2020年12月30日水曜日

[積読立読斜読] 『この世界の片隅に(上)』(こうの史代著、双葉社、2008年) 大潮の頃(昭和10年8月)

 



[あらすじ]

お盆の墓参りに草津の本家へ。江波から草津まで干潟を渡る。すずが座敷童に会う(後年呉の慰安婦となるりんさんか?)。




[昭和10年歴史年表]

日本の貿易収支は黒字で綿布輸出が史上最高となり、喫茶店が激増するなど、国内の景気はよかったようです。

自由な言論への弾圧が始まり、有名な天皇機関説をめぐって、貴族院で美濃部達吉・天皇機関説攻撃への反駁演説があったり、陸軍内での統制派と皇道派の派閥争いで、陸軍省軍務局長・永田鉄山、皇道派の相沢三郎中佐に刺殺されるという、血なまぐさい事件がありました。





[江波から草津へ干潟を渡る]

太田川放水路が完備し、江波・観音・井口商工センターがある現代からはにわかに信じがたいですが、昭和10年前後の広島市の地図を見ると、江波から草津までは干潟を渡れば至近距離であり、子どもでも可能なことがわかります。




[座敷童]

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

旧家に出没するとされた子供の妖怪(ようかい)。岩手県の北上盆地を中心とする東北地方に伝承される。座敷ぼっこ、蔵っこ、蔵ぼっこ、蔵わらしなどの異称もある。通常は5~10歳の幼童で、赤ら顔(白いとする地域もある)のおかっぱ頭。その名のとおり蔵にいる場合もあるが、多くは深夜豪家の奥座敷に現れ、畳の縁(へり)や床柱を伝ってすたすたと歩き回り、寝ている人の枕(まくら)をいじったりする。胸にのられると、うなされることがある。いたずらや祟(たた)り、そして化けることはせず、これがいるうちは家運は繁盛するが、出没しなくなると傾くという。したがって、出没を家の誇りとしてたいせつに扱い、世間はこれを羨望(せんぼう)する。成り上がりの家にはけっして出没しない。


 座敷わらしの由来は、水や泉と関係の深い河童(かっぱ)にあるとする伝承があり、天竜川流域山村のカワランベと同系の、農作さらに家の繁栄に因果関係をもたせたものとも考えられる。旧家の没落に因縁づけて座敷わらしの消えたことを強調するのは、その神霊的性格に畏怖(いふ)を抱くためであろう。


 このほかに、ホソテとかナガテと称して、家の土間の片隅から手だけが伸びてくるという、間引き(堕胎)した赤児と関連させる伝承もある。昔話「竜宮童子」の、海底から黄金や宝物などの財または幸福をもたらす鼻たれ小僧は、福の神ヨゲナイと同じように祖霊を水神の小僧になぞらえたものか。いずれにしろ、種々の伝承に現れる彼の性格を考えれば、家の神の零落した姿ともいえるであろう。


[渡邊昭五]


『佐々木喜善著『遠野のザシキワラシとオシラサマ』(1974・宝文館出版)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例


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[かき養殖いかだ]

筏式垂下法

干がたの棚ではなく、筏にかきの種がついている貝殻と竹やビニールなどの管を交互に通した連をぶらさげ、成育を待って収獲する方法。昭和7年、広島県水産試験場によって初めてこの筏式垂下法が行なわれましたが、このころの筏は、杉やヒノキで組み立てた筏で、風や波に弱いという欠点があったためあまり普及しませんでした。昭和28年、孟宗竹で組み立てた筏で試験を行なった結果、風や波に強く、しかも制作費は安いことが分かり、竹による筏式垂下法は、急速に普及しました。これにより、漁場の沖合化を可能にし、漁場面積は拡大し、生産量も飛躍的に伸びてきました。


http://www.haff.city.hiroshima.jp/suisansc/kaki_rekisi.html


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