2022年の年間読書テーマ「夏目漱石の小説を全部読む」。本日は「野分」を読みました。先日読んだ「二百十日」(明治39年『中央公論』)の延長線上にある作品で、明治40年『不ととぎす』に発表されました。執筆は前年の明治39年。漱石の年齢と明治の年数は丁度一致するので40歳の時の作品で、この年朝日新聞に入社して専業作家となります。
2021年10月16日土曜日
岩波文庫版ではこの二作品が一冊に編まれています。当方は集英社版『漱石文学全集 第四巻』(昭和58年)で読了。集英社版は「野分」「坑夫」「門」を収録しています。
<岩波文庫内容紹介>
圭さんと碌さんの軽妙な会話を軸に,夏目漱石(1917―66)の阿蘇山旅行に基づき書かれた「二百十日」.若き二人の文学士と文筆に生きる男が,流動する社会に三人三様に向き合う姿を多面的に切り取った「野分」.先鋭な社会批評を中軸に据えた,長篇作家漱石誕生への橋渡しとなる二篇.改版(解説=小宮豊隆・出原隆俊)
p170
「夫で題が大きいから面白い。現代の青年に告ぐと云ふんです。」
p180
「明治も四十年になる、あだ沙翁(さをう)が出ない、まだゲーテが出ない。」
p209
「先生私はあなたの、弟子です。―越後の高田で先生をいぢめて追い出した弟子の一人です。―だから譲つて下さい」
前作「二百十日」と主題はほぼ同じで金萬社会への批判と対抗しえない文学者への激ととれます。構造は「二百十日」が阿蘇山へ登る二人の会話から成り立つ単純な構成であったに対して、漱石の分身と思える文学者・白井道也。白井がかつて放逐された新潟の中学の学生であった肺病を病む高柳。同窓の金満家・中野、の三者を登場させ主題への考察が深みを増しています。また最後の白井から百園で原稿を高柳が買うプロットもよく出来ており、百園を軸にして金満家と文学者の対比を構造的に描いています。
タイトルの「野分」は現代では通常使うことのない言葉です。三省堂のサイトからの解説です。
<野分>
どういう意味?
「二百十日」(バックナンバー8/31)でも書きましたが、『大辞林 第三版』には「〔野の草を吹き分ける風、の意〕①二百十日、二百二十日前後に吹く暴風。台風。あるいはその余波の風。また、秋から初冬にかけて吹く強い風。のわけ。のわきのかぜ。[季語]秋。《吹飛ばす石は浅間の ─ かな / 芭蕉 》」とあります。
もう少し詳しく…
『全訳読解古語辞典 第三版』では、語釈のあとに「読解のために」というコラムがあります。そこには「中古の作品では、野分の強風ぶりとともに、その風情も語られている。野分の風は、肌寒さや心細さを感じさせ、人恋しくさせるものであった」として、「源氏物語」や「和泉式部日記」の例が挙がっています。
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kisetsu03