2025年3月6日木曜日

[その他] 文化人切手 西周

 当方の小学生時代の通過儀礼。切手収集。

「西周」を「にしあまね」と読むことができるのは切手のおかげ。




西周  1829‐97(文政12‐明治30)

にしあまね 


明治前半期の啓蒙思想家。石見国(島根県)津和野藩医の家に生まれる。荻生徂徠の学問に関心をもったが,1853年(嘉永6)江戸に出たのち洋学を学びはじめ,手塚律蔵や中浜万次郎に英語を学んだ。57年(安政4)蕃書調所教授手伝並となり,62年(文久2)幕府派遣留学生として津田真道らとオランダに留学。ライデン大学のフィセリング教授から政治,経済等を学び,留学中コントの実証主義や J. S. ミルの功利主義,およびカントの恒久平和の思想に感銘した。65年(慶応1)帰国し,翌年開成所教授職となった。大政奉還に際し徳川慶喜のために〈議題草案〉を起草し,68年《万国公法》を訳刊した。沼津兵学校頭取を経て,70年兵部省に出仕ののちは明治新政府の軍制整備に活躍し,とくに78年〈軍人訓誡〉を起草し80年には〈軍人勅諭〉の初稿を起案するなど,軍人精神の確立に寄与した。この間,73年結成の明六社に参加し,《明六雑誌》に次々と寄稿して啓蒙思想期の第一人者となった。74年に《百一新論》《致知啓蒙》,75年に《心理学》,77年に《利学》を著して,哲学,理性,主観等の哲学用語を考案し,近代哲学の最初の移植者となった。東京学士会院会長,文部省御用掛兼東京師範学校長,元老院議官を歴任したが,健康を害し86年に公職を退いた。その業績は《西周全集》全3巻に収められている。

                        佐藤 能丸


(C) 1998-2002 Hitachi Systems & Services, Ltd. All rights reserved.