相撲の世界には「三年先の稽古」という教えがあるそうです。
すぐには結果に結びつかない、地味な「しこ」や「てっぽう」を
おろそかにしてはいけない。
稽古の基本であるこの二つが、相撲を強くするという意味です。
三浦梅園 1723‐89(享保8‐寛政1)
みうらばいえん
江戸中期の哲学者。名は晋(すすむ)。号は梅園,洞仙,二子山人など。豊後の国東(くにさき)郡富永村(現,大分県東国東郡安岐町大字富清)で名望家の医者の家に生まれ,生涯,医を業とした。かたわら家塾を開き,常時20人たらずの寄宿生がいた。その一生はなんの波乱もなく,伊勢参りに1度,長崎へ2度,旅行したのみ,杵築(きつき)侯その他から出仕の招聘を受けたのもすべて辞退し,郷里を離れたことは一度もない。人となりは温厚篤実で安分知足をモットーとし豊後聖人の称があった。青年時代ごく短期間杵築藩や中津藩の儒臣に入門したほかはまったくの独学であった。ただ,若き日の友人でのちに大坂に出た天文学者麻田剛立(ごうりゆう),大坂懐徳堂の中井履軒とは生涯文通をもった。
幼時より天地万物あらゆることに疑いを抱きノイローゼを発するほど苦しんだが,20歳過ぎて西洋天文学書によって天地の形体を知るを得,29歳または30歳で〈天地は気なり〉と気づき,つづいてその天地万物に〈条理〉のあることを覚った。かくて条理探究の書《玄語》の稿を起こし,53歳でついに完成した。別に彼が思索の資料とした中国古典,日本・中国の医書,西洋学の書(《天経或問(わくもん)》,《解体新書》,清の梅文鼎の天文学書など)を縦横に引用し批判した《贅語》があり,また人倫哲学の《敢語》がある(合わせて〈梅園三語〉,すべて漢文)。そのほか経済論として有名な《価原》,漢詩概論として中国にも比肩するものなしといわれる《詩轍》など,卓越した著述が多い。《梅園叢書》は穏健な通俗的道徳教訓書である。1912年《梅園全集》上下(計2000ページ)が刊行された。
難解煩瑣な《玄語》を彼自身が和文で要約した《多賀墨縁君に答うる書》(岩波文庫《三浦梅園集》所収。〈明治以前において真に哲学精神によって貫かれている書物〉(三枝博音))によるとその条理の学(中心は自然哲学)の概要は,(1)天地を達観せんがためには,まず心から習慣による癖(習気)を除去せよ,そして万物万事に疑いを発せよ(〈天地をくるめて一大疑団となしたきものに候〉)。(2)聖賢の言でなく天地(つまり自然)そのものを判断の基準とせよ。西洋におけるごとき実測実験を重視せねばならぬ。(3)かくて探究のための格率は〈反観合一,心の所執(習気)を捨て,正しき徴(証拠)に依る〉である。反観合一とは条理を把握するための方法。(4)条理とは究極の存在者たる気が陰陽二気から成っているのに応じてあらゆる存在(一)は相反するもの(二)の合一である。すなわち〈一二〉の論理に貫かれているということをいう(三枝博音が弁証法哲学として高く評価したゆえん)。(5)万物は,気,物(気の結集体),神(気のエッセンス,エネルギー)より成る。万物は天地という構造をもつ。(6)天地は,時間空間,運動静止,容れる容れられる,明暗乾湿においなど,の4契機より成る。(7)天(自然)と人(人倫世界)は相反するものであるから,その研究法も前者は反観,後者は推観という別個のものでなくてはならぬ。要するに梅園の哲学はイエズス会士の伝えた西洋天文学(ただし地動説以前の T. ブラーエの段階)その他の諸科学を中国伝統の気の哲学によって解釈し独自の条理哲学をうちたてたもの,気の哲学の最後を飾るにふさわしい壮大精密な体系であるが,あまりに機械的でシンメトリックな論理主義のために気の哲学に固有な宇宙進化論を否定するに至っている。 島田 虔次
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