[積読立読斜読] 『上を向いて歩こう』(佐藤剛著、岩波書店、2011年)
広島県立図書館より借覧。著者の佐藤剛さんは1952年生まれ、もと甲斐バンドのマネージャーで現在はフリーのプロデューサーです。オリジナルはスタジオジブリの月刊誌『熱風』に連載されたそうです。
かなり前の話ですが、アトルの観光名所、スペースニードルの真下を歩いていたら聴いたことのある音楽が流れていて、しばらくしてそれが坂本九の『上を向いて歩こう』だと気づきました。突然日本語の歌が流れてきたのですぐには気づきませんでした。
自分と時間が逆戻りしてスペースニードルと『上を向いて歩こう』の時代に逆戻りしたような不思議な感覚を覚えました。これも後知恵ですが、シアトルの万博は1962年開催で、スペースニードルもこの時に建てられたものでした。『上を向いて歩こう』の全米NO1ヒットは1963年。人々が明るい未来を信じていた時代の歌です。
オリジナルの譜面では単なる感傷的なエレジーであったこの歌が、ロカビリー出身の坂本九が歌ったことで、日本語のロックンロールとなり、世界中で受け入れられたというのが著者の主張です。
膨大な調査でそれを裏付けてあり、意外なトリビア満載で楽しめる作品でした。
・中村八大、永六輔は、坂本九の歌い方に不満だった
・最初の英語タイトルは"SUKIYAKA"だった
・アメリカ盤発売を決めたキャピトルは同じころオファーのあったビートルズのシングル発売を最初は断った
・全米NO1となった入れ替わりに入った曲はPPMの『風に吹かれて』だった
などなど。
惜しむらくは海外取材の量が足らず、"Sukiyaki"が全米NO1になった時の臨場感が描けていればと思います。
作家の村上春樹さんは『上を向いて歩こう』を日本の準国家に推薦していますが、同感です。
↓は当方の抜き書きですので、気になさらずに。
P127
「上を向いて歩こう」における歌唱は「ロカビリアン坂本九」の面目躍如である。(中略)
坂本九の最大の特徴は「ヒーカップ」である。これはクラシックの音楽用語辞典にはない。プレスリーの
「ブルー・スエード・シューズ」の歌唱に代表される語尾を極端にしゃくり上げるロカビリー独特の歌唱法で、例えば、ジョン・レノンの最後のアルバムとなった
『ダブル・ファンタジー』の「スターティング・オーヴァー」でもその雰囲気を感じることができる。(中略)
まだ119歳で駆け出しの坂本九としては遠慮気味でかなり抑制していたと思われる。しかし逆にそれがロックン・ロールが日本語のオリジナル曲として定着する記念すべき瞬間をもたらしたのである。
(高譲『歌謡曲―時代を彩った歌たち』岩波新書)より
P129
日本が生んだ忌野清志郎に歌い継がれてきた一方で、「上を向いて歩こう」はフォーク・ロックの巨人、世界のボブ・ディランにもそっと歌い継がれていた。
(1986年二度目の来日公演(日本武道館)で英語版の「上を向いて歩こう」をディランは歌った)。
ディランと坂本九は同じ1941年生まれ。
エルヴィス・プレスリーとロックンロールに天啓を受けた少年たちが、海を越えて、同時代性を共有していたことがよくわかる話ではないか。
このようにしてロックンロールは、世界中の少年少女たちに継承されていったのである。
P154
すぐれたロックンロールは、ビートによって切迫感をあたえられた日常生活のリアリズムが、聞き手の心にトータルな衝撃をあたえる音楽だった。
心の中につくりあげられるその衝撃は、聞き手の全存在にかかわりを持ってくるだけに、スピリチュアルな体験であると同時に、日常的でリアルだった。
ロックは基本的には、現実との対決だった。(中略)ロックは、生き方だった。(片岡義男『ぼくはプレスリーが大好き』より)
P182
坂本九の歌の特徴といえば、ファルセット・ヴォイスのキュートさ、それを際立たせている卓越したグルーブ感である。
歌手としては声量に恵まれていないし、音域も狭い。初期の頃にはピッチも不安定だった。しかしながら坂本九は、日本人にしては並外れたリズム感の持ち主であった。
誰にも真似できない、真の意味でのロックンロールのグルーブ感を最初に表現できたシンガーだった。
P196
中村八大と永六輔のコンビのヒット曲は、歌のアタマ、歌い出しの歌詞が曲のタイトルになっているものが多い。
P208
世界中の音楽シーンに大変革が起こったのは、1955年から1975年の20年間であった。
ロックンロールの誕生とエルヴィス・プレスリーの出現が始まりだった。
P237
(リサイタル用のオリジナルの譜面は)実に悲しく、切ない歌であるということだ。
P319
(キャピトルの最初の英語タイトルは)意図的に「SUKIYAKA」と名付けられていた。
不明
「洋楽のメロディに日本語の詞を乗せるという我々が今も変わらずやっていることは、漣健児と岩谷時子、このお二方が書かれた詞の中で、ほとんどすべてが完結していたといっても過言じゃないんですよ」(山下達郎)
