2024年4月25日木曜日

[惹句どんどん] スティーブ・ジョブズ

 本日の日本経済新聞の記事に引用されてました。

「しないこと」を決めとくと随分楽に暮らせます。

(成功するかどうかは別として)。



[その他] 10日と25日は'punk in'(パン喰い)の日 Misaki Bakery (中区本川町)

パン好きなもので。

遠方まで出かけるのに疲れたので

何回か買物した本川町のミサキ・ベーカリーへ。

表からは何の店かわからず、本日も店休日かと思いました。



 

[積読立読斜読](終活断捨離文庫100冊プロジェクト)『グレープフルーツジュース』(オノ・ヨーコ著、講談社文庫)

 当方の人生の最後の目標は(1)宮澤賢治『雨ニモマケズ』、(2)ジョン・レノン&オノ・ヨーコ『イマジン』なのですが、『イマジン』はオノ・ヨーコさんのこの詩集を読んでジョン・レノンが「想像しなさい」で作ったそうなので、オリジナル『イマジン』と言えるかもしれません。


オリジナルの書籍と比べると講談社文庫版は簡素な感じはしかたないですが、

英語版の文庫があればほしいところです。




想像しなさい。

千の太陽が

いっぺんに空にあるところを。

一時間かがやかせなさい。

それから少しずつ太陽たちを

空へ溶けこませなさい。

ツナ・サンドイッチをひとつ作り

食べなさい。



2024年4月20日土曜日

[積読立読斜読](特別編)終活断捨離文庫100冊プロジェクト 宮澤賢治 雨ニモマケズ手帖

宮澤賢治が病床で小さな手帖に書いた「雨ニモマケズ」は
花巻の「林風舎」という会社から復刻版が出ているのを知り
購入しました。

賢治の「雨ニモマケズ」を人生の目標としています。


ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ






 〔雨ニモマケズ〕

宮澤賢治


雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)ノ

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ


南無無辺行菩薩

南無上行菩薩

南無多宝如来

南無妙法蓮華経

南無釈迦牟尼仏

南無浄行菩薩

南無安立行菩薩


底本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房

   1997(平成9)年7月30日初版第1刷発行


宮沢賢治  1896‐1933(明治29‐昭和8)(みやざわけんじ) 

詩人,童話作家,農芸科学者,宗教思想家。岩手県剰貫(ひえぬき)郡花巻町(現,花巻市)の質古着商の長男として生まれ,浄土真宗の濃密な信仰の中で育つ。幼少年時から鉱物採集などに熱中した。盛岡中学2年のころから短歌を制作。1914年中学卒業,この年島地大等編《漢和対照妙法蓮華経》を読んで感動,終生熱烈な法華信者となる。15年盛岡高等農林学校農学科に入学。片山正夫《化学本論》を読み,物質観の基礎を与えられ,座右の書となる。20年ころから特に田中智学に傾倒,田中の主宰する国柱会に入会,父親にも日蓮宗への改宗を迫るが容れられず,21年1月無断出京,自活しつつ童話制作や布教活動に従事するが,8月に帰郷,この年の12月から26年3月まで花巻農学校教諭。この間,1922年1月から口語詩制作がはじまり,詩集《春と修羅》(1924),童話集《注文の多い料理店》(1924)を自費刊行。前者は嶋潤,佐藤惣之助らに激賞された。26年3月で農学校退職後,別宅に自炊独居して羅須地人協会を設立,若い農民たちに農学や芸術論を講義,また無料で肥料設計を行うなど献身的活動に入るが,治安当局の疑惑を招き,また賢治自身の健康状態の悪化により挫折する。31年に奇跡的に一時回復して東北砕石工場技師として活動した以外,晩年のほとんどを病床で送り,自作の改稿改作,文語詩制作などに没頭した。33年9月21日死去。その膨大な詩と童話は,みずみずしい言語感覚,奔放な想像力,自然との交感に裏打ちされた豊かな表現と構成,普遍的な幻想性とリアルな地方性の並存する多彩さ,文明への深い洞察等により,次第に多くの読者を獲得し,またその生前の質実で献身的な人柄と活動ぶりは死後も多くの讃仰の対象となり聖人化の傾向さえ生んだ。童話の代表作に《銀河鉄道の夜》《風の又三郎》《セロ弾きのゴーシュ》などがあり,1931年11月3日に手帳に記した独白《雨ニモマケズ》は有名。

                      天沢 退二郎


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[その他] a day in the life 4月20日(土曜日) HIP4月例会、広島平和記念資料館、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(企画展)

2024年4月20日(土曜日)

●まこと歯科クリニック


2か月に一度、歯のチェックとクリーニングに通っています。


●平和のためのヒロシマ通訳者グループ (HIP)

Hiroshima Interpreters for Peace (HIP)

10年以上前に参加していた平和公園の英語ガイドのグループの活動に再度参加しました。

4月の例会から。


HIPよりの案内
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4月例会は、講師に瀬戸麻由さんをお迎えし、「世界のヒバクシャとわたしたち」 と題して、ご講演いただきます。オーストラリアやマーシャル諸島に渡航された時のお話や一昨年の核兵器禁止条約のことなど、お話ししていただきます。多くのみなさんのご参加をお待ちしております。

瀬戸麻由(せと・まゆ)さんプロフィール

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Social Book Cafe ハチドリ舎スタッフ/シンガーソングライター。1991年生まれ。広島県呉市出身・在住。大学時代にピースボートに乗船し地球を3周。三度目のピースボート乗船時には被爆者とともに被爆の実相を伝える「おりづるユース特使」として「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加。2022年、カクワカ広島メンバーとしてウィーンで開催された核兵器禁止条約第2回締約国会議に参加し、帰国後世界の核被害地について学ぶオンライン企画「世界のヒバクシャと出会うユースセッション」を開始。現在は広島を拠点に、音楽活動のかたわら「Social Book Cafeハチドリ舎」で広島と人と世界をつなぐ場作りに挑戦中。

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●広島平和記念資料館

展示がリニューアルされてから行ってなかったので。

65歳になったので割引で入館できました。





●国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(企画展)

宇品にあった陸軍の船舶部隊「暁部隊」による原爆投下後の救助活動の証言。




[積読立読斜読] 『漱石俳句集』(坪内捻典編、岩波文庫)明治二十九年 206-215




 206 うき人の顔そむけたる蚊遣かな


207 短夜の芭蕉は伸びて仕まひけり


208 仏壇に尻を向けたる団扇かな


209 黒船の瀬戸に入りけり雲の峰


210 吹井戸やぼこりぼこりと真桑瓜


211 ゑいやつと蝿叩きけり書生部屋


212 異人住む赤い煉瓦や棕櫚の花


213 独居(ひとりい)の帰ればむつと鳴く蚊哉


214 据風呂の中はしたないや柿の花


215 橘や通るは近衛大納言


203から214まで句稿(その一五)にある句。

据風呂:風呂桶の下にかまどをとりつけた風呂。

215から221まで句稿(その一六)にある句。


[積読立読斜読] 『凡事徹底「一日一話」』(鍵山秀三郎著)4月22日~4月28日

 








2024年4月15日月曜日

[その他] いまさらながら "I shall be released" (The Band) の歌詞について



 先日、英文法書を復習していて助動詞のshallがwillよりもかなり強い「神の意思」があると
いうことを初めて知ったのですが、そこでザ・バンドの"I shall be releast"の復習です。


2024年4月9日火曜日

[晴れときどき英語のお勉強] 『真・英文法大全』(関正生著) CHAPTER 5 助動詞 5-1 基本助動詞の詳説 5-1-6 shall


"I shall be released"はボブ・ディランがザ・バンドのために書いた曲で、オリジナルは1968年のアルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』に収録されています。当方はこの曲を単なる自由への開放の歌という認識だったのですが、ネット上で深堀されている方のサイトを除くと、どうも冤罪で収監されている人の「釈放される」という歌だそうです。

歌詞にある "I see my light come shining, From the west unto the east."は刑務所の傍を走る夜間貨物列車の光が西から東へ向かい、その列車が囚人たちの希望の象徴だったそうです。




ボブ・ディランが書いた冤罪の囚人はヒューストンに近いシュガーランドの刑務所に収監されていて、刑務所の南側をハイウェイに沿って鉄道が走っており、囚人たちの間で夜間西から東へ向かう貨物列車の光に希望を託したようです。


余命いくばくもない老人になって歌詞の意味を知るのもあまり愉快でありませんが、ザ・バンドの歌、またまた深く染みます。


I Shall Be Released

WRITTEN BY: BOB DYLAN


They say ev’rything can be replaced

Yet ev’ry distance is not near

So I remember ev’ry face

Of ev’ry man who put me here

I see my light come shining

From the west unto the east

Any day now, any day now

I shall be released


They say ev’ry man needs protection

They say ev’ry man must fall

Yet I swear I see my reflection

Some place so high above this wall

I see my light come shining

From the west unto the east

Any day now, any day now

I shall be released


Standing next to me in this lonely crowd

Is a man who swears he’s not to blame

All day long I hear him shout so loud

Crying out that he was framed

I see my light come shining

From the west unto the east

Any day now, any day now

I shall be released

2024年4月14日日曜日

[積読立読斜読] (特別編)(終活断捨離文庫100冊プロジェクト) 『時刻表2万キロ』(宮脇俊三著、河出文庫、1980年初版)

 [積読立読斜読] (特別編)(終活断捨離文庫100冊プロジェクト) 『時刻表2万キロ』(宮脇俊三著、河出文庫、1980年初版)



オリジナルは1978年河出書房新社よりの単行本。同年の日本ノンフィクション賞受賞。

国鉄民営化は1987年。国鉄時代最も営業キロが多かったのは20,922.0キロ。現在は19835.9キロです。(廃止は赤字盲腸線が多く、新幹線の建設もあるので激減はしていないそうです)。


<内容紹介>

時刻表を愛読すること四十余年の著者が、寸暇を割いて東奔西走、国鉄(現JR)二百六十六線区、二万余キロ全線を乗り終えるまでの涙の物語。日本ノンフィクション賞、新評交通部門賞受賞。

<著者紹介>

宮脇 俊三 (ミヤワキ シュンゾウ)

1926年埼玉県生まれ。78年、国鉄全線乗車記『時刻表2万キロ』を刊行し、日本ノンフィクション賞を受賞。『最長片道切符の旅』『時刻表昭和史』等多くの著作を残し、鉄道紀行文学を確立した。2003年没。

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309470016/

河出文庫のサイトより引用


鉄道が文学または紀行文として成立する国はそんなに多くないことが想像されます。まず或る程度の鉄道路線総延長距離があり、かつその路線が散文的ではなく作家の想像力を喚起させる変化に富んでいる必要がり、作家が鉄道を文学的に昇華させる国文の力があり、それを読む国民が存在する、という前提が必要です。

したがって鉄道路線延長キロ数の長さと鉄道紀行文学の関連性はないと思います(米露中の鉄道文学事情は寡聞にして存じませんが)。


貨物専用線を含む世界の鉄道路線ランキングは、


(1)アメリカ

(2)ロシア

(3)中国

(4)インド

(5)カナダ


と国土が広大な国が並びます。


日本は国土の狭さの割には、鉄道路線総延長キロ数が健闘しており、12位に入ります。(データはWikipediaより)。ちなみに面積ランキングでは61位だそうで、狭い国に入るでしょう。


南北に長く四季があり、国の隅から隅まで鉄道が張り巡らされ、また紀行文学も隆盛を究めるといってよい日本は、日本語の読者にとっては幸福な国です。


画像は河出文庫にあった1970年3月末の国鉄全路線図です。路線図がそのまま日本地図になる、列島の隅々まで鉄道が伸びており感慨深いものがあります。




本書『時刻表2万キロ』は鉄道マニアでなくても充分に楽しめる「紀行文」が「文学」の古典にまで昇華した再読に耐える傑作です。著者は最初から完乗を目指していたわけではなく、1975年頃残存区間が20%程度になった時点で完乗を目指したそうです。

本書にもありますが「全線の73%に乗るのと、残った27%に乗るのとでは、手間のかかる典で比較にならない」(p8)のは考えて見ればわかりますが、この艱難辛苦、幹線の果ての方にある盲腸線に乗るためだけに泊りがけの鉄道の旅を繰り返すことになります。ほとんどがローカル線の記録なので記述も淡々としていますが、時折自虐とも思える諧謔を交えた乾いた筆致は、かつて中央公論社の編集者として鳴らした杵柄でしょうか。


完乗の最期の1線は足尾線の全線44.1キロのうち、未乗区間の1.3キロ(足尾~間藤)で、あまり詩的な路線ではありません。


p244

通洞から2分で足尾に着く。古い駅舎の黒く丸く手擦れた改札口の脇に「海抜640m」と書かれた板がさがっている。つぎが間藤(まとう)、いよいよ最期の最後となった。時刻表には足尾発14時21分、間藤着14時25分となっている。タブレットを肩にかけた助役が手を上げると、2両のディーゼルカーはぶるぶると車体を震わせて動きだした。貨物用の短いホームがうしろに過ぎ去ると、また黒いトタン屋根がつづく。にわかに沿線の山肌が荒涼としたものに変わった。草木がほとんど姿を消し、鋭い岩が突き出ている。その間をディーゼルカーは想いなしか生気なくゆるゆると走り、しかしわずか1.3キロだからすぐ停まった。間藤である。コンクリート板を張った狭いホームに私は降りた。


国鉄の全線を完乗したのですが、著者の胸中に去来したのは以外にも寂寥感でした。


p246

これで長年の念願を達成したわけだが、九州の全線を乗り終えた時の爽快さも、北海道完乗のような虚無感もなかった。しかし、まもなく来るべきものが北。相変わらず時刻表は開いていたが、どうにも張り合いがないのである。眺めるだけ、かつてのあの読み耽る力が出てこないのである。(中略)とにかく何かが終わり、何かを失ったことはたしかなようであった。それは全線完乗でも時刻表でもない、もっと大きなものであったようにも思われた。よく、停年で現職を退いたり、ひとり娘を嫁にやったりすると俄かに老け込む人がいるが、その気持が理解できるような気がした。


到達点よりのその過程が実は楽しい。児戯に耽る大人になれない少年の業のようなものかも知れません。


本書の魅力は自身も鉄道オタクである評論家の関川夏央さんの解説が缶にして要を得ていますので引用します。


p330

編者解説

鉄道と汽車の記憶—宮脇俊三、吉村昭、藤沢周平、荒川洋治


 宮脇俊三は1970年代まで中央公論社の敏腕編集者だった。鉄道と列車時刻表への愛着は1932(昭和7)年、6歳のとき以来だったが、会社ではそのことを口にしなかった。「児戯」に等しいと、ひそかに恥じていたからである。

 40代なかばの1970年頃、ふと思い立って調べてみると、すでに国鉄全線区の8割に乗っているとわかった。その結果、週末に泊まりがけで残った線区を「乗りつぶし」に出かけることが増えた。

 しかし、それまで「全線完乗」など意識していなかったものだから、遠隔地に短距離の「乗り残し」が多くあり、合計18キロ余を「乗りつぶす」ために四国から北陸へ車中二泊、2千キロ以上を乗ったりした。

 「隠れキリシタン」のようであった宮脇俊三が、社内で「カミングアウト」したのは76年である。以後は夜行列車に乗るまでの時間を同僚と酒席で過ごすことができた。

 77年に「完乗」、その記録『時刻表2万キロ』が出版される前月、宮脇俊三は中央公論社を退社した。51歳、最期は常務取締役であった。

 『時刻表2万キロ』は不思議な本である。「どうでもいいこと」に没入する人の「情熱」と「徒労感」が淡々と正確に記述されているだけなのに、なぜかおもしろい。それはいわば「心あたたまる不条理文学」であった。

 退社したた編集プロダクションをするつもりでいた宮脇俊三だが、『時刻表2万キロ』の反響は大きく、「汽車旅」原稿の注文があいついだ。79年には、国鉄1万3千3百余キロを「一筆書き」の要領でめぐった『最長片道切符の旅』を出し、つづけて本書中の只見線の旅の項を含む『汽車旅12ヵ月』を刊行した。「鉄道紀行文学」とも呼ぶべきジャンルを確立した宮脇俊三だが、彼はその代表作を『時刻表昭和史』までの3年弱で書き終えた。

(中略)

鉄道と汽車の記憶は、日本の近代化と現代化の記憶そのものだ。それは希望と郷愁、それに愛惜がないまぜとなった遠い記憶である。

『鉄道文学傑作選』(関川夏央編、中公文庫オリジナル、2024年)より


2024年4月13日土曜日

[あの頃のレコード] テイラー・スイフト『evermore』(2020) SIDE B



LP 1

Side B

01. no body, no crime ft. HAIM

02. happiness

03. dorothea

04. coney island ft. The National


引き続き旧盤ですがテイラー・スイフトさんの2020年のアルバム『evermore』の紹介です。

テイラー・スイフトさんをまともに1曲通しで聴いたのは世間からは相当遅れていて、2022年のアメリカ映画『ザリガニの鳴くところ (Where the Crawdads Sing)』の劇中歌"Carolina"でした。随分暗い感じの歌という印象でした。

ミステリー好きでもあり原作を映画化よりも先に読んでの曲参加だそうです。


01. no body, no crime ft. HAIMはカリフォルニアの美人三姉妹ロックバンド。「死体がなければ罪もなし」はその映画『ザリガニの鳴くところ』を連想させるミステリー風の曲。


02. happinessは片思いの曲ですが詞に『グレート・ギャツビー』からの引用があり、文学好きのテイラー・スイフトさんです。


03. dorotheaは友人のセレーナ・ゴメスからヒントを得て作られたそうです。


Hey, Dorothea, do you ever stop and think about me? / When we were younger down in the park


まあ両者ともにセレブなのでなかなか会えないのでしょう。

04. coney island ft. The National

アメリカのインディー・ロックバンドThe Nationalをフューチャー。コニーアイランドはちょっと郷愁をそそるニューヨーク郊外の海浜にある遊園地。

規模はかなり小さくなりますが印象としては浅草の花屋敷遊園地のイメージです。



[晴れときどき英語のお勉強] CHAPTER 5-2 助動詞の過去形 5-2-2 would

 CHAPTER 5-2 助動詞の過去形 5-2-2 would 



助動詞の過去形は過去の意味をあらわさない場合が多い

仮定法の用法を最初に考える

shall の過去形 should は過去の意味で使われることはほとんどない


5-2-2 would 

[カクシン]①仮定法、②willの過去(必ず~した)


(1)メインの用法(仮定法の影響を受けている

①仮定法「~だろうに」 ※「あり得ないことに使う」

②遠まわしの丁寧表現(would you~などの表現)※「ありえそうなこと」に使う…仮定法の影響

③推量・婉曲「~だろう」※「ありえそうなこと」に使う…仮定法の影響


(2)過去形としての用法 ※「必ず~した」

①過去の習慣「よく~したものだ」 ※後ろにoften/sometimesがくることが多い

②過去の拒絶「(否定文で)どうしても~しようとしなかった」

③willの過去形(時制の一致)

[カクシン]would「(100%必ず)~した」

will「(100%必ず)~する」


[例文]

(1)メインの用法(仮定法の影響を受けている

Would you do me a favor?

I'd like to extend my stay until Thursday if you have any available rooms.

Would you like to try our home-made ice cream?

It's 11 p.m. The store would be closed now.


(2)過去形としての用法 ※「必ず~した」

We would often talk in the park after school.

The computer wouldn't boot.

(どうしてもパソコンが起動しなかったんです)

She said that she would finish the report by Friday.(時制の一致)




[memo]

wouldとused toの違い

wouldもused toも〈過去の習慣〉を表す

used toは「今はもうそれをしていない」

wouldは「今現在のこと」との関係がない


例1) I used to go fishing every Sunday in summer.

「私はかつて夏に日曜日ごとに釣りに行ったものだ」

  ※今はもう釣りには行っていない。


例2) I would go fishing every Sunday in summer when I was a child.

  「私は子供の頃、夏に日曜日ごとに釣りに行ったものだ」

  ※単に過去の話をしているだけで、もしかしたら今も釣りに行っているかもしれない。


wouldは過去を表す副詞、副詞句、副詞節と一緒に用いることが通例


wouldは動作を表す動詞と一緒に用いることはできるが、

状況を表す動詞(進行形にできない動詞)と一緒に用いることはできない


https://benesse.jp/kyouiku/teikitest/kou/english/english/k00056.html

ベネッセ 高校英語のサイトより


[惹句どんどん] 吉行淳之介

 

「あれじゃ、疲れるだろうなあ」


三島由紀夫を評した「あれじゃ、疲れるだろうな」との一言にはうらなされる。


吉行淳之介生誕100年。本日の朝日新聞「天声人語」。