2022年8月25日木曜日

[積読立読斜読] 『すべての月、すべての年』(ルシア・ベルリン著、岸本佐知子訳、講談社、2022年)


 2015年アメリカでベストセラーとなったルシア・ベルリン再発掘の書"A Manual for Cleaning Women"は、日本では翻訳の関係か2冊の分冊となりました。翻訳は同じ岸本佐知子さんです。


数奇な私生活を送った人がすべてすぐれた作家になれるわけではないでしょうが、ルシア・ベルリンの傍から見れば壮絶な人生がなければ、この優れた作品は生まれなかったのでしょう。日本人にはなじみのない(ほとんどのアメリカ人にとっても)アメリカの鉱山地が舞台となっており、メキシコでの生活で得たスペイン語圏の雰囲気も物珍しいものがあったのかも知れません。


さらに大柄なブルーネットで吸い込まれるような碧眼の(おそらく三番目の夫が撮った)ポートレートに見入られた人も多かったかもしれません。


嗅覚・視覚を総動員してさらりと描いた情景描写はそれだけで短編として成立しそうな筆力です。


P10

エルパソが近づいて、列車は速度を落とした。わたしは赤ん坊のベンを起こさずに、そのまま抱っこしてデッキに出た。

外の景色をながめたかった。それに匂いもだ。この砂漠の臭いと嗅ぎたかった。

カリーチェ土、セージ、精錬所の硫黄、リオ・グランデ河岸のメキシコ人の小屋の焚き火の匂い。聖なる土地。

戦争中に、祖母のメイミーと祖父と同居するためにはじめてここにやって来て、そのときはじめてイエス・キリストやマリア様や聖書や罪のことを聞いた。だからエルパソのぎざぎざの山並みや砂漠は、わたしの頭の中ですっかりイェルサレムとごっちゃになっていた。

川べりのイグサ、いたるところにある大きな十字架。イチジクにザクロ。黒いショールにくるまって赤子を抱いた女たち。貧しく痩せさらばえ、受難者の目・救い主の目をした男たち。

夜空の星は歌そのままに大きく明るく、これでもかというくらい輝いてみせるので、あの三人の博士たしたそのどれかを追いかけずにいられなかったもの無理はないと思えた。


「虎に噛まれて」より


主人公はすべて破天荒な女性で、あまり感心はしませんが、小説としての上手さは感心しました。




下記は講談社のサイトより。


https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000353810



<内容紹介>


魂の作家による19の短編。

ロングセラー『掃除婦のための手引き書』のルシア・ベルリン、待望の新邦訳作品集。


『掃除婦のための手引き書』の底本である短編集 A Manual for Cleaning Women より、同書に収録しきれなかった19編を収録、今回も傑作ぞろいの作品集です。


〈収録作品〉

虎に噛まれて/エル・ティム/視点/緊急救命室ノート、一九七七年/失われた時/すべての月、すべての年/メリーナ/

友人/野良犬/哀しみ/ブルーボネット/コンチへの手紙/泣くなんて馬鹿/情事/笑ってみせてよ/カルメン/

ミヒート/502/B・Fとわたし




<著者プロフィール>

著:ルシア・ベルリン(ルシア・ベルリン)

1936年アラスカ生まれ。鉱山技師だった父の仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす。3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手などをして働く。いっぽうでアルコール依存症に苦しむ。20代から自身の体験に根ざした小説を書きはじめ、77年に最初の作品集が発表されると、その斬新な「声」により、多くの同時代人作家に衝撃を与える。90年代に入ってサンフランシスコ郡刑務所などで創作を教えるようになり、のちにコロラド大学准教授になる。2004年逝去。レイモンド・カーヴァー、リディア・デイヴィスをはじめ多くの作家に影響を与えながらも、生前は一部にその名を知られるのみであったが、2015年、本書の底本となるA Manual for Cleaning Womenが出版されると同書はたちまちベストセラーとなり、多くの読者に驚きとともに「再発見」された。邦訳書に『掃除婦のための手引き書』(岸本佐知子訳)がある。