「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどうくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」
「うん。どうしてこんなにややこしいんだろう。小学校のときは、外国人の両親がいる子がたくさんいたけど、こんな面倒なことにはならなかったもん」
「それは、カトリック校の子たちは、国籍や民族性は違っても、家庭環境は似ていたからだよ。みんなお父さんとお母さんがいて、フリー・ミール制度なんて使っている子いなかったでしょ。でもいまあんたが通っている中学校には、国籍や民族性とは違う軸でも多様性がある」
「でも、多様性っていいことなんでしょ!学校でそう教わったけど?」
「うん」
「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」
「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」
「楽じゃないものが、どうしていいの?」
「楽ばっかりしていると、無知になるから」とわたしが答えると、「また無知の問題か」と息子が言った。以前、息子が道端でレイシズム的な罵倒を受けたときにも、そういうことをする人々は無知なのだとわたしが言ったからだ。
「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどうくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」
わたしがそう言うと、息子はわかったのかわからなかったのか判然としない面持ちで、おやつのチーズをむしゃむしゃ食べていた。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ著、新潮社、2019年)
