(笠原伸夫訳)

解説 田中美代子


<新潮文庫版内容紹介>

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」の一句があまりに有名な「葉隠」。過激思想の書と誤解されやすいが、その真髄は「死という劇薬」こそが自由や情熱、生きる力を与えるという逆説的な「生の哲学」である――。「葉隠」の処世訓の精髄を読み解きながら、凝縮された三島の思想に触れられる。時を超えて現代人の心に強く訴え続ける名著。「葉隠」現代語訳付。


p8

ここにただ一つ残る本がある。それこそ山本常朝(じょうちょう)の「葉隠」である。戦争中から読み出して、いつも自分の机の周辺に置き、以後二十数年間、折にふれて、あるページを読んで感銘を新にした本といえば、おそらく「葉隠」一冊であろう。わけても「葉隠」は、それば非常に流行し、かつ世間から必読の書のように強制されていた戦争時代が終わったあとで、かえってわたしの中で光を放ちだした。「葉隠」は本来そのような逆説的な本であるかもしれない。戦争中の「葉隠」は、いわば光の中に置かれた発行体であったが、それがほんとうに光を放つのは闇の中だったのである。


『葉隠』はかつて、戦争中に戦地に赴く若者に推奨されていた。しかし現在において『葉隠』が読まれる理由は、戦時中とは逆の事情であり、生活とかけ離れてしまった「死」を読むためである。


われわれは、一つの思想や理論のために死ねるといふ錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示してゐるのは、もつと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さへも、人間の死としての尊厳を持つてゐるといふことを主張してゐるのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくだらうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。


三島の自決に至った心情は理解できませんが、「死」を意識してこそ「生」が活きる、という主張には頷けるものがあります。