人間の運命は中々片付かないもんだな
『道草』より引用
<引用>
P376
健三は此小さい肉の塊が今の細君のやうに大きくなる未来を想像した。それは遠いさきにあった。けれども中途で命の綱が切れない限り何時か来るに相違なかった。
「人間の運命は中々片付かないもんだな」
P423
人通りの少ない町を歩いてゐる間、彼は自分の事ばかり考へた。
「御前は必竟何をしに世の中に生まれて来たのだ」
彼の頭の何處かで斯ういふ質問を彼に掛けるものがあった。彼はそれに答へたくなかっつた。成るべく返事を避けやうとした。すると其聲が猶彼を追窮し始めた。何遍でも同じ事を繰返して已めなかった。彼は最後に叫んだ。
「分からない」
其聲は忽ちせゝら笑った。
「分からないのぢやあるまい。分かつてゐても、其処へ行けないのだろう。途中で引懸つてゐるのだろう」
「己の所為ぢゃない。己の所為ぢゃない」
健三は逃げるやうにずんずん歩いた。
P444(結末)
「安心するかね」
「ええ安心よ。すっかり片付いちゃったんですもの」
「まだ中々片付きやしないよ」
「何うして」
「片付いたのは上部丈ぢやないか。だからお前は形式張つだ女だといふんだ」
細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
「ぢや何うすれば本當に片付くんです」
「世の中に片付くなんでものは殆どありやしない。一編起こつた事は何時迄も續くのだ。ただ色々な形に變るから他(ひと)にも自分にも解らなくなる丈の事さ」
健三の口調は吐き出す様に苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱上げた。
「おお好い子だ好い子だ。御父さまの仰やる事は何だかちつとも分かりやしないわね」
細君は斯う云ひ云ひ、幾度か赤い頬に接吻した。
