一章節づつ読んでいる漱石の『吾輩は猫である』。本日は第5章を読みました。
くしゃみ先生の家に泥棒が入り、吾輩はネズミ捕りに失敗します。
第五
p191
ほのかに承はれば世間には猫の戀とか称する俳諧趣味の現象があつて、春さきは町内の同族共の夢安からぬ迄浮かれ歩るく夜もあると云うが、
吾輩はまだかかる心的変化に遭逢した事はない。
p200
寒月君は苦味ばしつた好男子で、活動小切手と迷亭から称せられたる、
p207
「知らんけれども十二圓五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合はん。夫だから貴様はオタンチン、パレオガスだと云ふんだ」
オタンチン・パレオガス:唐変木と同じ、ローマ皇帝にかけた俗語。
p216
「九年立つても月給は上がらず。いくら勉強しても人は褒めちやくれず、朗君獨寂寞ですたい」
p222
「いいえ、あの人にや、まだそんな事は言ひ切りません。向ふは大頭ですから」
大頭:頭領
p224
然し一歩退いて考へて見ると、かく迄に彼らが吾輩を軽蔑するのも、あながちミリではない。
大聲(たいせい)は俚耳(りじ)に入らず、陽春白雪の詩には和するもの少なしの喩も古い昔からある事だ。
陽春白雪の詩には和するもの少なし:中国の故事。高尚な音楽は俗人の耳に入らない、の意。
p225
猛虎も動物園に入れば糞豚(ふんとん)の隣に居を占め、鴻雁(こうがん)も鳥屋に生取らるればすうけいと俎を同じうす。庸人と相互する以上は下つて庸猫(ようべう)と化せざるべからず。庸猫たらんとすれば鼠を捕らざるべからず。-吾輩はとうとう鼠をとる事に極めた。
庸人:凡人
p226
女賢うしてと云う諺はあるが猫賢うして鼠捕り損ふと云ふ格言はまだ無い筈だ。
