2025年2月28日金曜日

[その他] 文化人切手 寺田寅彦

2021年3月6日土曜日


かなり前にガチャガチャで未使用の文化人切手のセットが出てきました。

しばらく持ってましたが

特に本格的に切手収集を始める気は起らなかったので

処分することに。

そのまま捨てるのも忍びないので、1枚ずつ紹介します。





 寺田寅彦  1878‐1935(明治11‐昭和10)

てらだとらひこ 


物理学者,随筆家。東京生れ。幼時を父の郷里の高知ですごす。五高在学中に田丸卓郎(1872‐1932)によって自然科学への眼を開かれる。1903年東京帝国大学理科大学卒業。09年東大助教授となり,この年より11年までドイツへ留学。16年教授。理化学研究所,東大航空研究所,地震研究所などにおいて実験物理学,地球物理学の研究にしたがい,各分野に独創的な業績をのこした。X 線による結晶構造解析(ラウエ斑点)の開拓的な研究は著名で,17年学士院恩賜賞受賞。27年 A.ウェゲナーの大陸移動説をとり入れた日本海形成論を唱え,30年よりは割れ目の物理学を開始し,ガラス板の破壊実験を行うとともにその発想を生命にまで広げ《割れ目と生命》の論文を書いた。

 吉村冬彦の筆名で随筆もよくした。文学への開眼は五高在学中の夏目漱石との出会いにあった。教室で英語を習い,自宅で俳句を学び,その紹介で上京後正岡子規を訪ね,俳句や写生文を《ホトトギス》に寄せるにいたった。やがて高浜虚子らの文章会に出席,ドイツ留学に赴くまでに《団栗(どんぐり)》(1905)以下の小品を発表,自然と人事への哀愁を帯びた観照を端正な文章に刻んだ諸作は,《藪柑子(やぶこうじ)集》(1923)に収められている。著書は他に《冬彦集》(1923),《万華鏡(カレイドスコープ)》(1929),《蒸発皿》(1933),《橡(とち)の実》(1936)など多数。初期の作品にはホトトギス派の写実的な文章が多い。後年は文学論,映画論,さらに科学の方法論や科学教育など,文化の広い領域に及んでいる。日本の風土の特殊性から災害現象にも強い関心をもち,数多くの警世的な文章を書いたが,この方面の文章は《天災と国防》に収められている。その災害論は〈天災は忘れたころにくる〉という彼のことば(書かれた文章中にはこの句はないが)に集約されており,今日なお示唆に富む。その真意は,過去の災害の教訓をいかしきれない人間の対応を分析したものである。これら数多くの随筆は,いずれもこまやかな観察とゆたかな学識に裏づけられたもので,人々の感性と知性のはたらきを刺激するものがあり,現在まで多くの人々に愛読されている。門下に中谷宇吉郎,藤原咲平,平田森三,安倍能成らがおり,それぞれ寺田の多様な側面を引き継いだ。

                藤井 陽一郎+遠藤 渉


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